2014年4月30日水曜日

plalaブログからの転載

明日も雨ってほんと? 風邪がなおらないじゃないの

 
こんにちは~、マリーで~す。 

今日も朝から雨、今、この時間は小降りになってるみたいだけど、窓を開けるとやっぱり寒いって、うちのお ばはんはやっと咳がとまったところだからすぐに閉めちゃったわよ。部屋の空気の入れ替えだって言ったら、台所の換気扇を動かして誤魔化しちゃってまった く。だけどこの雨明日もまだ続くのかしら。これじゃあの人、また咳が止まらないじゃないの。連休だって言うのにお外に出かけられる感じじゃないわね。

もう相棒の劇場版Ⅲも上映始まってるし、お金はなくてもこれだけは見に行きたいって言ってるけど、暖かくなってくれないとどうしようもないわよ。昔とちがって映画館の狭い席で長く座ってると、神経痛だから情けないけど足腰の調子がおかしくなるし、うまくいかないのよねえ。

大体があの人、若いころから一日中椅子にすわって机に向かう仕事だったし、すぐに外に出歩きたがるほうじゃないからそれでもさほど不満もないみたい よ。だから今日も朝起きたときから、今度の新しい話をどういうふうに書くかを考え始めてたわよ。子供たちにもちゃんとこの世界には不条理、不公平、理不尽 なことがたくさんある現実を教えなくては、といったって何しろあの人自身、その辺がよくわかっていなかったから今の状況になっちゃったんだし、そのへんを どうまとめていくかはあんまり簡単じゃないもんね。それでもこの世界はそれだけじゃないっていうところにまで話を持っていくには、読む側が納得するだけの ものが必要だし、自分の中に持っていないものは出せないのよ。

それでもあの人、一応これだって思うものがあるから、その種を大きく育てて ちゃんとした物語にしたいのよね。どんなものになるんだかほんとのところ、まだわからないけどさ、とりあえずその話の中に死んでしまった妹のことや、母方 の菩提寺の行傳寺のこともちょっぴり名前くらいは取り込んでおきたいみたいよ。その辺はあの人自身の思い出のためって事だけなんだけどさ、別に悪くはない しね。

素人の拙い文章ではあっても、ほかの人には書けない自分だけのものを書く、それしかないのよね、今、うちのおばはんに出来ること、しなくちゃいけないことって、ほんとにそれだけなんだわさ。

今日の話って、天気も悪いしこんなところでおしまいかな。 ほんじゃまたね。

2014年4月29日火曜日

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とりあえずの問題が消えると今度はもっと大変だ。

 
原稿書く準備しなくちゃ。話の構想ねえ、大まかには決まっているけど、出だしがまだ出来ていない。出だしが決まると何とか話が進んでいくのだけど、これが 結構難しい。ケータイのまりーさんにどういう場面から入っていってもらうかとか、最初の段階はなんというか計算が必要だし、内容自体より面倒な感じ。真面 目にいかなくちゃ。

でも、書き始めると、たぶんブログのほうは休みがちになったり、メモ程度のものになってしまうかもしれない。今からあやまっておきます。不器用なので両方におなじくらいの力をかけられないのです。ごめんなさい。




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朝からロキソニン

 

追) わあーい、夕方になって、にんじん、たまねぎ、じゃがいも、の強力三点セットプラスあれこれのお野菜がきたよ。よかった、よかった、助かった。これくらいあれば当分なんとかなるなあ。早速まずは鯖缶と一緒にスープをつくって小分けして冷凍よ。入りきらないのは新聞紙に包んで涼しいところに。四ツ谷には文句ばかり言っていますけど今回はこころから感謝しています。

 

 
おっはようございま~す、マリーで~す。

うちのおばはんは今朝起きたときから寝汗をかいていたり咳はゴホゴホ、頭は痛いし動くのがだるいし、どうみてもこれは風邪ひいちゃってるみたいよ。昨日やたらくたびれたっていってたけどその前の晩に、ちょっと考え込んじゃって眠れなかったのよ。あれが始まりで、昨日の疲れも重なって、ほんとに風邪ひきさんになっちゃったんだわさ。

考え込んで眠れなくなってとにかくもう一度生活相談に行って、それでもあの人、材料さえあればたいていのものは自分で作っちゃうから、お野菜だけ送ってもらう手はずになったんだけど、夕べは何時になっても宅急便はこないし、連絡の取りようもないしで、つい寝不足なのにまた夜更かしよ。あれがきいちゃって風邪ひいたんじゃないかしら。

だけどお野菜どうなっちゃってるのかしらね。なければないで金曜日にちょっぴりお金が入るからモヤシや冷凍の野菜を買ってくれば、100円ショップで買ってきた三個で100円のあんまり味はよくないけど、適当にこちらで調味料や野菜を入れて、手直しすればまあまあ食べられるインスタントラーメンがまだ20個くらいあるし、贅沢は週に一度くらいでやっていけば、当分はなんとかなることはなんとかなるけどさ、お野菜、あてにしてたんだけどなあって、あの人、愚痴ってるわよ。これじゃ考え込んで眠れなくなるのも当然かもね。

連休のときに具合が悪くなるとお医者さんはお休みだし、本当に手に負えないことになっちゃうから、あの人も鎮痛解熱剤くらいはいつも用意してるけど、さっそくに必要になっちゃうんじゃ、なんか先の見通し暗い感じ。いやあねえ、こんなんじゃあさあ。

まあ、食べるものはお粗末なはなしだけど、昨日、講座で聞いてきた「祈り方の方法、いろいろ」は面白かったから、そっちを考えれば気もまぎれるみたいよ。昔、足腰がまだ悪くなかったころに知らずに実践していたのは歩く瞑想法だったのか、とか、東方教会のイエズスの御名の祈りみたいなのは、これ、プロテスタントのころから何気なくやってたなあ、でもなるほど呼吸の吸う息、吐く息とあわせるのは知らなかった、これは雑念を払うのにも役に立つとかって思ってるみたい。

だけど夕べみたいにいらいらしながら来ない宅急便を待っていて結局来なかったりすると、呼吸法も何も忘れていらつくから、眠れずに風邪引いちゃって無駄になっちゃうのよね。雑念の塊りになると健康にもよくないって言う見本よね。

ラーメンとモヤシばかりじゃどうしようもないもんねえ。心理学的にいっても味の変化に乏しい食生活って精神衛生上にもあんまりよくないっていうのにさ、これはあの人、もっと自分でも工夫しないといけないんだと思うな。ほら、禅寺の食事って食事の支度からなにから修業の一つだっていうじゃないの。お金がないからってラーメンとモヤシばっかりって、栄養面だけじゃなくて、やる気を失わせる食生活だわさ。いくらお肉はたまには食べるけど、好物じゃないったってさ。お刺身やお寿司は好物だけど高いったってさあ、もうちょっとなんとかしないとまずいよねえ。

どこに問題があるのかって、ずっとたどっていってみると、どうも一人分の食事を作るのって、結構面倒なのが一番の問題なんじゃないかしら。結局適当になっちゃって、お金もあんまりないしでたどりつくのがラーメンとモヤシってことみたい。野菜があればそれでもあの人、スープや汁物は大好きだから、それだけはちゃんと作るんだし、やっぱり最低、にんじん、ジャガイモ、たまねぎは常にかかさないようにしとくしかないみたい。青野菜もスープにしちゃえば、きらいなキャベツだって食べられるし、これはもう、スープ作戦しかないなあ。お出汁をとるのに、すこしだけ肉や魚、ベーコンなんかもいいな、それにたまごがあれば、スープは万能だと思うわよ。

それなのにこのごろ、どうしてラーメンとモヤシになっちゃってるのか? 大きいおなべが壊れて、フライパンと小なべしかないってのが問題の始まりかも。この辺から何とかしなくちゃねえ。やれやれ、うちのおばはんて本当に手がかかる人だったらないわ。あたしまで一緒になってあの人の台所事情を考えさせられちゃうんだもん、あきれちゃうわ。

大きいおなべって千円以上するから、今のあの人の懐具合じゃ夏にならないと買えないかもしれないけど、とにかく原因は見えてきたから、ラーメンとモヤシの生活はやめてほしいわ。コンビニのお菓子で一食分ていうのもだめ。高血圧で心肥大だっていうのに塩分とりすぎててどうするのよ、まったく。モヤシだったらただゆでてそのまま無味で食べるの好きだったじゃない。ラーメンも粉末スープは使わないで麺だけゆでて、それをほかのものと和え物にして食べるとかしないと絶対体によくないこと請け合いよ。

せっかく祈りについていいお話を聞いてきたんだから、実践するのに必要な生活態度の基本のとこもちゃんとしっかりしてほしいわよ。あ、それで結局来るはずだったお野菜どうなっちゃったんだろう???

