2013年5月31日金曜日

子供の貧困て何だろか (他のブログからの転載)

こんにちは~、マリーで~す。

昨日はうちのおばはんが、朝からどうしようもなくなっちゃったパソコンのリカバリーを始めて、一日がかりだったからブログも大幅に手抜きだし、ほんと、何にも出来なかったのよ。ここしばらく誤魔化し、誤魔化しでなるべくリカバリーしたくなかったらしいんだけど、とうとうIEとファイアフォックスがまたぶつかり合いを始めて手に負えなくなっちゃったのよね。

おかげで今度はファイアフォックスをはずして、グーグルクロムに入れ替えてみて、やっぱりファイアフォックスのほうがよかったってぶつくさ言ってるわよ。タブレットを使いこなすのにパソコンと同期させての使いやすさで、パソコン側にもIE以外のブラウザを入れてるんだけど、一番簡単なオペラだけじゃグーグルの関連のところで弾かれちゃうのよね。まったく余計な手間ばかりかかるんだわさ。

それはとにかく、おかげでリカバリーの後のセットのやり直しで今までと違うものを見たり、取り込んだりしたのよね。あの人、食わず嫌いで今までは名前を見ただけでこんなの駄目って決め付けて見たこともなかった、ドリアン助川さんという人が実物は大変な才人なのを発見して見直しちゃったり、今まで気にもとめなかった子供の貧困て言葉に引っかかって調べなおしたり、パソコンの環境変化もたまには必要かもよ。

子供の貧困て、結局親の貧困なのね。うちのおばはんは昭和24年生まれだから、小学校の時の同級生の子の中には、まだ第二次世界大戦後の日本の復興の手が届かずに掘っ立て小屋に住んでいた子もいたのよね。お父さんが急死してお母さんが小学校の給食の業者に雇われて働いていた子もいたっけ。あのころの学校給食は大手の業者じゃなくて、学校ごとに作ってたのよ。サラリーマン家庭ばかりじゃなくて、農家の子も多かったんだわ。

世の中全体が貧しかったから、子供の貧困にも何も、貧困ていう言葉自体聞いたこともなかった時代よ。それが半世紀たった今は、すごく変なことになっちゃってるのね。これからの時代は小さいときからの英語教育とか、昔とは比べ物にならない話になってきているけど、教育ってお金がかかる現実があるのに、家庭の経済状況で必要な教育の受けられない、出だしから競争に負けている子たちが出てきてるって、なんか情けないじゃない。どこがどうなってこんな世界になってきたのかしら。

本当に優秀な子だったら、昔も今もたぶん何かの形で外部からの援助も期待できるかもしれないけど、どうも今の時代は何かがどこかで間違っているような気がするんだわさ。誰でもみんな同じように大学に行って、同じように就職して、同じようにほどほどの人生を送ろうっていう考え方自体がどうも何かおかしいんじゃないのかなあ。

本当に優秀な子が貧しさのために進学できないのだったらそれは社会の損失になると思うけど、現実には他の才能はあるけど勉強には向かない子供とか、一人一人の個性の違いっていうのもあるんだし、簡単に決め付けられない気もするんだけど、まあ、それはそれとして、出発点のところで出来る子まで貧しさが原因で落ちこぼれちゃったりしないようにする必要は絶対にあると思うのよね。

子供の貧困て言う言葉は、言葉自体がまやかしなんだと思うな、根にあるのは社会の貧困、精神の貧困てことじゃないのかしら。わあ、うっかりやたらな事を言っちゃったみたい。これ以上言うのはやめとこうっと。

天気もいいから今日はあの人、この後はお洗濯して夕方は出かけるつもりみたいよ。そんなわけで今日はおしまい。ほんじゃまたね。

2013年5月30日木曜日

お知らせ

聖体の祝日にあたって、教皇さまの意向による聖体礼拝

日時 6月2日 日曜日 17畤~18畤

場所 東京カテドラル 聖マリア大聖堂

司式 岡田大司教 幸田補佐司教



2013年5月29日水曜日

パンとぶどう酒のこと (他のブログからの転載)

こんばんは~、マリーで~す。

今日もあたしの出番よ。うちのおばはん、さっき夕方に四ツ谷のミサに出かけてきたんだけど、喉が痛くて全然声が出ないのよね。土曜日までによくなるかどうか、これはちょっと怪しいんだわさ。咳は止まってるのにやっぱり喉が痛いのよね。梅雨入りしたって話だし、季節の変わり目って油断するとすぐこういうことになっちゃうんだわ。

それでも明日は木曜日だから、少しは聖書を読んでおく気になったらしかったんだけど、あの人、気が多すぎよ。ちゃんと今度の日曜日の聖書の箇所を読んでたかと思ったら、いつの間にか正教会のご聖体ってどんなんかなあ、って気になっちゃったらしくて写真検索してみたり、ふらふら遊んでばっかりなのよ。

やっぱりさあ、ご聖体って元々が本当に飲んだり食べたりする食べ物、飲み物のパンとぶどう酒だから、現実に目の前にあるわけじゃない。パンていつごろの時代にどういう風に作られてきたのかとか、ぶどう酒だって、お酒つくりの原理を昔のひとはどうやって発見したんだろう、とか興味が尽きないのよね。

だけど日本人の場合、キリスト教の教えは悪くないけど、キリストが磔になっている形の十字架は気持ちが悪いという人がけっこういるのよねえ。ご聖体のパンとぶどう酒が本来、キリストの肉と血を意味していたなんて想像しただけで気分が悪いって言う人だっていそうな感じよ。

罪を許す生け贄の子羊キリストの肉と血、って簡単にまとめちゃっても果たして信者ではない普通の日本人に通用するかなあとかさあ、うちのおばはん、根が理屈っぽいからああでもない、こうでもないって考えて、それでほんとのところ何もわからないのよ。これはたぶん、もっと素直に簡単に考えなきゃだめなのかもしれないわよね。

だから昔、どなただったか、「聖体顕示式の荘厳さはムードです。でもそのムードも信仰の助けとして必要なのです」っておっしゃったんだわ。ある種、説明しようもないものは、「目には見えねどさやかなる何者か」を感じ取るしかないのかもね。

でもさあ、あの人自身は自分で昔、公園のお風呂ダヌキに書いたみたいに、ご聖体はどんな人でも怖がらないでご自分のそばに近づいてきてほしいとお考えになったイエスさまご自身なんだって思ってるのよねえ。これは理屈じゃない感じだわ。

今夜はもうこの辺でおしまいにしたほうがよさそうよ。あの人、本式に風邪がぶり返さなけりゃいいけど、ちょっと心配よ。ほんじゃまたね。

2013年5月28日火曜日

便利食品 他のブログからの転載

こんばんは~、マリーで~す。

うちのおばはんは季節の変わり目で一日のうちでも暑くなったり寒くなったりしてるこのところの陽気に対応仕切れないで、また風邪ひいたみたいよ。喉は痛いし、咳は出るで、食欲もなくて、お水ばっかり飲んでたのよねえ。

そんなんじゃあ、風邪も治らないからせめて野菜スープくらいつくったらって言ったらやっと、一番簡単でおいしくて飽きない、ジャガイモ、にんじん、たまねぎ、しいたけにベーコンで全部さいの目切りにして煮込むだけって言う誰にでもつくれるスープを作ったわよ。やっぱり調子のよくないときは、子供の頃から好きだった味が一番みたい。この野菜スープがおいしかったから、あの人、明日の朝はスープの残りに押し麦を入れて煮込んで簡単麦雑炊にしてみるんですって。

今の麦って、ご飯に入れて炊くときに便利なように一回分ずつ、小分けにしてパック入りになってて使いやすいのね。ご飯も炊いたのが冷凍してあるけど、ためしに麦で雑炊にしてみるつもりらしいわ。お米より食物繊維も多いし、変った食感がたまにはいいんですってさ。いつもそれじゃ絶対いやになると思うけど、たまにはいいんでしょうね。

それにしても、たまねぎ、ジャガイモ、にんじんて本当にお役立ち食品よね。これがあればかなりのお料理が出来ちゃうもん。卵があれば、これとたまねぎ、ジャガイモでスペイン風オムレツに作れるし、たまねぎは生でもいためてもおいしいし、ジャガイモだって、千切りにしてさっとゆでると、中華風のサラダの材料になるし、便利なもんだわさ。

そういえばこのごろ、うちのおばはん、手の指まで関節の具合が悪くなって、ちゃんと自分で粉からこねこねして、パンやうどんを作るのをやめちゃってるのよね。前はパンに凝って、ちゃんとイーストから何からおいてたんだけど、このごろはこねこねしないお好み焼きみたいなものしか作らなくなっちゃったんだわ。

パンてさあ、聖書のなかでもパンとぶどう酒って言ったら一番重要な食べ物、飲み物じゃない。あの人、パンに凝っていたころはパンの歴史とかもすごく詳しく調べたのよ。種入れぬパンて、醗酵菌を使わない、一番簡単なパンだから、ご飯を炊くのが面倒なときは簡単に粉を練って、薄焼きにして食べてるけど、それを焼くたびに聖書のパンのことを思い出すみたい。

カトリック教会のご聖体もパンて言ってるけど、イエス様の時代のパンはあんなちっぽけな形だけのものじゃなくて、無骨なパンだったはずよね。あの人、自分で焼く薄焼きパンを焼くたびに、その昔のイエス様の食卓にのぼったパンてどんなのだったのだろうって思い出すんだわ。ほんとに、どんなパンだったのかしらねえ。

なんか、つまんない話で長くなっちゃった。このへんでやめとこっと。ほんじゃまたね。

2013年5月27日月曜日

タブレットとラジオドラマ

タブレットにさまざまな書籍をダウンロードしていつでもどこでも読むことができる。実に便利な時代です。でも最近は子供の頃からの近視に乱視に老眼が加わって、おまけに緑内障まであっては、どうも昔のように本の虫になって夢中で本にかじりつくということが出来なくなってきました。

ところがある日、たまたま最近ケータイを落として買い換えたさる知人が、聖書を丸ごと入れて持って歩きたいとおっしゃるので、それならいくらでも聖書のアプリがあると言うと、そういうのではなくて聖書を全部読み上げて録音してあるものを入れておきたいのだとおっしゃいました。それは相当な分量です。果たしてそれが可能なのかどうか、どうなったのかは聞いておりません。

しかし、そのはなしがヒントになって、タブレットに本ではなくて、ラジオドラマを入れて持ってあるくのはどうだろうかと思いつきました。niconico動画などでは昔の名作ラジオドラマが結構人気があっていろいろなものが聴けるのです。自分で放送を録音してもいいし、同じダウンロードでも動画より軽いのです。

動画と違って耳と想像力の世界ですから、おめめが疲れる心配がありません。今はなくなってしまったNHKの芸術劇場とか、放送劇とか、思い出深いラジオドラマはさすがにありませんが、最近十数年の物なら名作が残っています。

古い作品に聴き飽きたらやっぱり自分で録音するのが確実でしょう。動画もいいけれど、本を読んだり、ラジオドラマを聴くのはそこに自分の感性や想像力が加わってひとつの世界を描き出すわけで、一種創造的な行為でもあるのかもしれません。

とにかく、おめめに自信がなくなってきた世代の方にはこれはスマホやタブレットの良い使い方のような気がしているところです。


2013年5月26日日曜日

長崎の浜串教会

※ 夕べはパソコンの不調のためアップできませんでした。


こんばんは~、マリーで~す。

うちのおばはんはついさっき土曜聖歌隊の後練習から帰ってきて洗濯をしてご飯を食べてからパソコンを開いたのよ。今日は土曜日だから毎週土曜日更新の、長崎の浜串教会の神父様の説教ブログが出てるはずだし、出たらツイッターでみんなに知らせることにしてるから、夜遅くなってもちゃんと確認してツイッターに書き込んでるの。

