2013年11月9日土曜日

メインブログからの転載

お料理も想像力

 
こんばんは~、マリーで~す。

今日は土曜日だから、うちのおばはんもかなり暢気に構えちゃっててさ、夕方のミサの帰りも寄り道ばっかりしてんのよ。荻窪で一回降りたのよねえ。初めの予定じゃさ、荻窪の西友で買い物してバスでまっすぐお家に帰るはずだったのよね。

ところが、今日はお昼が軽かったからお腹がすいてたらしいの。それなのに電車の中でタブレットを見てたらGigazineの昨日の記事に「M屋の肉味噌茄子コンボ牛めし」っていうメニューの紹介が出てたのねえ。あの人、味噌茄子も、肉味噌茄子も大好きなのよ。気持ちが変わってたまにはM屋で食べて帰ろうってことになったわけ。だって、ああいうものこそ外で食べないとおうちでひとり分作るのはかえって面倒なのよね。

ほんでもってそこで夕食を済ませて、外に出たらまた気が変わってもう一度電車に乗って西荻窪の西友に行って買い物したのよ。どうせ重いものを運ぶつもりで実用のリュックを背負って出かけたし、外食の分、せめてバス代は節約しようっていうせこい考えね。

もうこうなったらどうせだからって、あっちに寄ってみたり、こっちも覗いたり、重い野菜果物を背負ってご苦労なことだわさ。やっとこさ、お家に戻って、テレビをつけて今日はちょっと夜遅くだけど、面白い番組があるのを思い出して、眠気覚ましの紅茶を用意したりしはじめたのよ。まったくもう、寝不足で調子が悪いなんて言ってて、夜更かししようっていうんだからどうしようもないわ。

でもその番組「妄想ニホン料理」って確かにほんとに面白いわよ。どうしてこれを、オンデマンドでやってくれないのか、残念だわ。そうすればあの人だって寝不足にならないで見られるのにね。

日本の料理なんて縁のない国の人に想像力を駆使してその名前のお料理を作ってもらうとどういうものが出来上がるか、これがもうなかなかすごいんだから。明日は日曜日だし、あの人、いつも遅い時間のミサだから寝坊しても大丈夫だってこの番組を楽しみにしちゃってるのよ。まったくしょうのない。

だけど、さっきテレビの画面に千葉県に竜巻注意報が出たってテロップが出たから、番組がなくてもあの人、心配で夜遅くまで起きてそうだからまあいいか。とにかく、今日はそんなことで、話はとりあえずおしまい。

ほんじゃまたね。

ほんとはね、もっとまじめな、NHK番組の母と娘の問題、あなたの愛が重いを取り上げるつもりだったのが、今夜はあの人の胃袋が重いから、簡単な話になっちゃったの。ごめんなさいね
(ケータイのマリーから)



2013年11月8日金曜日

メインブログからの転載

松谷みよ子さんの『現代の民話』

 
昨日、久しぶりに聖書の集いに出かけ、今度の日曜日分の福音を読んで分かち合った。そこでサドカイ派の人々とイエス様の死後の復活論争の話が出た。当時のサドカイ派の人々の考え方は、人間は生きている間だけで、死んでしまえば後はないというような考え方だったようだ。しかし、イエス様はそうではないことを教えようとされた。

これはいつの時代の何処の国の人にとっても頭を悩ませる問題だ。この問題を何とか説明しようとして多くの人がいろいろ考え、沢山の説を出してきた。でも、こればかりは、向こうに行ってしまうと大体それ以後は音信不通になるから誰もよくわからないのが本当だ。

誰も見たことも無いものを、人はどうして信じることができるのか? 最近ある出来事があって、かかわった方々は皆、それぞれにさまざまなことを感じ、考えさせられることになった。そのことで思い出したのが松谷みよ子さんの、現代民話考(全12巻)や、あの世からのことづて、現代の民話などの調査研究を集めた大量の本のことだった。

実を言うと自分の父親の死に際の奇妙な偶然以来、人が死ぬときは変わったことも起こったりするらしいと思っていたので、、今回の出来事もそれほど驚きはしなかった。それで思い出したのが若いころ読んだ松谷みよ子さんの本だ。あれはそういう出来事の話の集大成ではなかったか。

これは思うに、聖書の昔から、死後の世界はあるとか無いとかの論争と一緒に、時々信じられないような奇妙な出来事というのが本当に起こって、それに出会った人達は自分の経験でやっぱり、あちらの世界はあるらしいぞと、子や孫たち、周りの人達に伝え、伝えして死後の生を信じる心も伝えられてきたのではなかろうか。