ま、お休みの日だから長々とおしゃべりしちゃったし、この辺で終わりにするわね。ほんじゃまたね。


2014年4月27日日曜日

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列聖式の中継を見た

 
昔、テレビで初めて生中継を見たときはびっくりしたけれど、インターネット時代はもっとすごいことになっている。ローマで行われている列聖式をネット中継ですぐに見られるなんて昔は想像もしなかったことだけど、今は現実だ。なんてたいした時代だろう。

ヨハネパウロ2世の来日の時は聖歌隊のメンバーにまじって会場にいたのだった。その方が今日は列聖だ。そしてヨハネス23世教皇様のころは、カトリック教会の外から見ても、何か大きく変わっていくのがわかった時代だった。あれからこちらも教会もいろいろあったわけだが、今日の列聖式を見ていて、考えさせられた。

市川市や船橋市で鎌倉以来だとか、室町時代だとか言っても、あちらはなんといっても二千年以上続いてきた歴史があるぞ。田舎の人間だからかもしれないが、昔からの歴史のあるものには文句なく頭を下げてしまう。信頼度が違う。いろいろ問題はあっても二千年の歴史はそう簡単に揺るぐようなものではないと思うのだ。

今、このパソコンをつないでいるジェイコムの調子がおかしくなっていて、テレビがつかない。パソコンもちょっと切らないと判断がつかないので途中だがここで終わる。ごめんなさい。

追加)
 ジェイコム自体ではなくてテレビの問題でした。でももう今日はこれでやめておきます。




   

事実だから取り下げはしないけど蓋をしておこう

 


   

ユング心理学の共時性

 

思えばもうずいぶん昔のことになってしまったものだ。30数年、いや40年近い昔といえば生まれたばかりの赤ちゃんがとっくに成人して、社会人になり結婚して子供が生まれてその子もすっかり大きくなっているほどの年月だ。覚えている人がほとんどいなくても不思議はない。でも40年近い昔、カトリック市川教会の聖堂の片隅に小さなケースに入ったファティマのマリア様のご像があったのは本当だ。ただ、個人の私物だったのだそうで今は引き取られてしまったらしい。

でも、そのご像がすべての始まりだった。けれども日本の教会は全くなにも知らない。亡くなった誰かさんばかりを信用して言いなりになっていたのだから当然だ。今更か。しかし、あの頃、本当に普通ある筈のない話がいくつも続いていたのだ。まさにユング心理学でいう共時性そのままだったのだ。どうしてそうなったのかなどこちらもわかるわけがないはなしだ。とにかく大きな大きな手が核戦争を止めたのだとしか言いようがない。いや、言っても仕方がない。ただ、それからマスコミや政財界で私の情報を欲しがる連中がやたらにこちらのまわりに出没して、それで結局こちらはまともに就職できなくなり、ある方が手をまわして生活保護を受けて最低限の暮らしはできるようにしてくださったのだ。

当時の関係者が次第に少なくなって今となってはもはや忘却の彼方に消えていくだけのようだ。ただ、恐らく状況をみていると日本の教会がなにも知らなくてもローマはある程度知っているような感じだし、これ以上こちらは余計なことは言わないで、自分の仕事に専念することにする。
これを一言でまとめる言葉は「事実は小説より奇なり」これに尽きよう。おしまい。


2014年4月26日土曜日

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追加) 日蓮宗とキリスト教

 
仏教とキリスト教、考え方にはかなりの違いがあるわけだけど、仏教のなかでもうちは父方も母方も日蓮宗で、子供の頃から宮沢賢治の童話の世界にも親しんできている。宮沢賢治はご存じのように熱心な法華経の信者でもあった方だ。おかげで法華経の菩薩という存在には昔から親しみを感じていた。キリスト教、カトリックの信仰をいただいてからも菩薩という存在、その生き方はキリスト教とも重なって見えるのだ。イエスさまこそは真の菩薩の道を生きられたお方とも見えるのだ。

   

船橋市の塚田、前貝塚あたり

 
今日は土曜日なので、夕方は四ッ谷のミサに行き聖歌隊に参加する予定だからたぶん、後練習などで帰りも遅くなりそうということで、朝のうちにこのあいだから気になっていること母方の実家の菩提寺、船橋市塚田の行傳寺について、歴史を調べてみた。

死んだ父は故事来歴に詳しかったから、行傳寺が父方の地元の大本山中山法華経寺の末寺だったことや、もとは法華経寺の年をとられた僧侶の隠居寺の役割を担っていたことも語っていた。父方は先祖が法華経寺の富木常忍の家臣で代々法華経寺の門前に住まわってきた家だから、末寺の行傳寺のことも知っていたのだ。

行傳寺は母方の菩提寺で、母が死んだとき父がおじいちゃんのそばに一緒にいられるようにと、墓を寺の近くに建てたから、今では父母も妹もこの寺の墓地に眠っている。この墓の位置がわかりにくくて道に迷うものだから、Googleマップをみたりして、ついでに父を見習って、この地の歴史なども調べたわけだ。

大筋は生前の父から聞いた話で正解で、この寺は室町時代にできたそうだ。父方は鎌倉時代、母方も確実なところだけでもこの寺の創立した室町時代にはこの土地にすみついていたわけだ。考えただけでも遥かな遠い御先祖さまに懐かしく有難い気分がしてくるではないか。もっともこんなことを考えるのはこちらも年をとったためかもしれないが。

船橋市の近代史を簡単にまとめたものを読むと、子供の頃、不思議だった今はない無線搭が実は大変な代物だったことがわかる。田舎の畑と田んぼばかりの土地にたっていたあの無線搭が第二次世界大戦のときには重要な働きをしていたとは驚いた。

母が、そして伯父、叔父や叔母が子供の頃通っていた塚田小学校も今や、東京のベッドタウンの近代的な小学校だ。時は流れていく。

とにかく今度妹のために墓参りに行くときは迷子にならないようにしなくては。

2014年4月25日金曜日

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この小猿は今の当方の状況そっくり

 
読者の皆様はこの先を期待なさいませんように。問題がありすぎてこれ以上は当分書けません。

    

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昔話だ(その2)


 
遠藤周作先生のお名前を初めて知ったのは中学生の頃。でも実際に本に触れたのは高校生の時。当時の先生の純文学作品は正直言って子供にはむずかしかった。

小学校高学年か中学1年くらいに北杜夫先生のどくとるマンボウシリーズに出会い、大ファンになったのが始まりで北先生のお友達の作家の先生方の作品にも手を出し読み始めたのが遠藤周作先生を知ったはじめだったのだ。そして高校3年の3学期に母が急死してしまい、予定が変わって進学せずに父が再婚するまで家事のようなことをしていた時期に、遠藤先生の狐狸庵先生シリーズが出て、母の死で落ち込んでいたこころを笑いで癒していただいたのだった。実は当時は先生ご自身もご病気の再発で大変だったことを後で知った。

それと、当時読んだ先生の「留学」という作品に登場した、幼きイエズスの聖テレジアにひかれてフランスに渡りカルメル会に入会する青年の話が心に残っていた。幼きイエズスの聖テレジアといえばやはり子供の頃に初めて聞いたカトリック教会の聖人で、ずっと好きだったからなおのことだったのだ。

しかし、それから何年もたって、プロテスタントからカトリックに改宗し、シスターになりたいと思い、家を出て一人で生活し始めてある日、図書館でたまたま「死海のほとり」を借りて読むまで忘れていたのだ。死海のほとりを読んだとき、その昔読んだ遠藤先生の聖書のなかの女性たちに登場してきた話、人々は遠藤先生の心の中でこんな風にその姿を変えていったのかとわかり、それがきっかけで読者のひとりとしてファンレターを出し、以来時々手紙を書いて出していたのだ。

文学の話だけでなく、今ならブログに書いているようなことをあれこれ書いていた。後には自分の書いたお話、物語のコピーも贈って読んでいただいていた。まあ、その後のいろいろはあまり文句はいいたくない。あちらもまさか今のようなことは予想もしていなかったはずだから。

とにかく遠藤周作先生、霜山徳爾先生のおふたりは一度も直接お会いしたこともなかった頃から、こちらをカトリック教会にみちびいてこられる影響力を発揮しておいでだった方だった。

そして次はユング心理学の河合隼雄先生もいた。うちの親類が精神科の仕事をしていたので、カトリック信者だった土居健郎先生も霜山先生もこちらが直接は知らなくても実は向こうもご存知だったのだ。で、そこからユング心理学につながる。

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昔話だ(その1)


 
もう皆様ほとんどは亡くなった方々ばかりになってしまったのだが、懐かしい方々だ。


もう半世紀以上も昔、こちらがまだ中学生のころのことだ。当時、小学校は家から2、3分の距離だったのが、中学校に入ると急に毎朝15分はあるく通学距離になり、早起きするようになって、毎日、当時の朝のラジオ番組だった心のともしびを聞くようになったわけだ。


毎日聞いていると、これは、と心に残るお話をなさる先生の存在に気がついた。シモヤマトクジさんというお名前の方でどういう方かも、どういう字を書くのかも知らず、勝手に下山得二さん?かと字を当てはめて考えていた。とにかく毎回中学生だったこちらの心にも深く残るよいお話をなさる方だったから中学高校、専門学校から就職して会社勤めするようになってからもずっとこの方のお話を聞くのを楽しみにしていた。


うちの父が案外と宗教的なところがあって(父って、当時は知らなかったけれど、実はお坊さんの子だったとかで、そのためか、かなり世間一般のお父さんとは違っていたのです)、子供の私に小さいころから聞かせてくれたような話と同じで、とても心に響くお話でした。シモヤマトクジさんのお話は、父の話と似ていて、子供の心を育てるようなものだったのだ。