それでたまたま今日は聖歌隊でも長崎の浜串教会の話が出て、聖歌隊のメンバーの中には長崎に巡礼に行ったときその教会でみんなで歌ってきたって言う人もいれば、あの神父様のはなしは面白いという人もいるし、うちのおばはん、長崎と東京じゃ離れすぎてるからまさか四ツ谷の土曜聖歌隊でそんなに知られているとは思わなかったのね。びっくり仰天してて面白かったわよ。

あの人がなんで長崎の教会の神父様のブログなんか知ってるのかって言うと、パソコンを使い始めたばかりの頃にカトリックもプロテスタントも一緒のキリスト教のSNSでキャンドルズ(candles)というのが出来て、それに参加してそこで知ったの。今は余り熱心じゃないけど、キャンドルズも相変わらず続けているのよね。だから浜串教会の神父様のブログの更新の知らせも続けてるってわけ。

どうしているか気になっているお友達もいるし、久しぶりに覗いてみようとして、あの人、キャンドルズのパスワードをなくしちゃってたのに気がついて、今週、キャンドルズの事務局に連絡してパスワードを再設定したばかりだったのよ。それで今日は浜串教会の話なんかも出たんだわ。

世間は広いようで狭いって言うけど、うちのおばはんも今日はそれを実感したみたいよ。でも今日はこの辺ではなしはおしまい。ほんじゃまたね。


2013年5月24日金曜日

あっちち

※ 高山右近関連の前のブログはアメブロに置いてあります。


こんばんは~、マリーで~す。

あたしが出てくるってことは、ご推察の通りよ。うちのおばはんよく火にかけたフライパンをうっかり触ってしまって腕には火傷をするし、なんか体調がよくなくて昨日も膝の靭帯は痛むし、具合が悪いときはいつもだけど、おしっこの量が少なくなっちゃって両足がいやにむくんじゃってたのよ。それでも今日は一日休んでたから、この時間は足の太さも正常になってるから大丈夫みたいよ。火傷はまだ痛いし、当分赤くはれたままだと思うわよ。あの人、うっかり屋だから、気をつけなくちゃって思いながら、ついうっかりフライパンに触れちゃったのよ。

そんなわけで今日は書く材料もないから休もうかって言い出したから、そんだったら昨日の聖書の集いの話でもしたらいいじゃないって言ってあげたの。昨日は木曜日だったから、あの人、聖書の集いに出てきたのよ。テーマはなんとも難しいあの三位一体よ。うちのおばはんでわかるわけないじゃない。

ほかの人たちも三位一体の話自体はあまり話しの中心にならなかったけど、それでもなかなか面白い、信者の集まりの話題としては勉強になったのよね。うちのおばはんも日ごろ何十年も聖歌隊でミサのたびに賛歌とか歌ってるけど、、つい最近というかこのテーマが出てきて今頃やっと、栄光の賛歌って、三位一体の神様への賛歌だったことがわかったんだし、人間と三位一体の神様の接点においでになるのがイエス様だってこともあらためて思い出せたんだわさ。ほら、ミサの時司祭がキリストによって、キリストとともに、キリストのうちにって唱える言葉の意味、重さも普段は全然頭にないのが、聖書の集いがあると、ちゃんと思い出したわけよ。ほかにもいろんな話が出たわ。

でもおうちに帰ってきて、お湯を沸かして、フライパンを火にかけて、台所であれこれはじめたら、あっという間にあっちちで火傷してその後はもうメタメタ。

まったくドジなのよねえ、うちのおばはんときたらさ。ほんでもってその後も寝付かれなくて、結局今朝起きたら足はむくんでるは、火傷のあとはばっちり腫れてるは、って言うどうしようもない状態だったわけ。あの人、最近はむくむと膝の靭帯も緩みが出てくるから面倒なのよ。3階建ての3階に住むにはもっと丈夫なあんよが必要かもね。

でもたぶん明日はちゃんと聖歌隊にもいけるんじゃないかしら。明日になってみないとわからないけど、まあまあ大丈夫だと思うわ。

今日はそんな話でおしまい。ほんじゃまたね。

2013年5月23日木曜日

まだもう少し過去ブログの再掲載 続き

2010.11.26
テスト版・・・これは結局テストで終わってしまって書かれなかった物語のあたま。
  
 まえがき

 こんにちは、初めまして。エーと知ってる人もいるかもしれないけど、まずは自己紹介からいきまふ。あたしの名前はマリー、ケータイのマリーっていうの。ほんとにケータイなの。普通のどこにでもあるケータイよ。うちのおばはんがディズニーのファンで気に入っているおしゃれキャットのマリーの絵をいつも待ちうけにしてるから、あたしも自分で自分のことをケータイのマリーって名乗ってるの。これでもうちのおばはんには大事な相棒よ。あたしがいなけりゃ、あの人、何にもできないんだから。

朝、ジリジリジャラジャラ鳴ってあの人を起こすのもあたし。近頃はとみに忘れっぽくなってきたあの人のメモを保存してるのもあたし、天気予報から交通情報、ニュースもみんなあたしよ。この頃はTwitterやfacebookは勿論、他のSNSもみんなあたし無しにはどうにもなりゃしないのよ。うちのおばはん、もともと、生まれつき指にちょっと故障があるから沢山書くのはパソコンだけど、量が少なければケータイのほうが使いやすいらしいのね。だけど、スマートフォンじゃなくて文字の見やすいデータ通信のネットブックとあたしの二本立てにしてるのよね。なんたっておばはんだからおめめも問題なんだわさ。

話は変わるけど、うちのおばはんには今はもう無くなっちゃった日経のSNS以来のお友達が結構いるのよね。あの人たちは直接会ったことのある人が多いし、今でもオフ会なんかも盛んなのよ。
うちのおばはん、お酒飲めない人だからこの頃はちょっと引っ込んでるけど相変わらず、日記は読んだり書いたりしていてお互いの状況もわかってるの。ほんでもってこの間、京都のお友達から郵便物が届いたの。

いけずな京女さんていう、そのお友達が送ってきたのは京都大学総合博物館に行ったときのお土産で、なんかとてもめずらしいものらしいの。京大でX線調査をしたときに作られた冊子で、よそでは手に入らないんですって。“モノが語るーマリア十五玄義図”ってタイトルの薄っぺらいけど、写真がたくさん載ってるの。だけどうちのおばはんはパラパラと眺めて、そのまま机の上に重ねてあったのよ。

ところが、ついおとといよ。うちのおばはんは四谷の教会の図書館で探し物をしてたわけ。それで資料用のコピーもたくさんとってたの。新聞の記事を何行かとかだったらケータイのあたしで十分足りるんだけどさ、やっぱり、長い文章なんかはコピー機のお世話にならないと用が足りないのよね。たまたまその時に、このところ、Twitterで大阪教区の知り合いの神父様が今度高山右近の列福に向けての運動の担当になったとかいう話しがあったのを思い出したらしいのよあの人。それで高山右近の簡単な紹介はないかと探して見つけた小冊子を読んだのね。

勿論、高山右近がキリシタン大名で、キリシタン禁令のとき、フィリピンに流されたことくらいは知っていたらしいけど、高山右近がその時62歳で、フィリピンのマニラについてその40日後には亡くなっていたなんて、うちのおばはんは初めて知ったのね。なんかすっごく驚いてショックだったみたい。あの時代だもん。今と違って62歳っていったら、いいおじいさんでしょう。遠いマニラまでの船旅で疲れきってしまったのでしょうね。うちのおばはん、自分が60過ぎてて、まだまだ年をとったなんて気がしないのに、高山右近が同世代で亡くなっちゃったのがショックだったらしいわ。時代が違うんだから仕方ないじゃないのよねえ。

でもって改めて高山右近について調べ始めたらこは如何に。ここに来て、いけずな京女さんから送ってきた京大博物館の『マリア十五玄義図』と高山右近の関係が見えてきてまたびっくりしてるのよ。ほんとにうちのおばはんて物を知らないわよ。この小冊子がどういう意味を持ってるのか、やっとこさわかって読み直したりしてるのよ。京女さんに叱られそう。

まあ、そんなわけでこれから始めたいと思ってるおはなしは、この、うちのドジおばはんとあたしの毎日の中から拾ったものなのよ。どんな話になるかは始まってみなくちゃわからないわ。多分、まだ当分連載まで行かないと思うけど、首を長くして待っててね。あの人がなまけないようにあたしがお尻をたたくつもりよ。放っておくとすぐ遊び始めちゃうんだから。

ほんじゃあ、よろしくね。

2013年5月22日水曜日

過去ブログの再掲載 つづき

2012.10.15
アビラの聖テレジア
  
こんばんは~、マリーで~す。

今日は陽気も暖かくて、動き回ると汗ばむくらいだったから、うちのおばはんなんかは足腰の痛みも軽くなってだいぶ調子がよかったみたいよ。ほんでもって、あの人、四ツ谷の昼ミサに行ったんだけど、今日はカルメル会のアビラの聖テレジアの祝日だったから、ミサのお説教も大聖テレジアの祈りのこととか、念祷の話だったの。

大聖テレジアが自分の祈りの本にいつも挟んでいた祈りの言葉って、うちのおばはんの好きな、今も部屋が狭いから冷蔵庫の横の壁に貼ってある祈りの言葉だったの。現代語の訳とちょっと言葉が違うけど、おうちに貼ってあるのはこんなのよ。

  
  何ものにも心乱されず  何をも怖れるな
  すべては過ぎ去る  神のみ変わらず
  耐え忍ぶとき  すべてをかちえる
  神に生きる人には  欠けるものはなし
  神のみにて足りる

うちのおばはんには、大聖テレジアのたくさんの著作物はどうも肌に合わなくて、ちゃんと読めたのは完徳の道と創立記で、後は自伝がなんとかかんとか、まだ十字架の聖ヨハネの言ってることのほうがピンと来る気がするんだって。だけど、完徳の道は、これは本物だっていうのよねえ。何が基準なんだかあたしにはわからないんだわさ。

たぶんどうもあの人には異性に対する恋にも似た思いだの、愛だの、友情だのって感覚がよくわかんないのよ。純日本人なんだわさ。神様への思いも恋心に似たものより、絶対者なるお方への帰依の心、子供が親を慕うような思いでしか捕らえられないのね。しょうがないじゃない、生まれ育った文化が違うんだもん。

 
それよりも大聖テレジアが大切にした「念祷」についてだったらかなりよくわかるような気がしてるみたいよ。完徳の道に出会う前に、プロテスタントの頃、カルメル会の人とは知らずに、CLC出版ていうプロテスタントのほうの出版社で出ていた、ラウレンシオ修士の「神の現存の体験」ていう本を読んでいたんだけど、祈りのことではすごく役に立つ本だったの。そのころは念祷なんて言葉も知らなかったんだけどね。

大体、プロテスタントの教会で祈りっていったら、みんなであつまって声に出しての嘆願の祈りが主で、沈黙の祈りとか、神様との個人的な語り合いのことはあまり教わらなかったのよ。ただ、あのひとのおうち、お父さんのお父さんに当たる人が実はお坊さんだったとかで、お父さん自体も意外と宗教的な人だったから、あの人も小さいときから、人間より大きな何者かが存在しているって感覚は親から伝えられていたのね。でもって、そのお方はいつもそばにいて、声に出さなくてもちゃんと自分の心を知っているんだって思っていたらしいのね。それで、声に出さない祈りっていわれてすぐにどういうことかわかったの。

だから、お祈りする時、大聖テレジアが台所仕事をしながらでも祈ることはできると言った意味もすぐわかったの。マルタとマリアのうち、マリアはイエスの傍らにいてイエスの言葉を聴く存在だっていうけれど、マルタだって家事や雑用で、イエスのそばにいつもいられなくても、心がいつもイエスに向いていたら、仕事をしながらでもイエスの言葉に耳を傾けることも、イエスと語り合うこともできるんじゃないの。イエスに心が向いていないと雑音しかきこえないけどね。

