2013年8月31日土曜日

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少年Hを見てきました(追加)

 
土曜日の午後、東京は高温注意報が出たそうです。昨日も今日も、そして明日もまだこの暑さが続くようです。その後、雨が降ってから次第に秋に変わっていくのでしょう。でも、まだ雨でも蒸し暑い日々だとか。地球全体の気温が上昇中といいますから、話は簡単ではないようです。海水温の変化で魚の取れ方まで違ってきている状況です。

それはとにかく、昨日の少年Hの話、少し、追加します。

昨日のブログでは、話がややこしくなるので書きませんでしたけれど、映画の中でたびたび日本の昔のオペラ歌手、藤原義江の歌声が流れていました。風の中の羽のように~と歌っているこの人物は、少年Hの作者の妹尾河童さんの河童という名前の生みの親だった方です。妹尾肇くんはいかにして妹尾河童氏になったか、なかなか面白いエピソードもあります。

実は私は妹尾さんの精密な画風と文章が好きで著書はほとんど読んでいたわけですが、少年Hはそれまでのものとはまったく違っていました。とにかく重苦しい内容で読みきるのに努力が必要でした。この本に、いろいろな意見や反論も出ていますけれど、一人の人が自分の目に見えた範囲のことを書いているわけで、ほかのかたがたと同じものが見えていたわけではありませんし、これはこれでいいのだと思います。

それはとにかく、映画の少年Hに流れている歌声の持ち主と妹尾河童さんの関係がわかっていると、話の背景もさらに膨らみ、たぶん、見え方もまた少し広がります。


小説のほうの少年Hも、映画の少年Hも、作者が、そして監督や演技者たちがそれぞれ表現したかったものがあるので、受け取る側もまたこれはこうだと画一的に決め込む必要もないのだと思います。ただ過去の歴史に起こったことと今現在の自分の生きている世界の動きは、やはり時々、比較検討は大切かという気がしますが。

そういえば今日はもうひとつ、朝の連続ドラマのあまちゃんで大きなターニングポイントにきたようで、ドラマの世界でもついに来週は、二年前に現実に起こった東日本大震災がやってきます。ドラマとはいえ、その動きに一喜一憂してきた登場人物たちの運命が大きく変わってしまうのを思うと胸が痛みます。

現実の大震災の時も私たちはみんな、普段と変わらない一日が次の瞬間に崩れ去ってたくさんの人の運命が変わってしまうなどとは考えもよらないまま、3.11を迎えたのでした。戦災と自然災害の違いはあっても、少年Hも、あまちゃんも、どちらも人間の運命というものについて、何かを考えさせられるようです。

2013年8月30日金曜日

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少年Hを見てきました

 
今日の都心の最高気温36度以上。四谷の昼ミサの帰り、聖堂の外に出てこれはとてもではないと思い、ついでだし今日は前から見に行くつもりでずっとのびのびになっていた映画、少年Hを見に行くことにしました。今回は新宿バルト9に行ってみました。

小説の文章を読んだときと違い、映画という形になって目の前に現れた少年Hの世界はなんというかリアルすぎてショックでした。それだけ現実に起こったことは恐ろしいことだったわけですが。

実際、当方も還暦をとっくに過ぎた人間ですから第二次世界大戦が終わってしばらくして生まれたので、子供のころはご近所周辺にはまだ戦争の傷跡がいくらも残っていたのです。こんなところに逃げ込んでもどうしようもないような横穴式の防空壕の跡も残っていましたし、まだちゃんとした家もなくて掘っ立て小屋のようなところに一家で住んでいた友達もいました。

神戸の大空襲の恐ろしい場面を見ながら思い出していたのはそんな昔の記憶でした。戦争中は南方に行っていた亡き父の若いときの思い出話を思い出し、中山法華経寺の墓地で父が、これはお父さんと仲良しだった幼馴染の墓だと教えてくれた戦死者の墓の記憶でした。

それは実はまだそんなに遠い昔のことではない、手の届くような距離の昔なのです。でも今の若い方たちはそれも知らない。安易にやたら右に寄りすぎではないのでしょうか。バランス感覚を忘れると、神戸大空襲の後、いや終戦になってだったか、Hが人々の態度の変化を見て、海の波に右に左に揺れ動く海草の若布だというところがあったように、相変わらずこの先も時代の流れに揺れ動くだけの若布になるのでしょう。