それから何年もたち、こちらは成人して神保町にあった父の知人の会社で写真植字の仕事をするようになり、お昼休みというと古本屋街を歩き回っては面白い本を探して漁っていたころ、ある日、古本屋さんの棚で当時のカッパブックスの「明日が信じられない」という本を見つけて買い求め、読んでびっくり。どこかで聞き覚えのあるはなしがいっぱい。でもまだそのときは気がつかないまま本棚にしまいこんでおいたわけだ。


それからまたまた何年もたって、プロテスタントからカトリックに改宗し、あるときカンガス神父さまに話に行くと、フランクルの夜と霧を読んでみるように言われ、本を買ってふと、訳者の名前を見ると、「霜山徳爾」のお名前、はてな、どこかで見た名前?と本棚をひっくり返してさがしてみると、あの「明日が信じられない」の著者の名だったのには驚いた。


それどころか本を読んでいるうちにハタと、子供のころ下山得二さんと思い込んでいた、心のともしびの先生こそ霜山徳爾先生だったことに気がついたのだった。なんのことはない、子供のころからこちらをカトリック教会に導いてきたシモヤマトクジさんとは霜山徳爾先生だったわけだ。


そしてまだある。




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二人の教皇さまの同時列聖式

 
カトリック教会の方向を大きく変えたヨハネス23世と、いま一歩で世界は東西の核戦争で終わりになりかねなかった状況を打開したヨハネパウロ2世の列聖式が間近だ。

あの頃のことを考えると夢のような気がする。もはや話しても誰も信じないだろう。当人のこちらもわけがわからない心境だ。その始まりがむかし、カトリック市川教会の聖堂の片隅に安置されていた小さなファティマのマリア様のご像にはじまったのだなんて、誰も知らない。

亡くなった権力者はとにかく何がなんでもその話はなかったことにすることに全力を尽くして成功したらしい。もはや誰も覚えていない。でも、世界を取り敢えず終末から救ったのはあのファティマのマリア様のご像のはなしをローマで信じてくださった方がいたおかげだ。

それがヨハネパウロ2世、伝えたのは多分今は亡きネブレダ経由ピタウあたりの筈、でももはや証明できない。父ブッシュの国際電話がうち辺りまで紛れ込んだのはそのことがあったからだ。もはやすべては霧の中。年月はすべてを覆い隠す。
だけど、せっかくここまで来たのにロシアはまた危険なことを始めている。この先どうなっていくか、非常に心配だ。

2014年4月24日木曜日

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犬のよさ、猫の面白さ

 
犬のよさ、かわいらしさは絶対これだろう。
   
猫のおもしろさはこっちだ。
       
 どちらも昔からの人間のよき友だ。

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自分のためにもう一度思い出して書いておく

 
先日、さすがにこれではどう計算しても食べられないというわけで、とりあえずは教会の生活相談に行ってみた。それは本来、ホームレスの方たちなどの生活相談が主だが、いろいろなケースを相談対象にしておいでなので、とにかく行ってみた。

つい最近まではある方が長い年月、ずっとこちらの足をひっぱりつづけ、悪い噂を流し、教会関係でもほかの方たちがこちらを相手にしなくなるように工作ばかりしていたので、こちらとしてはひたすら我慢するしかなかったのだが、あちらが亡くなり、こちらも年を取ってきて昔のように自分だけで何とかしていくのが次第に難しくなってきたから、今回はついに生活相談を頼ったわけだ。 

今、とにかくなんとかしなくてはならないのは食べていくお金がまるで足りなくなっていることだから、相談して現金以外の方法で助けていただくことになった。暖かい季節になって光熱費が一挙に減れば状況は解決するので一時的な措置だ。それだけでも助けがあればこちらはお金にはならなくても、原稿を書くことに専念できる。他に方法がない以上仕方がない。

でもどうしてこうなったのか、大司教も管区長も全然真相を知らずにいた、いや、あいかわらずよくわかっていないのかも、それはどういうことなのだ?マスコミや政治家のほうが簡単に昔阿佐ヶ谷に住んでいたころの事件、父ブッシュの国際電話の記録も調べられて、教会関係者は亡くなった人物の言いなりで何も調べないとは。なんだか変じゃないか。

しかし、仕方がないとなれば、自分のための記録だけでも残していくだけだ。こちらは創作の物語などではないただの事実だから返って面倒なわけだ。まあ、少しずつ、折々に書いておくか。普通ありそうにもないようなはなしばかりというのが一番問題ではあるのだが、事実は事実だ。

2014年4月23日水曜日

plalaブログからの転載

創作は原稿用紙に手書きで、ブログは自分が楽しめる話で

 
いろいろと考えてみて、初心に戻ることにしようと思う。人が読もうと読むまいとブログは自分が楽しめるものを書く。好きなこと、気になること、とにかく他人の思惑には乗らない、自分が面白くないものは駄目だ。

創作はゆっくり考える時間が必要だからブログとは切り離す。ただし、マリーさんに登場してもらうのは別。あれは自分で楽しんで書いているからよしとする。 あとは特に決めないで進めていく予定だ。 


※ 色々ためしてみたが、やっぱり7月になるまでは全部同じ記事をだす。かえって面倒なことがわかったので。

2014年4月22日火曜日

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うちのご近所でも最近は珍しい犬を見かける。ちょっと前までは洋犬といえばよく見るのはレトリバーとかダックスフント、シェルティ、たまに見かけるボルゾイ、ブルテリアとポインターも時々見る。犬種名はわからないがコリーの色違いのような子、そうそう、結構多いのがチワワ、そんなところだろうか。日本犬はせいぜい、しばいぬや中型種で、秋田犬はほとんど見かけない。あの子たちは力が強いから奥さんたちが住宅街を散歩させて歩くには不適切ということかもしれない。

今日見かけたのはサルーキともう一頭、小型のほっそりとした泰西名画に描かれているようなワンコで、狩犬のような形だが名前がわからない。

犬は好きだからたいていの犬種は知っているけれど、これは何だったかなあと、画像検索で「泰西名画の犬」と入れてみた結果がこれ。



これって、どこが泰西名画じゃろか?

とはいえ、猫の愛らしさとはまた別の犬独特の良さ、昔飼っていた犬の忠実さを今も忘れられない。



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あのころ君は若かった

 
あの頃の面影どのくらい残ってる?



     

2014年4月21日月曜日

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生活相談にも行ってきた




今、パソコンの方はリカバリー中で、plalaのほうはそのことでかなり腹をたてているので、原因に文句を言っているところ。あの機械ボロボロだ。これはタブレットから書いている。


しかしこちらは別の話にしておこう。今日は教会の生活相談に行ってきた。別にそれですぐに解決するような簡単な問題ではないし、とりあえず冬場の暖房費電気代のお陰で大赤字の現実に、今月と来月だけなんとかしなくてはならないので相談に行ってみた。


こちらとしても向こうの反応を見てみないと安心して動けないではないか。向こうが現実的な対応を取ってくださったのと、相談室も司祭たちもまあこれなら大丈夫そうだという反応なので、予定どうり兎に角、これから新作にとりかかってみようと思う。それしか手はないものねえ。


まだ、どこをどう手をつけていけばよいかもわからないが、テーマは決まっているから、少しずつまとめていくしかない。今回はそちらのほうは原稿用紙の手書きでいくとして、ブログのほうはあまりそちらに関係のないいつものような内容でいくことになるだろう。


手書きだと職業病の指の故障がひどくなるのもわかっているが、ネットに載せるのは今回考えていない。書き上がって表に出してからだ。まだまだ先の先だ。私が書くのは自分の祈りの中から生まれてくる物語なのだ。公園のお風呂ダヌキに始まって、どれもそうだった。今回もそういうものになる。それがわかる方々に巡りあえるとよいのだが、さてどうなることか。


とにかく千里の道も一歩からで、始めないことにはどうしようもない。

2014年4月20日日曜日

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便利には違いないんだけど

 
こんばんは~、マリーで~す。

インターネットは便利なんだけどちょっと面倒なのよね。うちのおばはんは自分のブログやSNSの関係で毎日どうでもいいゴミみたいなメールがくるのにうんざりしてるの。これでもできるだけメールの来る量が減るようにしてそれでも残る分だけでよ。ところが今日、聖歌隊の連絡網に入りませんかということで、規約を読んだら、この連絡網の運営は外部組織で、うかつに承認するとそこからのメールマガジンとか広告メールも送ってくるみたいなんですって。

うちのおばはん、くだらないメールにうんざりしちゃってるところだから、いくら聖歌隊の連絡網でもこれは入りたくないって責任者の方に断りのメールを送ってたわよ。

そりゃ、googleにしてもyahooにしても無料のサービスには裏があるのはわかっているけど、お互いにフィフティ・フィフティだと思うからかまわないと思うんじゃないの。googleさんなんか時々すごく助けてくれたりしてるのよね。だけどまったく知らない第三者の連絡網運営者がかかわったりするのはどうもうれしくないみたいよ。

今、聖歌隊の責任者の方からメールがきてその連絡網の担当者の方には伝えてくださったみたい。ああよかった。インターネットは便利だけど時々いろいろなことが起こるから、あんまり受身で信用しすぎるのもよくないのかもよ。以上、今日のはなしこれでおしまい。