それはとにかくさ、ラウレンシオ修士の話に戻るけど、何十年もたってから上野毛教会に行ったら、中川神父様の講座でこの方の話が出てきたの。カルメル会の祈りって、なんとなく、普通の生活とかけ離れた生き方をしないと体得できないようなイメージがあるけど、そうじゃないのよね。ラウレンシオ修士(ブラザー・ローレンス)の祈りや生き方は普通の生活の中でも十分可能なのよね。

あの人、今日はそんなことを思い出して、大聖テレジアの会はすごいなあ、大聖テレジアがカルメル会のためにしたたくさんの仕事はやっぱりすごいなあって、あらためて感心してたの。それで明日、上野毛の講座に行くのを怠けたりしたらこれはちょっと情けないわよね。あしたはあの人をあたしの目覚まし時計機能の最大の音でたたき起こすつもりよ。

そんなわけできょうはここまでよ。ほんじゃまたね。







2013年5月21日火曜日

こちらは去年の記事の再掲

2012.10.4
黙想学校で

  
こんにちは~、マリーで~す。

今日はねえ、うちのおばはんは出かけるのが夕方だからもうのんびりしちゃって、朝からこのところどうも具合のよくないウォークマンをパソコンにつないで何度もテストしたりしてるだけ。たぶんねえ、新しいパソコンとウォークマンがうまく合わないんじゃないのかなあ。古いほうのパソコンでもう一度試してみればいいのよ。大体、あの古いほうのパソコンはもう危なくてネットに使うのは駄目だけど、音は断然あっちのほうがいいんだし、あたしなんかは、もったいないから音楽や写真・動画はあっちのほうがしっかりしてるんだし、あっちを使ったほうがいいって思うんだわさ。なんだか知らないけど、機械のおき場所がないって言うのよね。2台重ねて置いちゃ駄目なのかしら?

おっと話が横にそれちゃった。今日はアシジの聖フランシスコのお祝いの日なんですって。うちのおばはんも霊名がフランシスコの女性形でフランシスカだから、機械をいじりながら少しは聖フランシスコに関係のありそうなことを考えてるとこみたいよ。

でもどちらかっていうと、聖フランシスコ自身のことというより昔教わった話を思い出してるみたい。もう何十年も昔になっちゃったけど、その頃、四谷の教会にね、黙想学校っていう講座があったんですって。この話、前にもどこかで言ってるんだけどもう一度話すわね。

黙想学校って言うくらいだから、そこでは毎回、お祈りに関係する話を教えていたの。その中で聞いた話で、今でもあの人が時々思い出しているのが、観想には二つのタイプがあるって話なのね。それを教えてくれた先生はカルメル会でもフランシスコ会でもなくてイエズス会の神父様だったんだけど、その方は当時、こんな風に言ってたの。

大きく分けて観想の祈りには二つのタイプがあって、ひとつはカルメル会の念祷みたいに、自分の心の奥深くに入って言ってそこで神と出会おうとするカルメル会型の観想、もうひとつは、聖フランシスコの祈りのように、大自然とか周囲の物事とか、自分の外側に神の働きを見出し、神に出会っていくフランシスコ型の観想だということだったのね。

あの人、ずうっとこの話を忘れずに覚えていて時々考えてたわけよ。だけど、現実的にはどうも、囲いの生活をしている方たちがみんな観想者なのかって言ったらどうも違うみたいなのよね。実際、鎌倉のある観想会のその頃の院長様と面会して話したら、観想者と観想修道会の修道者はイコールではありませんておっしゃったんですって。どうも囲いの中にいても活動的な方もいれば、世間とかかわりあう生活の会でも観想的な方がいるし、実際はなかなか簡単じゃないのね。

でもって、あの人は修道生活どころか信じられないようなとてつもない状況になって、いつのまにか、おばはんになっていたんだけど、何十年も聖歌隊にいて、歌は下手でも毎週かよっていたおかげで、聖歌を歌うことで祈りを忘れずにきたの。聖歌を歌うことで神様に心が向かっていくじゃないの。

歌うほうは駄目だけど、佐久間神父様の作だったかしら、わたしたちはさかなのよう、神様の愛の中で泳ぐ、って子供の歌があるじゃない、あれの歌詞をみて、うちのおばはんが思い出したのが昔、はるか昔、講座で聞いた神様と人間の関係を、海と海水の中の海綿、スポンジにたとえた話だったの。

人間は海の水の中に浸っているスポンジのような存在で、神様は人間の外側にも内側にも満ち満ちているんですって。人間は神様の仲で生きてるのよねえ、だからさ、佐久間神父様はさかなが水の中で泳ぐように、神様の中で、神様の愛にどっぷり包まれて生かされているのを教えようとなさったんじゃないのかしら。

そうすると、スポンジの中にも、外側にも海の水が満ち満ちているみたいに、人間ひとりひとり、みんな誰でも目には見えなくても神様の中で、神様に内側からも支えられて生きてる、というか生かされてるってことでしょう。

そしたら、カルメル型の内側に入っていって神様に出会おうとする祈りでも、フランシスコ型の周囲に神の働きかけを見出す祈りでも、突き詰めれば、同じところにたどりつくんじゃないのかなあ、とかってあの人もぼんやりと考えたりしてるらしいのよね。どっちにしても、心が濁っていればたどり着けないんだと思うわ。

なんだか、だんだん難しくなっちゃったから終わりにするわよ。

    
ほんじゃまたね。

本日も過去ブログの再掲・・・つまらないはなしです

plalaの押入れの過去ブログを書き始めた2010年の分から読み直してみると、さまざまなことが見えてきます。余りあからさまに言うわけにいかないこともたくさんありますから、書いた当人が読んでもこれでは何が言いたいのかわからないではないかと思う文章が多いこと、多いこと。何が本当に言いたいことなのか、わざとわかりにくくしてあったり、まったく困ったものです。

でも2011年にある方が第一線から退いてこのブログに介入しなくなってからの分は言いたいことをちゃんと言えるようになったのもわかりました。今日の話はちゃんとした話を書こうとして2回までつづけたところで、打ち切りにした分でした。


急遽連載中止
  
 2回まで載せたこれまでの話ですが、それを出してからというもの、いやにパソコンに不正アクセスがふえたり、クッキーの妙な動きが増えていて非常に危険と思われます。今、パソコンからのコピーが機械が壊れて出来ないのですが、いずれ安物でも機械を買ってコピーをとって、一部の方だけにご覧いただく形にしたほうがよさそうです。どうも情報を狙う人たちがいるようですから。
というわけで急遽、創作のほうを優先することにしてこちらは無期延期であります。

2010.12.21
こんなこと、あんなこと (2)
  
『こんなこと、あんなこと、いろいろ』の2

思うに、最近の人は、ずいぶんいい年になった高齢者でも、明治になるまでは浄土真宗以外、仏教の僧侶は妻帯を禁止されていて子供や孫が寺を継ぐなどということはありえなかったことも知らないのには、まったくびっくりしてしまいます。父方の本家は法華経寺の門前で七百年続いてきた家だったと言うと、なかには、お寺さんの家で続いたのならたいしたものだけど、門前じゃあ、と返してきたおばあさんもいましたっけ。そりゃあ、歴史的に不可能じゃろうが。お坊さんは本来正式には子孫を残したり出来ない存在だったのに、まったく何を考えてるんだか。

というわけで、うちの父は実父に当たる人はお寺さんだったそうで、戸籍上は実の姉の末の弟、祖父母の末子として届けられています。父の生まれ育った家は今は人手に渡ってしまって、すぐ近くに親類が住んでいるだけですが、今も昔も法華経寺の参道沿いの、寺のすぐ傍にいます。

我が家は下総中山から少し奥に入った若宮という地域で木下(きおろし)街道沿いの、昔は本家の畑だった土地の一部を戦争から帰ってきた父が譲り受けた場所にあり、小さい頃は畑の中の一軒家でした。周辺にあったのは、中山に出れば法華経寺。船橋の方向に行けば中山競馬場。家のすぐそばに若宮小学校、その裏手には山下清の出た八幡学園、あとは畑と田んぼで、そうそう、田んぼのある北方(ぼっけ)の方向に坂を下りていくと赤ちゃんの時から母親同士もお風呂屋さんでよく知っていたという幼馴染の山田さんという女の子の家があり、彼女の家の近くにカトリック市川教会の教会墓地がありました。

そして小学校一年生の時に家の母方の祖父が脳溢血で突然に亡くなり、あれが生まれて初めて出会った本物の死というものでした

思えば、中山に行ってもお寺さんとお寺の墓地、お寺にいけばお坊さんの姿もあります。幼馴染の家で遊んで帰るときも目に入るのは教会の墓地で、どちらも子供の頃は遊び場にしていましたっけ。ちっともこわくはないけれど、子供心にも人間が、生き物が、みんな生きて死んでいくことの不思議は考えさせられていました。

それで、子供心にも終わりのないものがほしい。永遠に続くものがほしいと思うようになったのです。父の実父がお坊さんだったのは知りませんでしたが、ああいう、終わりのないものにお仕えする一生はいいな、女だから尼さんのようなものになりたいものだとか、子供の頃からなんとなく思っていたのです。

周囲の環境がそんな風でいて、しかも家の父がまた世間一般の普通の人と少し違っていたのだと思います。子供が変わり者だとしたらそれはその子の親が変わり者だったということでしょう。父こそは私という人間の土台を作った人だと思います。すべては父からの影響なしには考えられません。長女で一番上の子で、顔も性格も父自身、お前はお父さんだよ、と言っていたくらいですから相当似ていたのだと思います。

私が小さい頃から父が何かというとよく口にしていた、『闇の夜に鳴かぬカラスの声聞けば、生まれぬさきの父母ぞ恋しき(そのままです)』とか、『三界の狂人は狂せるを知らず』といった言葉は、そっくりそのまま子供の私も覚えこみ、お前、これが分るかという度に、どういう意味なのだろうと考え込みながら育ったのです。

なにしろ、うちの父ときたらお正月といえば、『門松や冥土の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし』です。

父は自分もよく本を読む人でした。私が一番初めに買ってもらった本というのは大人用の新潮文庫版、アンデルセン童話集全3巻を三冊とも一度に貰い、何度も何度も読みました。私にとってのキリスト教的なものの見方の基盤になっているのはどうもこの三冊のような気がしてなりません。

そしてまた、小学校高学年になるとこれもまた読むのに苦労した旧かなの岩波文庫版で宮沢賢治の『風の又三郎』でした。読みたい一心で旧かなにかじりついていた小学生でした。それで宮沢賢治の面白さを知り、お小遣いで買ったり、図書館で借りたりして読むようになったわけですが、宮沢賢治が法華経の信仰を持っていたのはかなり後になって知ったことで、その頃は賢治の信仰などは何も知らないまま、心を打たれて読んでいたのでした。そこにあったのは今おもえば他者のために自分を捨てる法華経の菩薩の精神だったようです。そしてそれはイエスさまの生き方にも通じるものだったと思います。勿論、当時はそこまで考えませんでしたが。

父は実の親には縁の薄い人でしたけれど、育ててくれた戸籍上の両親、兄姉(実は祖父母に、伯父、伯母、叔母)からは結構大事にされていたらしく、子供の私から見ても苦労した筈なのに、やたらに人をすぐに信用する人のいい人間でした。(そっくり、そのまま私も同じで、亡くなったライフ神父さまがあきれていたのを思い出します。ライフ神父さまは、あなたは年寄りっ子ではなかったかとおっしゃったのですが、私の父のほうが年寄りっ子だったのですよ、今おもえば。

父は私とおんなじで、人を信じすぎて世間的には失敗した人生ともいえるかもしれない人生でした。でも私には人生の大切な先達、師匠でした。なんといってもこの人の子供だったからこそ今の私があるのですから。