Hのお母さんのような信仰、お父さんのような誠実さ、それは時代が変わって、状況も変わっていくとしても忘れてはいけないものなのだと思いました。

次に作品としてのこの映画を見直すと、やっぱりさすが降旗監督作品だけあって一つ一つの場面がすばらしいです。少年Hが慕っていた男姉ちゃんと呼ばれる役者崩れの若者が、出征間際に逃げ出して自殺してしまったときの、本当だったら女形の役者になりたかったこの若者の哀切な思いを語るような絵の美しさ。大空襲の炎に呑みこまれてしまう町並み。残ったのはすっかり炭になった焼け焦げの人体、焼け落ちた日常。

出演している俳優さんたちについては説明する必要もないくらいよく知られた名優ぞろいです。あ、そういえば神保さんと山中さんも出ていました。音楽がまたすばらしいです。いつもの池先生でした。

2013年8月28日水曜日

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かかりつけのお医者さんは大切だ

 
こんにちは~、マリーで~す。

うちのおばはん、今日はすごく早起きしてパソコンの調整をしてたから眠くてしょうがないみたいなのよ。それでも午前中にはちゃんといつもお世話になってるお医者さんに行って診察してもらったわよ。来週病院にもっていく紹介状も書いていただいて、足のむくみのほうも、このところ血圧が高くなっちゃってるからたぶんそれが原因だろうってことだったの。もうひとつ甲状腺のほうも気になるからって念のために血液の検査もすることになったのよねえ。あの人、ほんとは注射嫌いなんだけど採血は逃げられないわよ。

ほんでもって、熱中症の危険のありそうな暑い時期は塩分の補給も大事だっていうけど、うちのおばはんみたいに塩分感受性の高血圧の人は塩分の補給は普段の食事で十分足りるからそんなにいらないんですって。その代わりになるべく減塩しなくちゃいけないみたいなの。今日出たお薬は薬局の人が今度の薬は血圧を下げる働きと利尿作用があるって説明してたわ。

これで当分あの人、餃子の王将はだめだと思うな。知り合いの人たちがいくらおいしそうな写真を出しててもそれどころじゃないじゃないの。当分減塩、野菜中心だわさ。食べすぎもだめみたい。今日もまた体重を減らすお勧めよ。これはもう、どこかの机さんを見習うしかないみたいよ、もっとも赤いのも黄色いのも辛いのはいらないけどね。

でもとにかく、やっぱりずっと継続的に健診も受けているかかりつけのお医者さんて大事よねえ。いつもの先生は内科が専門だけど、ずっとかかっている先生だったら大きい病院に持っていく紹介状も書いてくださったりするし、本当に助かったわ

というわけで今日の話はおしまいね。ほんじゃまたね。


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夕べ書けなかった分

 
昨日は、意地悪なパソコンがまた動かなくなり、ついに再びリカバリーと相成ったので、ブログは書けなかった。昨日、フェイスブックに書いたものでここに出してもよい分をとりあえず出しておくことにする。

今日は早起きしてリカバリーの続きをして、午前中、ご近所のかかりつけ医の内科に行ってくる予定だ。来週は眼科の視野検査もあるし、役所に出す診断書のことなどもあって今回は区外の病院に行く予定。でもそこはかなり時間がかかるらしい。足のむくみのこともあるし、今日の内科の先生の意見と一緒に、ついでにそこでも相談してみるつもり。

そして、以下が昨日のはなし。

現在もう午後の2時近い時間。今朝起きたら頭がガンガン痛くて歯も痛かったので、これは熱があるとわかり、ロキソニンを飲んでまた寝たので実際に起きだしたのはお昼すぎ。あまちゃんに間に合いました。しかし、足の甲は相変わらずすごい浮腫み、足首とすねはだいぶ浮腫みがひいています。なんなんでしょう、これ。今までにない症状でいやな感じ。とにかく来週眼科の視野検査で千駄木に行かなくてはならないし、警察病院の初診受付も行かなくてはならないし、早起きしなくてはならない週になります。重ならないように今週中に内科の健診の方も行かなくては。でもこの足、何科??大きい病院に行く時に聞いてみよう。