ほんじゃまたね。

2014年4月18日金曜日

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これって内緒よ

 
こんばんは~、こっそり出てきたマリーで~す。

うちのおばはんたらさあ、日曜日まではあたしみたいに浮かれた調子のキャラクターは表に出せないと思っちゃってるの。なんでも今週は聖週間で昨日、今日、明日は重要な日だからあんまりふざけたりしちゃだめって思ってるのよね。あたしって、それほどふざけてないわよねえ。

しょうがないから引っ込んでたんだけど、あの人ったらさ、あんまり時間が経つと記憶があやふやになるから大事なことだけメモしておきたいって言い出して、こんな時間にあたしに手伝わせてるわけよ。ウォルト・ディズニーの約束っていう映画を見て、あの人、自分も下手だけどおはなしや物語を書く人だから、あの映画を見てすごく教えられたことがあったのよ。原稿に書かれた物語って、無から生み出されたって言うけど、本当は正確にはやっぱり、書き手がいつかどこかで経験したこと、実際に自分で見たものを土台にして言葉を紡いでいるのよね。

トラヴァースさんがメアリー・ポピンズの外見を作り出したとき、子供のころに見たおばさんの姿や持ち物がモデルになったように、これって面白いのよねえ。みんな誰でも自分の周りの物、人、出来事、いろいろなことを見ているんだけど、それを物語に描き出してみる人はそれほど多くもないし、うちのおばはんみたいにたいして表現力がなかったりするんだわ。でもその辺がわかると、物事をよく見よう、観察しようって思えるわけよ。それこそが物語を書くはじまりなんじゃないの。

あの人、材料はあるけど腕が下手だからどの程度に料理できるかわからないけど、あの映画を見てやってみよう、書いてみよう、お話を作ってみようって気持ちだけは湧いてきたみたい。まあ来週以後の話だけどね。そんなとこで今日はおしまい。ほんじゃまたね。
  ※ gooブログはこちら
        http://blog.goo.ne.jp/pearl58

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仕方がない

 

今、時間は19時50分。本来なら四ツ谷の聖歌隊席に行く予定だったのが、急な気温の変化で足腰の調子が悪すぎ。出かけるのは中止した。今日休んだから多分明日は大丈夫と思うが、典礼が長時間にわたるから下の会衆席に行くほうがいいのかもしれない。

昨日の聖木曜日のニュースとしてこんな写真がでていた。フランシスコ教皇様の洗足式司式の様子だ。




今日は聖金曜日だから、行っていれば長い長い受難の場面や十字架の儀式があるのだが、昔と違ってこちらの足は神経痛で長時間立っているのが簡単ではなくなってしまって本当に残念だ。あと明日の聖土曜日の復活徹夜祭とあさっての合同洗礼式に金祝の神父様のお祝い、暖かいといいのだけど、さてどうなることだか。

 

メモ
 
この間から気になっていること。先日ツイッターで見た言葉でおっしゃったのは瀬戸内寂聴先生らしい。

世の中の不条理、不公平を子供たちにしっかり教えなくてはいけない、という。

となるとそこには何らかの救いがなければ毒が強すぎて良くないことにもなりそう。世の中という場ではたしかに理不尽、不条理、不公平はどうも意外とたくさんあるので、どうすればよいのかわからないが、たぶん答えはこれしかなかろうというのはある。実行は簡単ではないが。

ひとつの物語の形にしてみたいと思っている。

2014年4月16日水曜日

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ラジオドラマ

 
ニコニコ動画はいつのまにかすっかり様変わりしていて、若い人たちだけのお遊びサイトのイメージから抜け出し、中高年にも面白い本格的なものになってきたようだ。

なかでもいいのはラジオドラマ、放送劇の名作がたくさん集まっていることだろうか。カセットテープの時代に集めていた放送劇が、再放送されなければもう二度と聴けないと思っていたのが、同好の士がいたおかげで、ニコニコで再び聴くことができた。実に喜ばしい。

今回確認したところでは、「ニッポニア・ニッポン」や「さらば西行」も出ている。さらば西行で、若いころの西田敏行さんの演技力に感心して、それ以来ファンになったのだ。声だけですべてを表現するラジオドラマ、放送劇は実力がもろに出る。

最近はyoutubeにも朗読も増えていて非常にうれしいことだ。タブレットにダウンロードしておいて耳で聞く図書館にしている。おめめも疲れないし便利だ。

残念なのは、十代のころに聞いて今でも覚えているような名作がNHKにも残っていないということだろうか。むかしはテープも使いまわししていて、前の放送は消えちゃったのね。惜しい。

そういえば遠藤周作先生の肉声が聞ける朗読番組もニコニコに出ていた。遠藤先生のこういう面、今の若い人は知らないらしい。あのころはほんとに面白かった。そう、遠藤周作先生のおかげでケータイのマリーさんのようなキャラクターが生まれたのだ。まじめさをユーモアにくるんで書いて見せてくださった偉い先生だった。

以上、明日も朝から出歩くので今日はここまで。gooブログはまったく別の話題「メモ」を出したのであちらも読んでくださいな。これです。






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メモ

 

今週は何かと忙しくて気分的にも落ち着かないから、簡単なメモを書いておく。たぶんいずれどこかで使うことになるだろう。

・妹の顔は誰に似ているのか

 死んだ妹は子供のころから姉の私とは顔立ちがあまり似ていなかった。古い写真をみると父の子供のころの顔に似ているところもあるが、どうも違う。大体あの子の死に顔の写真や実物を見て、姉の私より老けて見えたのには驚いた。ふだんは髪を染めたり若作りしてたのだね。

どこで妹と判断したかというと、鼻のかたちだ。あの子は女親似で、母と同じ鼻の形をこちらは幼いころから見ていたから、どこの人かと思うような白髪頭でも鼻でわかった。しかし、あまりに変わっていてなんだか信じられないようだった。

私は父親似で、メガネをはずした顔を見た親類が、まるでお父さんね、といっていたものだ。妹はでは誰に似ているのか、今回、死に顔を見てわかった。火葬の炉の中に送る前の最後の別れのときのあの子の顔は、小さいときの怒ってむくれたときのような顔に見えたけれど、その前の確認のときの顔は、どこかで見た顔だと思った。

生前よりも年をとって見える妹の顔、どこかで見た顔だった。あれからもう3ヶ月も4ヶ月もたたった今、はたとわかった。貝塚のおばあちゃんだ。母の母、母方の祖母の顔に似ていたのだ。それはそうだ、母は祖母に似ていて、妹は母に似ていたのだから、死に顔を見て、祖母の顔をそこに見出しても不思議はない。

三代にわたる母娘の命の流れが妹で途切れたのだ。もっとも私や弟も子孫を残さないとしてもDNAの流れでは父方、母方どちらにも同じ血は流れていくのだから、大局的にはさして問題はない。だが祖母から母、母から妹に伝わっていた遺伝子はそこで途切れるのか。

なんだか不思議な気分だ。

さて、明日も朝が早いので今日はこれでおしまい。plalaブログは別記事で更新してあります。

      http://pub.ne.jp/dabocao/
 
 

plalaブログからの転載

せっかく荻窪のタウンセブンの7階の100円ショップまでいったのでついでに、安くておいしいイタリア料理のサイゼリアに寄り道。ここはあまりお財布の心配がないので、売れ筋のミラノドリアとか1杯100円のグラスワイン、それにアンチョビとイカの小さなピザを注文して食べたまではよかったのだが、風邪気味で薬を飲んでいたのにグラスワインを飲んだのはまずかった。

気持ちがわるくなってトイレに行こうとしたが間に合わず、その場で全部吐いてしまったのでした。ああ、何でグラスワインなんか注文したのかと、悔やんでも手遅れ。アルコールには元来弱いのはわかっているのに、ついちょっぴり試してみようと思ったのが失敗。だけど、一杯100円のワインですよ。それほどアルコールっ気も強くないのではとか思ったのが大失敗。

吐いた後もしばらく動けず、それでうちに帰るのが遅くなってこのブログもおそくなったのでありました。以上。

2014年4月15日火曜日

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今日の一枚


夕方、四ツ谷のミサに出かけると、今度知人が聖体奉仕者に決まったことがわかった。仕事も持っているし、住まいも遠いけどと少し心配していたけれど、これは彼女にとってもよいことだと思う。とりあえず、お恵みがあるからがんばってねと言っておいた。これもひとつの新しい変化だろう。

それはとにかく、ついでに夕方のバーゲンセールを狙って買い物をしたり、寄り道をしていたので帰りが遅くなり、パソコンを開くのもすっかり遅くなってしまったので、今日は簡単にこんなもので勘弁していただきます。ごめんなさい。

ご近所で見かけた春らしい風景

       



2014年4月14日月曜日

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病院の近くのお握り屋さんが廃業か

 
こんばんは~、マリーで~す。

今日はうちのおばはん、普段みたいに朝起きるのものんびりしてないで、いやに早く置き出してたのよ。緑内障 の定期検診の日だからちょっと遠い病院に行くからって寝坊するのが心配だったみたいだけど、寝坊どころか起きる時間早すぎよ。そんでもって寒い寒いってま たお布団にもぐりこんじゃって、結局いつもとおんなじ時間に起き出して支度して出かけたわよ。