で、父は若い頃一時天理教の熱心な信者だったのだそうです。それで長女の名前も天の理によって恵まれた子です。母と結婚してから、母の兄弟たちから、天理教を止めないなら妹は返してもらうということになって止めたのだそうです。母方は兄弟も多くて祖父母もしっかりしていましたから父としてもそれでよかったのだと思います。

しかし、信仰は止めても父は天理教の考え方を子供によく話していましたから、こちらは幼心にいやでも刻み込まれて育っています。これがまたカトリックの考え方とすごくよく似ているのです。だからこそ、同じキリスト教でもやはりプロテスタントには違和感を感じてしまい結局改宗することになったわけです。

どんな小さなことでも誰かの役に立っているんだと聞いて育ったのに、プロテスタントの教会では人に聖書の教えを伝えることが大事で食事の支度や後片付けなど二の次、お皿洗いなど意味がないという考え方で、書くのは得意でも口が下手で人に聖書の話しをするなど大の苦手のこちらは居場所のない気持ちにさせられたものでした。父から教えられた傍(はた)が楽するから、はたらくというのだ、なんていうことは通用しない世界でしたねえ。

さて、キリスト教へはいくつかのきっかけがありました。

家の近くに市川教会の墓地があったことはとにかく、昔は今のようにどこの家庭にでもテレビが普及している時代ではありませんでしたから、我が家ではラジオが大活躍していました。それもあの時代ですから真空管のラジオか、鉱石ラジオです。それでNHKの子供向き放送劇の大ファンだった私は父の鉱石ラジオを奪い取って自分用にし、毎日のようにラジオと付き合っていました。すると、その頃は日曜日の朝はいくつものキリスト教の番組があり、平日も早朝にやはりキリスト教の番組が放送されていたのです。

いまでも続いている、『心のともしび』という番組を中学生の時からずっと聴いていました。というのは小学校は家のすぐ側でしたけれど、中学校はかなり遠いので早起きしなければならず、それで聴くようになったのです。その番組でいつも非常に心に残る話をなさる方がおいででした。シモヤマトクジさんというお名前を覚えました。出演者は定期的に変わりましたが毎年、年間の半分のシーズンに出演していらっしゃったと思います。この方の話しが父の話し同様、非常に心に響くものがあり、その前にもキリスト教には小学校の頃から関心を持っていたのでそのうち教会に行ってみたいと思うようになっていきました。

そしてまた、遠藤周作先生の本も読み始めたわけですが、実は教会に実際に行くようになったのは母の死がきっかけでした。そしてまたその頃、遠藤先生のほうは結核の大手術で入院し、そんな大変な状況の中で生まれたのがあの面白おかしい、狐狸庵先生シリーズだったのです。こちらは当時はそんなこととは露知らず、中学生の頃から北杜夫さんのファンだったので北さんのお友達の一人として知っていた遠藤周作氏の、純文学の気難しい顔とは全然違うへんてこりんな先生、狐狸庵氏に出会って、母の死にめそめそしていた心を引き上げていただいたのでした。



2010.12.19

こんなこと、あんなこと (1)
  
今年、ひっそりと一部の方にだけお見せしてきたはなしです。まだ当事者がご存命ですから、こちらも武士の情けではないけれど、全部は出しません。しかし、どうしてこういうことになってしまったのか、自分自身のためにも、他の人の深く関わるところは抜かして、これまでを表にだしてみます。肝心のところが出せないのが口惜しかったりもしますが人を苛める趣味はないので、適当にいきます。

前書き省略

さて、今までのことを説明するにはどうしても自分の生い立ち、父についてを話さないわけにはいきません。父の存在こそは自分の今の土台だったと思っているからです。そしてまた、生まれ育った土地の影響も決して無視することの出来ない要素でしょう。

本題に入ります。

私が生まれ育ったのは、千葉県市川市の若宮というところでした。今も本籍は同じ場所です。先祖代々の地ですから。日蓮宗の歴史などに詳しい方はその昔、日蓮上人が松葉が谷の法難にあった時、若宮の領主、富木常忍の助けで若宮の地に逃れたという話しをご存知でしょう。富木氏は父方の先祖の仕えていた殿様なのです。そして下総中山にある日蓮宗の中山法華経寺の開基でもあります。

その関係で父方は鎌倉時代以来中山、若宮の住人で、富木氏の家臣として法華経寺の参道域に家屋敷を、若宮に田畑を持って暮らしてきた家でした。時代とともに本家もすっかり凋落したとはいえ、今も親類は中山に住んでいます。私の父は戸籍上は本家の末の子となっているのですが、実際は孫なのです。つまり、実際は両親となっているのは実の祖父母。兄姉となっているのは伯父や実の母ということになります。父の実の父親はお寺さんだったのだそうです。といっても父が生前はなんとなく、死後になってはっきりと聞かされたのでした。

それを聞いても子供のこちらは実はちっとも驚きませんでした。なぜなら長女で一番上でお父さんっ子だった私にとっての父は他所のお父さんに比べると非常に不思議な存在だったからです。他所のうちのお父さんたちとはどうもかなり違う。そんじょそこいらにいくらでもいる人たちとは全然違う。父のような人は滅多にいないことは大人になってからも実感していました。ただ、どうしてそうなのかが分からなかったのがそれではっきりしたわけです。

父は学歴もないし、大きな会社に勤めていたわけでもありません。けれども非常な読書家で、物知りで、冗談や人を面白がらせることが大好きで、普通の人が目も止めないようなものを面白がり、本当に働き者で家族を大事にしていた人でした。

父が生まれてまもなく実母、私には実の祖母は、赤ちゃんだった父を残して他所の人と結婚し、父は祖母(私には祖々母にあたる)と若かったころの伯母の手で育てられたために、寂しがりやで、いたずらや悪さばかりする男の子だったようです。

遠藤周作先生は子供の時、教会でさんざん悪さをしたそうですが、うちの父も同じようなことをしていたのです。小学校では屋根の上に上って下に向かっておしっこをし、全校生徒の前で、先生から『この者は・・・」と叱られたこともあったと聞いています。父の同級生が元市川市長の高橋さんだし、もしかしたらまだ当時の同級生の方もおいでになるかもしれません。とにかく悪ガキだったそうなのです。

そんなこんなで自分の子たちには自分のような寂しい思いはさせたくないと、家族、家庭はとても大切にする人だったと思います。どちらかといえば逆に甘やかしすぎで失敗したかもしれません。でもそのことはおいて話を進めます。

父がどんなものを子供に与えてきたかという話です。。私が物心ついた時には毎年お正月というと、我が家では一家揃ったところで父が一休禅師の『門松や冥土の旅の一里塚』という歌を持ち出してからでないと始まりませんでした。こちらは小さい時から、お正月といえども、めでたくもあり、めでたくもなしなのだという感覚を植え付けられて育ってきたのです。

・・・・以下、先が長いので、のんびり手直ししながらだしていくことにします。


こんな風にして、司祭方に何とかして実際の自分という人間を伝えたかったのですが当時は、それさえ、後ろから遮られていたのですよ。いったい私をどういう人間として伝えていたのでしょう??

2013年5月20日月曜日

こちらは今日も過去ブログの再掲 2011年分から

2011.6.10

思い出ばなし

 
おっはようございま~す、マリーで~す。

さすがのうちのおばはんも少しは仕事が気になってきたみたいよ。あたしだってそうよ。あの人、あたしに話しの案内役をさせるって言ってからもうずいぶん経ってるんだもん。そりゃあ、大地震や大津波や原発の事故のことで、世の中全体が右往左往してるような時期だから仕方が無いけどさ、あの人の仕事が進まないのはやる気の問題よねえ。もっとまじめにやってほしいわ、まったく。

そんでもやっとこのところ気持ちがお仕事モードに切り替わってきたみたいだから、そのまま続けてもらわなくちゃ。今もねえ、パソコンを開いて知り合いやお友達のブログのチェックから始めてたの。

そしたらねえ、ある記事を見たらあの人、サントリーさんのことで色々な思い出が一度に浮かんできて、懐かしんだり、足を引っ張り続けたある人達にカッカと腹がたってきたり、死んだお父さんのために書いた入院から死までの記録でもある「遠くの星」っていう物語の原稿を預けたらあっさりどこかにやってしまったいい加減な人物に、思い出してまたむかつき始めたり、たった1時間ちょっとのあいだに頭の中で、いろいろな思い出がフル回転よ。

あの人のお父さんは昔、まだ創業期だった頃からホンダの宣伝広告印刷の仕事にかかわってたの。だから、引退した後も入院から死ぬまで、昔のホンダさんの関係者の方たちにはものすごくお世話になったのよね。だからあの人、未だにホンダさんに感謝してるのよ。

サントリーさんも、お酒はまるで飲めないあの人には、お父さんの仕事のご縁ということで覚えているのね。昔々、開高健さんがサントリーの重役だった頃にホンダの仕事の行きがかりで、ついでにご縁があったってわけ。それだけなら今頃まで覚えてはいないんだけど、その頃にあの人のお母さんが亡くなって、そのお葬式のときにサントリーさんからも来てくれていたのね。それだけのご縁で未だにあの人、ホンダとサントリーを応援してるの。お父さんの思い出につながってるから。

なんだかんだといっても、うちのおばはんて人の土台になっているのは、子供の頃にお父さんから教わってきたことなのよねえ。もう何度もほかのところでも書いてきたんだけど、またもう一度その辺から書こうかなって思ってるみたい。「遠くの星」は原稿も行方不明だし、新しくもう一度、お父さんの思い出を取り入れた物語を、ってね。

あの人も変てこな人だけど、あの人のお父さん自体が相当変てこだったのよ。変わっているって昔からよく言われてたけど、あの人が変わっているのは、親が変わっていたんだもん、しょうがないじゃない。親は自分の持っているものしか子供に伝えられないんだからさ、間違っても学校で教育するような問題じゃないのよね、これって。

あの人のお父さんの背後には、普通の世間一般の世界じゃなくて、お寺さんだったっていう実のお祖父さんから、鎌倉仏教、戦国仏教の歴史、日本人の古来からの宗教性にまで至るものが連綿と続いていたんだと思うわ。千葉県市川市という土地はとても古い歴史のある地域だけど、中でも下総中山は日本の中世からの歴史のある土地よ。どこを歩いてもはるか昔のご先祖さまたちも同じ場所を歩いていた懐かしい土地なのよ。それは今のあの人の背後にも繋がっているんだわ。

今、あの人はカトリックっていう世界宗教の信者だけど、ヨーロッパでも日本でも、中世という時代は面白いのよ。これからあの人、どんな話を書くのかまだあたしも知らないんだけど、なんか材料がつながり始めたみたいよ。これから先のお楽しみってことかな。

ということで今日の話はおしまい。ほんじゃまたね。

・・・・あれから、うちのおばはんは足腰の故障がひどくなったりして、結局新作が書けないままなんだけど、状況もかなり変わってきたのよ。でもその話はまたそのうちね。当分は記録のための再掲が続くけど許してやってね。・・・・

2013年5月19日日曜日

 見える世界と見えない世界 (他のブログからの転載)

こんばんは~、マリーで~す。

今日は日曜日だし、うちのおばはんもお休み気分なのよね。うだうだしてる家にこんな時間になっちゃって、今、あの人、久しぶりにテレビで八重の桜を見ていて、会津の殿様役の俳優さん、なんていう名前だったかとかって考えてるとこよ。確か他の局で航空自衛隊の話しか何かに出てるのこの俳優さんかなあ、なんか見たことがあるような感じだって。