足首や甲の浮腫で検索していたら、気になることを思い出させられてしまった。実は子供の頃、心雑音があって検査をしたら、心臓が完全に収縮していないけど、成人すれば改善するので大丈夫と親は医者に言われたそうで、大人になってからもたまに心雑音が出て再検査を受けることがあったけれどなんともなかった。でも成人を通りこして成人病の年代になっている今、心臓は心肥大気味と言われていたし、高血圧だし、それで足首や甲が浮腫むのは、これはちょっとやばいかも。嫌なかんじ。元々が元々なのだ、これはまずいかな? もうひとつ静脈瘤もわかっているから、どっちにしても足の浮腫みは簡単にはいかないらしい。とりあえず、いつもの内科の先生に相談してからだ。

そんなわけでとにかく医者に行かなくてはならぬ。来週はお医者通いで忙しい感じ。

2013年8月26日月曜日

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天気が悪い分なんだか涼しい

 
こんばんは~、マリーで~す。

夕べ、夜中にうちのおばはんたら寒くて目を覚ましたのよ。ものすごく暑い日が続いてたから、夜も開けておいても大丈夫なところは開けたままカーテンだけだったんだけど、昨日、いや、もう今日か、明け方寒くて目が覚めたんだわ。暑がりのうちのおばはんもびっくりよ。なんだかんだといっても季節が変わり始めてるのよね。

もう今度の日曜日は九月に入るし、そろそろ何処から手をつければいいの考えないとね、いつの間にか世の中の動きが変わってきてるから介護支援もうちのおばはんの程度じゃどうなるんだかわからないけど、どっちにしても足腰の今の正しい状況はあの人自身だってちゃんと把握しておきたいと思ってるし、福祉事務所も区内の病院でなくて隣接区の病院でもいいって言うんだから、今度は中野の警察病院に行くつもりなのよ。たださあ、お医者さんて、なにか伝手がないとまた衛生病院の二の舞になりかねないのが心配みたいよ。

ひざや腰もだけど、足首や甲のむくみは何科なのかしら。たぶん一回の診察じゃ全部はおわらないんじゃないかしら。警察病院は混んでて時間がかかるらしいから覚悟して行かなくちゃ。
そうだ今週中にいつもの高血圧のほうの内科に行って九月分のお薬をもらって、来週重ならないようにしとかなくちゃだめじゃん。

四谷がどういうつもりなんだか知らないけど、とにかく病院に行ってそれからだってあの人、言ってるけどこれもどうなるのかしらねえ。順番に話を進めるしかないって言うけど、傍で見てるあたしとしても心配よ。

それもこれもXXXXがXXXXXだからだわ。まったく日本人はまるでXXXXXXなんだからもう。とにかくまたこのままほったらかしにされるともう、残り時間がそんなに無い年齢だし今回はちょっとxxxxxx。なーんて、あの人、ぶちぶちこぼしてばっかりなのよねえ。

まあ、妙なる道しるべの光も暗くなって見えない時だってあって当たり前なんだわさ。とにかく、ひとあし、またひとあし進むしかないじゃないの。

本日の話はこれでおしまい。涼しくなると痒みは収まってるのに、むくみは相変わらずだし、あの人、今夜はさっさっと寝てほしいわ。 ほんじゃまたね。

2013年8月25日日曜日

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パンドラ (古いイギリス映画)

 
こんばんは~、マリーで~す。

うちのおばはん、「八重の桜」を見るのに夢中でブログのほうは放ったらかしだったの。あの人のお友達の京都生まれの女性が同志社出身で、別のお友達は群馬県人でちょっと前まではポーランドとか中国とか外国の人達を相手にお仕事をしていたんだけど今は独立して地元の紹介なんかもしてて、群馬県絡みで八重の桜の番組制作が決まった段階から紹介してたのよ。これじゃあ、もう最初から見るに決まってた番組じゃないの。会津には、たもかくさんもいるから福島も全然無関係な土地の気がしないし、「八重の桜」は他の人達の評判に関係なくずっと見てた番組だからしょうがないわ。

そんなわけでやっとこんな時間になって、パソコンを開いたのよ。

昨日、Amazonに注文していたDVDが届いたじゃない。その話ね。うちのおばはんが初めてその映画を見たのが確か中学生の頃よ。なぜかって言うと、あの人のおうち、お父さんの考えであの人が中学生になるまで家にテレビを導入してなかったの。その頃のテレビって今と違っていつでもスイッチを入れればどこのチャンネルでも番組を放映しているような時代じゃなかったのよね。そんでもって、まだ日本のテレビ局も始まってそんなに経っていないから番組自体もそんなになくて、空き時間みたいな時間帯に古い外国映画を放送してたの。そこで見たのがこの映画だったのよ。