いくら研究しても、人間には限界があるので、誰一人この世にいるうちはわかりきることなどできないのだが、信頼し、敬愛していた人達がそれこそこの世に残る人達へのことづてを置いていったかのような奇妙な出来事、たぶん、それを信じてこの世での一生を一生懸命生きることのほうが、あの世など無しと決め付けて生きるより、よりよく人生を味わえるような気がしている。愛する人達と共有してきた時間、彼らから受け継いできたこと、そういうものは、そういうものこそが信仰を支える土台なのではないかと思う。



メインブログからの転載

フェイスブックから

 
昨日というかすでに今日に入ったころの時間、夜中なのだけど、ちょっと気になることがあってタブレットをさわっていると、フランス在住の、ま_ここっとさんのブログに、昨日ツイッターのほうで見てかなりショックを感じたパパさまの写真が出ていた。大変な状態の一人のひとを抱き止めている一枚の写真。

昨日も思わず、うわっとパソコンを閉じてしまいそうになった写真。本当に世の中はいろいろなことがあるものです。直接そちらを紹介したいところですが、このタブレットではどうやってコピペできるかいまだにわからないのです。


時々、人間の組織としての教会には嫌気がさしますが、こういう写真を見ると本当に反省してしまいます。今の教皇様はやっぱりすごい。あんまり文句ばかりいっていては申し訳ないという気持ちになります。
昨日見たほうの写真はもう一枚のほうのもっとショッキングな、恐ろしいくらいの写真で、カトリック雑誌かなにかに出た写真です。

教皇様の写真とわかっていなければ日本では恐らく恐ろしすぎてだせない。崇高さより不快感を感じさせてしまうような、そんな写真でした。

しかし、その2枚の写真を見て、フランシスコ教皇様に関してはとやかく文句や反論は言えないと思った。本当に口先だけではない方だ。

日本語でヴァチカンからはじめてさんざん苦労してたどり着いた。ああくたびれた。

  http://translate.google.co.jp/translate?hl=ja&sl=it&u=http://vaticaninsider.lastampa.it/&prev=/search%3Fq%3Dvatican%2Binsider%26hl%3Dja%26biw%3D975%26bih%3D434

たぶん、この中のどこか。



2013年11月7日木曜日

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相棒12-4

 
知らなかった。このごろは社交ダンスをボールルームダンスと呼ぶのか。当方、小さいころのお遊戯も苦手だったし、中学のフォークダンスや、盆踊りでさえ、手振り足振りがなぜか周りと逆だったりした、惨憺たる記憶があるくらいで、社交ダンスなどというものにはまったく縁のない人間なのだが、不思議と知り合いには踊れる人が多かった。

それも女性だけでなく男性もだ。踊る人達は男性も女性も非常に姿勢が良くて、挙措動作もきれいだった。それはダンスに限らず、日舞でもおなじだ。バランス感覚がよいのだ。

今日の話で、出だしから踊っていて足元を踏み外すのを見てそんなことを思い出していた。素人でもあるまいし、こんなところで足を踏み外すのはよっぽどのことのはず。いったい何がどうしたのだろうと思ううちに、話は思いも寄らない方向に進んでいく。

いつものように種明かしはしないが、今日は久しぶりの真飛聖さんを始め、ダンスシーンの美しさもあり、、謎解きと二重に楽しめるものだった。カイト君も右京さんから「君、最近わかりが早くなってきましたね」と褒められ?るし、やはりシーズン11のころとはどんどん様子も変わっていくようだ。


   

なんじゃこりゃ

 
ウォークマンの設定がまだ終わらないので古い写真を見ていて見つけたもの。いつの何で何処から拾ったのかわからないが、tumblrあたりかな?