あの人、今夜本当に見たいのはこの後の番組らしいのよ。新しいシリーズの「病の起源」ね。今日は癌のことだから、ぜひ見たいんじゃないのかしら。

そんなわけで今日のはなしは、とりあえずまた記録も兼ねて過去ブログの再掲になるみたい。facebookにはユング心理学の専門家で、河合隼雄先生のお弟子さんだった玉谷直実先生がいらっしゃるって言うのにさ、あの人、ただの素人のくせにそんなテーマで書いて恥ずかしくないのかしらねえ。ほんとに、あたしのほうが恥ずかしいわよ。玉谷先生、あの人が適当なことばかり言っててごめんなさいね。

でもとにかくそのまま出しとくわね。こんなのよ。


2012.1.18
やっと「異人たちとの夏」を見ることができた


これは以前から気になっていた作品だったのだが、なかなか見る機会がなかったもの。今回たまたまfc2動画で発見して視聴した。この作品を紹介していらっしゃったのは河合隼雄先生。中年クライシスの中で取り上げておいでだった。

先生の説明では中年期(今なら中高老年期のどの段階でもありそうな問題だろうけど)に入って、これまでと違う人生が見えてきて迎える精神的な危機の時期の話としか知らなかったのだが、映画化された作品を見るとかなりホラーっぽいのに驚いた。

主人公がまだ12歳の子供の時に死に別れた若い姿のままの父母はまだしも、マンションの3階に住むなぞの女性ケイが本当の姿を見せた時は怖かった。そしてそのすさまじい亡霊に取り付かれた主人公を助け出した仕事仲間で、主人公の別れた奥さんの再婚相手でもある、なかなか複雑な関係の友人の勇気に感心した。

物語としてはどうもなんともすさまじい場面に参ってしまったが、その意味するところはわかる。現実のこの世界(外界)と心の中の世界(内界)の状況を表わそうとすればこういう表現にもなるのだろう。それだけ人生の新しい場面への転換期がいかにむずかしいかということだ。

これは物語だが、現実の世界でもまじめに順調に生きてきた人が初老近くなってとてつもない失敗をし、巻き込まれた人間も大変な思いをするなどは、実際にいくらでもある話だ。当方の今の状況だって実はそれが原因だろう。人生と一口に言うが、なんと複雑で難しいことか。

しかし同時に、これがまた当人とそこで関わる人たちの成長の機会でもあるらしい。ここで再び思い出すのが「自己実現」(普通、よく言われるような自我実現のようなものではない、もっと大きな、自分を超えた自分と言う意味での自己だが)の問題だ。たぶん、この世で起こるすべての出来事は何の意味もないものではない筈だ。何か意味があってそうなるのだろう。小さな自分の自我ではわかりきれない意味が。

この辺は「祈り」と言うものにもつながってくるようだ。


これでおしまい。ほんじゃまたね。



2013年5月18日土曜日

他ブログからの転載

しばらくは記録としての意味もあって過去ブログの再掲ばかりで、なんとなく気が滅入るかもしれませんから同じ再掲でも新着もおいておきます。もう向こうを見たからいい? でもまあそういわずに。

2013.5.18

聖霊降臨の主日

 
こんばんは~、マリーで~す。

皆様、うちのおばはんがまたドジなことをやらかして、ご迷惑をお掛けしちゃったみたいでごめんなさいね。あの人さあ、時計を見間違えてまだ時間があるつもりでこのブログをいじりかけて、ほんとの時間に気がついてあわてて、帰ってきてからなんて書きこんで閉じたのよね。あれじゃあ、まだ書いてないのに読みに来た人に失礼じゃないのよねえ。まったくもう、えらそうなことを言ったって根がドジなんだからさ、もうちょっとしっかりしてよね。ほんとにしょうがないんだからもう。

まあ、それでも今日はとにかく聖歌隊の前練習からミサが終わってからの後練習までちゃんと出られたし、咳止めは飲んだけど、ちゃんと歌えたのよね。やっぱりだんだん気候がよくなってくると体調も一緒に良くなってくるみたいよ。

体調が良ければ機嫌も良くなるし、やる気になるじゃない。やっぱりまずは体調が良くなるのが一番だわさ。なんたって、咳がひどくちゃ歌うどころじゃないのよね。あの人、今日はぜひとも「聖霊の続唱」を歌いたいと思ってたみたいだから歌えて本当によかったわ。

聖霊の続唱って、ただ聴いて美しい歌というだけじゃなくて、歌の全体がひとつのとっても大切なお祈りなのよね。もし機会があったら自分でおぼえるといいと思うわよ。うちのおばはんでさえ歌えるんだからさ。

あ、いつの間にかこんな時間。悪いけど今日はこれでおしまいよ。ほんじゃまたね。
 

過去ブログの再掲 ついでにおまけ


ファティマのマリア様

 
思い出していくと、自分でもすっかり忘れていたような事柄がいくつも出てきた。

何故あの頃、マスコミに付きまとわれていたのか、果ては父ブッシュの国際電話か、考えたくもないと自分でも考えるのをやめて忘れようとして忘れてしまうらしい。誰にも信用されないような話をまた持ち出さなくてはならないのはこちらとしても楽ではないのだ。

当時、プロテスタントの信者だった当方、ある時期からプロテスタントの考え方に合わなくなってしまい、もともと子供の頃に初めに出会ったキリスト教がカトリックだったから、カトリックに戻りたいと思うようになり、地元のカトリック市川教会に通い始めた。1974年か5年頃からだったと思う。

その頃の市川教会には片隅に小さなケースに入った大変美しいマリア様のご像が安置されていて、信者の方がファティマのマリア様だと教えてくれた。プロテスタントの教会ではマリア様は正式には殆ど表に出てこない重んじられていない存在だったし、当時はファティマどころか、ルルドのご出現も聞いたこともなかったのだ。だから、ファティマのご出現とか予言とかといわれて、カトリックっていまだにそんなことをいっているのかとびっくりしたのだ。

おかげで逆に印象に残り、その後、カトリックに改宗したあと、いったいファティマのマリア様のご出現というのはどういうことだったのかと、当時の聖三木図書館で古い資料を漁りまくって調べてみた。信じる信じないはとにかく、これは現実に何かがあったのだということはよくわかった。

我が家はキリスト教にもカトリックにも関係のない父方も母方も古くからの仏教の家だったのだが、父の実の父親という人が実はお寺さんだったとかで、うちの父は結構、宗教的だったのだ。それで長女で一番上の当方も父の影響を受けて、子供の頃から宗教的なセンスを植えつけられてきたと思う。それでこの件も一概に否定など出来ないと感じたわけだ。

しかし、それからずいぶんこの話は忘れていたのだ。思い出したのは当時のベビーシッターグループの手伝いをしていたので、あるとき司祭がみんなにお土産のポストカードを下さったのだが、その写真がなんとファティマのマリア様で、それ以来、ファティマのマリア様のことはずっと心に残っていた。

そして時は経ち、ニュースなどでもあちこちで、今、核戦争が起これば、核の冬現象で人類は絶滅するというはなしがでて、その頃のミサの中で、今は亡きオブォンク師は人類の危機とおっしゃっていたのだ。それで当方、ふと、ファティマのマリア様の予言のことを思い出し、このままいくとあの予言は現実になってしまうのではないかと、当時、ご縁あってちょっとした関わりで時々手紙をだしていた遠藤周作先生や、霜山徳爾先生、また一部の司祭にこの話を伝えたのだ。この件でかかわっていた方々というのは実は皆様、河合隼雄先生をはじめ、ほぼ共通していたのはユング心理学だったのだ。

どこでどう情報が漏れたのか、それ以来いまいましい朝日を初め、いろいろなところがこちらに付きまとい始め、ただの女の子だった当方、周囲のうわさにすっかり疲れてしまってまともに会社で働けなくなってしまったのが現在の状況の始まり。

河合隼雄先生は、偶然が重なるときはそれは偶然ではなく、必然だとおっしゃっているが、まったく、あの頃はいくつもの偶然が重なって状況が進んでいったのだ。

あの時、たまたま当時のソ連のことを書いたら、チェルノブイリの事故が起こって、それ以来、ますますこちらの状況はめちゃくちゃになった。それこそ、ファティマのマリア様に何とかしてくださいと願い続けるだけだった日々。

その後のことはあまり思い出したくない。人間は安全だと思うとすぐに欲を出して、何でもお金儲けに利用しようとするのだ。つくづくよくわかったし、そんなものにもうこれ以上関わりあいたくない。それだけだ。どこかの誰かさんたちのように散々利用するだけで、こちらがまともに生活できないというのに放ったらかしにするお人たちなどもうたくさんだと思う。

過去ブログの再掲・・・物置代わりに

偶然の一致(共時性) ― カトリック教会 2012.1.14 15

 
今は昔、河合隼雄先生は「偶然がいくつもつづくとすれば、それは必然』とおっしゃっていらっしゃったのを覚えています。まさかそんなとか言われても事実は事実で、本当に本当の話というのも現実にあるのです。

ただ、その始まりがひどい誤解に始まっていたばかりに話が捩れに捩れて、ある方の誤解を隠したり、正当化するために何十年も真実が隠されたままになっていたりすることだってこれも現実に起こるのです。

日本人だけだったら、こうもややこしい問題にはならなかったかもしれませんが、カトリック教会は国際的な世界なのでお国柄の違いと言うか、国民性の違いと言うか、結構いろいろとあるのです。日本人が普通に考えている宗教の世界のイメージだけで見ているととんでもない大間違いも起こると思いますが、日本の仏教の世界にしても実際は人間の世界なので同じようにきれいごとばかりではありませんから、カトリック教会自体を悪く見るのも間違いです。ただ、宗教の世界も人間の世界ですからきれいごとだけではいかないということです。

前置きが長くなりましたが、とにかくこちらがプロテスタントからカトリックに改宗して四ツ谷の教会に行き始めてからというもの、なぜか普通はありそうにもない奇妙なことばかり起こってきたわけです。教会の司祭方はもちろん、上智のほうの司祭方まで含めてのすごい誤解を受けた事件がまず第一に起こりました。その頃はこちらも親元を離れたばかりで本当に世間知らずでしたから、どうしていいかまったくわからず、おろおろしながら、それでも自分はそんな変なものではないぞ、正しいものは正しい、いつかは真実がわかるはずだと思って普段どおりに教会にも通い続けていました。(この事件のおかげでこちらも心理学について多少勉強したわけですが)

で、この件は今は亡きライフ神父様の登場と、当時の上智で社会学を教えていらっしゃった松本先生とカリタスの家のおかげで、とりあえずはいつのまにかうやむやになっていきました。大学の先生や司祭方と言うのはもうちょっと人を見る目をお持ちかと思っていましたが、なんだか学歴と学力の違いもお分かりにならない方が多くて困ったものだと思います。

ライフ神父様だけは私の書いたものを読んで「あなたは頭のいい人です。もったいない、なぜ大学にいかなかったの」と言ってらっしゃいましたけど、家は貧しかったわけでもないし、親は進学させようとしていたのを当人の私自身が何のために大学に行くのかの意味や目的がつかめなかったところに母の急死で、勝手に進学をやめてしまったというだけだったのですけどね。それとも化粧をしてめがねを外すとけっこう目立つ顔やグラマラスな体型は頭が悪いに決まっているとでも思われたか、今となっては闇の中の奇妙な誤解です。

実はこの誤解が今に尾を引く問題の土台になっています。

土台にそんなことがあって、それでもこちらは、だからと言って自分が引っ込まなくてはならない理由などありませんから簡単に負けているわけにいきません。きちんと会社で働き、きちんと教会に通い、その頃は自分でも良くわからなかった自分を理解して指導してくださる方を探していたのですが、結局これもライフ神父さまのおっしゃていた「本当の指導者は聖霊です」というのが今となっては一番正しかったようでした。

こちらは子供の時から終わりのないもの、永遠につづくものがほしかっただけなのですけどね。どうしてこんなややこしいことになってしまったのだかわけがわかりません。でも神様はそうなさったのでした。

