2014年10月19日日曜日

落語

我が家はその昔、父の方針でかなり遅くまでテレビというものが入ってこなかった。その代わり、ほんはいくらでも買ってもらえたし自分用のラジオも合ったから、ラジオには親しんでいた。NHKの子供番組はもちろん、大人用の娯楽番組、落語や漫才、ラジオドラマ、みんな聞いていた。だから今でも落語やラジオドラマはかなり好きだ。ただ、今の若手より子供の頃に好きだった六代目三遊亭圓生さんとか、小さんさん、八代目正蔵さん、三遊亭金馬さんとかのふるーいおなじみの噺家が特に好きだ。それにプラス最近はSNSの関係から関西の桂米朝さんとその一門も聞いている。米朝さんともなるとやっぱり、東西の違いを忘れてうまい噺家だと思う。 ちょっと変わったところでは以前は理屈ばっかりじゃないかと嫌っていた立川談志のよさがわかってきたり、聞き手の当方も年をとって見方がかわったこともあるのかもしれない。古今亭志ん生さんよりどちらかというと三遊亭圓生さんのような語りが好きだったのだけれど、二人の息子さんは気に入っていたのに二人とも早く亡くなってしまった。金原亭馬生、古今亭

曹洞宗大本山總持寺 朝課

平安仏教の響き 三宝和讃

2014年8月31日日曜日

祝!人間国宝

第27回(2011)京都賞記念講演会 坂東玉三郎丈

Tamasaburo "Sagi Musume" 坂東玉三郎 「鷺娘」 - middle section

Tamasaburo "Sagi Musume" 坂東玉三郎 「鷺娘」 - beginning section

Tamasaburo "Sagi Musume" 坂東玉三郎 「鷺娘」 - last section

玉三郎さんの鷺娘のラスト、バレエの白鳥の湖の、瀕死の白鳥にまけないすごさです。

坂東玉三郎 「藤娘」 Tamasaburo "Wisteria Maiden" part 2

坂東玉三郎 「藤娘」 Tamasaburo "Wisteria Maiden" part 1

2014年8月30日土曜日

特選 米朝落語 「怪談市川堤」

落語 「なめる」  三遊亭圓生(六代目)

落語 「お化け長屋」 三遊亭圓生(六代目)

落語 「小言幸兵衛」 三遊亭圓生(六代目)

落語 「左甚五郎」 三遊亭圓生(六代目)

落語 林家三平(初代) 犬の目

林家三平 源平盛衰記

林家三平源平盛衰記2/2

林家三平源平盛衰記1/2

キャラバンの太鼓 伊藤久男 米山正夫作詞・作曲

黒い瞳 (ロシヤ民謡): デュエット  伊藤久男・黒木曜子

ブラジルの太鼓 伊藤久男 石本美由起作詩 上原げんと作曲

オロチョンの火祭り 伊藤久男

伊藤久男の歴史

伊藤久男 高原の旅愁 1973

山のけむり 伊藤久男

海ゆかば 伊藤久男(ステレオ)

イデオロギー抜きに、ひとつの美しい歌として聞いてください。大君を天皇としか見ないのも困ります。もっと広く大きな存在、神、キリストを自分にとっての大君と呼んでこの歌を歌うカトリック司祭だっているくらいですから。

美しき日本の歌・初恋 イヨマンテの夜 平城山

荒城の月 伊藤久男  土井晩翠作詩・滝廉太郎作曲

2014年8月26日火曜日

短時間だけど黙想指導を受けてきた

四谷の教会はやたらに大きくなりすぎてしまったのだ。最新の教会報で主任司祭の巻頭の記事を読みながら申し訳ないがそう思った。何事も上り坂のときもあれば下り坂のときもあるのだ。日本の国全体が人口膨張のときを過ぎて、高齢社会、果ては多死と人口減少のときを迎え始めた。これは仕方のないことで一時的にはどうしてもこういう時期を通り過ぎることになるのだ。ただ、これもまたいつかは必ず上り坂に転じる時がくるのだと思う。ただ、日本のカトリック教会の現実が今後どうなっていくのかは非常に問題だろう。 その辺を考えるとき、ちょっとこれは、と思うものがある。今年鎌倉の黙想の家から一人の若手司祭が四谷の教会に異動してきた。この方はこれまで主に黙想指導等を中心に働いてこられたと聞いている。人気も高く、講座の集客率、じゃない出席率は相当なものだ。まあ、そうは言ってもただの普通の人間であることを忘れて期待しすぎると、四谷では往々にして落とし穴に落ちて失敗するケースも見ているから、やたらほめすぎるとろくなことにならないとも思っているんだが、それでもなかなかなものだ。 若いけれど祈りの指導者(聖イグナチオの霊性に基づいた)としてはかなり信頼の置ける人物だろう。というわけで今日はこのところの蕁麻疹の痒みも我慢して、祈りの講座に出てきた。 やっぱり、さすが餅は餅屋で、こういう話はたびたび繰り返し聴かないと、普段の生活では忘れてしまいがちな祈りの方法の基本をうかがうことができて、非常によかった。その昔の四谷には長束に修練院があったころ、今は亡きライフ神父様が修練長の頃、副修練長としてその名をはせた司祭が助任だったから、祈りについては本当にたくさんのことを学ぶことができたのが、この十数年はそれなりの人材がいなくなったせいか、どうも、いわゆる霊的生活を支えるだけのものがなかなか得られない状況だ。少なくとも今日のような話でもいいから心を祈りに向けるための話しを聞きたいものだ。 たぶん、本当に信仰を生きたものに変える祈りに人の心が向かい始めたら、カトリック教会が変わるのだと思う。人間の集まりの現実は現実だし、どんなにすばらしい方でもやっぱり人間の弱さで失敗だってしでかす現実もすべて網羅してそれでも、イエス様の教え、イエス様の教会はすばらしいのだと声を大にして言えるのだと思う。それはこの世の現実だけを見ているのではだめだ。現実を超えた理想に目を向ける力が必要なのだ。霜山徳爾先生のおっしゃていた複眼の思想を生きることが必要なのだと思う。 今日の講座では、そんなことを考えさせられて帰ってきた。来週はすでに9月、考えただけで終わらせずに実行していけるように願うばかりだ。

2014年7月28日月曜日

パイレーツオブカリビアンの上映延期

こんばんは~、マリーで~す。 うちのおばはんもこの暑さで相当参っちゃってるみたいなのよ。あの人が自分で書いたほうのブログ読んだらさあ、もうなんか情けな言ったらないのよ。泣き言ばっかりこぼしててさ、そんなはなし、つまんないからあたしがちょっと代わりに少し面白そうなはなしでもするわね。 うちのおばはんが大好きなわくわくする話って言ったら、なんといっても「相棒」と「パイレーツオブカリビアン」なんだけど、その「パイレーツオブカリビアン」のシリーズ5が発表されたかと思ったら、来年の予定だった上映が延期になっちゃったんですって。来年はね、映画各社で人気のある大作のシリーズを出すからなんですってよ。 詳しいことはこっちを見たほうが早そうよ。     もしかしてまた、うまくリンクできなかったら、URLをブラウザの検索欄にコピー&ペーストしてみてね。 来年は、スターウォーズの新作も出るし、面白そうなのが多すぎてパイレーツも出ても負けちゃいそうなくらいなんだわさ。とにかく、あの人もへたばってても面白そうな好きな映画のこととかだと元気になってきたみたいだし、今日はこんなとこでおしまいよ。ほんじゃまたね。 ☆ パソコンの調子が悪くてリンクが出来ません。

虫を追いかけていたヤマト

2014年7月26日土曜日

ゴジラに大天使のイメージを見た

月末だし、来週月初めになってからでもいいかな、と思っていたのだが、本日は朝の天気予報を見て気が変わった。何しろ昨日一日中暑くて、夕方出かけようと思っていたのに、夕方にはあまりの暑さで気持ちがわるくなって結局出かけるのを止めにしたほどだったのが、当分同じような猛暑の日が続くというのでは、これは涼みがてら映画を見に行ったほうがよさそうだと思ったわけだ。 料金はすでにシニア料金だし、吉祥寺では2Dと3D上映を交互にしていて2Dなら最低料金だからそれで十分だと思ったので早速出かけた。 実際に見る前に何度も予告編を見せられ、すでに内容のわかっている映画評論家の方の話もいくつか見ていたものの、実際に実物を見て本当に驚いた。まさかこういう内容とは思いもよらなかったのだ。 映画評論家のどなただったかが、ゴジラは神だと言っていらっしゃったのを、タイトルにgodの文字が入っているくらいの事で大げさなことを、と思っていたものだ。 今回のハリウッド版ゴジラ、登場する怪獣は実は本命のゴジラだけではない。ムートーという空を飛ぶ凶暴な怪獣がオスとメスのカップルで暴れまわり、子孫を増やそうとたくさんの卵を産むのだ。このムートーも人間の核開発の結果の放射性物質を吸収して巨大化した怪獣で、カップルだからその分強力なのだ。 人類はこの怪獣のカップルに押しつぶされていくばかりなのか、と言うときに彼らと敵対する存在としてゴジラが現れる。 ここでのゴジラの登場は自然界のバランスを崩して卵を産み勢力を広げようとしているムートー達の天敵のような存在としてだ。ムートーが自然界のバランスを崩し、人類を滅ぼして自分たちが増え広がろうと言うときに、自然界は本来のバランスを取り戻そうとして、急激に増えようとするムートーの天敵、ゴジラも同時に登場させたのだ。 ここまで来てようやく、評論家さんの言うゴジラは神という意味がわかってきた。神とは言わないが、神、つまり自然界のすべてをつかさどる大いなる存在の使者のような役割を果たす存在なのだ。自然界のバランスを崩そうとするムートーと戦うのはそういう意味なのだと。 この映画、3Dでもう一度見たいものだと思っている。 もう少し付け加えるなら。今回のこのゴジラというのは、パイレーツオブカリビアンの、命の泉の巻と同じ要素があるのだと思う。それは実を言うと日本人には深い部分で理解仕切れないものなのかもしれない、というのはこの話の根底にキリスト教的な思想を感じてしまうのだ。言ってしまえばここに登場するゴジラは大天使ではなかろうか。天地万物の創造主なる神の命を受けて、地上の秩序を乱す悪の象徴、ムートーを退治する大天使だ。 とにかくもう一度3Dで見たいものだ。

2014年7月10日木曜日

関東の古い聖地

このブログを書いている当人はカトリック信者だけれど、同時に先祖代々700年以上の歴史のある日蓮宗のお寺さん所縁の土地の人間で、さらに言えば平安時代以前からの千葉県人で、代々の関東の人間だからここでは関西のことはとりあげない。 最近、パワースポットということで明治神宮がとりあげられているようだ。でも、神宮に祭られている明治天皇の御遺徳に与かってとかなら納得もいかないでもないけど、100年かそこらの人工の森でもそんなに特別な何かを感じるのかな、その辺がよくわからない。これはどうも結局東京というところ自体が歴史が浅くて、本物の森に近い緑のあるところが少ないためということもあるのだろうと思う。 それはそれとして、東京を少し離れると、関東地方が開拓され始めたころからの、香取神宮、鹿島神宮という古い古い二つの神宮があって、この二つの神宮こそは当時は未開の地域だった関東に関西の朝廷の支配の手が及び始めたときからの歴史的な遺産でもあるのだ。 西の伊勢神宮と同じく、古来から知られた聖地でありながら、香取と鹿島の両神宮の性格は伊勢神宮とは大きく違っていたのは、この二つは関東を開拓、占領するための最初の拠点の意味もあったためのようだ。だから第二次世界大戦前までの日本人にとっては、香取、鹿島は武勇の守り神として知られていたのだ。 関東は古来武士の発祥の地だったくらいで、農耕の傍ら土地を守るために農民はイコールいつでも戦える体制にある武士でもあるのが当たり前だったから、信仰の対象も戦の守り神、武勇の守り神だったわけだ。 どうもこう書いてくると穏やかなパワースポットなどという生易しいイメージからは程遠くなりそうだが、今の香取も鹿島も両神宮とも古式豊かな深い緑に包まれた本格的な日本の神域のイメージにぴったりな場所だ。それも1000年以上の古い歴史のあるところなのだ。パワースポットを求めてというなら一度は行ってみて損はない場所だと思う。 関東は頼朝以来の武士の勢力の強い地域だったから、稲荷神社とか、三峰神社は別として、八幡宮、八幡神社にしてももともとは源氏の武士の守り神だったし、仏教寺院にしても背景に武士の力があることが多い。現代人がパワースポットに何を求めているかは知らないが、本来は命がけの所領安堵、戦での勝利、生き残ることを願う場だったのだろう。 今の時代がそういうものとまったく無縁かといえばそうも言い切れない気がする。今の戦は仕事であり、会社や社会の人間関係だろうし、手を拱いていれば生存競争に落ちこぼれる。生き残るのは相変わらず大変なのだ。 では、キリスト教はどうなのか、そのへんは司祭にでもきいてみてくださいな。

2014年7月8日火曜日

青翰堂書店というのか

ちょっと前から気になっていた建物があった。初めはtumblrで見つけ、正体を知りたいとほかのかたがたにも訊いたのだけれどさっぱりわからないままだった。仕方がないのでそのまま抛っておくしかなかったわけだが、今日テレビのBS放送を見ていたら出てきた。jcomにしてからBSも見られるようになったおかげだ。      これはなんと信州松本市にある、松本城を象った本屋さんだったのだ。青翰堂書店という名前の本屋さんで、google+に詳しい情報が出ているようだ。 テレビで見た番組の正確なタイトルはわからないが、たしか空から日本を見てみようとか出ていたのは覚えている。偶然それを見たおかげでわかったのだった。      

ホッキョクグマ親子 クルミとミルクの授乳タイム(男鹿水族館GAO)

2014年5月23日金曜日

メモ

昨日、釧路市動物園のアムールトラ、ココアの誕生会のことで、ココアが6歳とわかって年月を感じた。実はplalaでのブログを書いていた年月と同じくらいだ。それ以前、パソコンで初めてブログを作ったのがこのgooブログで、当時は操作がわかりにくくて、Yahooのブログに変えたころに釧路市動物園のタイガとココアが生まれ、記事に書いたのが始まりだった。 ということは、それから1、2年でYahooの迷惑コメントにうんざりしてプロバイダーブログのplalaに移ったわけだから、plalaブログでのアクセス数10万越えまででも4、5年はかかっている。 またgooブログにもどったのだから、開設以来の年月は長くても間を書いていないから、ほとんど一からの出直しだ。ということは以前の枠にとらわれずに自分の本当に自由な気持ちで書いていいのではないかな。自分自身の記録でもあるのだから。 plalaにだしたものでもこちらにおいておきたいものは、重要なものはもういちど同じものでも再掲載もするほうがよさそうだ。分量が多すぎておそらく過去のものまで見ようという人はそれほどいるとは思えないからだ。 いずれにしても今回は生原稿を書きながらだから別に毎日でなくても、昔書いたもので重要な忘れるわけにいかないことの再録でもいいし、しばらく書かない日や、メモ程度もありの自分のその時の気分と状況で自由にいくしかない。 それにしても気になるのはトイレの水漏れ、大家さん、よっぽど文句を言わないとお金がかかる業者のしごとを頼みたがらないのだ。ブログのこともきになるけれど、アパートのトイレの水漏れも気になって原稿のほうに手がつかない状況、これも困るが大家さんがその気にならないとどうにもならぬ。 とにかく、一つ一つ、毎日毎日の積み重ねだ。一歩ずつ進めていくしかない。まずは原稿が先。

