2014年8月31日日曜日

祝!人間国宝

第27回(2011)京都賞記念講演会 坂東玉三郎丈

Tamasaburo "Sagi Musume" 坂東玉三郎 「鷺娘」 - middle section

Tamasaburo "Sagi Musume" 坂東玉三郎 「鷺娘」 - beginning section

Tamasaburo "Sagi Musume" 坂東玉三郎 「鷺娘」 - last section

玉三郎さんの鷺娘のラスト、バレエの白鳥の湖の、瀕死の白鳥にまけないすごさです。

坂東玉三郎 「藤娘」 Tamasaburo "Wisteria Maiden" part 2

坂東玉三郎 「藤娘」 Tamasaburo "Wisteria Maiden" part 1

2014年8月30日土曜日

特選 米朝落語 「怪談市川堤」

落語 「なめる」  三遊亭圓生(六代目)

落語 「お化け長屋」 三遊亭圓生(六代目)

落語 「小言幸兵衛」 三遊亭圓生(六代目)

落語 「左甚五郎」 三遊亭圓生(六代目)

落語 林家三平(初代) 犬の目

林家三平 源平盛衰記

林家三平源平盛衰記2/2

林家三平源平盛衰記1/2

キャラバンの太鼓 伊藤久男 米山正夫作詞・作曲

黒い瞳 (ロシヤ民謡): デュエット  伊藤久男・黒木曜子

ブラジルの太鼓 伊藤久男 石本美由起作詩 上原げんと作曲

オロチョンの火祭り 伊藤久男

伊藤久男の歴史

伊藤久男 高原の旅愁 1973

山のけむり 伊藤久男

海ゆかば 伊藤久男(ステレオ)

イデオロギー抜きに、ひとつの美しい歌として聞いてください。大君を天皇としか見ないのも困ります。もっと広く大きな存在、神、キリストを自分にとっての大君と呼んでこの歌を歌うカトリック司祭だっているくらいですから。

美しき日本の歌・初恋 イヨマンテの夜 平城山

荒城の月 伊藤久男  土井晩翠作詩・滝廉太郎作曲

2014年8月26日火曜日

短時間だけど黙想指導を受けてきた

四谷の教会はやたらに大きくなりすぎてしまったのだ。最新の教会報で主任司祭の巻頭の記事を読みながら申し訳ないがそう思った。何事も上り坂のときもあれば下り坂のときもあるのだ。日本の国全体が人口膨張のときを過ぎて、高齢社会、果ては多死と人口減少のときを迎え始めた。これは仕方のないことで一時的にはどうしてもこういう時期を通り過ぎることになるのだ。ただ、これもまたいつかは必ず上り坂に転じる時がくるのだと思う。ただ、日本のカトリック教会の現実が今後どうなっていくのかは非常に問題だろう。 その辺を考えるとき、ちょっとこれは、と思うものがある。今年鎌倉の黙想の家から一人の若手司祭が四谷の教会に異動してきた。この方はこれまで主に黙想指導等を中心に働いてこられたと聞いている。人気も高く、講座の集客率、じゃない出席率は相当なものだ。まあ、そうは言ってもただの普通の人間であることを忘れて期待しすぎると、四谷では往々にして落とし穴に落ちて失敗するケースも見ているから、やたらほめすぎるとろくなことにならないとも思っているんだが、それでもなかなかなものだ。 若いけれど祈りの指導者(聖イグナチオの霊性に基づいた)としてはかなり信頼の置ける人物だろう。というわけで今日はこのところの蕁麻疹の痒みも我慢して、祈りの講座に出てきた。 やっぱり、さすが餅は餅屋で、こういう話はたびたび繰り返し聴かないと、普段の生活では忘れてしまいがちな祈りの方法の基本をうかがうことができて、非常によかった。その昔の四谷には長束に修練院があったころ、今は亡きライフ神父様が修練長の頃、副修練長としてその名をはせた司祭が助任だったから、祈りについては本当にたくさんのことを学ぶことができたのが、この十数年はそれなりの人材がいなくなったせいか、どうも、いわゆる霊的生活を支えるだけのものがなかなか得られない状況だ。少なくとも今日のような話でもいいから心を祈りに向けるための話しを聞きたいものだ。 たぶん、本当に信仰を生きたものに変える祈りに人の心が向かい始めたら、カトリック教会が変わるのだと思う。人間の集まりの現実は現実だし、どんなにすばらしい方でもやっぱり人間の弱さで失敗だってしでかす現実もすべて網羅してそれでも、イエス様の教え、イエス様の教会はすばらしいのだと声を大にして言えるのだと思う。それはこの世の現実だけを見ているのではだめだ。現実を超えた理想に目を向ける力が必要なのだ。霜山徳爾先生のおっしゃていた複眼の思想を生きることが必要なのだと思う。 今日の講座では、そんなことを考えさせられて帰ってきた。来週はすでに9月、考えただけで終わらせずに実行していけるように願うばかりだ。