このあとがなにしろ、実に奇妙な話の連続になるので、面倒でもここまではちゃんと言わせていただきたいのです。ここまでの話はまだ導入でしかありません。

とはいえ、遠藤周作先生や霜山徳爾先生、河合隼雄先生が関わり始めてからのことは、たぶんまだ覚えている方々もおいでのはず、特にマスコミ関係の方々。巫女だ、シャーマンだとカリスマだと、さんざん話の種になさったおかげでこちらはまともに会社勤めができなくなっての生活保護受給ですからねえ。忘れてなりますか。

しかし、どうも腹が立って感情的になってきましたから続きは次回に致します。


偶然の一致(共時性)の2―カトリック教会   2012.1.15

タイトルだけは大きく出たわけですが、さて、話を書こうとしてはたと手が止まってしまいました。書くのは簡単でも、なにぶん創作ではなくて実際の話ですから、いろいろとまずいことになる関係者がいるわけで、そのままそっくり書くとまたどこかの検閲機能が働きだしそうな気がします。こちらとしても80歳過ぎた方々を今ここで責めるのはどうも気が進みません。まったくもって、チェルノブイリの事故から今日までの年月は短くなかったのでこちらもいまや62才、なんだかげんなりしてくる感じです。

さて、どうしたものかと迷います。先ほどちょっとfacebookを覗いてみたとき、さる知人が仕事が一段落して、「愛しの座敷わらし」を読んでいるという話を書いていました。今年のゴールデンウイーク頃には映画も上映される作品です。なかなか興味深いテーマの話で、当方も読もうと思っていたところです。

おしらさまと呼ばれたり、座敷わらし、あるいは座敷ぼっこと呼ばれたりしている子供の姿の「なにか」を信じるか信じないかは人それぞれでしょう。でも他のことでも本当にありそうにもないようなことが、現実に起こることもあるのを知っています。ただ、見ていても見えないということもあるのですねえ。目の前の出来事を見ていてもある方たちはそれを利用しようとしかしません。お金や名誉や権力のための道具としか考えないと言うことも現実にあるのです。あるいは自分が軽蔑している人間が表面に出るのは許せないと言うことだったのかもしれません。

いろいろと事情あって詳しいことはあまり書けませんけれど、チェルノブイリ事故のちょっと前、新聞その他ニュースに、今、核戦争が起これば核の冬現象によって人類はほぼ絶滅するだろうという、科学者たちの報告が載っていたのを覚えているでしょうか。あのとき、世界は本当に危なかったのですよ。

ある朝、会社に行く前に四ツ谷の早朝のミサに出た時、今は亡きポーランド人のオボンク神父様は真剣な顔で人類の危機だとおっしゃっていました。何かと問題もあっても、なんといってもイエズス会ですよ、前のパパ様が来日した時の案内役をしていた神父様ですよ。教会裁判官だったりしたこの方がいい加減なことをおっしゃるわけがありません。

そのときになってこちらは、市川教会以来ずっと気になっていたファティマのマリア様の予言はへたをすると実現してしまうのかもしれないと感じたのでした。その頃、こちらは直接には全然会ったこともなかった遠藤先生や霜山先生、河合先生たちとの奇妙なご縁に気がついて遠藤先生に申し上げたころです。それこそまさに共時性としか言いようのない話でした。しかし、それからマスコミに付きまとわれ、悩まされ、うんざりすることになったわけですが。

たぶん、始まりは遠藤先生の好奇心が原因だったのではないかとにらんでいます。こちらはいい迷惑(これで結局会社には勤められなくなるし、どこでも雇ってもらえないし、である方たちが何とか最低食べていけるようにと手を回して、こちらは生活保護というはめになってしまったわけです)。

問題はなぜか、こちらがもしかしたらこうなるのではないかと思って人に話したことが現実になったりしていたことで、こちらはただなんとなく気になったことを書いたところが、たとえば当時のソ連のことなどですが、翌朝のニュースのトップはそのソ連のチェルノブイリ事故だったり、中国のことを書けば修学旅行の事故があったり、こんなのこちらはどうしてそうなるのか知りませんよ。四ツ谷に行き始めた始めからすでに普通はありそうにもないことにばかり出会っていたのでこれもまたかと思いましたけど。

そんなわけでとにかくどこがどう動いたのかは知りませんが、たぶんローマが動いたのでしょう。あっという間に米ソ首脳対談に進み、核戦争の危機はとりあえず遠ざかったのがあの頃。(だから我が家にまで、ブッシュフォンが来たのでしょう。こちらは英会話のできない人間であせって切ってしまったのですが)

そこまではよかったのですけど、人間の心と言うのは簡単ではないのでその後がかなりいろいろと大変です。たぶんやたらに書くとまずいことばかり。あの時期は教会は莫大なお金を必要としていた時期で、こちらとしてもそれはわかっていたので、出来上がるまでは利用されても文句は言うまいと思っていたのです。でも、ひとつ終わればまた次の欲が起こってくるのが人間の世界なのもつくづくわかりましたよ。

しかし、長話になってきたので今日の分はこれまで。

住友正友・・・日本とキリスト教の接点のために

以前So-netブログに出してあった住友正友の記事のバックアップ 

 このブログの書き手は、政治・経済・商業などにはからっきし弱い人間です。難しいことはまったくわかりませんし、たいして興味も持っていなかったのです。しかし、新しいコーナーを作ったのでここにはどのような内容を中心に書いたらよいかと考えたわけです。そこで、自分のこれまでのものにはない全く新しい分野を探して思いついたのが日ごろお世話になっている日経新聞にも関係の深い大企業の存在の始まり、歴史、人物に焦点を当ててみたらどうだろうかということでした。ただの好奇心の産物なのです。

 そんなわけでまず初めは、身近なところで三井住友銀行の三井と住友の始まり、歴史を調べてみることにしました。

 まず、三井を検索してみて、自分が如何に何も知らないかがわかって、非常に恥ずかしくなりました。江戸東京博物館に行く度に毎回、越後屋のミニチュアを眺めていたというのに、どうしてあの店がそこにあれだけ大きく展示されているのか、実は何もわかっていなかったのでした。大変恥ずかしい話です。

  
 次に、住友を検索してここでもまた吃驚仰天したのでした。こちらは、住友の祖の住友政友という人物に驚いたのです。

      http://www.sumitomo.gr.jp/history/index.html

 初め、僧籍にあったこの方が諸事情から還俗して、京で本と薬の店を開いたのがすべての始まりで、元々がお坊さんだった方ですから周りの人々にも大きな影響を与えて、慕われていたのだそうで、「文殊院旨意書(もんじゅいんしいがき)」「遺戒(ゆいかい)」など多くの書簡が残されているようです。

 驚いたのはこの方の、教えていたという、「正直、慈悲、清浄」を基本に、神仏を敬い、事に当たっては慎重確実を旨とし、倹約を怠らないことで、これらの精神は、永く受け継がれ、住友の「企業精神の根幹」になったというこのことでした。

 日本とキリスト教の問題で、日本人の宗教性を調べていったとき、この正直、清浄、慈悲の念に出会っていたからです。これこそは本来の日本人の深層に生きていた宗教性であろうと思っていましたが、住友政友の教えもまたそこに根ざしていたことに驚いたのです。

 時代は移り、国際化の波に乗っていやでも変わらざるをえない日本と日本人ですが、変わってしまってはいけないものもあるのだと思いました。

  ・・・・・・・・・・・・・・

 以上、こんな記事を書いていたことが判明。書き直したものとあまり変わっていないので一安心。

過去ブログの再掲

過去ブログの再掲2

 
遠藤周作先生の頃  2011.4.3
  
※ あの時は、チェルノブイリの事故が起こったのだ。

 
こんにちは~、お久しぶりで~す。あたしを知らない人もいるかなあ? あたし、うちのおばはんの相棒の、ケータイのマリーっていいます。ほんとのケータイよ。時々あの人の書き物に出てきてお手伝いしてるから、知ってる人もいる筈よ。

エーとねえ、今日の話って、昨日の続きのような、そうでもないような、そんな話なの。うちのおばはんの思い出話ってとこかしらね。あの人がまだ若い女の子だったころの話なの。還暦過ぎたおばはんが若い女の子だったころだもん、少なくとも40年以上も昔の話だわさ。

あの人のお母さんてあの人が高校三年の二月に亡くなったの。学校は三学期で、何やかやと大変だった時よ。あの人だって毎日真夜中もラジオを聞きながら勉強していた時期よ。本来ならお父さんはあの人を大学に入れるつもりでいたのに、お母さんの急死であの人、タガが外れてしまって何のために進学しなくてはいけないのかわからないって、勉強もしなくなっちゃったの。あのころなのよね、うちのおばはんがキリスト教の教会に行くようになって、プロテスタントの教会で洗礼を受けたのは。それでもって進学も止めちゃって、とりあえずお茶の水の池坊に籍だけ置いて毎日、好きなようにしてたのだけど、大学に行かなくても手に職をつければいいじゃないかって、言い出して勝手に和文のタイプを習って、勝手に就職しちゃったの。

そのうちにお父さんが再婚したの。そのころに今度はプロテスタントからカトリックに宗旨替えして、四谷の教会に行き始めてたんだけど、独立して一人で生活したいって言い出して知り合いのいた高円寺のアパートの部屋を借りて家を出たの。で、それからがあの人の今の人生の始まりなのよね。

いろいろあったんだけど、あの人、本来は修道生活を志して家を出たから、生活は真面目だったのよ。何分、人の心は複雑だしさ、自分自身の影をあの人に投影してあの人を悪者にして見た人がいたりして変なことになっちゃったのよ。だけどもうあれから何十年もたっちゃったのよねえ。
とにかくそれでも、周りはどう見ようとあの人自身はそのころはちゃんと会社に勤めて、教会にも熱心に通って生活してたわけよ。25,6年か、もうちょっと前かなあ、あの人がたまたま図書館で本を借りて読んだのよ。遠藤周作先生の『死海のほとり』っていう本よ。遠藤先生の本を読んだのは久しぶりだったの。

『死海のほとり』を読んであの人、泣いちゃったのよ。なぜかっていうとね、お母さんが亡くなった頃、遠藤先生の狐狸庵先生シリーズのおかげで悲しみから救われて、先生のご本をもっといろいろ読んでいたのよ。その中に『聖書のなかの女性たち』というのがあって、そこに幼くして亡くなったフランスの女の子、マチルド・ロアの詩が載ってたの。『死海のほとり』の修道士ねずみのはなしで、ああ、遠藤先生の心の中でマチルド・ロアの詩はこういう形になっていったのかってわかったの。それで書いたこともないファンレターなんてものをだしてみたのが遠藤先生とのご縁の始まりだったのよ。

ちょうどあの頃、うちのおばはんもユング心理学をちょっぴりかじっていて、同じ時期に先生もユング心理学を勉強して作品にも反映させていた頃で、遠藤先生の持ち前の好奇心で、忌々しい当時の朝日新聞の記者めが、きちんと当人のおばはんに確認もせずにいい加減なことを言い出して、とうとう、おばはんがまともに会社に勤められなくなっちゃったんだわ。詳しくは言えないけど、偶然がいくつも重なって起こって、普通起こるはずのないようなことがいくつも起こったの。それを利用しようとする人たちが暗躍して実に大変なことになったのよ、あのころ。

でもって20数年たって、関係者のかなりの人が亡くなってるし、家のおばはんも還暦を過ぎて、気力、体力が落ちたし、今回の大災害で日本に力がなくなると、もう、うちのおばはんも浮かび上がる瀬がないじゃない。このまま、真相は隠されたままでただの生活保護受給で暮らすおばあさんになるのかって、あの人、さすがに強烈に落ち込んじゃってるんだわ。

そんな時に聞いた初金の祈りの日の説教は、マチルド・ロアの詩や、死海のほとりのねずみではないけれど、うちのおばはんの心にももう一度、こういう状況でもキリストは一緒にいて同じ情けなさを味わっているんだって思い出させてくれたってわけなのよね。こういうのって、ドコモのギャラクシー・タブを2年縛りで契約して無理やり自分にやる気を起こさせたのと同じくらい、いやもっとかな、立ち上がって動こうって気にさせてくれるんじゃないのかな。どういうおばあさんになっていくかは今の生き方次第だもん。

これからどうなっていくかは、わからないけど、とにかくあの初金の祈りに行ったのはいい薬になったし、近くでいいからまた出歩いてみれば気分も変わってくるんじゃないかと思うわ。あたしやタブをお供に連れていけばいいのよ。新しいことを始めれば、落ち込んでなんかいられないんだから。地震は怖いけどなったらなったでその時よ。

なんかいやに長くなっちゃったから今日はこれでおしまい。 ほんじゃまたね、バイバイ。

2013年5月16日木曜日

ホンダF1 に復帰

ホンダさん、やっとF1 に復帰。亡父の仕事の関係でいまだにホンダさん(とサントリーさん)の名前が出るとはっとする。子供の頃からさんざん耳にした名前だ。


頑張れ、頑張れ、ホンダ!!