いつもと同じく御茶ノ水から駒込行きの都バ スにのって、いつものところで降りてさ、春だなあとかいって周りの景色を眺めて歩いてたら、時々お昼用にお握りを買っていた小さなお店が『店主高齢のた め・・・』廃業のお知らせが出ていてびっくりよ。何年も見てきたお店がなくなっちゃうなんて考えてもいなかったのよね。病院に通う通りだからお客さんも一 定していて、味もおいしい、いいお店だったけど無くなっちゃうんだわ、残念。

待ち時間の間にあの人、先週電話した生活相談のところにもま た電話して、今度は時間の予約してたけどどうなるんだか、あたしにはまるでわかんないわ。天気もいいしあの人、暖かいと体調もいいから機嫌もよくて心配事 もどこへやらよ。いつもの何とかなるさって調子に戻っちゃってるから、それなりになんとかなるんじゃないのかな。

診察が終わってお薬もで て、今日はそのまま四ツ谷に出て、ついさっきまで四ツ谷にいたの。今度新しく来た神父様の講座、夜の部だともう一度夕方出直しになるからって、午後の部に 出てたのよ。内容は同じだから都合のいいほうに出ることにしたわけ。今日は時間つぶしに土手の上でお昼にあのお握り屋さんのお握りを食べたり、聖三木図書 館で本を読んだりして、講座がはじまるまで待ったの。

夜の部も昼の部も何十年も前の知り合いに久しぶりに会えたし、やっぱりなつかしかっ たみたいよ。やっぱり、なんだかんだといっても可能な限りは聖書の集いや、各講座、聖歌隊、信者仲間と一緒に行動しているほうが、いろいろな面であの人に もいいんだと思うな。霜山徳爾先生の言葉じゃないけど、人間は人間からはぐれちゃいけないのよ。周りの人が何を言おうと、何を思おうとそれは向うの問題な んだわさ。

体調は問題だけどこれからは暖かくなる季節だしさ、なるべく動かなくちゃ。問題は先立つものだって? まあ、必要ならなんとかなるんじゃないのかしら?

とにかく今週は教会の一番大きな行事の続く時みたいだから、出られる時は出たほうが気分も変わるし、いいと思うのよねえ。声が出なきゃ下の席でもいいじゃん。祈りに心を向けるにも、まずはやっぱり中に入っていかなくちゃ。行動しなくちゃ。

今日の話はこんなとこかな。ほんじゃまたね。



2014年4月13日日曜日

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マリア様

 
カトリック教会に行くと、必ずさまざまなお姿のマリア様のご像やご絵に出会うはずだ。ついでに言うと、ご像とかご絵、おメダイとか日本のカトリック教会に は独特の用語もあって、初めて聞いたときは何のことかよくわからなかったのを思い出す。聖像、聖画、メダイヨンなどを丁寧に呼ぼうとしてこんな言葉が生ま れたのだろう。

それはとにかく、マリア様だが、フランシスコ・ザビエルがキリスト教を日本人に伝えた時以来、マリア様のお名前やお姿のイ メージはキリスト教禁制の時代にもひそかに伝えられ続けて、現代でも信者でもなんでもない方々でもマリア様といえばたいていすぐに何らかのイメージがわい てくるわけだ。こういっている私自身、子供のころからさまざまな形でキリスト教のことを教わり、キリスト教とマリア様は切っても切れないイメージだったの が、教会に行ってみようと思ったころ、一番近かったカトリック市川教会が当時はどうもいくら電話しても誰も出ないような状態だったので、最初に行ったのは プロテスタントの教会になってしまった。

でもそこで、よい方々に出会いキリスト教の基本的なところはすべてそこで教わったのだった。その 教会に当時高校の先生だった大先輩の信者の方がいて、あるとき何気なくその方に、聖書の中で一番すばらしい女性は誰か質問したところ、即『マリアよ』とい う答えが返ってきて、その教会は堅く聖書の信仰に立った教会で、マリア様のことなど一切出てこない教会だったので、内心びっくりしたことを覚えている。

そ れ以来、どうして先輩はマリアが一番すばらしいといったのかと一生懸命ずっと考えていたところ、あるときはたとマリア様の『私は主のはしためです。仰せの ようになりますように』というあの言葉に行き着いて、急にマリア様の生き方の姿勢が見え始めて、先輩の言いたかったことの意味もわかり、それから少しずつ カトリック教会に心が傾き、いろいろあって結局カトリックに改宗したのだった。先輩のほうは今はプロテスタントの女性伝道者にして牧師夫人として浦和で活 躍されておいでだ。

カトリックになってもう何十年も経ち、ずいぶんいろいろ、ごたごたも起こっているが、プロテスタントのほうの友人知人 の信仰の模範を見習って何とかこちらで持ちこたえてきたといったらまずいだろうか。でも本当なのだ。こちらではなぜか信じられないようなごたごたばかり起 こってくるのだが、私はいつか向こうで友人知人たちとまた一緒になりたいと心から思っているので、それまでこの世ではこちらで理解されなくてもがんばるつ もりなのだ。これは本音だが、ではなぜプロテスタントに戻らないかというと、信仰の内容自体はこちらのほうが正しいように思うからだ。

マリアさまもご聖体も信じているからだ。人間的な問題だらけでもローマのパパ様の指導を信じるからだ。その全体を導いている聖霊を信じているからだ。

と いうわけで、マリア様に戻るが、信者だったらたいてい誰でもマリア様のお姿に自分なりのイメージを持っているのだと思う。私の場合、どうも東方教会のイコ ンのマリア様のお姿がいちばんピンとくる。甘ったるいマリアさまなどまっぴらだ。しっかりと威厳と気品とやさしさの調和したお姿のマリア様のイメージをさ がすと、ウラジミールの聖母とか、レデンプトール会のあの、絶えざる御助けの聖母にたどり着く。他の人はまたそれぞれだろうが、私はこのお姿が特に好き だ。他にも自分のミニ祭壇にはあれこれ飾ってあるくらいだから絶対などと生意気なことは言わない。カルメル山の聖母もファティマの聖母もいっしょだ。大事 なのはマリア様のあのお言葉なのだと思う。人間が見習わなくてはいけないのはあれしかないのだと思う。『われは主のはしためなり、仰せのごとくわれになれ かし』あの姿勢だ。


2014年4月12日土曜日

plalaブログからの転載

本日テレビでは相棒まつりなので

 
久しぶりに相棒の話題です。

4月26日の相棒劇場版Ⅲの公開を前に、今週は土曜日の今日はお昼から4時間の相棒祭り。主に、ついてない女で登場した月本幸子のその後が中心です。幸子さん、今は花の里の女将ですけどその前はいったいどんなことがあったのか、ご存じの方もご存じでない方もあらためてご覧になってみると面白いと思います。

そして今日はdビデオの相棒劇場版Ⅲ序章の第3回もありますし、明日、日曜夜は、日曜洋画劇場で、相棒劇場版Ⅰが再び戻ってきます。

相棒漬けですが、これらを見ながら劇場版Ⅲの公開を待ちましょうというわけですね。うーむ、待ち遠しい!!


   

gooブログのこと

 
plalaのブログサービスの終了も次第に近づいてきて、早めにgooブログのほうも開始してみたわけだが、簡単にあちらの感想をいうと、思っていたよりはるかに簡単で使いやすいブログなのにビックリしました。パソコンだけでなくタブレットからも簡単に書けます。修正も簡単です。

こちらと違うのはアクセス数はその場ですぐにはわかりません。集計が出るのは翌日になります。その代わり、全体の閲覧数と、実際に見に来た人数と両方出ます。写真も簡単にアップできます。

予想以上に使いやすいブログで、慣れてしまえばあとは簡単に使いこなせます。以上、簡単な感想でした。



2014年4月11日金曜日

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井の頭公園を歩きながら考えた

 
こんばんは~、マリーで~す。

今日はうちのおばはん、教会の帰りに井の頭公園をぐるぐる歩き回って、残りの桜や、池のボートを眺めてしみ じみと春だなあって思ったみたいよ。あの人もずっと、悲しいことをあんまり考えないように、思い出さないように、なるべく忙しく動き回ったりしてたけど、 なんか風邪とアレルギーでなかなか咳は止まらないし、暖かくなってきても足腰はあんまり調子よくない市で、いやでも少しおとなしくするしかないもんだか ら、やっぱり妹の死のことに考えがいっちゃうし、悲しみがわきあがってきて止まらないのよね。

こればっかりはさあ、他のひとたちにはどう しても通り一遍にしか伝わらない部分だし、ちっちゃいころの妹のことをよくおぼえているのはもう自分しかいないのも悲しいのよね。あの子、ちっちゃいとき から家の前のどぶに落ちて流されかけたり、汲み取り式だったトイレに落ちちゃったりよく水難にあってたけど、結局最後も水で死んでしまったって嘆いてる の。

もうあのころの家も跡形もないし、お父さんもお母さんもとっくにいないし、貝塚のお墓に行っても墓石に日が当たって風が吹いてるだけ なのよね。うちのおばはんも変なところで頑張り屋だけど、さすがにこの状況は考えると泣けちゃうみたいよ。でもさあ、泣くのを我慢してるともっとだめなん だと思うのよね。あの人、一度思いっきり泣かないと先に進めないんだと思うのよ。

さっきあの人、ツイッターを見てたら誰かが瀬戸内寂聴さんのことばを載せてたの。こんな言葉よ、『世の中の不平等さや理不尽さを、しっかりと子供たちに伝えることが大切です。  瀬戸内寂聴(天台宗の尼僧)』