2014年5月22日木曜日

変わりやすい天気

こんにちは~、マリーで~す。 今日はいやに早いなって? 今日はねえ、木曜日じゃないの。うちのおばはん、このところずっとさぼっちゃってるから今日はちゃんとまじめに聖書の集いに行くつもりなのよ。だから昼のミサじゃなくて夕方四谷に行くつもりで家事もさっさと片付けて、夜帰ってきてからじゃ、書けないから、ブログも今のうちにってわけみたいなの。 そしたらさあ、今日はあの人が珍しく早起きして朝から洗濯物を外に干したもんだから、いきなり土砂降りの雨が降り出すは、雷は鳴り出すは、でせっかく干したのをお家の中に取り込んで、しょうがないから内干しにしといたら、なんとすぐに雨も雷も収まっちゃったのよ。まったくさあ、一日の出だしからしてめちゃくちゃ。結局もう一度全部お外に干しなおしよ。 ほんでもってあの人、twitterでそれを愚痴ったもんだから、とんでもないところからまでお返事が来ちゃってもう、まったく何やってるんだか。本当にどうしようもないったらないのよ。まったくもう、本当にちゃんとまじめに仕事してよね。 そんなわけで結局お昼すぎちゃったんだけど、今日はまじめにちゃんとさっき、聖書と福音のヒントも読んでたから少しはまとまった感想もでてきそうよ。今日のこの福音の箇所ってさ、どうも日ごろから気になってる場所だしね。 もう何十年も前、亡くなったライフ神父様があの人に、本当の指導者は聖霊ですって教えてくださったのよ。その頃のうちのおばはんはまだ右も左もわからないお馬鹿な若い女の子だったから、どういう意味かなんてまったくわからなかったけど、ずっと心に引っかかって、時々思い出してはその意味を考えてたわけよ。今は英神父様の講座で祈り方の方法とかきちんとした説明を聴けるようになったけど、そうしてみると、英師の説明で言語化されるよりずっとまえから、プロテスタントの信者だった頃から、別に特に教わったとかじゃなくて自然にいつの間にか、わかるようになっていたことがいくつかあったし、リバス神父様の昔の黙想学校で聞いたことが今も役に立ってることもわかってきたの。うちのおばはんにとっては、英神父様のお話はそういったものをもう一度思い出させてくださってる感じなのね。 で、今日の聖書の集いのテキストの福音は、「祈り」とも密接に関係してる所だって思ったみたい。何て言うかさ、この福音の箇所って観想の祈りに向かう重要な土台の部分なんじゃないのかしら。あたしがこんなこと言っちゃってていいのかなあ。あの人、あたしにこんなわかりにくい話を押し付けて、自分は相棒の再放送を見るつもりなんだもん、やんなっちゃうわ。 簡単に言っちゃうとさ、人間の心の奥深くにおいでになるイエス様、三位一体の神様だから聖霊(みたま様)ってお呼びしてもいいけど、そのお方を信じるところから、心の祈りが始まるみたいなのよ。祈りってさあ、ただ、ああしてほしい、こうしてほしい、願いをかなえてほしいって言うだけのものじゃないんですって。もっと深い、自分をこの世に生まれさせてくださった大きな大きなお方のほうに目を向けて生きていくことみたい、なーんちゃって、うちのおばはんのケータイのあたしにはそれ以上は説明しきれないからやめとくけどさ、この世の目に見える表面的なことだけしか見ていないと見えないものがあるのよね。そのことまで考えさせてくれるのが今日の聖書の福音の言葉みたいよ。 長くなりすぎるからこれでやめとくけど、今ふとtwitterを見たら、午前中の(甲)さんのお返事関係、さすがリツイートも多いのね。うちのおばはんあたりまで相手にしてくださってどうもありがとうございました。 とにかく今日はこれでおしまい。ほんじゃまたね。

2014年5月21日水曜日

動物たちから教えられる

ブログ友達が北海道にいて、釧路市動物園を拠点に北海道だけでなく各地の動物園の特にホッキョクグマの話を書いておいでですから、こちらもいつのまにか北海道や国内の動物園やホッキョクグマに関心を持つようになりました。始まりは数年前に釧路市動物園で生まれた、生まれつき背骨や後ろ足に障害を持ってこの世に生まれてきたアムールトラのタイガとココアの兄妹を知ってブログに記事を書いたことからでした。 タイガはすでにこの世を去り、ココアも最近の検査で内臓に異常が出てきているそうですが、生きている限り、元気な姿をみたいものです。そのアムールトラのことから釧路市動物園のホッキョクグマのツヨシに出会い、ツヨシとクルミが結ばれてよい赤ちゃんが生まれるのを願っていたわけですが、なんとツヨシは女の子だったのでした。 というわけでクルミは秋田の男鹿水族館のホッキョクグマ、豪太のお嫁さんとして男鹿水族館に行き、ミルクが生まれたのでした。ツヨシが気になりますが、これも時と相性の問題があるので、ちょうどよいときを待つしかないようです。 ツヨシの妹は旭山のピリカと、おびひろのアイラ、別れ別れに遠くに言った双子の女の子ともう一組、双子の男の子、名前を書かないのは多すぎて覚えていないためです。ミルクとおなじ年齢の双子の女の子の方はこちらがミルクに気をとられてあまり円山動物園のホームページやユーチューブを見に行かなかったので名前もあまりおぼえていなかったのでした。 しかし長女のツヨシと次女のピリカに関しては、母グマのララの子供に対する態度がまるで違うのを見聞きして、人間の親の子育てによく似ているのに驚いたのでした。ララは初めて無事に生まれたツヨシには、それこそ舐めるように手をかけ、気をつかい、ちょっとのことでも心配したのが、ピリカのときはツヨシのときのようにピリピリしなくなったし、放任主義になってきたのでした。双子の男の子、それからアイラ、双子の女の子と、子育ての経験がふえるにしたがってツヨシのときと、ピリカのときほど極端な違いはなくなって、お母さん熊のちょうどよい愛情をそそいできたようです。 動物の親子も人間の親子も基本的なところは殆ど変わらないのだなあと考えさせられたのでした。人間の世界では、ホッキョクグマとちがって、2歳くらいでそれぞれ親から離れて独立しませんから、同じように生まれた順番の影響に縛られながら何十年もいきていくのですが、動物の親子、兄弟をみているとあらためてさまざまなことを考えさせられ、教えられるのを感じます。 動物園、水族館たまには出かけてみてくださいな。子供だけでなく、大人にとってもなかなかよいところだと思いますよ。

2014年5月20日火曜日

贅沢な悩み?

こんにちは~、マリーで~す。 今度plalaブログから正式にこっちに引っ越してきて、少しはうちのおばはんも頑張るのかと思ったら、あの人、なんだか意気消沈て感じなのよ。どうしちゃったんだろうってあたしも心配なんだけど、どうもよくわかんないのよねえ。 お金はないけど、何とか食べていけて、最低自分のやりたいことはやってるし、文句言ってたら罰が当たるような話じゃないかと思うんだけど、あの人ったら自分が希望してたのはこんなんじゃないって内心ごねてるのよ。どうしちゃったんだか、まったくさあ。 よくわかんないんだけど、ぱらぱらと少しだけこぼれて見えてくるあの人の気持ちを拾ってつなげてみると、なんかさあ、自分がほしかったのは終わることのないもの、尽きることのないものだったのに、こんな場当たり的な生活や書き仕事だって愚痴ってるらしいの。あの人、小学校の1年か2年生だったかの時に母方のお祖父さんが急死してるんだけど、そのときが生まれて初めてに人間は誰でもいつかは必ず死ぬんだってわかったときだったのね。 それ以来子供のときからずっと終わりのないもののために生きる人生ってのが内心の希望だったのに、それでキリスト教に来たら、なんだか知らないけどずっとへんてこなことばっかり続いて、希望の路線からは外れっぱなしで、気がつけばあと半年でなんと65歳よ。そりゃあ、当人が意気消沈するのもなんかわかるような気もするわよ。おまけにさあ、当人の気持ちと裏腹のことばっかりだもん。やる気が出ないのもしょうがないっていえばしょうがないんだわさ。 別にあの人、特に目立とうとか、変わったことをしようとかなんて思ってないのよ。ただ、どうしてだかそうなっちゃっただけだし、もっと静かに落ち着いた生活がしたいだけなのよね、それも本当よ。 だけどさ、いいたくはないけど、うちのおばはん自身も、それから意地悪く陰で人の悪いうわさを流したりしている人たちもおなじように時が来ればみんな死んじゃうのよね。みんなそのことを忘れてるみたいだけどさ、誰でも平等にいつかは終わりになるのよ。この世の事にばっかり捕らわれてちゃだめじゃないのよ、まったく。意気消沈だなんて言ってないで、あの人自身ももうちょっとそこんとこ、よく考えて気持ちを入れ替えてもらいたいわよ。 今、やるべきことをやっていかないでどうすんのよ、本当にさあ。あたしとしてはあの人のお尻をたたいて、なんとしてでも書かせるわよ。なんたってあたし、あの人のすぐ傍でいつも足スタンド、じゃない、アシスタントを勤めてるんですからね。 なんか長くなってきちゃったからこのへんでやめとくけど、なまけちゃだめよ、うちのおばはんだけのことじゃないわよ、みんなもよ。 ほんじゃまたね。

2014年5月19日月曜日

懐かしい

40年にもなろうという昔、当時市川の親元から四谷の聖イグナチオ教会に通い始めたわけだが、現在の四谷はほとんど当時の面影が消えてしまっていて、こちらとしても忘れかけていたくらいだが、googleの画像検索を見たところ、懐かしい昔の写真が少しだけ見つかった。この先はさらに姿を消していきそうな画像だ。      教会の正門を通り過ぎて上智やニューオータニに向かう道だ。昔の鐘楼と小聖堂が見える。隣は古い修道院、管区長館か。なんとも懐かしい。

plalaブログ、終了します

勝手ながら一足早くplalaブログ終了します 予定より大幅に早いのですが、昨日のgooブログのアクセス結果を見て考えたのと、googleのbloggerに対するmsの介入、書き込みの邪魔などの要因も考慮し、どうもこれはgoo一本にまとめたほうがよいと思いました。 今後も読み続けてくださる方は、こちらに移転しましたのでよろしくお願いいたします。          http://blog.goo.ne.jp/pearl58 なつかしい 40年にもなろうという昔、当時市川の親元から四谷の聖イグナチオ教会に通い始めたわけだが、現在の四谷はほとんど当時の面影が消えてしまっていて、こちらとしても忘れかけていたくらいだが、googleの画像検索を見たところ、懐かしい昔の写真が少しだけ見つかった。この先はさらに姿を消していきそうな画像だ。
懐かしい      教会の正門を通り過ぎて上智やニューオータニに向かう道だ。昔の鐘楼と小聖堂が見える。隣は古い修道院、管区長館か。なんとも懐かしい。

2014年5月18日日曜日

ギョッ!

台所で履いていたスリッパがほんの1センチの段差でひっかかって転びかけた。 自分では足を上げているはずが上がっていない。これってロコモ? いやはや一昨年あたりからいやに転びやすくなっていて、バスから勢いよく降りたとたんに転んで顔面着地して、このときは頭だから、お医者さんにいわれて頭のCTを撮ったりしたのだった。高円寺の阿波踊りを見に行って押されて転んでめがねを壊し、そういえば転んで2、3回メガネを壊して作り変えている。足腰の調子もわるいから、さすがに杖をつき始めたのもこの時期あたりからだ。 このあいだもバルト9で転んで床に転がったのを、同年代らしい奥さんたちに助けていただいた。これって・・・いやだなあ、われながら先が思いやられる。

2014年5月17日土曜日

頭がいたい

こんばんは~、マリーで~す。 昨日も言ったけど、とうぶん短めの話がつづくけどごめんなさいね。うちのおばはんが、原稿も書かなくちゃならないのになんだか集中できないって機嫌がよくないのよねえ。しょうがないのよ、まったく。 だけどさ、あの人の書く話って、大体がもともとの始まりは日曜学校の子供にわかるような内容ってことだったんだから、いまさらわざわざいかにも大人らしくとか理屈っぽく書こうとかしたって、かえって変な気がするんだけどなあ。「公園のお風呂ダヌキ」みたいな、本当に福音的な童話を目指したものでさえ、話の意味がわからない人にはわからないんだし、どうも読む人はそれぞれ自分の心を物語りに反映させて、その人の程度で読むみたいだしさ、あんまりやたらに考え込まないで、なるべく子供でもわかるような形、難しいこともわかりやすく面白くを目指すだけでいいと思うんだわさ。 わからない人はそのまま放っておいて、自分の気持ちを優先しないといつまでたったって書けるわけないのよね。まあ、今回はやたら大きなテーマに食いついちゃって齧りきれないでいるみたいだけど、少しでも書いてみるしかないんだと思うんだわさ。あの人の書いたものを実際に読みもしないで思い込みでああだこうだ、言う人だっているわけで、もうそんなの気にしてたら書けるわけないって。 とにかく、今、あの人、毎日どう話を書くかで頭をかかえてるところよ。だから今日はこれでおしまいよ。ほんじゃまたね。