あの人、このパンドラっていう映画が相当印象的だったみたいで、ずっともう一度見てみたいって思ってたんだわ。でも言っちゃなんだけど、あの人が中学生の頃って50年も昔、半世紀も前よ。すごく感動したってことは覚えていても、中身はすっかり忘れてたのよ。全くお粗末なんだからもう。

で、今回は本当に久しぶりに、見たかったこの映画をDVDで見て、やっとなぜあんなに感動したのか、忘れられなかったのか、やっとわかったのよ。

主演のエバ・ガードナーさんもジェイムズ・メイソンさんも一番素敵だった頃だから画面だけでも文句なく楽しめるんだけどそれだけじゃないのよ。

メイソンさん扮する神様の罰を受けて永遠の時と所をさまようオランダ人を救うことができるのはオランダ人を本当に愛している女性がオランダ人のために自分の命を差し出すことでだけだったのね。「何を犠牲にするかで愛の深さが決まる」ってわけよ。この映画は愛しあう二人のはなしだったの。

さまよえるオランダ人の話はオペラにもあるし、あのパイレーツオブカリビアンにも形を変えて、船の名前がフライングダッチマン、船長はタコのお化けのデイビー・ジョーンズとして出てきてたわ。でもこちらのフライングダッチマン、さまよえるオランダ人は愛する女性の死も恐れない愛で永遠の罰から救い出されるの。

これってキリスト教の教えそのまんまじゃないの、うちのおばはん、やっと何故自分があんなに感動したのか、忘れられなかったのか、50年も経って分かったのよ。おかげでいろいろなことを考えさせられたみたいよ。

だけどこの話はこのへんでおしまいにするわよ、長くなりすぎちゃうもの。それより機会があったら実際にDVDを見てみたらいいわ。わかる人にはわかると思うな。

ほんじゃまたね。

2013年8月24日土曜日

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回るお寿司が牛丼(並)に化けた夜

 
こんばんは~、マリーで~す。

うちのおばはん、このところなんだかあんまり調子がよくなくて、あいかわらず足はむくむし、靴下を履けば接触性皮膚炎で痒くて仕方がないし、下着のナイロン部分でかぶれて、体中あっちもこっちも痒くて、抗アレルギー剤と痒み止めと孫の手なしではどうしようもないのよね。この間のテレビの解説じゃ暑さ負けの症状は皮膚にもでるっていうんだけど。今のあの人の症状ってそれじゃないのかしら。元々がかぶれやすい体質なんだけど、まったくひどいものよ。

それでもあの人、いくらなんでも流石に最低限の主日のミサは休むわけにいかないからってちゃんと今日は四谷に出かけたわよ。ほんとに早く秋になってほしいもんだわさ。

ほんでもってあの人、帰りにせめてたまには回転寿司でいいからお寿司をたべたいって、お寿司屋さんに行ったら、店内で立って待っている人たちがいっぱいいて、これはダメだって即諦めて、お腹はすいてたからすぐ食べられる松屋の並牛丼に切り替えたの。これなら西友によって野菜や果物を買ったほうが良かったのにさあ、ザーンネンでしただわ。

荻窪の松屋はテーブル席もあるから、たまには利用するのよ。だけど回るお寿司の気分でいたのが並牛丼ていうのもなんだかよね。うちのおばはんも暑くてお料理したくなかったにしても、せめてもうちょっとましなものにしとけばいいのに、これじゃなんだかやる気が下がっちゃいそうじゃないの。

だけどそんなこんなでお家に帰ってきたらポストにAmazonに注文してあったDVDが届いていて、たちまちあの人喜んで浮かれちゃって、まったくもって帰伏の激しい人だわ。もう何十年も昔、うちのおばはんがまだ二歳くらいだった頃の映画なのよ。

パンドラっていう作品よ。エバ・ガードナーが主演で、ジェームズ・メイソンも出てるの。それをあの人、中学生の頃テレビで見て、ずっと覚えていて、もう一度見たいってずっと思っていたら、今の時代は何しろなんでもDVDで手に入るのよね。少女だった頃のうちのおばはんには、この作品すごく印象的だったらしいのよ。それこそいまだに心に焼き付いていたんだから大変よ。愛とか信仰とかキリスト教とか、何かとっても大切なことを考えさせられた映画だったみたいよ。