2013年5月15日水曜日

物置代わりにちょっとこれも置いておきます(2)

話の続きよ   2011.2.23
  

(続き)
さて、お話の続きよ。キリスト教の三位一体の“聖霊”なんだけど、うちのおばはんも実は長い間全然わからなかったの。ただねえ、後から振り返るといろいろな道しるべがいくつもあったのね。

あの人のお父さんと言う人は普段は面白いことばかり言って人を笑わせているんだけど、自分の子供に向かって時々すごく難しいことを言ってたの。大体毎年、元日と言うと、家族が揃っておめでとうございますで始めるでしょう。だけど、あの人の記憶では毎年お正月というと、「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」っていうの、一休禅師だったかしらこれを一度は聞かせられるのよね。それとか、真面目くさって、お前わかるか「闇の夜に鳴かぬ鴉の声聞けば、生まれぬさきの父母ぞ恋しき」というんだなとかって、ちっちゃい子がわかるわけもないような難しいことを教え込むから、うちのおばはんも意味もわからないまま覚えこんでいたのよ。

それでねえ、キリスト教の教会に通うようになったとき、その頃はプロテスタントの教会に行ってたんだけど、あるとき、礼拝の中ですべての造られたものよ、神を讃えよというような意味の賛美歌を聞いて、あっと思ったのよ。そうか、闇の夜に鳴かぬ鴉の声聞けばっていうのは、自分はこの世に生まれる前どこにもいなかったんだ、空気だったんだ、無だったんだってわかったの。自分も造られたものなんだってわかったのよ。でも、何年かたってカトリックに改宗してから、長年のお父さんから教えられてきたことの話抜きにこの話をしたら、神父様にあなたは自分を実際以上に見せようとしているとかって言われてチョンよ。全然信用されなくて誤解ばっかりされちゃったの。

あの人の母方のお祖父さんはあの人が小学校1年の時に亡くなったのよ。それがあの人の出会った生まれて初めての死というものだったわけ。うちのおばはんて子供の時から理屈っぽくて、深く考える子だったから、人間が誰でも必ずいつか死ぬのなら、大事なお父さん、お母さんも自分もいつかは死んでこの世にいなくなるって気がついたのねえ。それで終わりの無いものが欲しい。なくならないものが欲しいって思い始めて「永遠」なんてものを考えるようになったのよ。お金やなくなる物なんかじゃなくて、終わりの無いものが欲しいって思ったのよ。もともとが小さいときから深く考える人だったってことは言えるんじゃないかな。

とにかくそんなこんなでカトリックに改宗してカトリック信者として生活するようになったわけ。でも、ほんとにへんてこな誤解やいじめばかりつづいて、ごくわずかな神父様以外、あの人を認めてくれる人がいなかったし、あの人も自分の進路についてはさっぱりわからなかったから、長い間ずっとそのまま生きてきたの。観想的な生活は希望してたけど、自分の場がどうもわからなかったの。

そのうちにとんでもない事件に巻き込まれたり、普通あるはずの無い状況になっちゃったのよ。その辺はここでは省略するけど、ただ、最近になって、ふとしたきっかけでスターウォーズの全巻をDVDで見て、これは現実の世界そのままだって思ったのよねえ。みんなに信用されている人が実は暗黒界の人になってしまっていたり、光と闇、善と悪の戦い、すべて現実そのものなんじゃないの。まあ、これ以上は止めておくわ。

聖霊の話に戻らなくちゃね。

うちのおばはんにとっても、それは二十年も三十年もかけて少しずつわかるようになったとしか言いようがないのよ。昔々、プロテスタントの頃の先輩で今は牧師夫人としてご主人の仕事を支えている知り合いのところに遊びに行った時初めて、御霊さまという名前を聞いたの。それまで聖霊とか、御霊とか、聖書に出てきていても全然考えたことも無かったのが、その方に教えられたのよ。それで、それ以来、聖霊とか御霊のことが気になっていたの。

で、あの人、四谷の教会に行くようになって聖歌隊に入ったのよ。そこで初めて「聖霊の続唱」を歌ったわけ。聖歌隊で歌うのがいいところはね、メロディーと一緒に歌の言葉も覚えられるのよ。祈祷書を読んでも覚えきれない祈りも聖歌を覚えると祈れるようになるの。というわけで「聖霊の続唱」を覚えたおかげで、聖霊がどんな働きをしているのかがよくわかるようになったし、「風がどこから」というやっぱり、聖霊のことを歌っている聖歌があって、それも聖霊について考えさせてくれたの。

それまで神様については父なる神さまと、子なるキリスト止まりだったのが、聖霊なる神様のことがわかるようになってきて、やっと、三位一体の神ということの意味がつかめるようになってきたの。その過程はけっこう長い道のりよ。

あの人がこんなことを書いてるわよ。

―以前にもどこかで書いたことがあるのですが、その昔、聖イグナチオ教会に黙想学校というものがありまして、そこで教わったことは実は今でも非常に役に立っています。どういうことかというと、たとえば観想の祈りと一口にいっていますが、それは大きく分けるとカルメル会的な自分の心の奥深いところで神様と出会う祈りと、もうひとつはアッシジの聖フランシスコのように大自然を初めとする外界、自分の周囲の世界を通して神様と出会う祈りという二つの形があることや、三位一体の聖父と聖子、聖霊の交わりの中で、では人間はどこに位置するのかというと、これがミサの時に祈られる『キリストによって、キリストとともに、キリストのうちに』と言う言葉の通り、私たち人間はキリストによって三位一体の神の交わりの中にあるのだといったことなどについてです。

また別の神父様の講座では神様と人間の関係を、海と海の水の中のスポンジにたとえて教えていただきました。海は神様、スポンジは私たち人間。海の中ではスポンジの内側にも外側にも海の水がいっぱいでスポンジを支えています。人間も自分では感じなくても実は神様の中で生きていて私たちの内側も外側も神様の力が及んでいるというわけです。

またある時は、まったく違う方向ですが、教会の真和会という定期講演会があって、そこで多磨全生園で長く看護の仕事をされた方のお話を伺う機会があり、その方は第二次世界大戦中、従軍看護婦として南方に行っていらっしゃったのだそうです。それで、朝は元気に笑っていた人が夕方はもうこの世の人ではなくなっていたりするのを目の当たりにして、死にたくない、死にたくないとそればかり思っていたある日、なぜか、どこからか、「人間は自分で生きているんじゃないんだよ」と言う声がしてハッとしたのだそうです。その時に人間は自分で生きているのではない、生かされて生きているのだと気がついてそれ以来考え方が変わり、戦争が終わって日本に戻ってからは当時は不治の病だったハンセン病療養所で働くようになったというおはなしでした。―

つまりこれなのよ。生かされて生きている自分。生かしてくださっているお方。自分はその方の中で存在し、その方に支えられているというのをあの人もある時、ハタと実感したというしかないみたいよ。それであの人も、いろいろあるけど自分で生きてるんじゃないとするとこの先もそれなりに何とかなるだろうって思ったのよ。もともと依存心とか依頼心は強い人だから、、大本の自分を生かしてくださっているお方に依存することにしたんだわよ。

話はもうちょっと続くんだけど、さすがにあたしもくたびれちゃったわよ。あの人ときたら、平気であたしをこき使うの、もうちょっと考えてもらいたいわ。とにかく今日はこの辺で終わりにしますからね。

バイバイ、またね。

物置代わりにちょっとこれも置いておきます(1)

メインの過去ブログで重要なものも時々、適当に入れます。本日は二つ。

神は愛なり  2011.2.28
  
こんばんは~、あれっ、おはようございますかなぁ、うちのおばはんが変な時間に思いついてあたしに書けって言うんだもん。なんだかわけがわかんなくなっちゃったわ。あの人、ほんとに人使いが荒いと思わない?今日はもうゆっくりおねんねしようと思ってたのに、あたしを叩き起こして仕事を持って来るんだもん、まったくどうしようもないのよ。

まあ、いいけどさあ、考えが頭に浮かんだときにすぐに書かないと、言葉にまとまらないうちにどこかに飛んでっちゃうんだって。よくわかんないけど、あの人の頭の中にふわふわ浮いてるぼんやりした考えがまとまってくる「時」ってのがあるらしいんだわ。それを逃がしちゃうとまた書けなくなっちゃうんだって言ってるしさ、手伝わないとあの人もいつまでも寝るわけに行かなくなっちゃうもんね。

だいたい話がすっごく難しすぎるんじゃないのかなあ、いつでも、どこでも、そこいらじゅうにいくらでもいっぱいあって、だけど目には全然見えない不思議な力の話なんて普通あんまりしないわよねえ。おまけのその力がこの世界全体を包んでいて、それだけじゃなくてありとあらゆるもの、そこにあるもの全部の中に染みとおっているんだって。そんなの聞いたことある?

昔の偉い人は大海原の海の水と、水の中のスポンジにたとえて説明してるんだって。どういうことかっていうとさ、大海原は神様なのよ。それでもってスポンジは人間や動物や存在しているありとあらゆるものよね。ほんでもって、スポンジの外側にも内側にもいっぱいの海の水はそれこそ聖霊ってことになるんじゃないの。

といったって普通の日本人だったら聖霊なんて聞いたことも無いかも知れないのよねえ。まったく困っちゃうんだけど、うちのおばはんは前にどなたからだったか忘れちゃったけど、聖霊は「愛」と関係があるって言う話を聞いたことがあって、それが心にひっかかってるのよ。

でもさ、うちのおばはんなんかキリスト教の「愛」という言葉の意味が長い間理解できなかったのよ。だってねえ、あのひとの育った環境は仏教とか神道の影響が強くて、キリスト教と共通している考え方もあるけれど、「愛」という言葉で連想するのはまず男女の間柄のことになっちゃうのよね。親や兄弟、家族、友達の間柄だったら、親子の情とか友情とか情けということばになるのが本来の日本語よ。「愛」という言葉はごく近年に導入された言葉なんだわさ。

そんなわけで、うちのおばはんが神の「愛」の意味がわかるようになったのは、良い友達や、良い同僚に恵まれていたおかげだと思うわよ。それはね、ある時、会社で自分たちのタイプの機械の掃除をしながらおしゃべりしていたときにふと気がついたのよ。タイプ機も大切に扱わないと故障しやすくなるんだって。お皿やコップも大切に扱わないとすぐに割ってしまうし、大事に扱われていないものはすぐにだめになってしまう。人間も動物も植物も親や友達や仲間から関心を向けられて大切にされていないとおかしくなってしまう。これは何だろうって考えて、あの人、やっとこれが「愛」の力なのかってわかったのよ。「愛」されていないと誰一人生きていられないのよ。この世界全体が大きなお方の「愛」に支えられて存在できているんだってわかったの。