2014年5月16日金曜日

plalaブログからの転載

困ったもんだ こんばんは~、お久しぶりのマリーで~す。 うちのおばはん、たぶん今週いっぱいは駄目だろうと思ってたらしいんだけど、タブレット以外はなんとか復旧したから、ちょこちょことブログのほうも大丈夫かなって、あたしに試しにちょっと手伝えっていうのよ。 手伝うっていっても本当のところ、メインパソコンはまだちょっと変なのよ。アルファベットを打つのに正常なら普通小文字が出て大文字の時だけシフトで変換するはずが今は逆で、そのままだと全部大文字になっちゃうの。シフトで変換しないと小文字にならないのよ。もっとも、あの人って生まれつき両手の小指が短いから、タイピングは両手の人差し指と中指にたまに薬指しか使わないからたいして影響ないけどね。どこで直せばいいのかまだわからないみたいよ。大体のところは普通に使えればあんまり問題もないみたい。 タブレットはデータの使いすぎだから今月いっぱいはfacebookも、twitterもパソコンか、ケータイのあたしからしか使えないのよ。だけど今書いてるこの1行でもアルファベットと日本語の変換がすごくややこしいから、この先がちょっと心配な感じだわさ。 パソコンに詳しい人に聞かなくちゃ。うちのおばはん、普通の同年代の奥様たちよりはパソコンをいじってるけど、素人だからやっぱり手助けも必要なのよね。とにかくブログが書けないとどうしようもないから、あの人も本気で何とかしようと思ってるみたいだけど、原因がIEと火狐の勢力争いじゃ、簡単じゃないわよ。それこそ、だましだまし機械を使うしかないみたい。 しょうがないから当分は短めの文章のブログになりそうよ。そのうちにあの人、あんまりイライラしてくるともう一度リカバリーに踏み切るかな、そうならないでくれると助かるんだけど、今のところなんともいえない感じよ。 今日の状況はこんなところでおしまいよ。ほんじゃまたね。 ※ MSはよっぽど、bloggerのこのブログを止めさせたいみたい。本当はちゃんと行間もあけて読みやすく書いているのに、アップするとこうなってしまいます。

2014年5月14日水曜日

昨日の分です。plalaからの転載

これだけは絶対書きたい、相棒劇場版Ⅲを見てきた 見る前はネット上の評判がどうも低調気味で、まあ可もなく不可もなくといった感じだし、評価ランクもちょうど3の並。はて、今回の相棒はいったいどんな映画なのだろうと思いながら見に行ってみた。 そして、自分の目で見たところでは今回の相棒は、たとえばテレビ版の初期の相棒のようなアクションの面白さを求める方だったらそれは評価が低くなるのも仕方がないかなと思った。どちらかというと今回の相棒はこれの前のスピンオフ版、相棒Xdayと同じ系統でエンターテインメント作品というより、社会派的な視点からの作品だと思った。といってもおなじみの米沢さんや捜一トリオが出てくるとそんなことは忘れて面白がって見ていた訳だが。 この映画を見ながらなんとはなしに思い出していたのは、先日の四谷の教会の講座で伺った話で、教会の講座だから聖書の話、祈りについての話ということになるのだが、なぜか、現代社会の現実の問題、人々の悩み苦しみの大きな原因の一つである「経済」の話が出てきた。NHKのクロ現のその放送は見ていないがそこで取り上げられた「ダウンシフト」の話と福音の関係だ。※訂正します。クローズアップ現代ではなくて、特報首都圏でした。パソコンもタブレットもちゃんと動かない状況でしたので修正できませんでした。 これだけではどう意味がつながるのかおわかりいただけないかもしれないが、まず、今日見てきた映画を一部の方々は、国家の陰謀がどうのこうのの話と捕らえておいでのようなのだが、これはそんなものではない筈だ。前面に出ているのが警察や自衛隊やその関係組織と犯罪だからそう見えるかもしれないが、それよりこれは、現代の地球規模の「戦争の火種」を人類はどうすればよいのかを問いかけている作品のように見えた。 最後の右京さんの言葉は、今の日本の現実の国防の守りと攻めの問題と、平和な世界への方向をどう一致させたらよいのか、矛盾だらけの人間の世界を考えさせられるものではないかと思った。 経済の問題でさえもキリスト教の理解ということで見ると福音の背後で響いているベース音に見えるように、表面的に見るだけでなく、背後の問題にまで目を向ける必要もあるのかもしれない。

パソコンの不調の原因がわかった。

てっきり、マウスや本体の異常と思っていたところ。新しい機械を使っても直らず、これはおかしいとjcomのお任せサポートの助けを借りたところ、原因は機械ではなくセキュリティらしいということになり、思い当たるソフトを削除してみるとたちまちちゃんと動き始めました。 googleとIEの仲が悪いのにmsエッシェンシャルなるセキュリティソフトを入れたので、google排除に動いていたのでした。なんだかがっかり。

2014年5月13日火曜日

都合で今週いっぱいお休みします

パソコンが2台とも使えないので、仕方なくブログやSNSくらいには使えそうな機器を緊急手配していますが、それが到着して使えるようになるまでお休みになります。タブレットはデータの都合でこれも不安定でつかえません。



2014年5月11日日曜日

gooブログからの転載

この世界で起きていることはすべてどこかでつながっている

 
私たち一人一人の人間はこの大きな世界全体から見たら、まったく取るに足らないちっぽけな存在で、風に舞う塵同様なわけだが、もっと別の視点、巨視的な視点から見ることができたら、情景は一変するかもしれない。


私たちに普段見えるのは自分と家族やまわりの付き合う人たちの世界くらいなわけだが、ユングという方の説でいくと、この世界はすべてどこかでつながっているものらしいのだ。だから時々、当人からすればまさかというような奇妙な偶然が重なったり、さまざまな出来事が起こってきたりするというわけだ。ただし、普通はこんなことばかり言っていては現実離れした奇人や、困ったちゃんのたぐいになってしまうから、たまに考えることはあっても、自分の心の中だけでとどめておく。正常な社会生活はなんと言っても重要なのだ。


ところが、実は昨日、寝不足なのにウォークマンの設定で夜中までパソコンを終了させることができず、仕方がなく起きていたので、自分のgooブログを開いてみると、なぜか見に来る方々の多くがレデンプトリスチン第三会を検索してこちらに辿り着くらしいことに気がついた。レデンプトリスチンの記事といっても小さな短いものしか書いていないのだが。


私自身とレデンプトリスチンといったら、何十年も前、今は亡き遠藤周作先生や河合隼雄先生とのちょっとしたかかわりに、ユング心理学が関係していて、当時、修道生活を希望していたころで、鎌倉のレデンプトリスチン修道院のパンフレットを取り寄せて読んだとき、創立者の尊者マリア・セレスタ・クロスタローザという方の神秘体験が、なんだかユング心理学の自我と自己を思い出させる気がして、心の奥底においでになるキリストを思い出して、鎌倉の当時の院長さまに面会に出かけたことがあったくらいなものです。修道院とお菓子の本をお土産に持っていきましたっけ。鎌倉はその院長様にことわられてそれっきりで、公園のお風呂ダヌキのコピーを差し上げたかどうか覚えていません。八王子のクララ会には送りましたが。


ただ、知人がレデンプトール会の司祭になったりしているので今も親近感はありますし、絶えざる御助けの聖母が好きなのです。


とにかくレデンプトリスチン第三会関係のおかげでユング心理学の方面もふたたび思い出し、今の状況の中で見直しているところです。日本とキリスト教の問題も今の世界の動きとユングと古代中国の知恵、老子の言葉も生き生きとつながってきたのです。今の時代だけ見ていてはわかりませんよ。世界史の流れを政治家や経済人は見直すべきです。上り坂は上りつめれば下りが待っている。しかし、下りきったらその先はまた上りに変わります。焦って今だけ見て軍事行動に走ったりしてよいわけがない。もっと知恵を出してもらいたい、世界の政治家の皆様方よ。


いや、キリスト教国のはずの欧米でも、すでに反EU勢力が力を持ち始めているとか。せっかくのファティマのマリア様のお助けも人間たち自身が無駄にしてしまいそうな今の国際状況、これも今だけ見ていては判断を間違える危険性の大きいものなのでしょう。



  http://members3.jcom.home.ne.jp/redetin/




2014年5月10日土曜日

遠藤周作 「あなたはあなたを知っているか」を聴いた

ものすごくお久しぶりにお顔と声に接した気がします。


遠藤周作 「あなたはあなたを知っているか」



久しぶりにtumblrのまとめ

tumblrのまとめです

 
時々お見せしているメインと、だんだん量が増えてきたサブです。
犬猫やホッキョクグマ、野生動物などにまじって人間の写真。何かを考えさせられる面白いものを集めています。
   
  http://tmv.proto.jp/#!/dabocat   サブ

  http://tmv.proto.jp/#!/dabocat2  メイン

2014年5月9日金曜日

寝不足

こんばんは~、マリーで~す。

そろそろplalaブログから、こっちのgooのブログに乗り換える準備もしなくちゃね。うちのおばはんも今まではまず手始めは最初にplalaに書いて、それをコピペしてこっちや、bloggerにって形だったのを、今度から最初に書くのをgooでにするみたいよ。

どっちにしても6月いっぱいであっちはなくなってしまうんだし、だんだんこっちをメインに変えていかなくちゃ。あの人、つい慣れてて書きやすいあっちに行っちゃうけど、それじゃいつまでたってもだめじゃないのよねえ。

連休も終わっちゃったし、原稿のほうも取り掛からないと、いつまでたっても進まないし、ブログも書かなくちゃで、本当言うとあの人、気持ちがまとまらなくてどっちも書けない症候群なのよ。そんなんだから、もしかしたら少しブログのほうは毎日じゃなくて休み休みになるかもしれないわよ。それも仕方がないと思うのよね、だってさあ、あの人、普段もあんまり忙しいの嫌いなんだもん、一度に二つ掛け持ちはたぶんできないと思うんだわさ。ゆっくり考えをまとめて書いていくほうだから、さっさか、適当に話を見繕うとかってむずかしいみたい。

ほんでもって、気持ちが二つにわかれちゃって、どうするかわからないから眠れなくてこのところまるで寝不足よ。それじゃもっと書けないし、体にもよくないじゃない。そういう性格なんだからさ、ブログが更新してなくてもわるいけど我慢してやって頂戴ね。そんなにずーっとお休みってことはないはずだから、それぐらいはいいでしょう?あたしはいつも傍にいるからよく知ってるんだけど、うちのおばはんて、外見は実際の年齢より十歳は若く見えるのよ。だから知らない人は誤解するけど、現実はほんとにおばはんだから、体調も年齢相応なのよね。寝不足つづきだと血圧は上がるし、やたら怒りっぽくなるし、まずいんだもん。そのへんはやっぱりなんとかしなくちゃ。

てことでこれからよろしくね。あの人が書けるときはあたしも手伝って書かせるし、とにかく今はあの人を焦らせちゃだめなんだわさ。

ほんじゃまたね。


2014年5月8日木曜日

NHKネットクラブに入ってみた

好きな番組、LIFE~人生に捧げるコント~をみて、NHK放送センターでのイベントを知り、情報を探してとうとう、今、ネットクラブに入会したところ。

LIFE展、絶対見に行く。仕事もお金もない年代にも時間だけはある。これくらいの楽しみはよかろう。

相棒劇場版も見に行く予定だが、その前に期間の短いこちらに行かなくては。



2014年5月7日水曜日

plalaブログからの転載

ナイジェリアの女子学生拉致誘拐事件

 
連休も終わって普段の毎日に戻るわけですが、どうもまだなんとなく休み疲れの気分です。とはいえ今日はすでに5月の7日、1ヶ月の3分の1弱が過ぎていて、うだうだしていてはただ時間を無駄にするばかりというわけで、ちょっと昨日のニュースで気になっていることなどを書いてみます。

日本からは遥か遠いアフリカのナイジェリアという国で、イスラーム過激派集団が学校を襲撃し、男子校では死者が出ていて、女子校では大勢のハイティーンの女の子たちが拉致されて、犯人側からはこちらの言い分を聞き入れなければ、少女たちは花嫁として売り飛ばすという宣言がでているのだとか。

日本は受け入れるかどうかは別として、他宗教にも寛容な国のほうだと思いますが、日本人の宗教観では理解し把握しきれないまったく違う価値観、世界観もあるわけです。イスラーム過激派などはその最たるところでしょう。

しかし、それはとにかく多くの先進国では女性の社会進出は目覚しく、国際政治の場においても女性の活躍が珍しくない今の時代に、200人以上の少女たちが拉致誘拐され、あまつさえ花嫁に売り飛ばすなどという、信じられないような前時代的な話に、今、世界の各国で大騒ぎになっているのだとか。

アフリカですから高等教育を受けられる少女たちは、明治時代の花子とアンの世界ではないけれど、キリスト教徒で裕福な家庭の子たち、だからこそ狙われたともいえそうですが、とにかく事情を知った欧米諸国では大騒ぎということでした。

この事件がこれからどのように展開していくかはまだわかりませんが、この話で思い出したのがこの間のNHKの特集でやっていた、若い女性たちの貧困の問題、そしてまた仕事を求めて東京に出てくる若い女性たちの問題。国も状況も問題も違っても共通しているのは女性の立場の無力さでしょうか。

いくら国が女性の力の活用をとなえても、現実がただ女性の負担が増えるばかりでは、いつまでたっても状況が変わるわけがないのです。たしかにあまりにもお馬鹿な若い女の子にはうんざりですが、でも、たいていは一生懸命な彼女たちの思いが正当に評価されるような社会になってほしいものです。

今これはミニパソコンのほうから書いているのですが、また邪魔しようとする手が働いてせっかく書いた記事がいきなり消える不審事が続いて起こったので、何度も書き直しました。この記事が気に食わない方もおいでのようなのでこの辺で終わりにいたします。webにつながないパソコンはただのタイプの機械ですから、今後は長めの書き物はなるべくwebにつながないで書こうと思います。以上

宮沢賢治の童話のこと

今の若い方たちは、宮沢賢治の童話といったらどの作品を思い浮かべるでしょうか?やっぱり銀河鉄道の夜あたりでしょうか。時代背景の違いの大きいものはどうなのでしょう。風の又三郎を子供の頃、親の買ってくれた昔の旧仮名の岩波文庫で読んで、なかなか意味が理解できなかったのを思い出すと、今の子供ではどうなのだろうと思います。

本当は宮沢賢治の作品には子供が読んでも十分に面白いものもたくさんあるので、今の子供たちにも、読んで楽しいもの、面白いもの、わくわくするようなものから取りかかってみてほしいと思います。有名なもの、教科書にも出てくるようなものからより、小作品にもとてもよいものがたくさんあります。

昔の言葉づかいや方言にひっかかって先に進めなかったりするかもしれませんけど、外国語とおなじで遮二無二読み進んでいるうちに意味もわかり始めます。宮沢賢治の作品を知らないなんてもったいない。今はyoutubeやニコニコ動画の朗読やラジオドラマを探すと、けっこうよいものがたくさん聴けます。

朗読 宮沢賢治で探せばいろいろあります。今、わたしはそれをウォークマンに取り込んできいているのですが、子供の頃に面白かったもの、心を打たれたものが、改めて今の自分に向かって甦り、語りかけるようです。

水仙月の四日の雪の幻想的な場面、よだかの星の悲しい、しかし、深い宗教的なはなし、超有名な銀河鉄道の夜、どれをとってもこういうのって、時代をこえて、大人の心にも子供の心にも何かを語りかけてきますね。