あの人、カトリック信者だけど、人間の深みについては日本人だからか仏教の感覚のほうがぴんとくるって感 じるみたいよ。日本的な浅いキリスト教じゃどうしようもない問題もあるじゃないの。ただ簡単に神は愛だって言ってるだけじゃなくて、現実の人間社会の諸問 題の背後の深みを語れないではどうしてキリスト教が日本人の心にはいってくるのよねえ。きれいごとのキリスト教じゃ救われないと思っちゃうけど、こんなこ と言ったら怒られちゃうかな。

うちのおばはんの死んだお父さんは、お坊さんの子だったそうだけどこういう寂聴さんの言葉みたいなことはぜ んぜん子供に教えなかったのよ。多分それであの人、やたらに人を信じすぎて失敗したりしてるのかもしれないわ。現実の人間の社会はどうもあの人が教わって きたのとは違うんだわさ。もうあの年じゃ軌道修正は難しいから死ぬまでこんなもので終わりそうだけど、それでもこの言葉も改めて心に留めながらいくしかな いのよね。お人よしの面と、多少考える面と両方ないと、これから書きたい新しい物語は生まれないと思うのよねえ。

まあ、今日はこんなところまででやめとくわね。また続きはあの人の心の中でそのうちにまとまっていくんじゃないかしら。こればっかりはあたしだって手伝えない、うちのおばはん自身の仕事なんだわさ。てなことで今日はおしまい。ほんじゃまたね。




2014年4月10日木曜日

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本日休業

 
こんばんは~、マリーで~す。

今日はうちのおばはんがお家に帰ってきたら、なんかへたばっちゃってて、今日はもうだめって言ってるのよねえ。昨日から調子よくなかった上に、今日は忙しかったんだわさ。ほんなわけで悪いけど、今日はこのブログもお休みよ。ごめんなさいね。 ほんじゃまたね。


 おまけ
         





2014年4月9日水曜日

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来週は聖週間

 
こんにちは~、あれっ、こんばんは~かしら、マリーで~す。

春になって、夕方もなかなか暗くならない季節になってきたから、なんだかご挨 拶の言葉に迷っちゃうわよ。ちょっと前まではこの時間だったら暗くなってたのにねえ、まだこんなに明るいんだもんね。だけど今日はうちのおばはんがなんか また風邪気味みたいなの。夕方になってきたら頭が痛いし、熱があると痛み出す歯も痛いから、明日はまた出かける日だし早く寝ないと治らないからって、また あたしに手伝えって声をかけてきたのよ。まったく調子がいいったらないんだからもう。

まあ、来週いっぱい過ぎるまでは何かと忙しいから しょうがないけどさあ。あしたも午後から整形外科のお薬をもらいに行って、夜は聖書の集いだ、ですって。いいけど、また風邪がひどくなってかんじんの聖週 間寝込んだりしないでよね。うちのおばはんときたら、気持ちだけはいくつになっても若いころとあまり変わらないけど、体力がやっぱりどうも問題なのにさ あ、すぐに忘れちゃって失敗するのよ。どうしようもないわ。

明日の聖書のつどいの福音も、イエス様が捕らえられて十字架につけられる受難の場面なのね。あの人、ここを読んだら、急にマタイ受難曲が聞きたくなって、全部だと長すぎるから、youtubeで適当にお気に入りのところを聞いてたのよね。

       https://www.youtube.com/watch?v=pf4UNJqv_-Ahttps://www.youtube.com/watch?v=pf4UNJqv_-A

音 楽って、宗教の一番深いところにあるものをズバリと表現して見せるんだもの、あの人もこれを聞くと余計なことはもう、何にもいえないっていってたわ。ただ さあ、youtubeでマタイ受難曲を探すときは日本語じゃなくて英語のスペルで打ち込まないと、大阪弁のマタイ受難曲とか、なんか、変なしらけちゃうの が出てくるみたいよ。

まあ、とにかく来週はさあ、枝の主日(受難の主日)に始まって、聖木曜日は午前中、カテドラルで聖香油のミサがある し、夜は聖木曜日、聖金曜日、聖土曜日と、どこの教会でも大きなミサや典礼が続くんだわさ。でも東方教会のニコライ堂みたいにずっと立ちっぱなしじゃない からまだいいんじゃないの。

でもって土曜日の復活徹夜祭に続いてイースターの日曜日よ。もし、キリスト教に興味があったらこの時期に教会に行ってみるとクリスマスより静かだけど心に響く大きな行事がいろいろ見られるわよ。よかったら行ってみてね。

あの人を早く寝かさなきゃなんないから今日はこんなところでおしまいだわさ。ほんじゃまたね。



     
   

2014年4月8日火曜日

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2014.4.8

よくできているなあ

ケーキそっくりさん

     

ダイオウイカさん

     
ホビーの楽しみを思い出させてくれるような作品だ。

メモーフェイスブックに書いた

2014年4月8日、火曜日の朝。昨日、四ツ谷の新しい講座に行って昔の知り合いの司祭の話を聞いて、なぜか気持ちがかたまった。本気で動くぞ。

残念ながら主任司祭は何度連絡をとろうとしてもこたえてくださらないのだけど、
今は本気で動き出さないと私のこの先の生活がどうにもなりません。

あのチェルノブイリの事故のあった年以来、まさかこんなに長い年月放っておかれるとは思わず、イエズス会の当時の関係者を信じてずっと待っていたのですが、こちらも今年はすでに65になろうとしていますし、関係者がどんどん亡くなっています。

もはや真実をどうこういっているより、こちらの現実の生活が追い詰められています。これまで一生懸命書いた原稿も横取りされて消えてしまったり、お金も親類に横取りされてこちらには一銭も入っていません。

現実に食べていくお金がないのですけどいったいどこに相談したらよいのでしょうか?イエズス会も、今の大司教様も全然事の経緯をご存じでないし、まだ誰かさんが生きているうちは私も黙っていておきますが、本当に生活ができないのですけど、お金の相談てどこに行ったらよいのでしょうか。

長年、いろいろ書いてみて、やんごとない方のお目にのぼった原稿も何点もあったのに、ある亡くなった方がずっと足をひっぱっておいでだったので、こちらもくたびれて書くのをやめてしまったのです。自分にできることは書くことぐらいですけど、お金にならないは、悪いうわさばかりながされるはでは、当人は生活ができないのですけど、このままでは本当にどうにもならない状況なのです。

ちょっとは助けてください。相談できそうなところを教えてください!! 

話の続き)

つい今しがた、四ツ谷の教会に電話して問い合わせたところ、生活相談は以前にもちょっとお話に伺ったBr.吉羽さん担当のところしかないらしい。週一で決まっている日に電話予約してということだった。

イエズス会のはそれしかないらしいので、来週の定時の日に電話を入れてみることにする。こちらは足元の支えをいただければ、あとはまた原稿書きに戻って、それしか能のないお話つくりをする。これまでは人に利用されて自分にはぜんぜん戻ってこなかったけれど、利用するだけの価値はあったわけだから、自分の能力をもう一度試してみる。

この年でなければ見えてこないもの、書けないものがあるはずなので、それを書いてみるというのはどうだろう。とにかくやってみるしかない。動きがとれなすぎる生活ではそれさえできないのだけど。

体重の減量が必要なくらいだから、1ヶ月や2ヶ月は水だけ飲んでも大丈夫。ただそれをやると白髪が増え、骨密度が下がって骨折しやすくなるからやらないだけ。いざとなればそれで残ったお金で布団や冷蔵庫やテレビの買い替えをするのだろうな。このままいけばほかに手がないのだから。

余裕がないというのはそういうことなのだ。

こういう事情はよその教会や修道会、在世会は何も知らないから、ただ胡散臭がられ受け入れられなくなるばかりというのが情けない。

おまけ)
まあ、いいか。猪突猛進あとで考えるでもなんでも動いてみるしかないもの。


でもでも、何とかしないと日本国内だけではもっとどうにもならないじゃないか。こちらの本当の状況伝える努力はしないと。


フランシスコ教皇様のツイッターの返信に、いくら日本語でこちらの話をもぐりこませてもどうせ届くわけないなあ。やってみたけど、始めからあきらめ。



2014年4月7日月曜日

plalaブログからの転載


春が実感できるとき


こんにちは~、マリーで~す。

うちのおばはん、今夜はちょっと帰りが遅くなるかもしれないから今のうちにちょっと手伝えっていうのよ。も う、このところ、あの人のブログの引越しやら、gooの3箇所のブログの整理やら、あたしまでひっぱりだされてもう大変なのよ。7月になってこの plalaのブログが終わるまではあっちもこっちも面倒な作業ばっかりだわさ。

でもまあ、しょうがないか。こんなことっていつもあること じゃないしさ、あと2、3ヶ月だけちょっとつきあってよね。それはとにかく、なんともう今度の日曜日は教会では「枝の主日」よ。あの人、ここ数週間咳が止 まらなくて聖歌隊もずっと休んじゃってたけど、いつのまにか来週は聖週間なのよね。咳止めをのんでも声が出ないから歌えないかもね。

今年 はあの人、1年の出だしからして妹のお葬式だとか、なんとも低調な始まりで、あんまり元気ないんだけど、それでもお外を歩けば今年も桜は見事に満開だった しさ、そう悪いことばっかりじゃないわよ。「照る日、曇る日、いろいろさ、それが人生、これが人生」って、やなせたかし先生の壁掛けの言葉にもあるじゃな いの。

だから今日は久しぶりに教会の講座にも行ってみようかなって思ってるみたいなのよ。何年も行かなくなっちゃってるけど、今度は ちょっと様子を見に行ってもいいかなって思ってるみたい。はるか大昔、まだ神学生だったころに知っていた方が今度司祭としてやってきたのよね。どんな話を するか、とりあえず様子を見に行こうって感じよ。

だから、昼間のうちにあたしにこれを手伝えっていうわけよ。たださあ、あの教会に来る と、どんなによい方でも、変質しちゃってどうもだめになっちゃったりするのがちょっと心配みたいよ。なんというかあれよ、あれ、スターウォーズの良き人が ダークサイドに落ちるようなことは現実の世界でもよくあることなのよね。まあ、当人の素質の問題だからとやかく心配しても仕方ないわよ。せいぜい、あちら の方のためにお祈りするしかないのよね。

とにかく、うちのおばはん自身にとっても動き始めて、何かの出発点になればなおいいと思うんだけど、さてどうなんでしょうか、乞う、ご期待って言っていいのかな??