     

   

2013.11.5

あ、だめだ

 
書き終わって、確定を押したとたんにパソコンから全てが宙に消えてしまった。このところ大丈夫だったのでつい油断した。今日はもう書き直す気力も一緒に消えてしまった。

2013年11月4日月曜日

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夕方は雨

 
こんばんは~、マリーで~す。

うちのおばはん、典礼聖歌のコンサートを聴いているときはそれほどでもなかったんだけど、電車とバスでお家に帰りついたら、なんかまた熱が出てきたみたいで、歯が痛い、歯が痛いってうなってるの。風邪が治りきっていないのよね。それでもちゃんとご飯を食べてるから多分だいじょぶなんじゃないのかな。今夜はさっさと寝れば明日は治ってると思うな。

それでも今日のコンサートは行ってよかった、予想以上によかったって言ってるわよ。いつもだとテレジア聖歌隊単独なんだけど、今回はあの人は今回初めての、関西のほうの方たちらしいんだけど、典礼聖歌アンサンブルっていうグループと合同だったの。

あの人、今日は早めに着いたから、たまには少しいつもと違う位置からちゃんと音を聞いてみようとかって最前列右に座ったのね。うちのおばはんも今でこそ行ってないけど、最近までは自分も歌ってる側だったから、こういう機会にちゃんとした男声音の上と下のメロディを聞きたかったのね。だってさあ、あるところの某グループの男声音ときたら何故かどうもハチャメチャなのよね。音質の問題かも知れないけど、たまにはきれいな声で正確な音程で聞きたいってわけよ。

テレジアもいいんだけど、今日の典礼聖歌アンサンブルの方たちの音はすごかったのよねえ。見事だったわよ。やっぱりさあ、どうせなら美しい音のほうが人の心にすんなりと入って、神様のほうに気持ちを向ける役に立つんじゃないかと思うのよね。日本人の宗教性という点から見たら美の要素というのは大きいんじゃないかと思うんだけどなあ。お前のへんてこな声で言われたくないって? はぁ、どうもしいましぇんね。

でもとにかくさ、音楽って、歌ってじかに心に響くのよね。今日の最後のほうで聞いた高田先生の遺作にあたる「神のみわざがこの人に」に、うちのおばはんでさえ、しみじみと感じ入ったみたいだったわよ。あの人にしちゃめずらしいんだわさ。だけどそれでもこれはコーラスとしての完成度も高いから心に入ったんじゃないの? ただ歌えばいいってもんじゃないみたいだわ。

でもさ、こんな話をしてるとまた長話になっちゃってあの人も早く寝るどころじゃなくなるから今日はもうやめとくわね。とにかくこれはとても大きな問題みたいな気がするのよ。

とりあえず今日はここまで。ほんじゃまたね。


2013年11月3日日曜日

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高田三郎生誕100年記念演奏会

 
こんにちは~、マリーで~す。

せっかくの連休なのにさあ、お天気が今一なのよねえ。まあ、うちのおばはんなんかは寒くなってきたら風邪ばかり引いちゃってて、あんまりお出かけ気分になれないみたいだけどね。今日もさっきまでGoogle playのストアでもって、前から見たいと思っていた西田敏行さんの映画「遺体」のビデオを借りて見てたのよ。東日本大震災のときの話だけど、これは見るだけの価値がある映画だってあの人言ってたわよ。

Google playってタブレットのアプリを買うときしか使ったことがなかったんだけどあの人がぜひ見たい映画が2本ともストアで借りられることがわかって、これならわざわざアマゾンでDVDを買わなくても済むからってためしに借りてみることにしたのね。

もう1本は「異人たちとの夏」どっちも名作で、それだけに無料動画でも全編公開はしていなくて、買うか借りるかしかないの。「異人たちとの夏」は、もう何度も見ていて、何度見てもやっぱり心に響いてきてやっぱりDVDもほしいんだけど、今回は試しにplayのストアで借りてみることにしたのよ。1回借りると72時間、3日間は何度も見られる仕組み。

料金もタブレットから申し込めばドコモの料金と一緒に引き落としだし、それでいてgoogleの一部だから狭いタブレットだけじゃなくて広くて見やすいパソコンのブラウザからも共通で見られるのよ。なるほど、これじゃマイクロソフトがIE以外のブラウザを目の敵みたいにするわけだわさ。

マイクロソフトさんにはわるいけど、うちのおばはんのタブレットだって、IEだけは同期出来なくて他のブラウザとばかり同期するから、あちらも怒ってパソコン壊しを始めちゃうんだわ。でもパソコンを壊したってパソコンのせいじゃないもんね。
そんな話はとにかくとして、お天気が悪くて困っちゃうわ。明日も東京は雨みたいじゃないの。だけど明日は午後から、うちのおばはんの昔からよく知っている人たちのコンサートがあるの。困っちゃうなあ。