ぜひぜひ、読んでも聴いてもとにかく宮沢賢治の作品に触れてみてほしいものです。

2014年5月6日火曜日

plalaブログからの転載

本日休業

 
連休の終わりの日でもあり、すこしさぼることにします。でももしよかったらyoutubeで宮澤賢治の作品の朗読を聞いてみてください。「どんぽのばぶ」さんの朗読が一番賢治の世界にぴったりと思いましたが、ほかにもたくさんあるのでお好みのものをどうぞ。

個人的なおすすめはとっこべとら子、カイロ団長、水仙月の四日などなど。

 

この写真は本日休業で検索したらでてきたもの。

2014年5月5日月曜日

plalaブログからの転載

クラウドは便利でもあるが迷惑だ

 
クラウドコンピューティングという言葉をはじめて紹介してくださったのは日経新聞の今は亡き上尾のお方だった。機械の中だけではなく、WEB上の仮想の場 にファイルを置いておくという方式は面白いと思う反面、セキュリティのほうでちょっとどうかなあと思ったのを覚えている。上尾のお方はガンと最後まで戦い 続けてついに亡くなってしまったけれど、生前に教わったたくさんのことは今も大いに役に立っている。

中でも今はこのクラウドコンピュー ティング、略してクラウド(cloud)は現実にどんどん使われ始めたわけだ。しかし、やっぱりあいかわらずセキュリティの面でやっぱりあまり積極的に使 いたい気がしない。このくらいならまあいいかと思って使っているのはグーグルドライブと写真や日経関係の仲間うちのファイル用のドロップボックス (Dropbox) くらいだった。ところが、ダウンロードビデオのリアルプレイヤーが自分のところのクラウドを売り込み始めたから困る。

こ ちらはグーグルドライブとタブレットに収まる分以上は外付けのHDに入れているので、わざわざお金もないのに有料のクラウドを押し売りされても困るだけな のだが、先ほど気がついたら勝手に全ファイルをリアルプレイヤークラウドに移すことになっているし、うちのパソコンは油断するとすぐ外部から侵入されると いうのに、あぶなっかしい状況になっていたから、とりあえず、今、リアルプレイヤークラウドは削除して旧版を入れたところだ。これでまたクラウドにしろと 言ってきたら、その先はもうリアルプレイヤーはつかえないのだと思う。

クラウドは仮想の場だから、場所はとらないし、邪魔にならないし、便利ではあっても、しかし危険性も大きいのは忘れるわけにいかない。何でもかんでも新しい技術のほうが優れているとは限らない筈だ。 


2014年5月4日日曜日

歌舞伎座行ってみたい!

新しくなった歌舞伎座、銀座は最近たまにしか行かないけれど、今dpzを見ていたら面白い記事があった。別にちゃんとしたお芝居見物でなくても、見所だけ見物するコースもあれば、ただ屋上庭園を見てくるだけというのも大丈夫みたい。ソースはdpzのここ。

     http://dpz.la.coocan.jp/2014GW/?p=23

 ちょこっと好奇心を満たすコースもあるわけだ。詳しく調べてぜひ行ってみなくちゃ。

2014年5月3日土曜日

plalaブログからの転載

せっかく連休だし、ひさしぶりに相棒特集

 
こんばんは~マリーで~す。

うちのおばはん、今日はほんとだったらちゃんと聖歌隊にいく予定だったのに、相棒再放送があの人がもう一度見たかったアリスだったからそれを見てたら出かける時間も大幅に超過よ。ほんでもってミサにはギリギリ間に合ったけど下の会衆席で、終わってからもどうせ今日はミサ後の練習もないからさっさと駅に行ったら、なんとおなじアルトの仲間にばったり出逢っちゃってさあ、向こうも今日は練習無しだから早くかえるところだったのよね。

そんなこんなで帰りも早かったから、たまには相棒のビデオも見たいってyoutubeを開いたら、六角精児さんのオールナイトニッポンGOLD~相棒劇場版Ⅲ SP~がアップされてたからそれをずっと聞いてこんな時間になっちゃったのね。

相棒劇場版Ⅲて、見た人の評価が分かれてるみたいだけど、うちのおばはんとしては良くても悪くても断然見に行くって思ったみたい。ただ、混むから連休中をはずして平日にいくつもりみたいよ。六角さんもこの頃はJRの駅のポスターの顔になってるし、懐かしのオールナイトニッポンにも相棒特集でたびたび出てたのね。あの人、どうせだからって全部聞き始めたから今夜はまだ時間がかかりそうだし、このへんで終わるわね。ほんじゃまたね。


あ、知らない方もいらっしゃるかもしれないけど、このブログ、相棒のファンのうちのおばはんが、相棒関係の記事も書いててそちらでも読みに来る方が多かったの。だから今日はそちら向けね。

2014年5月2日金曜日

plalaブログからの転載

おびひろ動物園もおもしろい

 

 
大きくて広い北海道にはホッキョクグマのいる動物園がいくつもあります。毎年のように子グマ誕生のニュースや成長していく子グマの姿を見られる動物園もあります。そして、大きくなった子グマ達がいる動物園もあります。釧路市動物園のツヨシやミルクばかりでなく、おびひろ動物園にはあの双子のイコロとキロルの片割れ、イコロと妹のアイラがいて、こちらの動物園のブログもなかなか面白いのです。

北海道は広大で地域差も大きく、おびひろ動物園は日本の動物園の中では季節の都合で、開園期間も短い動物園のようですが、そこで暮らしている動物たちは個性的で面白いのです。飼育担当者の皆様の動物たちへの愛情のこもったまなざしは、ブログをみればよくわかります。ここも時々人事異動とか、諸変化もあるのですが、とかち(十勝)の地域全般も含めてここもいいところだなあといつも思わされております。

おびひろ動物園ホームページの左下にリンクがあるので、よかったらそちらからご覧くださいませ。

      http://www.obihirozoo.jp/


2014年5月1日木曜日

plalaブログからの転載

けっこうあるある

 
こんにちは~、マリーで~す。

このところ昼間から出てきて早すぎる? だけど、うちのおばはんがなんだか夜中に目が冴えてきて、そのまま 寝不足だって騒いでるんだもん、今日はちゃんと寝てもらわないと困るから早めにこれ書くの手伝ってるのよ。あの人さあ、夜中に目を覚ましちゃって子供時代 を真剣に思い出してんの。子供時代って天国みたいだったって記憶もあるけど、思い出してみると子供時代に出会ってた世の中の不条理ってのもたしかにあった のよね。

夏休みに窓を開け放して涼しい風が入ってくるお部屋の畳の上でごろごろ寝転がって遊んでいたら、いきなり肩に強烈な痛み。ぎゃあ ぎゃあ泣き出して、飛んできた親が肩をみると蜂に刺されてたのよねえ。別に蜂に悪さなんてしてないのに、原因も理由もわからず蜂に刺されるのなんて、子供 時代に出会った初めての世の中の不条理もいいところじゃないのよ。

死んだ妹のみいちゃんなんかもっと災難だったんじゃないかしら。わがま まで自分勝手なおねえちゃんと、たった一人の末っ子の男の子だった弟の間で、次女でしょう、あの子、子供のときから味噌っかすの気分ばっかり味わってたん じゃないのかしら。うちのおばはん、今頃やっとそれに気がついてるんだもん、しょうのないおねえちゃんだわ。生まれてくる順番もどんな家のどんな親の子に 生まれるかも、誰も自分では決められないのよね。不公平だっていってもどうしてそうなるのか誰も知らない、わからないんだわさ。

阿佐ヶ谷 に住んでたころ、駅から家に帰る道を歩いてたら空からカラスのフンが落ちてきて服についたことも思い出したみたいよ。杉並区って住宅街の緑も多いから、カ ラスも多いのよ。ただ歩いてただけでカラスのフンを浴びるなんてのも、これだってちょっとした不条理ってもんじゃないのかしら。

人生の不 条理、不公平、理不尽ていっても大きな事柄から小さいことまで、いろいろなことがあってさあ、誰でもこの世に生きていれば必ずいつかはどこかで、どうして そんなことになるのかって思うようなことに出会うのよね。大人の世界の複雑でややこしい問題を考えなくても、子供にだって小さな事柄で説明できるなあ、う ん、いろいろあるあるって夕べ夜中に起きだしてあの人、明け方まで考えてたから寝不足になっちゃったわけよ。まったくどうしようもないんだからもう。

う ちのおばはんが思い出すことなんてたいしたこともないけど、世の中には通り魔みたいなわけのわからない、理由のわからない犯罪に巻き込まれちゃった人だっ ているし、ほんの気の迷いから人生台無しの人だっているし、とんでもないことをしていても、誰にも知られないで偉い人だと思われて一生を終わる人だってい る、どうしてそんなことになるのか、それってどう考えたらいいのか、どうしたらいいのかわからないことって、ほんとにいくらでもあるんだわ。この世の現実 はそんなことがいくつもあるのよね。

そんなこの世の現実っていったいどういう意味があるのか、なぜ、どうして、って言いたいことがこの世 にはいくらでもあるんだわ。そのあたりを切り取ってひとつの物語の形にまとめたいっていうのが、あの人がやってみようかなって思ってる仕事なのよ。この間 さあ、生活相談室でちょっと聞かれたけど、その答えはこんなとこみたいよ。これを形にしていくのはこれからの一仕事だから、楽じゃないって当人はこぼして るわよ。まあ当分、黙って放って置いてやってね。余計なことを言われても書けなくなっちゃうだけだからさ。お願いね。

そんなわけで本日はおしまい。ほんじゃまたね。

あ、この後は創作の秘密だから当分このはなしはブログには書かないわよ。いいでしょ、それは。

ついでにおまけ。ツイッターのお友達がいい写真をアップしていたので借りる。

    




2014年4月30日水曜日

plalaブログからの転載

明日も雨ってほんと? 風邪がなおらないじゃないの

 
こんにちは~、マリーで~す。 

今日も朝から雨、今、この時間は小降りになってるみたいだけど、窓を開けるとやっぱり寒いって、うちのお ばはんはやっと咳がとまったところだからすぐに閉めちゃったわよ。部屋の空気の入れ替えだって言ったら、台所の換気扇を動かして誤魔化しちゃってまった く。だけどこの雨明日もまだ続くのかしら。これじゃあの人、また咳が止まらないじゃないの。連休だって言うのにお外に出かけられる感じじゃないわね。

もう相棒の劇場版Ⅲも上映始まってるし、お金はなくてもこれだけは見に行きたいって言ってるけど、暖かくなってくれないとどうしようもないわよ。昔とちがって映画館の狭い席で長く座ってると、神経痛だから情けないけど足腰の調子がおかしくなるし、うまくいかないのよねえ。

大体があの人、若いころから一日中椅子にすわって机に向かう仕事だったし、すぐに外に出歩きたがるほうじゃないからそれでもさほど不満もないみたい よ。だから今日も朝起きたときから、今度の新しい話をどういうふうに書くかを考え始めてたわよ。子供たちにもちゃんとこの世界には不条理、不公平、理不尽 なことがたくさんある現実を教えなくては、といったって何しろあの人自身、その辺がよくわかっていなかったから今の状況になっちゃったんだし、そのへんを どうまとめていくかはあんまり簡単じゃないもんね。それでもこの世界はそれだけじゃないっていうところにまで話を持っていくには、読む側が納得するだけの ものが必要だし、自分の中に持っていないものは出せないのよ。

それでもあの人、一応これだって思うものがあるから、その種を大きく育てて ちゃんとした物語にしたいのよね。どんなものになるんだかほんとのところ、まだわからないけどさ、とりあえずその話の中に死んでしまった妹のことや、母方 の菩提寺の行傳寺のこともちょっぴり名前くらいは取り込んでおきたいみたいよ。その辺はあの人自身の思い出のためって事だけなんだけどさ、別に悪くはない しね。

素人の拙い文章ではあっても、ほかの人には書けない自分だけのものを書く、それしかないのよね、今、うちのおばはんに出来ること、しなくちゃいけないことって、ほんとにそれだけなんだわさ。

今日の話って、天気も悪いしこんなところでおしまいかな。 ほんじゃまたね。

2014年4月29日火曜日

plalaブログからの転載

とりあえずの問題が消えると今度はもっと大変だ。

 
原稿書く準備しなくちゃ。話の構想ねえ、大まかには決まっているけど、出だしがまだ出来ていない。出だしが決まると何とか話が進んでいくのだけど、これが 結構難しい。ケータイのまりーさんにどういう場面から入っていってもらうかとか、最初の段階はなんというか計算が必要だし、内容自体より面倒な感じ。真面 目にいかなくちゃ。

でも、書き始めると、たぶんブログのほうは休みがちになったり、メモ程度のものになってしまうかもしれない。今からあやまっておきます。不器用なので両方におなじくらいの力をかけられないのです。ごめんなさい。




plalaブログからの転載

朝からロキソニン

 

追) わあーい、夕方になって、にんじん、たまねぎ、じゃがいも、の強力三点セットプラスあれこれのお野菜がきたよ。よかった、よかった、助かった。これくらいあれば当分なんとかなるなあ。早速まずは鯖缶と一緒にスープをつくって小分けして冷凍よ。入りきらないのは新聞紙に包んで涼しいところに。四ツ谷には文句ばかり言っていますけど今回はこころから感謝しています。

 

 
おっはようございま~す、マリーで~す。

うちのおばはんは今朝起きたときから寝汗をかいていたり咳はゴホゴホ、頭は痛いし動くのがだるいし、どうみてもこれは風邪ひいちゃってるみたいよ。昨日やたらくたびれたっていってたけどその前の晩に、ちょっと考え込んじゃって眠れなかったのよ。あれが始まりで、昨日の疲れも重なって、ほんとに風邪ひきさんになっちゃったんだわさ。

考え込んで眠れなくなってとにかくもう一度生活相談に行って、それでもあの人、材料さえあればたいていのものは自分で作っちゃうから、お野菜だけ送ってもらう手はずになったんだけど、夕べは何時になっても宅急便はこないし、連絡の取りようもないしで、つい寝不足なのにまた夜更かしよ。あれがきいちゃって風邪ひいたんじゃないかしら。

だけどお野菜どうなっちゃってるのかしらね。なければないで金曜日にちょっぴりお金が入るからモヤシや冷凍の野菜を買ってくれば、100円ショップで買ってきた三個で100円のあんまり味はよくないけど、適当にこちらで調味料や野菜を入れて、手直しすればまあまあ食べられるインスタントラーメンがまだ20個くらいあるし、贅沢は週に一度くらいでやっていけば、当分はなんとかなることはなんとかなるけどさ、お野菜、あてにしてたんだけどなあって、あの人、愚痴ってるわよ。これじゃ考え込んで眠れなくなるのも当然かもね。

連休のときに具合が悪くなるとお医者さんはお休みだし、本当に手に負えないことになっちゃうから、あの人も鎮痛解熱剤くらいはいつも用意してるけど、さっそくに必要になっちゃうんじゃ、なんか先の見通し暗い感じ。いやあねえ、こんなんじゃあさあ。