2014年4月6日日曜日

plalaブログからの転載

2014.4.6

うぇー、まじい味

ビールの苦さには猫の子も人間の子とおなじような顔になるのが面白い。       

季節はずれの虫干しといったところか

plalaのブログサービスの終了が近づいて、あと3ヶ月もないので、早めにgooブログに移動開始したわけだが、実はgooには意外と長いお付き合いがあって、日記的なブログというより、手書きで書いた原稿の保存に困って、gooブログにいくつか入れてあるのだった。今もそれを読みに来る方々がいるから、plalaでの相棒ブログのような大ヒットもしない代わりに、細く長く途切れもせずに読まれている。

その系譜はplalaのほうでも信仰の話題、キリスト教関連の話題には受け継がれているから、完全にgooがメインになってもたぶん状況は似たようなものになりそうだ。本当はジャンル別に分けるとわかりやすいのかもしれないが、相棒や、NHKの連ドラ以外は自分にとっては日常生活の範囲なので、あまり分けたくないのだ。

で、とにかくgooブログの3箇所のブログを再点検し、どこに何を入れてあるのか見直して自分でちょっと驚いた。記憶違いも結構ある。創作はほとんどacsicnarfだと思っていたら、実は公園のお風呂ダヌキが一番後回しになっていて、riekoikoに入れてあったのは、われながらびっくりだ。どうしてこうなったのか思い出せない。pearl58は、6年前に作って、そのままあまり使わずに、plalaを使い始め、ずっと今日まで放っておいた場所で、だからここを引越し先にした。

acsicnarfとriekoikoには案外大量の創作が入っていて、これがまた順番がわかりにくく読みにくい。書いた当人がそう思うのだから本当だ。少しでもわかりやすくなるようにこの二つも有料ブログに切り替えたほうが良いのかもしれないと思案中だ。そうすると、1ヶ月600円くらいか、今や非常に財政状況が厳しいから、見られないbsの代金は払いたくないのだけど、ジェイコムがどう答えるか?なんかおかしなことになっていて困っている。bs分がこちらにまわせると、3箇所とも有料ブログにできる。明日担当者に電話してみよう。

古い記事を関係者がもうちょっとちゃんと読んでくれていたらと、悔しくなってくるのも本当だ。亡くなった誰かさんのようにひとの足を引っ張って、浮かび上がれないように細工し、自分の都合ばかり考える人物が上に立っていたのだから仕方がない。今も状況はおなじようなものだ。言っても仕方のないことか。でも、死んでしまった妹よ、それでもおねえちゃんは、自分に与えられた状況を受け止めて精一杯生きてるんだよ。妹よ、おねえちゃんは人生をなげたりはしないんだよ、おまえ。不思議なのさ、そんなひどい人も権威や権力にかかわる前は本当に立派だったのもおぼえている。まったく、お金や肩書き、権力は人間を腐らせる見本だね。

でもまあいい。私にとって子供のときからの最大の問題は終わりのないものがほしいということだったのだ。そして恐ろしいことにあの人物にとっても本来はそれが問題でその道を選んだはずなのに、やっぱりこの世の成功とかお金、名誉なんてものが目の前に置かれるとだめになるのだろう。だったら、一生、こんな状況でもそのほうがいいのかもしれないと思う。

神様がこうなさるならそれは一番良いことだからこうなってるのだと思うのだ。とにかくそんなことも書き散らしながら何とか生きていければそれ以上は望まない。

以上、古いブログと自分のこころの季節はずれの虫干しだ。

plalaブログからの転載

2014.4.6

うぇー、まじい味

 
ビールの苦さには猫の子も人間の子とおなじような顔になるのが面白い。       

   

 

季節はずれの虫干しといったところか

 
plalaのブログサービスの終了が近づいて、あと3ヶ月もないので、早めにgooブログに移動開始したわけだが、実はgooには意外と長いお付き合いがあって、日記的なブログというより、手書きで書いた原稿の保存に困って、gooブログにいくつか入れてあるのだった。今もそれを読みに来る方々がいるから、plalaでの相棒ブログのような大ヒットもしない代わりに、細く長く途切れもせずに読まれている。

その系譜はplalaのほうでも信仰の話題、キリスト教関連の話題には受け継がれているから、完全にgooがメインになってもたぶん状況は似たようなものになりそうだ。本当はジャンル別に分けるとわかりやすいのかもしれないが、相棒や、NHKの連ドラ以外は自分にとっては日常生活の範囲なので、あまり分けたくないのだ。

で、とにかくgooブログの3箇所のブログを再点検し、どこに何を入れてあるのか見直して自分でちょっと驚いた。記憶違いも結構ある。創作はほとんどacsicnarfだと思っていたら、実は公園のお風呂ダヌキが一番後回しになっていて、riekoikoに入れてあったのは、われながらびっくりだ。どうしてこうなったのか思い出せない。pearl58は、6年前に作って、そのままあまり使わずに、plalaを使い始め、ずっと今日まで放っておいた場所で、だからここを引越し先にした。

acsicnarfとriekoikoには案外大量の創作が入っていて、これがまた順番がわかりにくく読みにくい。書いた当人がそう思うのだから本当だ。少しでもわかりやすくなるようにこの二つも有料ブログに切り替えたほうが良いのかもしれないと思案中だ。そうすると、1ヶ月600円くらいか、今や非常に財政状況が厳しいから、見られないbsの代金は払いたくないのだけど、ジェイコムがどう答えるか?なんかおかしなことになっていて困っている。bs分がこちらにまわせると、3箇所とも有料ブログにできる。明日担当者に電話してみよう。

古い記事を関係者がもうちょっとちゃんと読んでくれていたらと、悔しくなってくるのも本当だ。亡くなった誰かさんのようにひとの足を引っ張って、浮かび上がれないように細工し、自分の都合ばかり考える人物が上に立っていたのだから仕方がない。今も状況はおなじようなものだ。言っても仕方のないことか。でも、死んでしまった妹よ、それでもおねえちゃんは、自分に与えられた状況を受け止めて精一杯生きてるんだよ。妹よ、おねえちゃんは人生をなげたりはしないんだよ、おまえ。不思議なのさ、そんなひどい人も権威や権力にかかわる前は本当に立派だったのもおぼえている。まったく、お金や肩書き、権力は人間を腐らせる見本だね。

でもまあいい。私にとって子供のときからの最大の問題は終わりのないものがほしいということだったのだ。そして恐ろしいことにあの人物にとっても本来はそれが問題でその道を選んだはずなのに、やっぱりこの世の成功とかお金、名誉なんてものが目の前に置かれるとだめになるのだろう。だったら、一生、こんな状況でもそのほうがいいのかもしれないと思う。

神様がこうなさるならそれは一番良いことだからこうなってるのだと思うのだ。とにかくそんなことも書き散らしながら何とか生きていければそれ以上は望まない。

以上、古いブログと自分のこころの季節はずれの虫干しだ。

2014年4月5日土曜日

plalaブログからの転載

2014.4.5

訃報

今朝、明け方ふと目が覚めて、枕もとのタブレットを開くと、ニュースに蟹江敬三さんの訃報が出ていた。あまちゃんでお元気な姿を見せていたのはついこの間のことなのに、非常に残念だ。
数年前、相棒シリーズで蟹江さんの出演した「殺しのカクテル」を見ていい俳優さんだなと思ったのが記憶に残っている。だから、あまちゃんに登場したときはとてもうれしかったのだが、まだまだこれからというのにまったく惜しい。
以前、tumblrにはべつの写真が出ていたが、今探してみつかったのはこの写真だ。
    

立派な俳優人生だったとおもう。
 
gooぶろぐ「あとで考える」はこちらです。ここと同じものプラスgooをつかうようになっての簡単な感想をかいてあります。
    http://blog.goo.ne.jp/pearl58/e/a50000b3a993143e1c8b833c720dfd04




2014.4.4

あれ?