※ 四ツ谷の駅前の教会の主聖堂で、午後2時半開演(2時開場)入場無料

※ 日本の典礼聖歌の父 高田三郎生誕100年記念演奏会

 演奏は典礼聖歌アンサンブル(TSC)と、聖イグナチオ教会テレジア聖歌隊

もしよかったら、明日四ツ谷の教会に聴きに来てね。雨が降ってても絶対聴きに来て損はないと思うのよ。あたしが保証しちゃうもん。マリーさんの保証じゃあ、あてにならないって。そんなことないわよ、とにかく来ればわかるって。ほんとよ。

とにかくそんなことで、明日よろしく。ほんじゃまたね。



2013年11月2日土曜日

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カボチャひとつとっても

これが日本カボチャ

    




共通のイメージ

キリスト教由来の行事ではないが、最近日本にも入ってきて商業ベースで結構広まってきたハロウィン、今日はもう終わっているけれど、今目の前にレイ・ブラッドベリの『ハロウィーンがやってきた』(晶文社 文学のおくりもの8 伊藤典夫訳)があるので思い出したことなど書いてみる。

世の中には輸入物の行事で、ある程度の知識がないと、意味のわからない象徴、シンボルというものがあるわけで、ハロウィンの場合は、数年前のアメリカで仮装パーティーに出かけた日本人の男の子が不審者と間違われて銃で撃ち殺されてしまった悲しい事件あたりから、アメリカの銃社会の現実などと一緒にハロウィンという行事も知られるようになってきたような記憶がある。

でもそのまえから、ブラッドベリに親しんでいた方なら、実態を見たことがなくてもハロウィンあるいはハロウィーンという言葉や内容も知っていたと思う。ただ、今のようにネットで調べればすぐ写真も出てくる時代になる前は、カボチャといえば日本の八百屋さんに並んでいる小さい硬いカボチャしか知らないし、カボチャでランタンを作るといっても、あの硬いカボチャのイメージでは、これでどうやって作るのだとおもうばかりだったわけだが。

つまり、カボチャといってもアメリカと日本ではすぐに同じものを思い浮かべていたわけではなかったのだ。おなじことはキリスト教の中のシンボルにも言える。こひつじという言葉で日本人は何を連想するのだろうか、柔らかいウールくらいではないか。後、高級レストランの食材や料理くらいか。

だから、ミサにあずかって、神の子羊と唱えながらちゃんとこれが人類の現在の贖いのために身代わりになって死なれたキリストイエスのことだとわかって唱える人って果たしてどのくらいいるのだろうかと時々考えてしまう。信者だからわかっているはずとばかりはいえないような場面にもよく出くわす。

洗礼を受けた信者で、おんからだのはり付けられた十字架は気味が悪いから嫌いだと公言する人ってほんとにキリスト教の信者なのかなあ。まあ、あまり美的でない十字架は確かに好ましいと思えないけれど、シンボルというのは意味があるものなので、その意味が大事なのだが、日本人の信者の場合どのくらいちゃんとわかっているのだろうか。

そこがわかっていないから洗礼を受けても何年かすると教会から卒業してしまう人が減らないのではないのか。カリタスも大事だけど、肝心の神様に対する愛、イエス様への愛は、自分とこのお方の関係、その意味がわかっていないと消えてしまうのだと思う。

カボチャのイメージからはなしがずれてしまったけれど、共通のイメージというのはそのグループを強める力でもあるし、本当は大きな意味があるのをちょこっとでも思い出してみてほしい。



2013.11.1

本日は簡単なはなし

先日以来の頭痛のたねだったメインパソコンは、もしかするとなんとかちゃんと元のように使えるようになるかもしれない。経過を書き込もうとするとタブレットは、というかどこかのcookieがいやがって書き込めなくなるのでやめておくが、詳しい話はぬきでセキュリティソフトのavastさまさまで、ウイルスバスターではどうにもならなかったことがavastに替えてからすっかり問題が解消してきたようだ。セキュリティソフトって重要だとつくづく思う。このavastというセキュリティソフトがまだ広く知られていないのは勿体ない話だと思う。

それは良いとして、今日は昼ミサに四ッ谷に行くと駅前に機動隊の車輌?や警官が何人か詰めていたので、誰が来ているのだろうと思っていたのが、夜のニュースでロシアの高官だったことがわかった。最近ロシアの話題多いな。当方などはロシアときいてもロシア料理からロシアの宮廷文化のことを教えられ、ソ連時代しかしらなかったロシアという国の歴史に今ごろ気がついたくらいの知識だ。ロシアも中国も革命時代がおかしかっただけで、今の状況というのは元々の姿に戻ろうとしているだけなのかもしれない。両方とも巨大な国なのが何か恐ろしいけれど。