まあ、食べるものはお粗末なはなしだけど、昨日、講座で聞いてきた「祈り方の方法、いろいろ」は面白かったから、そっちを考えれば気もまぎれるみたいよ。昔、足腰がまだ悪くなかったころに知らずに実践していたのは歩く瞑想法だったのか、とか、東方教会のイエズスの御名の祈りみたいなのは、これ、プロテスタントのころから何気なくやってたなあ、でもなるほど呼吸の吸う息、吐く息とあわせるのは知らなかった、これは雑念を払うのにも役に立つとかって思ってるみたい。

だけど夕べみたいにいらいらしながら来ない宅急便を待っていて結局来なかったりすると、呼吸法も何も忘れていらつくから、眠れずに風邪引いちゃって無駄になっちゃうのよね。雑念の塊りになると健康にもよくないって言う見本よね。

ラーメンとモヤシばかりじゃどうしようもないもんねえ。心理学的にいっても味の変化に乏しい食生活って精神衛生上にもあんまりよくないっていうのにさ、これはあの人、もっと自分でも工夫しないといけないんだと思うな。ほら、禅寺の食事って食事の支度からなにから修業の一つだっていうじゃないの。お金がないからってラーメンとモヤシばっかりって、栄養面だけじゃなくて、やる気を失わせる食生活だわさ。いくらお肉はたまには食べるけど、好物じゃないったってさ。お刺身やお寿司は好物だけど高いったってさあ、もうちょっとなんとかしないとまずいよねえ。

どこに問題があるのかって、ずっとたどっていってみると、どうも一人分の食事を作るのって、結構面倒なのが一番の問題なんじゃないかしら。結局適当になっちゃって、お金もあんまりないしでたどりつくのがラーメンとモヤシってことみたい。野菜があればそれでもあの人、スープや汁物は大好きだから、それだけはちゃんと作るんだし、やっぱり最低、にんじん、ジャガイモ、たまねぎは常にかかさないようにしとくしかないみたい。青野菜もスープにしちゃえば、きらいなキャベツだって食べられるし、これはもう、スープ作戦しかないなあ。お出汁をとるのに、すこしだけ肉や魚、ベーコンなんかもいいな、それにたまごがあれば、スープは万能だと思うわよ。

それなのにこのごろ、どうしてラーメンとモヤシになっちゃってるのか? 大きいおなべが壊れて、フライパンと小なべしかないってのが問題の始まりかも。この辺から何とかしなくちゃねえ。やれやれ、うちのおばはんて本当に手がかかる人だったらないわ。あたしまで一緒になってあの人の台所事情を考えさせられちゃうんだもん、あきれちゃうわ。

大きいおなべって千円以上するから、今のあの人の懐具合じゃ夏にならないと買えないかもしれないけど、とにかく原因は見えてきたから、ラーメンとモヤシの生活はやめてほしいわ。コンビニのお菓子で一食分ていうのもだめ。高血圧で心肥大だっていうのに塩分とりすぎててどうするのよ、まったく。モヤシだったらただゆでてそのまま無味で食べるの好きだったじゃない。ラーメンも粉末スープは使わないで麺だけゆでて、それをほかのものと和え物にして食べるとかしないと絶対体によくないこと請け合いよ。

せっかく祈りについていいお話を聞いてきたんだから、実践するのに必要な生活態度の基本のとこもちゃんとしっかりしてほしいわよ。あ、それで結局来るはずだったお野菜どうなっちゃったんだろう???

ま、お休みの日だから長々とおしゃべりしちゃったし、この辺で終わりにするわね。ほんじゃまたね。


2014年4月27日日曜日

plalaブログからの転載

列聖式の中継を見た

 
昔、テレビで初めて生中継を見たときはびっくりしたけれど、インターネット時代はもっとすごいことになっている。ローマで行われている列聖式をネット中継ですぐに見られるなんて昔は想像もしなかったことだけど、今は現実だ。なんてたいした時代だろう。

ヨハネパウロ2世の来日の時は聖歌隊のメンバーにまじって会場にいたのだった。その方が今日は列聖だ。そしてヨハネス23世教皇様のころは、カトリック教会の外から見ても、何か大きく変わっていくのがわかった時代だった。あれからこちらも教会もいろいろあったわけだが、今日の列聖式を見ていて、考えさせられた。

市川市や船橋市で鎌倉以来だとか、室町時代だとか言っても、あちらはなんといっても二千年以上続いてきた歴史があるぞ。田舎の人間だからかもしれないが、昔からの歴史のあるものには文句なく頭を下げてしまう。信頼度が違う。いろいろ問題はあっても二千年の歴史はそう簡単に揺るぐようなものではないと思うのだ。

今、このパソコンをつないでいるジェイコムの調子がおかしくなっていて、テレビがつかない。パソコンもちょっと切らないと判断がつかないので途中だがここで終わる。ごめんなさい。

追加)
 ジェイコム自体ではなくてテレビの問題でした。でももう今日はこれでやめておきます。




   

事実だから取り下げはしないけど蓋をしておこう

 


   

ユング心理学の共時性

 

思えばもうずいぶん昔のことになってしまったものだ。30数年、いや40年近い昔といえば生まれたばかりの赤ちゃんがとっくに成人して、社会人になり結婚して子供が生まれてその子もすっかり大きくなっているほどの年月だ。覚えている人がほとんどいなくても不思議はない。でも40年近い昔、カトリック市川教会の聖堂の片隅に小さなケースに入ったファティマのマリア様のご像があったのは本当だ。ただ、個人の私物だったのだそうで今は引き取られてしまったらしい。

でも、そのご像がすべての始まりだった。けれども日本の教会は全くなにも知らない。亡くなった誰かさんばかりを信用して言いなりになっていたのだから当然だ。今更か。しかし、あの頃、本当に普通ある筈のない話がいくつも続いていたのだ。まさにユング心理学でいう共時性そのままだったのだ。どうしてそうなったのかなどこちらもわかるわけがないはなしだ。とにかく大きな大きな手が核戦争を止めたのだとしか言いようがない。いや、言っても仕方がない。ただ、それからマスコミや政財界で私の情報を欲しがる連中がやたらにこちらのまわりに出没して、それで結局こちらはまともに就職できなくなり、ある方が手をまわして生活保護を受けて最低限の暮らしはできるようにしてくださったのだ。

当時の関係者が次第に少なくなって今となってはもはや忘却の彼方に消えていくだけのようだ。ただ、恐らく状況をみていると日本の教会がなにも知らなくてもローマはある程度知っているような感じだし、これ以上こちらは余計なことは言わないで、自分の仕事に専念することにする。
これを一言でまとめる言葉は「事実は小説より奇なり」これに尽きよう。おしまい。


2014年4月26日土曜日

plalaブログからの転載

追加) 日蓮宗とキリスト教

 
仏教とキリスト教、考え方にはかなりの違いがあるわけだけど、仏教のなかでもうちは父方も母方も日蓮宗で、子供の頃から宮沢賢治の童話の世界にも親しんできている。宮沢賢治はご存じのように熱心な法華経の信者でもあった方だ。おかげで法華経の菩薩という存在には昔から親しみを感じていた。キリスト教、カトリックの信仰をいただいてからも菩薩という存在、その生き方はキリスト教とも重なって見えるのだ。イエスさまこそは真の菩薩の道を生きられたお方とも見えるのだ。

   

船橋市の塚田、前貝塚あたり

 
今日は土曜日なので、夕方は四ッ谷のミサに行き聖歌隊に参加する予定だからたぶん、後練習などで帰りも遅くなりそうということで、朝のうちにこのあいだから気になっていること母方の実家の菩提寺、船橋市塚田の行傳寺について、歴史を調べてみた。

死んだ父は故事来歴に詳しかったから、行傳寺が父方の地元の大本山中山法華経寺の末寺だったことや、もとは法華経寺の年をとられた僧侶の隠居寺の役割を担っていたことも語っていた。父方は先祖が法華経寺の富木常忍の家臣で代々法華経寺の門前に住まわってきた家だから、末寺の行傳寺のことも知っていたのだ。

行傳寺は母方の菩提寺で、母が死んだとき父がおじいちゃんのそばに一緒にいられるようにと、墓を寺の近くに建てたから、今では父母も妹もこの寺の墓地に眠っている。この墓の位置がわかりにくくて道に迷うものだから、Googleマップをみたりして、ついでに父を見習って、この地の歴史なども調べたわけだ。

大筋は生前の父から聞いた話で正解で、この寺は室町時代にできたそうだ。父方は鎌倉時代、母方も確実なところだけでもこの寺の創立した室町時代にはこの土地にすみついていたわけだ。考えただけでも遥かな遠い御先祖さまに懐かしく有難い気分がしてくるではないか。もっともこんなことを考えるのはこちらも年をとったためかもしれないが。

船橋市の近代史を簡単にまとめたものを読むと、子供の頃、不思議だった今はない無線搭が実は大変な代物だったことがわかる。田舎の畑と田んぼばかりの土地にたっていたあの無線搭が第二次世界大戦のときには重要な働きをしていたとは驚いた。

母が、そして伯父、叔父や叔母が子供の頃通っていた塚田小学校も今や、東京のベッドタウンの近代的な小学校だ。時は流れていく。

とにかく今度妹のために墓参りに行くときは迷子にならないようにしなくては。

2014年4月25日金曜日

plalaブログからの転載

この小猿は今の当方の状況そっくり

 
読者の皆様はこの先を期待なさいませんように。問題がありすぎてこれ以上は当分書けません。

    

plalaブログからの転載

昔話だ(その2)


 
遠藤周作先生のお名前を初めて知ったのは中学生の頃。でも実際に本に触れたのは高校生の時。当時の先生の純文学作品は正直言って子供にはむずかしかった。

小学校高学年か中学1年くらいに北杜夫先生のどくとるマンボウシリーズに出会い、大ファンになったのが始まりで北先生のお友達の作家の先生方の作品にも手を出し読み始めたのが遠藤周作先生を知ったはじめだったのだ。そして高校3年の3学期に母が急死してしまい、予定が変わって進学せずに父が再婚するまで家事のようなことをしていた時期に、遠藤先生の狐狸庵先生シリーズが出て、母の死で落ち込んでいたこころを笑いで癒していただいたのだった。実は当時は先生ご自身もご病気の再発で大変だったことを後で知った。

それと、当時読んだ先生の「留学」という作品に登場した、幼きイエズスの聖テレジアにひかれてフランスに渡りカルメル会に入会する青年の話が心に残っていた。幼きイエズスの聖テレジアといえばやはり子供の頃に初めて聞いたカトリック教会の聖人で、ずっと好きだったからなおのことだったのだ。

しかし、それから何年もたって、プロテスタントからカトリックに改宗し、シスターになりたいと思い、家を出て一人で生活し始めてある日、図書館でたまたま「死海のほとり」を借りて読むまで忘れていたのだ。死海のほとりを読んだとき、その昔読んだ遠藤先生の聖書のなかの女性たちに登場してきた話、人々は遠藤先生の心の中でこんな風にその姿を変えていったのかとわかり、それがきっかけで読者のひとりとしてファンレターを出し、以来時々手紙を書いて出していたのだ。

文学の話だけでなく、今ならブログに書いているようなことをあれこれ書いていた。後には自分の書いたお話、物語のコピーも贈って読んでいただいていた。まあ、その後のいろいろはあまり文句はいいたくない。あちらもまさか今のようなことは予想もしていなかったはずだから。

とにかく遠藤周作先生、霜山徳爾先生のおふたりは一度も直接お会いしたこともなかった頃から、こちらをカトリック教会にみちびいてこられる影響力を発揮しておいでだった方だった。

そして次はユング心理学の河合隼雄先生もいた。うちの親類が精神科の仕事をしていたので、カトリック信者だった土居健郎先生も霜山先生もこちらが直接は知らなくても実は向こうもご存知だったのだ。で、そこからユング心理学につながる。

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昔話だ(その1)


 
もう皆様ほとんどは亡くなった方々ばかりになってしまったのだが、懐かしい方々だ。


もう半世紀以上も昔、こちらがまだ中学生のころのことだ。当時、小学校は家から2、3分の距離だったのが、中学校に入ると急に毎朝15分はあるく通学距離になり、早起きするようになって、毎日、当時の朝のラジオ番組だった心のともしびを聞くようになったわけだ。


毎日聞いていると、これは、と心に残るお話をなさる先生の存在に気がついた。シモヤマトクジさんというお名前の方でどういう方かも、どういう字を書くのかも知らず、勝手に下山得二さん?かと字を当てはめて考えていた。とにかく毎回中学生だったこちらの心にも深く残るよいお話をなさる方だったから中学高校、専門学校から就職して会社勤めするようになってからもずっとこの方のお話を聞くのを楽しみにしていた。


うちの父が案外と宗教的なところがあって(父って、当時は知らなかったけれど、実はお坊さんの子だったとかで、そのためか、かなり世間一般のお父さんとは違っていたのです)、子供の私に小さいころから聞かせてくれたような話と同じで、とても心に響くお話でした。シモヤマトクジさんのお話は、父の話と似ていて、子供の心を育てるようなものだったのだ。


それから何年もたち、こちらは成人して神保町にあった父の知人の会社で写真植字の仕事をするようになり、お昼休みというと古本屋街を歩き回っては面白い本を探して漁っていたころ、ある日、古本屋さんの棚で当時のカッパブックスの「明日が信じられない」という本を見つけて買い求め、読んでびっくり。どこかで聞き覚えのあるはなしがいっぱい。でもまだそのときは気がつかないまま本棚にしまいこんでおいたわけだ。


それからまたまた何年もたって、プロテスタントからカトリックに改宗し、あるときカンガス神父さまに話に行くと、フランクルの夜と霧を読んでみるように言われ、本を買ってふと、訳者の名前を見ると、「霜山徳爾」のお名前、はてな、どこかで見た名前?と本棚をひっくり返してさがしてみると、あの「明日が信じられない」の著者の名だったのには驚いた。


それどころか本を読んでいるうちにハタと、子供のころ下山得二さんと思い込んでいた、心のともしびの先生こそ霜山徳爾先生だったことに気がついたのだった。なんのことはない、子供のころからこちらをカトリック教会に導いてきたシモヤマトクジさんとは霜山徳爾先生だったわけだ。


そしてまだある。




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二人の教皇さまの同時列聖式

 
カトリック教会の方向を大きく変えたヨハネス23世と、いま一歩で世界は東西の核戦争で終わりになりかねなかった状況を打開したヨハネパウロ2世の列聖式が間近だ。

あの頃のことを考えると夢のような気がする。もはや話しても誰も信じないだろう。当人のこちらもわけがわからない心境だ。その始まりがむかし、カトリック市川教会の聖堂の片隅に安置されていた小さなファティマのマリア様のご像にはじまったのだなんて、誰も知らない。