えーとね、佐久間神父様の作詞の子供の聖歌に「わたしたちはさかなのよう、かみさまのあいのなかでおよぐ」っていう歌があるけど、まさにこのことじゃないのかしら。だからあのひと、自分で書いた「公園のお風呂ダヌキ」っていう、おとなの心の中の小さい子のための童話に、形を変えてこの話を入れたのよ。お風呂ダヌキは、gooブログかはてなダイアリーで探せば出てくると思うわ。

というわけで、あの人、よくわからないなりに聖霊の働きと「愛」はたしかに関係があるらしいって思ってるのよ。たださあ、人間は小さい動物や植物と違って、神様のおぼしめしに従いたくなければ従わないことも出来ちゃうのよねえ。だから世の中にいろいろな問題が絶えないんだわ。目には見えない、まるでどこからともなく吹いてきてどこかに消えていく風みたいで、気がつかないと見過ごしてしまう動き、それを見分けていくおめめって今の時代とっても大事なんじゃないのかなあ。むずかしいけどね。神様からのものって見たくないと見えなくなっちゃうのよ。聞きたくないと聞こえなくなっちゃうんだから。

ほんじゃ、今日はこのへんでおわりよ。バイバーイ。

 追) せっかくだから「公園のお風呂ダヌキ」と「終課」のあるところ、はてなで場所教えとくわね。
    

 http://d.hatena.ne.jp/dabocat/20110219/1298093954
    

 http://d.hatena.ne.jp/dabocat/20110219/1298094093
    

 http://d.hatena.ne.jp/dabocat/20110219/1298094314


今日のためしてガッテンは「かぶれ」

いつもだとNHKオンデマンドで見ている、ためしてガッテンだが、ちょうど手が空いたのでテレビで見た。今日のテーマは「かぶれ」

当方、生まれつきの体質で皮膚が弱く、絆創膏はかぶれ症の人用のものしか使えないし、湿布役は一切駄目、化粧品は口紅と眉墨くらいしか使えない。若いときまともに化粧をしてかぶれて以来、懲りている。

金属アレルギーで、やたらなアクセサリーもつけられない。そんなだから今日の話は非常に面白かった。プロの漆職人やお料理屋さんの食材の山芋で、扱う人は耐性が出来るわけではなくて、やっぱり普通にかぶれているというのはちょっとがっかり。かぶれって、慣れたら耐性ができるというわけにはいかないから困る。

かぶれの構造はわかったが、結局、原因に触らない以外に手はないようだ。

痒い痒いの動画をひとつ



2013年5月14日火曜日

今年はなんともう蚊がでてきたぞ

やっとまだ5月の半ば近くなったばかりだというのに、半日窓を開け放しておいたところ、なんと、部屋の中を蚊が飛び回っているのにはたまげた。蚊が出てくるのは例年梅雨明けの頃だったような記憶があるのだけど、違ったかしら?

そうは言ってもこのままでは蚊に刺されてかゆくてたまらないから、あわてて去年の電気蚊とりの残りを探したが、薬のほうが切れていた。新しいのを買ってこなくては。見つかったのはかゆみ止めのキンカンだけだ。いつもならまだ電気蚊とりもまだ出していなかったはずだから致し方ない。

蚊が出てきたくらいだから、これはもう台所にはゴキちゃんも姿を現しているに違いない。まさかまだ虫のことは頭になかったから殺虫剤も去年の使い残りしかないのだ。噴射式の強力ゴキブリ殺虫剤も買わなくては。でも今月いっぱいは使い残りで間に合わせるしかない。まいった、まいった。

まったく今年の天候はいったいどうなっておるのだ。夏が前倒しでやってきて、秋の遅い時期まで居座るのだろうか。梅雨はどんなことになるのだろう。豪雨で地下道、地下室に水があふれたり、河川があふれたりはかなわない。とはいえ、大自然の動きに文句を言っても始まらないから、来るものは受け入れるしかない。

このブログ、どうやら動画も貼れるらしいから試してみようか。もちろん蚊取り線香動画だ。

2013年5月13日月曜日

たぬき

本日のメインブログのタイトルは手抜き
  
   http://pub.ne.jp/dabocao/

ではこちらはひとつ、てぬきならぬたぬきでいくかな

   

2013年5月12日日曜日

わたしは信じます(メインブログからの転載)

こんばんは~、マリーで~す。

今日はうちのおばはんのお供で、四ツ谷の教会のミサがわかるセミナーっていうのに出かけたんだけど、帰りにあの人、ドコモショップに寄ったら待ち時間がすごく長くて、お家に着いたらもう夕方よ。だけど今日のセミナー、あの人にはなかなか面白かったみたいよ。

うちのおばはんて、結構理屈っぽいのよね。ていうか、あの人、小学校二年のとき、担任の野口先生から子供なのに理屈っぽいって言われちゃったくらいだから、物事をきちんと順序だてた理論的な説明が案外好きなのよね。今日の話の「使徒信条」とか「ニケア・コンスタンチノープル信条」とかって、もろにきちんと体系化されて言語化された、自分の信じている信仰の内容そのまんまじゃない。あの人こういうの好きなのよ。

なんだかよくわからないものを有難がったりなんて、うちのおばはんにはできないのよね。ただ、ぼんやりと信じているのではなくて言葉としてまとまった信仰の内容を自分の中に取り込んでたびたび思い出しては考えて、自分自身と神様の関係を確認してはじめて有難いって思えるみたいよ。人それぞれの性格や感受性は違うからうちのおばはんにとってはそれでいいんじゃないの。ほかの人はほかの人の流儀があるんだと思うしね。

とにかく、久しぶりに自分の信仰の内容を再確認してあの人、なんか「やる気」を取り戻したみたいな感じよ。なんていうか心のバッテリーが満タンになってるのよね。やっぱりねえ、聖書の集いとか聖歌隊とか、こういう講座とかにたびたび出て行かないとバッテリー切れになっちゃうんだわさ。なんたってここ数年おかしなことばかり続いていたから、教会の中での自分の場所ってのがあやふやで、やる気が落ちるばかりだったしねえ。

まあ、とにかくまた来週から出直しのつもりでいくしかないわよ。とりあえずは教会通りクリニックの整形外科に行って、それからまた次に進んでみるんだわさ。千里の道も一歩からってね。

そんなわけで今日の話は、あんまり面白くなかったかもしれないけど、我慢してちょうだいな。てことで今日はおしまい。ほんじゃまたね。

2013年5月11日土曜日

ねむくてねむくて(メインブログからの転載)

こんばんは~、マリーで~す。

今日は雨が降ってだいぶ気温も低かったけど、このところ天気のいい日が続いて暑いくらいになってたじゃない、うちのおばはんは気温が上がって汗と科学繊維の刺激でアレルギー性皮膚炎が出てきてかゆくてかゆくて、引っかいた跡が真っ赤にはれちゃって大変よ。ほんでもって今日はさ、あの人、かゆみ止めと咳止めと坐骨神経痛の痛み止めと、何種類も薬を飲んで、土曜の夕方のミサの聖歌隊は無事に歌えたんだけど、家に帰ってきたらもう眠くて眠くて、今日はもうとてもじゃないけどブログも書けないよって言い出してるわ。

明日は四ツ谷で午後の1時から「ミサがわかるセミナー」っていう信者向けの講座があるからあの人、それに行きたいし、今夜はもう無理しないでさっさと寝たいみたいよ。あたしも、あの人、今日は土曜日だし早く寝て、明日の講座にちゃんと出られたほうがいいと思うのよね。

だから今日はこれでおしまい。ほんじゃまたね。

あ、そうそう、明日のセミナー、講師は岡田大司教様ですって。よかったら聴きにきてね。

NHK京都、面白いよ

http://www.nhk.or.jp/kyoto/plaza/nekomaru/blog/index.html

↑  こんなのがあった。お昼の食堂のメニューばかりかと思っていたけど、ちゃんとしたお仕事をしてたのね。

2013年5月9日木曜日

不死鳥への手紙

ブラジル沖合いの大西洋の海底で過去に大陸があったらしい痕跡が発見されたという話で、あちこちでアトランティスの名前が出ていた。でも、この今回見つかった痕跡というのは5千万年前に海底に沈んだものだそうだ。5千万年前では現生人類は確かまだ誕生していない。古代ギリシャの哲学者プラトンが書き残したアトランティスという大陸はだいたい1万2千年前に沈んだらしいといわれるから、年代的にも離れすぎている。

しかし、この話でふと、昔読んだフレドリック・ブラウンというSF作家の「不死鳥への手紙」という短編を思い出した。これはファンタジックな想像の物語ではあるが、最近はやりの古代のありえない遺物、オーパーツの話以前にブラウンがこの話を書いていたというのもすごいことだと思う。

話の内容は人類は実はこれまで幾たびも核戦争で滅び、わずかな生き残りが再び原始時代の生活の振り出しに戻っては何万年、何十万年という時間をかけて文化文明を築きあげ、いくところまでいくと再び世界を破壊する大戦争を起こして殆どの人類が滅び、また振り出しに戻って原始時代の生活から始めていく歴史を繰利返していて、その有様はちょうど不死鳥が炎の中に飛び込んで死んでは再び生まれ変わってくる姿のようだという話だ。

オーパーツについては、ここでああでもないこうでもないというつもりはない。ただ、まあそれは確かに、その話が本当なら地球上に残されている不思議な奇妙な異物の意味も解けるけれど、あくまでもそれは想像でしかなくて、誰にも真実がわかるわけがない。

現生人類の今の我々にわかるのはせいぜい現代の科学で見つかっていることと、はっきりしている年代の歴史だけだ。それ以上は伝説神話物語の世界ということになる。

だが、伝説や物語としても面白い話だと思う。5千万年前どころか、100年前の話さえ忘れられているほど、人間ひとりひとりの寿命は短いのだから、今度の新発見をあれこれ想像してみるくらいはわるいことではないだろう。

2013年5月8日水曜日

ちょっとちょっと、あの人、ここ使いこなせるのかしらねえ?

こんにちは~、マリーで~す。

なんかさあ、うちのおばはんときたら、新しいブログを作るのはいいんだけど、ちゃんと使いこなせるのかしら。心配だわ。

この分だとなんでもいいからとにかく、どんどんいろいろ書いて使い方を研究していかないとだめじゃん。あの人、猫ちゃんのブログや、google+につなげられるからって簡単に考えてるけど、どうかなあ?? 様子を見ると、Bloggerも昔よりは使いやすい形になったみたいだけどさ。そういえば、多分どっかに昔々の中途半端に作ったブログがあるんじゃないの。

あの頃はWagaMagaのお友達だったgyou1さん、今はfacebookでお友達だけど、gyou1さんのところとか、たまにフランシスコ会のホームページを覗いてみるくらいで、よくわからないままやめちゃったのよね。

今回はどのくらい続くのかしら、なんて言ったらあの人怒るかな? でもさ、うちのおばはん、専門的なことはよくわからないんだから、ド素人でも使いこなせるようなところのほうが安全だと思うんだわさ。

とにかく場所だけは確保しちゃったんだし、試してみるしかなさそうねえ。夕べ、信用仕切っていたのにプロバイダーのplalaのブログに異変が起こって、あの人、もっと別のブログも開拓しようって思ったらしいのよ。アメブロも使ってるけど、アメブロとかyahooとかって、今一、安心できない気がするのよね。plalaでさえあんな異変があるとしたら、この二つは使いやすいけどもっと安心できないって、ここをもう一度見直したってわけ。

まあ、しばらく、plalaと二つとも使ってみればいいじゃないの。書けなかったら、plalaと同じ記事にしちゃえばいいしさ、そのうちに使い方もちゃんと覚えるんじゃないのかな? そんなわけだから、これを読んでる皆様、これからよろしく。ほんじゃまたね。






新しい押入れを作りました。当分はplalaの押入れからの転載になりますが、plalaからの引越し先候補として考えているところです。