なんか、おなじみの顔       

2014年4月4日金曜日

GRAVITY - Exclusive Alternate Scene (Redefines Entire Movie)


gooブログ あとで考えるからの転載

花子とアン

 
おっはようございま~す、マリーで~す。

うちのおばはん、今日は吉祥寺の十字架の道行きと昼ミサに行くからって朝からはりきって起きたのはいいけど、掃除も洗濯もおわってないのにテレビを見始めちゃってさあ、ほんの昨日、おとといまでは見る気がしないとかって言ってたNHKの新しい朝のドラマの「花子とアン」を一生懸命見てんのよ。

うちのおばはんの世代でもキリスト教の教会が身近に建ったのは中学、いや高校のころだったかしらねえ。あの人のとこ、一番近い大きい町ったって下総中山で、お寺さんばっかりだったし、若宮の家のあった辺りは今と違って畑と田んぼばっかり、若宮小学校のすぐ近くには小さな牧場があって牛やヤギがいたような時代よ。キリスト教を一番初めに伝えてくれたのはラジオと本だったんじゃないかしら。

花子とアンの花子が、本が大好きというのはあの人にもすごく良くわかる気持ちみたいよ。うちのおばはんの場合は、おとうさんが本が好きな人だったから子供にも早くからたくさんの本を読ませたのよね。本の部屋、図書館みたいな部屋に住みたいっていうのはうちのおばはんの夢でもあったのよねえ。本が大好きな花子の姿に、境遇は違うけど子供時代の自分の姿が重なって見えたのかもね。

テレビの画面の絵がねえ、田舎の話なのに緑の景色もなくて、茶色っぽい汚い色ばかりなのは気に入らないけど、ストーリーに引きずり込まれてしまったから、また毎朝とか再放送できちんと見ちゃうんじゃないの、あの人。

村岡花子先生の子供時代、ほんとにあんなくすんだ色彩の中にいたとは思えないんだけどなあ、大自然の風景の中にいなくてはあんな見事な翻訳は生まれてこなかったんじゃないかって思うんだけどさ、NHKさん、その辺はどう考えてるのかなあ。田舎時代と都会に行ってからのコントラストを狙ってるのかもしれないけど、これはあんまりすきじゃないなあって、これはうちのおばはんの説よ。

とにかくまた明日が待ち遠しいってのはいいことだわさ。だって、ほんというと村岡花子先生はうちのおばはんが昔から尊敬していたかただったのよねえ。だから始まりは茶色や黄色っぽい画面の色彩が気に入らなくてもつい見始めちゃったみたいよ。とにかく話の展開が楽しみになってきたからいいんじゃないの。

てなことでこのはなしはここまで。ほんじゃまたね。



2014年4月3日木曜日

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久しぶりに聖書の集い

2014-04-03 22:10:05 | Weblog
諸事情により休んでいた木曜日の聖書の集いに久しぶりに出かけ、ついさっき帰ってきた。場所は四ツ谷だから、夕方のミサに与かってそのあと行けばちょうど良い時間だ。指導者の司教様をはじめ、いつも会場を整えてくださっている方やメンバーの皆様の顔もひさしぶりだった。

今日の聖書の箇所はいつものように今度の主日の福音の箇所で、ヨハネによる福音の11章。ただし、ミサのときとは違い、聖書の集いだから1節から45節まで通してだ。全部通して読むと場面の把握も意味の読み取りも深まらざるをえない。

私にとってはこの箇所でいつも心に深く残るのは、イエス様のおことば「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」という箇所だ。

はるか昔々小学校1年生のとき、母方の祖父が急死して、あれこそは生まれて初めて人間はだれでもいつかは死んでしまうことを知ったときだったのだ。それ以 来子供心にも終わらないものがほしい、永遠に続くものがほしいと思い始めて、中学生のときこの聖書の言葉に出会い、それまでもキリスト教やイエス様は知っ ていたのが、これがきっかけでそれは切実な自分の欲求に変わり、高三で卒業間際のときに母を亡くしたのを機会に教会に行き始め、当時はプロテスタントだっ たが受洗し、信者の生活を始めたのだった。

自分にとっては本当に重要な福音のことばなのだ。今日行ってもうひとつ良かったのは、ある方の話をきいていて、妹の死のことも、あの子はあの時、一種の病 気だったのだなあと見えてきたこと。何故と問いかけつづけても答えがでないのは、病気がさせたことだったからかもしれないと思えるようになってきたこと だった。その先は神様にお任せするしかないことなのだろうと思う。

そんなわけで帰宅しこれを書いているが、明日は今度はまた吉祥寺のほうの十字架の道行きに行くつもりだ。だって四ツ谷は夕方のミサのあとだから連日帰りは遅くなるし、土曜日は夕方のミサの聖歌隊の予定だからちょっとここは昼間の吉祥寺にいったほうがよさそうではないか。



2014年4月2日水曜日

plalaの押入れからの転載

こんなこと

 
どうも見る気になれなかったNHKの新しい朝の連続ドラマ、花子とアン、ついチャンネルを合わせてしまった。どこがいやだったかといえば、絵が汚い。時代背景、実際の状況を考えればこうなるのは当たり前だが、朝から見たいような絵ではないと思っていた。

今 日はそれでも汚れた顔の子供のけなげな姿を見ていると、年老いた継母のことを思い出してしまった。今、88歳のこの人が新潟と長野の境の山奥の村から東京 に出てきたころの話を思い出したのだ。あの人も、あの人のなくなった弟も山村で生まれ育って跡継ぎの弟以外の姉妹はみんな外に出て働くしかなかった時代 に、あの人は若くして東京に出てきてそれでもよいお店で働くことができたから、ずっと新潟の家族のために支援して、結局結婚が遅くなって、うちの父に出 会って、できの悪い子供の私たちとの縁ができたわけだ。

まったく申し訳ない話だ。思い通りにはならない人生、テレビの連続ドラマになるの は成功した方の物語だが、世の中の大半は平々凡々の人生だったり、下積みのままの一生だったり、決して思い描いていたようにはいっていないはずだ。それに はいったいどういう意味があるのだろう。

どうもやっぱり、それを考えるには人間を超えた大きな存在を思わないと解決しない事柄だと思う。 成功した人生が実は他の人を踏みにじった成果だったり、失敗した人生が実は他の視点から見ればその人の成長のために必要なことだったのかもしれない、この 世だけで見てはわからない部分があるのだ。それを信じることができるかどうかがまたひとつの試しなのだろう。

最終的にはこれは神仏の存在を信じられるかどうかにかかってくる問題だろう。信じていても慢心して失敗する人生もある。人間の一生は死ぬまで一種のテスト期間のようなもののような気がするのだ。

2014年4月1日火曜日

新メインブログからの転載

あたらしい場所でこんにちは、お久しぶりのマリーさんで~す

2014-04-01 16:44:01 | Weblog
こんにちは~、ご無沙汰さんのマリーで~す。

あたし、ほかの場所のgooぶろぐには前にも時々顔を出してたから、もしかしたら覚えてる人もいるかもしれないわ。うちのおばはん、今回はplalaのブ ログサービスが終わりになるからってまたこっちに戻ってくることにしたのよね。あの人さあ、久しぶりのgooブログでかなりとまどってるみたいなのよ。

あの人のパソコンて、むかしからIEとファイアフォックスが勢力争いしてるもんだから、今回もplalaの何年も書いてきたファイル、インポートとダウン ロードまではできたけど、エクスポートさせてもらえなくなっちゃってるのよね。まあまだ6月まで時間があるから、昔の記録で本当に残しておかなくちゃいけ ないのだけ、ここじゃない物置用になってるほうのgooブログにコピペで移しておくから別にかまわないけどね。でもさ、お正月に死んじゃった妹との記録と かはほかの人にはあんまり関係ないけどあの人には大事なのよね、まったくIEもファイアフォックスもひどいわ。機械を使う側のことも考えてほしいもんだわ さ。

今日は四月の一日、なんでここだけ漢数字になるんだって? そりゃやっぱり1日じゃ、なんか気分が出ないじゃないよ。うちのおばはん、このところ風邪とア レルギーが重なって咳止めなしにはどうにもならないんだけど、四月って言葉を聴いただけでなんか体調が良くなってくるような気がするんですってよ。春だも んね。

今日はこれからまだ夕食の支度とかもしなくちゃならないし、この辺で終わりにするけど、こっちでもまたplalaの時みたいになかよくしてね。ほんじゃ、またね。

まったく困ったものだ!

参った、参った。朝からplalaの押入れのこれまでの分をgooブログのほうに移す作業にとりかかったのに、インポート、ダウンロードまでいって、ファイルは出来上がっているのに、IEとファイアフォックスの綱引きが始まって、どちらにもエクスポートできない。させてくれない状況。

どうしてもだめだったらファイルはそのままドロップボックスにでもいれておいて、今後はgooブログで新規まき直し、一から始めるつもりでいくかな。まったくもう、迷惑な話だ!!

いずれにしても、ここは6月いっぱいで消滅するわけで、それなら早めにgooのほうに移転して新規開業といこうかと思う。

今度のブログはもう何年も昔に場所だけ確保して、そのままあまり使っていなかったgooブログだ。6月すぎるとgooメールの有料版も申し込み開始なのだが、とりあえずブログだけ有料版で申し込んでみるかまだ迷っている。とりあえずURLはこれ。タイトルは「あとで考える」。先に突っ走った後でやっと考え始めるいつものパターンそのままをタイトルにしたもの。

    http://blog.goo.ne.jp/pearl58