亡くなった権力者はとにかく何がなんでもその話はなかったことにすることに全力を尽くして成功したらしい。もはや誰も覚えていない。でも、世界を取り敢えず終末から救ったのはあのファティマのマリア様のご像のはなしをローマで信じてくださった方がいたおかげだ。

それがヨハネパウロ2世、伝えたのは多分今は亡きネブレダ経由ピタウあたりの筈、でももはや証明できない。父ブッシュの国際電話がうち辺りまで紛れ込んだのはそのことがあったからだ。もはやすべては霧の中。年月はすべてを覆い隠す。
だけど、せっかくここまで来たのにロシアはまた危険なことを始めている。この先どうなっていくか、非常に心配だ。

2014年4月24日木曜日

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犬のよさ、猫の面白さ

 
犬のよさ、かわいらしさは絶対これだろう。
   
猫のおもしろさはこっちだ。
       
 どちらも昔からの人間のよき友だ。

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自分のためにもう一度思い出して書いておく

 
先日、さすがにこれではどう計算しても食べられないというわけで、とりあえずは教会の生活相談に行ってみた。それは本来、ホームレスの方たちなどの生活相談が主だが、いろいろなケースを相談対象にしておいでなので、とにかく行ってみた。

つい最近まではある方が長い年月、ずっとこちらの足をひっぱりつづけ、悪い噂を流し、教会関係でもほかの方たちがこちらを相手にしなくなるように工作ばかりしていたので、こちらとしてはひたすら我慢するしかなかったのだが、あちらが亡くなり、こちらも年を取ってきて昔のように自分だけで何とかしていくのが次第に難しくなってきたから、今回はついに生活相談を頼ったわけだ。 

今、とにかくなんとかしなくてはならないのは食べていくお金がまるで足りなくなっていることだから、相談して現金以外の方法で助けていただくことになった。暖かい季節になって光熱費が一挙に減れば状況は解決するので一時的な措置だ。それだけでも助けがあればこちらはお金にはならなくても、原稿を書くことに専念できる。他に方法がない以上仕方がない。

でもどうしてこうなったのか、大司教も管区長も全然真相を知らずにいた、いや、あいかわらずよくわかっていないのかも、それはどういうことなのだ?マスコミや政治家のほうが簡単に昔阿佐ヶ谷に住んでいたころの事件、父ブッシュの国際電話の記録も調べられて、教会関係者は亡くなった人物の言いなりで何も調べないとは。なんだか変じゃないか。

しかし、仕方がないとなれば、自分のための記録だけでも残していくだけだ。こちらは創作の物語などではないただの事実だから返って面倒なわけだ。まあ、少しずつ、折々に書いておくか。普通ありそうにもないようなはなしばかりというのが一番問題ではあるのだが、事実は事実だ。

2014年4月23日水曜日

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創作は原稿用紙に手書きで、ブログは自分が楽しめる話で

 
いろいろと考えてみて、初心に戻ることにしようと思う。人が読もうと読むまいとブログは自分が楽しめるものを書く。好きなこと、気になること、とにかく他人の思惑には乗らない、自分が面白くないものは駄目だ。

創作はゆっくり考える時間が必要だからブログとは切り離す。ただし、マリーさんに登場してもらうのは別。あれは自分で楽しんで書いているからよしとする。 あとは特に決めないで進めていく予定だ。 


※ 色々ためしてみたが、やっぱり7月になるまでは全部同じ記事をだす。かえって面倒なことがわかったので。

2014年4月22日火曜日

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うちのご近所でも最近は珍しい犬を見かける。ちょっと前までは洋犬といえばよく見るのはレトリバーとかダックスフント、シェルティ、たまに見かけるボルゾイ、ブルテリアとポインターも時々見る。犬種名はわからないがコリーの色違いのような子、そうそう、結構多いのがチワワ、そんなところだろうか。日本犬はせいぜい、しばいぬや中型種で、秋田犬はほとんど見かけない。あの子たちは力が強いから奥さんたちが住宅街を散歩させて歩くには不適切ということかもしれない。

今日見かけたのはサルーキともう一頭、小型のほっそりとした泰西名画に描かれているようなワンコで、狩犬のような形だが名前がわからない。

犬は好きだからたいていの犬種は知っているけれど、これは何だったかなあと、画像検索で「泰西名画の犬」と入れてみた結果がこれ。



これって、どこが泰西名画じゃろか?

とはいえ、猫の愛らしさとはまた別の犬独特の良さ、昔飼っていた犬の忠実さを今も忘れられない。



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あのころ君は若かった

 
あの頃の面影どのくらい残ってる?



     

2014年4月21日月曜日

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生活相談にも行ってきた




今、パソコンの方はリカバリー中で、plalaのほうはそのことでかなり腹をたてているので、原因に文句を言っているところ。あの機械ボロボロだ。これはタブレットから書いている。


しかしこちらは別の話にしておこう。今日は教会の生活相談に行ってきた。別にそれですぐに解決するような簡単な問題ではないし、とりあえず冬場の暖房費電気代のお陰で大赤字の現実に、今月と来月だけなんとかしなくてはならないので相談に行ってみた。


こちらとしても向こうの反応を見てみないと安心して動けないではないか。向こうが現実的な対応を取ってくださったのと、相談室も司祭たちもまあこれなら大丈夫そうだという反応なので、予定どうり兎に角、これから新作にとりかかってみようと思う。それしか手はないものねえ。


まだ、どこをどう手をつけていけばよいかもわからないが、テーマは決まっているから、少しずつまとめていくしかない。今回はそちらのほうは原稿用紙の手書きでいくとして、ブログのほうはあまりそちらに関係のないいつものような内容でいくことになるだろう。


手書きだと職業病の指の故障がひどくなるのもわかっているが、ネットに載せるのは今回考えていない。書き上がって表に出してからだ。まだまだ先の先だ。私が書くのは自分の祈りの中から生まれてくる物語なのだ。公園のお風呂ダヌキに始まって、どれもそうだった。今回もそういうものになる。それがわかる方々に巡りあえるとよいのだが、さてどうなることか。


とにかく千里の道も一歩からで、始めないことにはどうしようもない。

2014年4月20日日曜日

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便利には違いないんだけど

 
こんばんは~、マリーで~す。

インターネットは便利なんだけどちょっと面倒なのよね。うちのおばはんは自分のブログやSNSの関係で毎日どうでもいいゴミみたいなメールがくるのにうんざりしてるの。これでもできるだけメールの来る量が減るようにしてそれでも残る分だけでよ。ところが今日、聖歌隊の連絡網に入りませんかということで、規約を読んだら、この連絡網の運営は外部組織で、うかつに承認するとそこからのメールマガジンとか広告メールも送ってくるみたいなんですって。

うちのおばはん、くだらないメールにうんざりしちゃってるところだから、いくら聖歌隊の連絡網でもこれは入りたくないって責任者の方に断りのメールを送ってたわよ。

そりゃ、googleにしてもyahooにしても無料のサービスには裏があるのはわかっているけど、お互いにフィフティ・フィフティだと思うからかまわないと思うんじゃないの。googleさんなんか時々すごく助けてくれたりしてるのよね。だけどまったく知らない第三者の連絡網運営者がかかわったりするのはどうもうれしくないみたいよ。

今、聖歌隊の責任者の方からメールがきてその連絡網の担当者の方には伝えてくださったみたい。ああよかった。インターネットは便利だけど時々いろいろなことが起こるから、あんまり受身で信用しすぎるのもよくないのかもよ。以上、今日のはなしこれでおしまい。

ほんじゃまたね。

2014年4月18日金曜日

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これって内緒よ

 
こんばんは~、こっそり出てきたマリーで~す。

うちのおばはんたらさあ、日曜日まではあたしみたいに浮かれた調子のキャラクターは表に出せないと思っちゃってるの。なんでも今週は聖週間で昨日、今日、明日は重要な日だからあんまりふざけたりしちゃだめって思ってるのよね。あたしって、それほどふざけてないわよねえ。

しょうがないから引っ込んでたんだけど、あの人ったらさ、あんまり時間が経つと記憶があやふやになるから大事なことだけメモしておきたいって言い出して、こんな時間にあたしに手伝わせてるわけよ。ウォルト・ディズニーの約束っていう映画を見て、あの人、自分も下手だけどおはなしや物語を書く人だから、あの映画を見てすごく教えられたことがあったのよ。原稿に書かれた物語って、無から生み出されたって言うけど、本当は正確にはやっぱり、書き手がいつかどこかで経験したこと、実際に自分で見たものを土台にして言葉を紡いでいるのよね。

トラヴァースさんがメアリー・ポピンズの外見を作り出したとき、子供のころに見たおばさんの姿や持ち物がモデルになったように、これって面白いのよねえ。みんな誰でも自分の周りの物、人、出来事、いろいろなことを見ているんだけど、それを物語に描き出してみる人はそれほど多くもないし、うちのおばはんみたいにたいして表現力がなかったりするんだわ。でもその辺がわかると、物事をよく見よう、観察しようって思えるわけよ。それこそが物語を書くはじまりなんじゃないの。

あの人、材料はあるけど腕が下手だからどの程度に料理できるかわからないけど、あの映画を見てやってみよう、書いてみよう、お話を作ってみようって気持ちだけは湧いてきたみたい。まあ来週以後の話だけどね。そんなとこで今日はおしまい。ほんじゃまたね。
  ※ gooブログはこちら
        http://blog.goo.ne.jp/pearl58

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仕方がない

 

今、時間は19時50分。本来なら四ツ谷の聖歌隊席に行く予定だったのが、急な気温の変化で足腰の調子が悪すぎ。出かけるのは中止した。今日休んだから多分明日は大丈夫と思うが、典礼が長時間にわたるから下の会衆席に行くほうがいいのかもしれない。

昨日の聖木曜日のニュースとしてこんな写真がでていた。フランシスコ教皇様の洗足式司式の様子だ。




今日は聖金曜日だから、行っていれば長い長い受難の場面や十字架の儀式があるのだが、昔と違ってこちらの足は神経痛で長時間立っているのが簡単ではなくなってしまって本当に残念だ。あと明日の聖土曜日の復活徹夜祭とあさっての合同洗礼式に金祝の神父様のお祝い、暖かいといいのだけど、さてどうなることだか。

 

メモ
 
この間から気になっていること。先日ツイッターで見た言葉でおっしゃったのは瀬戸内寂聴先生らしい。

世の中の不条理、不公平を子供たちにしっかり教えなくてはいけない、という。

となるとそこには何らかの救いがなければ毒が強すぎて良くないことにもなりそう。世の中という場ではたしかに理不尽、不条理、不公平はどうも意外とたくさんあるので、どうすればよいのかわからないが、たぶん答えはこれしかなかろうというのはある。実行は簡単ではないが。

ひとつの物語の形にしてみたいと思っている。

2014年4月16日水曜日

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ラジオドラマ

 
ニコニコ動画はいつのまにかすっかり様変わりしていて、若い人たちだけのお遊びサイトのイメージから抜け出し、中高年にも面白い本格的なものになってきたようだ。

なかでもいいのはラジオドラマ、放送劇の名作がたくさん集まっていることだろうか。カセットテープの時代に集めていた放送劇が、再放送されなければもう二度と聴けないと思っていたのが、同好の士がいたおかげで、ニコニコで再び聴くことができた。実に喜ばしい。

今回確認したところでは、「ニッポニア・ニッポン」や「さらば西行」も出ている。さらば西行で、若いころの西田敏行さんの演技力に感心して、それ以来ファンになったのだ。声だけですべてを表現するラジオドラマ、放送劇は実力がもろに出る。

最近はyoutubeにも朗読も増えていて非常にうれしいことだ。タブレットにダウンロードしておいて耳で聞く図書館にしている。おめめも疲れないし便利だ。

残念なのは、十代のころに聞いて今でも覚えているような名作がNHKにも残っていないということだろうか。むかしはテープも使いまわししていて、前の放送は消えちゃったのね。惜しい。

そういえば遠藤周作先生の肉声が聞ける朗読番組もニコニコに出ていた。遠藤先生のこういう面、今の若い人は知らないらしい。あのころはほんとに面白かった。そう、遠藤周作先生のおかげでケータイのマリーさんのようなキャラクターが生まれたのだ。まじめさをユーモアにくるんで書いて見せてくださった偉い先生だった。

以上、明日も朝から出歩くので今日はここまで。gooブログはまったく別の話題「メモ」を出したのであちらも読んでくださいな。これです。






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メモ

 

今週は何かと忙しくて気分的にも落ち着かないから、簡単なメモを書いておく。たぶんいずれどこかで使うことになるだろう。

・妹の顔は誰に似ているのか

 死んだ妹は子供のころから姉の私とは顔立ちがあまり似ていなかった。古い写真をみると父の子供のころの顔に似ているところもあるが、どうも違う。大体あの子の死に顔の写真や実物を見て、姉の私より老けて見えたのには驚いた。ふだんは髪を染めたり若作りしてたのだね。

どこで妹と判断したかというと、鼻のかたちだ。あの子は女親似で、母と同じ鼻の形をこちらは幼いころから見ていたから、どこの人かと思うような白髪頭でも鼻でわかった。しかし、あまりに変わっていてなんだか信じられないようだった。

私は父親似で、メガネをはずした顔を見た親類が、まるでお父さんね、といっていたものだ。妹はでは誰に似ているのか、今回、死に顔を見てわかった。火葬の炉の中に送る前の最後の別れのときのあの子の顔は、小さいときの怒ってむくれたときのような顔に見えたけれど、その前の確認のときの顔は、どこかで見た顔だと思った。

生前よりも年をとって見える妹の顔、どこかで見た顔だった。あれからもう3ヶ月も4ヶ月もたたった今、はたとわかった。貝塚のおばあちゃんだ。母の母、母方の祖母の顔に似ていたのだ。それはそうだ、母は祖母に似ていて、妹は母に似ていたのだから、死に顔を見て、祖母の顔をそこに見出しても不思議はない。

三代にわたる母娘の命の流れが妹で途切れたのだ。もっとも私や弟も子孫を残さないとしてもDNAの流れでは父方、母方どちらにも同じ血は流れていくのだから、大局的にはさして問題はない。だが祖母から母、母から妹に伝わっていた遺伝子はそこで途切れるのか。

なんだか不思議な気分だ。

さて、明日も朝が早いので今日はこれでおしまい。plalaブログは別記事で更新してあります。

      http://pub.ne.jp/dabocao/
 
 

plalaブログからの転載

せっかく荻窪のタウンセブンの7階の100円ショップまでいったのでついでに、安くておいしいイタリア料理のサイゼリアに寄り道。ここはあまりお財布の心配がないので、売れ筋のミラノドリアとか1杯100円のグラスワイン、それにアンチョビとイカの小さなピザを注文して食べたまではよかったのだが、風邪気味で薬を飲んでいたのにグラスワインを飲んだのはまずかった。

気持ちがわるくなってトイレに行こうとしたが間に合わず、その場で全部吐いてしまったのでした。ああ、何でグラスワインなんか注文したのかと、悔やんでも手遅れ。アルコールには元来弱いのはわかっているのに、ついちょっぴり試してみようと思ったのが失敗。だけど、一杯100円のワインですよ。それほどアルコールっ気も強くないのではとか思ったのが大失敗。

吐いた後もしばらく動けず、それでうちに帰るのが遅くなってこのブログもおそくなったのでありました。以上。

2014年4月15日火曜日

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今日の一枚


夕方、四ツ谷のミサに出かけると、今度知人が聖体奉仕者に決まったことがわかった。仕事も持っているし、住まいも遠いけどと少し心配していたけれど、これは彼女にとってもよいことだと思う。とりあえず、お恵みがあるからがんばってねと言っておいた。これもひとつの新しい変化だろう。

それはとにかく、ついでに夕方のバーゲンセールを狙って買い物をしたり、寄り道をしていたので帰りが遅くなり、パソコンを開くのもすっかり遅くなってしまったので、今日は簡単にこんなもので勘弁していただきます。ごめんなさい。

ご近所で見かけた春らしい風景

       



2014年4月14日月曜日

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病院の近くのお握り屋さんが廃業か

 
こんばんは~、マリーで~す。

今日はうちのおばはん、普段みたいに朝起きるのものんびりしてないで、いやに早く置き出してたのよ。緑内障 の定期検診の日だからちょっと遠い病院に行くからって寝坊するのが心配だったみたいだけど、寝坊どころか起きる時間早すぎよ。そんでもって寒い寒いってま たお布団にもぐりこんじゃって、結局いつもとおんなじ時間に起き出して支度して出かけたわよ。

いつもと同じく御茶ノ水から駒込行きの都バ スにのって、いつものところで降りてさ、春だなあとかいって周りの景色を眺めて歩いてたら、時々お昼用にお握りを買っていた小さなお店が『店主高齢のた め・・・』廃業のお知らせが出ていてびっくりよ。何年も見てきたお店がなくなっちゃうなんて考えてもいなかったのよね。病院に通う通りだからお客さんも一 定していて、味もおいしい、いいお店だったけど無くなっちゃうんだわ、残念。

待ち時間の間にあの人、先週電話した生活相談のところにもま た電話して、今度は時間の予約してたけどどうなるんだか、あたしにはまるでわかんないわ。天気もいいしあの人、暖かいと体調もいいから機嫌もよくて心配事 もどこへやらよ。いつもの何とかなるさって調子に戻っちゃってるから、それなりになんとかなるんじゃないのかな。

診察が終わってお薬もで て、今日はそのまま四ツ谷に出て、ついさっきまで四ツ谷にいたの。今度新しく来た神父様の講座、夜の部だともう一度夕方出直しになるからって、午後の部に 出てたのよ。内容は同じだから都合のいいほうに出ることにしたわけ。今日は時間つぶしに土手の上でお昼にあのお握り屋さんのお握りを食べたり、聖三木図書 館で本を読んだりして、講座がはじまるまで待ったの。

夜の部も昼の部も何十年も前の知り合いに久しぶりに会えたし、やっぱりなつかしかっ たみたいよ。やっぱり、なんだかんだといっても可能な限りは聖書の集いや、各講座、聖歌隊、信者仲間と一緒に行動しているほうが、いろいろな面であの人に もいいんだと思うな。霜山徳爾先生の言葉じゃないけど、人間は人間からはぐれちゃいけないのよ。周りの人が何を言おうと、何を思おうとそれは向うの問題な んだわさ。

体調は問題だけどこれからは暖かくなる季節だしさ、なるべく動かなくちゃ。問題は先立つものだって? まあ、必要ならなんとかなるんじゃないのかしら?

とにかく今週は教会の一番大きな行事の続く時みたいだから、出られる時は出たほうが気分も変わるし、いいと思うのよねえ。声が出なきゃ下の席でもいいじゃん。祈りに心を向けるにも、まずはやっぱり中に入っていかなくちゃ。行動しなくちゃ。

今日の話はこんなとこかな。ほんじゃまたね。



2014年4月13日日曜日

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マリア様

 
カトリック教会に行くと、必ずさまざまなお姿のマリア様のご像やご絵に出会うはずだ。ついでに言うと、ご像とかご絵、おメダイとか日本のカトリック教会に は独特の用語もあって、初めて聞いたときは何のことかよくわからなかったのを思い出す。聖像、聖画、メダイヨンなどを丁寧に呼ぼうとしてこんな言葉が生ま れたのだろう。

それはとにかく、マリア様だが、フランシスコ・ザビエルがキリスト教を日本人に伝えた時以来、マリア様のお名前やお姿のイ メージはキリスト教禁制の時代にもひそかに伝えられ続けて、現代でも信者でもなんでもない方々でもマリア様といえばたいていすぐに何らかのイメージがわい てくるわけだ。こういっている私自身、子供のころからさまざまな形でキリスト教のことを教わり、キリスト教とマリア様は切っても切れないイメージだったの が、教会に行ってみようと思ったころ、一番近かったカトリック市川教会が当時はどうもいくら電話しても誰も出ないような状態だったので、最初に行ったのは プロテスタントの教会になってしまった。

でもそこで、よい方々に出会いキリスト教の基本的なところはすべてそこで教わったのだった。その 教会に当時高校の先生だった大先輩の信者の方がいて、あるとき何気なくその方に、聖書の中で一番すばらしい女性は誰か質問したところ、即『マリアよ』とい う答えが返ってきて、その教会は堅く聖書の信仰に立った教会で、マリア様のことなど一切出てこない教会だったので、内心びっくりしたことを覚えている。

そ れ以来、どうして先輩はマリアが一番すばらしいといったのかと一生懸命ずっと考えていたところ、あるときはたとマリア様の『私は主のはしためです。仰せの ようになりますように』というあの言葉に行き着いて、急にマリア様の生き方の姿勢が見え始めて、先輩の言いたかったことの意味もわかり、それから少しずつ カトリック教会に心が傾き、いろいろあって結局カトリックに改宗したのだった。先輩のほうは今はプロテスタントの女性伝道者にして牧師夫人として浦和で活 躍されておいでだ。

カトリックになってもう何十年も経ち、ずいぶんいろいろ、ごたごたも起こっているが、プロテスタントのほうの友人知人 の信仰の模範を見習って何とかこちらで持ちこたえてきたといったらまずいだろうか。でも本当なのだ。こちらではなぜか信じられないようなごたごたばかり起 こってくるのだが、私はいつか向こうで友人知人たちとまた一緒になりたいと心から思っているので、それまでこの世ではこちらで理解されなくてもがんばるつ もりなのだ。これは本音だが、ではなぜプロテスタントに戻らないかというと、信仰の内容自体はこちらのほうが正しいように思うからだ。

マリアさまもご聖体も信じているからだ。人間的な問題だらけでもローマのパパ様の指導を信じるからだ。その全体を導いている聖霊を信じているからだ。

と いうわけで、マリア様に戻るが、信者だったらたいてい誰でもマリア様のお姿に自分なりのイメージを持っているのだと思う。私の場合、どうも東方教会のイコ ンのマリア様のお姿がいちばんピンとくる。甘ったるいマリアさまなどまっぴらだ。しっかりと威厳と気品とやさしさの調和したお姿のマリア様のイメージをさ がすと、ウラジミールの聖母とか、レデンプトール会のあの、絶えざる御助けの聖母にたどり着く。他の人はまたそれぞれだろうが、私はこのお姿が特に好き だ。他にも自分のミニ祭壇にはあれこれ飾ってあるくらいだから絶対などと生意気なことは言わない。カルメル山の聖母もファティマの聖母もいっしょだ。大事 なのはマリア様のあのお言葉なのだと思う。人間が見習わなくてはいけないのはあれしかないのだと思う。『われは主のはしためなり、仰せのごとくわれになれ かし』あの姿勢だ。


2014年4月12日土曜日

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本日テレビでは相棒まつりなので

 
久しぶりに相棒の話題です。

4月26日の相棒劇場版Ⅲの公開を前に、今週は土曜日の今日はお昼から4時間の相棒祭り。主に、ついてない女で登場した月本幸子のその後が中心です。幸子さん、今は花の里の女将ですけどその前はいったいどんなことがあったのか、ご存じの方もご存じでない方もあらためてご覧になってみると面白いと思います。

そして今日はdビデオの相棒劇場版Ⅲ序章の第3回もありますし、明日、日曜夜は、日曜洋画劇場で、相棒劇場版Ⅰが再び戻ってきます。

相棒漬けですが、これらを見ながら劇場版Ⅲの公開を待ちましょうというわけですね。うーむ、待ち遠しい!!


   

gooブログのこと

 
plalaのブログサービスの終了も次第に近づいてきて、早めにgooブログのほうも開始してみたわけだが、簡単にあちらの感想をいうと、思っていたよりはるかに簡単で使いやすいブログなのにビックリしました。パソコンだけでなくタブレットからも簡単に書けます。修正も簡単です。

こちらと違うのはアクセス数はその場ですぐにはわかりません。集計が出るのは翌日になります。その代わり、全体の閲覧数と、実際に見に来た人数と両方出ます。写真も簡単にアップできます。

予想以上に使いやすいブログで、慣れてしまえばあとは簡単に使いこなせます。以上、簡単な感想でした。



2014年4月11日金曜日

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井の頭公園を歩きながら考えた

 
こんばんは~、マリーで~す。

今日はうちのおばはん、教会の帰りに井の頭公園をぐるぐる歩き回って、残りの桜や、池のボートを眺めてしみ じみと春だなあって思ったみたいよ。あの人もずっと、悲しいことをあんまり考えないように、思い出さないように、なるべく忙しく動き回ったりしてたけど、 なんか風邪とアレルギーでなかなか咳は止まらないし、暖かくなってきても足腰はあんまり調子よくない市で、いやでも少しおとなしくするしかないもんだか ら、やっぱり妹の死のことに考えがいっちゃうし、悲しみがわきあがってきて止まらないのよね。

こればっかりはさあ、他のひとたちにはどう しても通り一遍にしか伝わらない部分だし、ちっちゃいころの妹のことをよくおぼえているのはもう自分しかいないのも悲しいのよね。あの子、ちっちゃいとき から家の前のどぶに落ちて流されかけたり、汲み取り式だったトイレに落ちちゃったりよく水難にあってたけど、結局最後も水で死んでしまったって嘆いてる の。

もうあのころの家も跡形もないし、お父さんもお母さんもとっくにいないし、貝塚のお墓に行っても墓石に日が当たって風が吹いてるだけ なのよね。うちのおばはんも変なところで頑張り屋だけど、さすがにこの状況は考えると泣けちゃうみたいよ。でもさあ、泣くのを我慢してるともっとだめなん だと思うのよね。あの人、一度思いっきり泣かないと先に進めないんだと思うのよ。

さっきあの人、ツイッターを見てたら誰かが瀬戸内寂聴さんのことばを載せてたの。こんな言葉よ、『世の中の不平等さや理不尽さを、しっかりと子供たちに伝えることが大切です。  瀬戸内寂聴(天台宗の尼僧)』

あの人、カトリック信者だけど、人間の深みについては日本人だからか仏教の感覚のほうがぴんとくるって感 じるみたいよ。日本的な浅いキリスト教じゃどうしようもない問題もあるじゃないの。ただ簡単に神は愛だって言ってるだけじゃなくて、現実の人間社会の諸問 題の背後の深みを語れないではどうしてキリスト教が日本人の心にはいってくるのよねえ。きれいごとのキリスト教じゃ救われないと思っちゃうけど、こんなこ と言ったら怒られちゃうかな。

うちのおばはんの死んだお父さんは、お坊さんの子だったそうだけどこういう寂聴さんの言葉みたいなことはぜ んぜん子供に教えなかったのよ。多分それであの人、やたらに人を信じすぎて失敗したりしてるのかもしれないわ。現実の人間の社会はどうもあの人が教わって きたのとは違うんだわさ。もうあの年じゃ軌道修正は難しいから死ぬまでこんなもので終わりそうだけど、それでもこの言葉も改めて心に留めながらいくしかな いのよね。お人よしの面と、多少考える面と両方ないと、これから書きたい新しい物語は生まれないと思うのよねえ。

まあ、今日はこんなところまででやめとくわね。また続きはあの人の心の中でそのうちにまとまっていくんじゃないかしら。こればっかりはあたしだって手伝えない、うちのおばはん自身の仕事なんだわさ。てなことで今日はおしまい。ほんじゃまたね。




2014年4月10日木曜日

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本日休業

 
こんばんは~、マリーで~す。

今日はうちのおばはんがお家に帰ってきたら、なんかへたばっちゃってて、今日はもうだめって言ってるのよねえ。昨日から調子よくなかった上に、今日は忙しかったんだわさ。ほんなわけで悪いけど、今日はこのブログもお休みよ。ごめんなさいね。 ほんじゃまたね。


 おまけ
         





2014年4月9日水曜日

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来週は聖週間

 
こんにちは~、あれっ、こんばんは~かしら、マリーで~す。

春になって、夕方もなかなか暗くならない季節になってきたから、なんだかご挨 拶の言葉に迷っちゃうわよ。ちょっと前まではこの時間だったら暗くなってたのにねえ、まだこんなに明るいんだもんね。だけど今日はうちのおばはんがなんか また風邪気味みたいなの。夕方になってきたら頭が痛いし、熱があると痛み出す歯も痛いから、明日はまた出かける日だし早く寝ないと治らないからって、また あたしに手伝えって声をかけてきたのよ。まったく調子がいいったらないんだからもう。

まあ、来週いっぱい過ぎるまでは何かと忙しいから しょうがないけどさあ。あしたも午後から整形外科のお薬をもらいに行って、夜は聖書の集いだ、ですって。いいけど、また風邪がひどくなってかんじんの聖週 間寝込んだりしないでよね。うちのおばはんときたら、気持ちだけはいくつになっても若いころとあまり変わらないけど、体力がやっぱりどうも問題なのにさ あ、すぐに忘れちゃって失敗するのよ。どうしようもないわ。

明日の聖書のつどいの福音も、イエス様が捕らえられて十字架につけられる受難の場面なのね。あの人、ここを読んだら、急にマタイ受難曲が聞きたくなって、全部だと長すぎるから、youtubeで適当にお気に入りのところを聞いてたのよね。

       https://www.youtube.com/watch?v=pf4UNJqv_-Ahttps://www.youtube.com/watch?v=pf4UNJqv_-A

音 楽って、宗教の一番深いところにあるものをズバリと表現して見せるんだもの、あの人もこれを聞くと余計なことはもう、何にもいえないっていってたわ。ただ さあ、youtubeでマタイ受難曲を探すときは日本語じゃなくて英語のスペルで打ち込まないと、大阪弁のマタイ受難曲とか、なんか、変なしらけちゃうの が出てくるみたいよ。

まあ、とにかく来週はさあ、枝の主日(受難の主日)に始まって、聖木曜日は午前中、カテドラルで聖香油のミサがある し、夜は聖木曜日、聖金曜日、聖土曜日と、どこの教会でも大きなミサや典礼が続くんだわさ。でも東方教会のニコライ堂みたいにずっと立ちっぱなしじゃない からまだいいんじゃないの。

でもって土曜日の復活徹夜祭に続いてイースターの日曜日よ。もし、キリスト教に興味があったらこの時期に教会に行ってみるとクリスマスより静かだけど心に響く大きな行事がいろいろ見られるわよ。よかったら行ってみてね。

あの人を早く寝かさなきゃなんないから今日はこんなところでおしまいだわさ。ほんじゃまたね。



     
   

2014年4月8日火曜日

plalaブログからの転載

2014.4.8

よくできているなあ

ケーキそっくりさん

     

ダイオウイカさん

     
ホビーの楽しみを思い出させてくれるような作品だ。

メモーフェイスブックに書いた

2014年4月8日、火曜日の朝。昨日、四ツ谷の新しい講座に行って昔の知り合いの司祭の話を聞いて、なぜか気持ちがかたまった。本気で動くぞ。

残念ながら主任司祭は何度連絡をとろうとしてもこたえてくださらないのだけど、
今は本気で動き出さないと私のこの先の生活がどうにもなりません。

あのチェルノブイリの事故のあった年以来、まさかこんなに長い年月放っておかれるとは思わず、イエズス会の当時の関係者を信じてずっと待っていたのですが、こちらも今年はすでに65になろうとしていますし、関係者がどんどん亡くなっています。

もはや真実をどうこういっているより、こちらの現実の生活が追い詰められています。これまで一生懸命書いた原稿も横取りされて消えてしまったり、お金も親類に横取りされてこちらには一銭も入っていません。

現実に食べていくお金がないのですけどいったいどこに相談したらよいのでしょうか?イエズス会も、今の大司教様も全然事の経緯をご存じでないし、まだ誰かさんが生きているうちは私も黙っていておきますが、本当に生活ができないのですけど、お金の相談てどこに行ったらよいのでしょうか。

長年、いろいろ書いてみて、やんごとない方のお目にのぼった原稿も何点もあったのに、ある亡くなった方がずっと足をひっぱっておいでだったので、こちらもくたびれて書くのをやめてしまったのです。自分にできることは書くことぐらいですけど、お金にならないは、悪いうわさばかりながされるはでは、当人は生活ができないのですけど、このままでは本当にどうにもならない状況なのです。

ちょっとは助けてください。相談できそうなところを教えてください!! 

話の続き)

つい今しがた、四ツ谷の教会に電話して問い合わせたところ、生活相談は以前にもちょっとお話に伺ったBr.吉羽さん担当のところしかないらしい。週一で決まっている日に電話予約してということだった。

イエズス会のはそれしかないらしいので、来週の定時の日に電話を入れてみることにする。こちらは足元の支えをいただければ、あとはまた原稿書きに戻って、それしか能のないお話つくりをする。これまでは人に利用されて自分にはぜんぜん戻ってこなかったけれど、利用するだけの価値はあったわけだから、自分の能力をもう一度試してみる。

この年でなければ見えてこないもの、書けないものがあるはずなので、それを書いてみるというのはどうだろう。とにかくやってみるしかない。動きがとれなすぎる生活ではそれさえできないのだけど。

体重の減量が必要なくらいだから、1ヶ月や2ヶ月は水だけ飲んでも大丈夫。ただそれをやると白髪が増え、骨密度が下がって骨折しやすくなるからやらないだけ。いざとなればそれで残ったお金で布団や冷蔵庫やテレビの買い替えをするのだろうな。このままいけばほかに手がないのだから。

余裕がないというのはそういうことなのだ。

こういう事情はよその教会や修道会、在世会は何も知らないから、ただ胡散臭がられ受け入れられなくなるばかりというのが情けない。

おまけ)
まあ、いいか。猪突猛進あとで考えるでもなんでも動いてみるしかないもの。


でもでも、何とかしないと日本国内だけではもっとどうにもならないじゃないか。こちらの本当の状況伝える努力はしないと。


フランシスコ教皇様のツイッターの返信に、いくら日本語でこちらの話をもぐりこませてもどうせ届くわけないなあ。やってみたけど、始めからあきらめ。



2014年4月7日月曜日

plalaブログからの転載


春が実感できるとき


こんにちは~、マリーで~す。

うちのおばはん、今夜はちょっと帰りが遅くなるかもしれないから今のうちにちょっと手伝えっていうのよ。も う、このところ、あの人のブログの引越しやら、gooの3箇所のブログの整理やら、あたしまでひっぱりだされてもう大変なのよ。7月になってこの plalaのブログが終わるまではあっちもこっちも面倒な作業ばっかりだわさ。

でもまあ、しょうがないか。こんなことっていつもあること じゃないしさ、あと2、3ヶ月だけちょっとつきあってよね。それはとにかく、なんともう今度の日曜日は教会では「枝の主日」よ。あの人、ここ数週間咳が止 まらなくて聖歌隊もずっと休んじゃってたけど、いつのまにか来週は聖週間なのよね。咳止めをのんでも声が出ないから歌えないかもね。

今年 はあの人、1年の出だしからして妹のお葬式だとか、なんとも低調な始まりで、あんまり元気ないんだけど、それでもお外を歩けば今年も桜は見事に満開だった しさ、そう悪いことばっかりじゃないわよ。「照る日、曇る日、いろいろさ、それが人生、これが人生」って、やなせたかし先生の壁掛けの言葉にもあるじゃな いの。

だから今日は久しぶりに教会の講座にも行ってみようかなって思ってるみたいなのよ。何年も行かなくなっちゃってるけど、今度は ちょっと様子を見に行ってもいいかなって思ってるみたい。はるか大昔、まだ神学生だったころに知っていた方が今度司祭としてやってきたのよね。どんな話を するか、とりあえず様子を見に行こうって感じよ。

だから、昼間のうちにあたしにこれを手伝えっていうわけよ。たださあ、あの教会に来る と、どんなによい方でも、変質しちゃってどうもだめになっちゃったりするのがちょっと心配みたいよ。なんというかあれよ、あれ、スターウォーズの良き人が ダークサイドに落ちるようなことは現実の世界でもよくあることなのよね。まあ、当人の素質の問題だからとやかく心配しても仕方ないわよ。せいぜい、あちら の方のためにお祈りするしかないのよね。

とにかく、うちのおばはん自身にとっても動き始めて、何かの出発点になればなおいいと思うんだけど、さてどうなんでしょうか、乞う、ご期待って言っていいのかな??

2014年4月6日日曜日

plalaブログからの転載

2014.4.6

うぇー、まじい味

ビールの苦さには猫の子も人間の子とおなじような顔になるのが面白い。       

季節はずれの虫干しといったところか

plalaのブログサービスの終了が近づいて、あと3ヶ月もないので、早めにgooブログに移動開始したわけだが、実はgooには意外と長いお付き合いがあって、日記的なブログというより、手書きで書いた原稿の保存に困って、gooブログにいくつか入れてあるのだった。今もそれを読みに来る方々がいるから、plalaでの相棒ブログのような大ヒットもしない代わりに、細く長く途切れもせずに読まれている。

その系譜はplalaのほうでも信仰の話題、キリスト教関連の話題には受け継がれているから、完全にgooがメインになってもたぶん状況は似たようなものになりそうだ。本当はジャンル別に分けるとわかりやすいのかもしれないが、相棒や、NHKの連ドラ以外は自分にとっては日常生活の範囲なので、あまり分けたくないのだ。

で、とにかくgooブログの3箇所のブログを再点検し、どこに何を入れてあるのか見直して自分でちょっと驚いた。記憶違いも結構ある。創作はほとんどacsicnarfだと思っていたら、実は公園のお風呂ダヌキが一番後回しになっていて、riekoikoに入れてあったのは、われながらびっくりだ。どうしてこうなったのか思い出せない。pearl58は、6年前に作って、そのままあまり使わずに、plalaを使い始め、ずっと今日まで放っておいた場所で、だからここを引越し先にした。

acsicnarfとriekoikoには案外大量の創作が入っていて、これがまた順番がわかりにくく読みにくい。書いた当人がそう思うのだから本当だ。少しでもわかりやすくなるようにこの二つも有料ブログに切り替えたほうが良いのかもしれないと思案中だ。そうすると、1ヶ月600円くらいか、今や非常に財政状況が厳しいから、見られないbsの代金は払いたくないのだけど、ジェイコムがどう答えるか?なんかおかしなことになっていて困っている。bs分がこちらにまわせると、3箇所とも有料ブログにできる。明日担当者に電話してみよう。

古い記事を関係者がもうちょっとちゃんと読んでくれていたらと、悔しくなってくるのも本当だ。亡くなった誰かさんのようにひとの足を引っ張って、浮かび上がれないように細工し、自分の都合ばかり考える人物が上に立っていたのだから仕方がない。今も状況はおなじようなものだ。言っても仕方のないことか。でも、死んでしまった妹よ、それでもおねえちゃんは、自分に与えられた状況を受け止めて精一杯生きてるんだよ。妹よ、おねえちゃんは人生をなげたりはしないんだよ、おまえ。不思議なのさ、そんなひどい人も権威や権力にかかわる前は本当に立派だったのもおぼえている。まったく、お金や肩書き、権力は人間を腐らせる見本だね。

でもまあいい。私にとって子供のときからの最大の問題は終わりのないものがほしいということだったのだ。そして恐ろしいことにあの人物にとっても本来はそれが問題でその道を選んだはずなのに、やっぱりこの世の成功とかお金、名誉なんてものが目の前に置かれるとだめになるのだろう。だったら、一生、こんな状況でもそのほうがいいのかもしれないと思う。

神様がこうなさるならそれは一番良いことだからこうなってるのだと思うのだ。とにかくそんなことも書き散らしながら何とか生きていければそれ以上は望まない。

以上、古いブログと自分のこころの季節はずれの虫干しだ。

plalaブログからの転載

2014.4.6

うぇー、まじい味

 
ビールの苦さには猫の子も人間の子とおなじような顔になるのが面白い。       

   

 

季節はずれの虫干しといったところか

 
plalaのブログサービスの終了が近づいて、あと3ヶ月もないので、早めにgooブログに移動開始したわけだが、実はgooには意外と長いお付き合いがあって、日記的なブログというより、手書きで書いた原稿の保存に困って、gooブログにいくつか入れてあるのだった。今もそれを読みに来る方々がいるから、plalaでの相棒ブログのような大ヒットもしない代わりに、細く長く途切れもせずに読まれている。

その系譜はplalaのほうでも信仰の話題、キリスト教関連の話題には受け継がれているから、完全にgooがメインになってもたぶん状況は似たようなものになりそうだ。本当はジャンル別に分けるとわかりやすいのかもしれないが、相棒や、NHKの連ドラ以外は自分にとっては日常生活の範囲なので、あまり分けたくないのだ。

で、とにかくgooブログの3箇所のブログを再点検し、どこに何を入れてあるのか見直して自分でちょっと驚いた。記憶違いも結構ある。創作はほとんどacsicnarfだと思っていたら、実は公園のお風呂ダヌキが一番後回しになっていて、riekoikoに入れてあったのは、われながらびっくりだ。どうしてこうなったのか思い出せない。pearl58は、6年前に作って、そのままあまり使わずに、plalaを使い始め、ずっと今日まで放っておいた場所で、だからここを引越し先にした。

acsicnarfとriekoikoには案外大量の創作が入っていて、これがまた順番がわかりにくく読みにくい。書いた当人がそう思うのだから本当だ。少しでもわかりやすくなるようにこの二つも有料ブログに切り替えたほうが良いのかもしれないと思案中だ。そうすると、1ヶ月600円くらいか、今や非常に財政状況が厳しいから、見られないbsの代金は払いたくないのだけど、ジェイコムがどう答えるか?なんかおかしなことになっていて困っている。bs分がこちらにまわせると、3箇所とも有料ブログにできる。明日担当者に電話してみよう。

古い記事を関係者がもうちょっとちゃんと読んでくれていたらと、悔しくなってくるのも本当だ。亡くなった誰かさんのようにひとの足を引っ張って、浮かび上がれないように細工し、自分の都合ばかり考える人物が上に立っていたのだから仕方がない。今も状況はおなじようなものだ。言っても仕方のないことか。でも、死んでしまった妹よ、それでもおねえちゃんは、自分に与えられた状況を受け止めて精一杯生きてるんだよ。妹よ、おねえちゃんは人生をなげたりはしないんだよ、おまえ。不思議なのさ、そんなひどい人も権威や権力にかかわる前は本当に立派だったのもおぼえている。まったく、お金や肩書き、権力は人間を腐らせる見本だね。

でもまあいい。私にとって子供のときからの最大の問題は終わりのないものがほしいということだったのだ。そして恐ろしいことにあの人物にとっても本来はそれが問題でその道を選んだはずなのに、やっぱりこの世の成功とかお金、名誉なんてものが目の前に置かれるとだめになるのだろう。だったら、一生、こんな状況でもそのほうがいいのかもしれないと思う。

神様がこうなさるならそれは一番良いことだからこうなってるのだと思うのだ。とにかくそんなことも書き散らしながら何とか生きていければそれ以上は望まない。

以上、古いブログと自分のこころの季節はずれの虫干しだ。

2014年4月5日土曜日

plalaブログからの転載

2014.4.5

訃報

今朝、明け方ふと目が覚めて、枕もとのタブレットを開くと、ニュースに蟹江敬三さんの訃報が出ていた。あまちゃんでお元気な姿を見せていたのはついこの間のことなのに、非常に残念だ。
数年前、相棒シリーズで蟹江さんの出演した「殺しのカクテル」を見ていい俳優さんだなと思ったのが記憶に残っている。だから、あまちゃんに登場したときはとてもうれしかったのだが、まだまだこれからというのにまったく惜しい。
以前、tumblrにはべつの写真が出ていたが、今探してみつかったのはこの写真だ。
    

立派な俳優人生だったとおもう。
 
gooぶろぐ「あとで考える」はこちらです。ここと同じものプラスgooをつかうようになっての簡単な感想をかいてあります。
    http://blog.goo.ne.jp/pearl58/e/a50000b3a993143e1c8b833c720dfd04




2014.4.4

あれ?

なんか、おなじみの顔