まだケースから出していないから明日見るのかな。あたしも楽しみだわ。そんなわけで今日はここまででおしまい。ほんじゃまたね。

2013年8月23日金曜日

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夏の終わりの手抜き

 
こんばんは~、マリーで~す。

今、うちのおばはんはNHKテレビで、津波のときの『亡き人たちとの再会』の話を見てるところよ。今日はもう8月も23日で子供の頃だったらお盆が終わって家族みんな、おばあちゃんのところからうちに帰ってきて、溜まっているやり残しの夏休みの宿題で頭を抱えている頃じゃない。

もうあれから何十年も経っちゃったのよね。

ってことで今日は昔の思い出で心がいっぱいでここに書くようなことも思い浮かばないみたいなのよ。しょうがないから今朝フェイスブックに書いた話でも載せとくことにしたのね。フェイスブックで一緒の方たちはもう読んでいるけど、参加していない方は読んでいないと思うから、ちょっと我慢してちょうだいね。

今朝の記事はこんなのだったの・・・・・・・・

今朝の瀬戸内寂聴先生出演のNHKの番組を見ていてふと思い出した。日々の出来事はそれぞれ断片的でばらばらに起こっているのだけど、長い目で全体を見ると、不思議とすべてがどこかでつながっている。

 言っても信じてもらえないような変な話がたくさん起こって、おかげで今の状況に至ってきたのだが、ここではその話はしない。それより、ここではそれではなくて時にはありえないような奇妙な偶然の一致の数々さえ起こすその人間の心の不思議のごくごく一部を書いてみたい。

ユング心理学で原型ということばがある。寂聴先生は宗教者であり、文学者でいらっしゃる方だからたくさんの作品の中にさまざまな人間の思いを書いておられる。寂聴先生ばかりではない、古今東西の優れた文学者の作品や、芸術家たちの作品がなぜ現代の我々の心にも響いてくるのか。
ユングの考えではそれはすべての人間の心に共通した何かが、生まれた時からすでに備わっているからだという。その何かを原型とよぶ。私達の思考は実はかなりその原型の影響を受けているらしい。

 文学をはじめ、古今の芸術作品がどうして今の時代の人のこころをも揺さぶるのかというと、この原型の問題がかかわっているらしいのだ。また、現実に人が他のある人を見て、はっとして恋に落ちたり、下手をすると不倫をしたりするのも実はこの原型が心のなかで動くためだというのだ。

 原型は男女の問題だけではなく、その時代の精神と結びついて人々を戦争に駆り立てたり、歴史に残るような勇者を生み出したり、さまざまな動きをするのだが、大抵の人は無自覚に原型のなすままにうごいてしまう。しかし。少なくとも、人はたくさんの書物を通して自分の経験以上の知識をえることはできるはずだ。

それこそが人間が原型に振り回され、ふたたび悪しき歴史を繰り返さないためのひとつの方法なのだろうと思う。

2013年8月22日木曜日

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火遊びとユング心理学

 

今日もすごい暑さだったわよねえ、明日の気温も今日とおんなじくらいまでいくらしいわよ。うちのおばはんはバテバテで昨日よりは良くなったみたいだけど、夕方になるとまたダメ。いけずな京女さんが最低3日はブログやツイッターもやめて体を休めろって勧めてくれてもあの人ときたら、わかっちゃいるけどやめられないのよね。

生暖かい扇風機の風に当たって何もせずに横になっているのじゃ、足の浮腫みにはいいけど、心が浮腫んで来るから嫌だってあの人、やっぱりお友達の言うこともちっとも聞かないのよ。そんなわけで、お外に出かけないだけで、いつもとおんなじなの。

あの人、なんだかんだといっても結構中身は古めかしかったりしてるから、テレビ番組なのに、今日のあまちゃんを見て、まったくこの頃の若い子は何を考えてるんだ、けしからんって怒ってるのよ、笑っちゃうわ,

だいたいさあ、うちのおばはんなんてお父さんっ子の長女で一番上で、小さい頃から、お前が男だったらなあって言われながら育ってきた人よ。お父さんっ子の女性って異性を見るときの基準はお父さんなのよね。いや、お父さんっ子じゃなくてもそうよ。女性の異性を見る目はお父さんが基準なんだと思うわ。

なかでもお父さんっ子の女性って、下手をするとうちのおばはんみたいにどんな異性もつまらなく見えちゃうから、恋だの愛だのなんてものは馬鹿にする傾向があるんだけど、そのかわり、見え過ぎちゃう分、今日のアキちゃんみたいなとんでもないことはまずやらかさないわよ。くだらなくみえちゃうのよねえ。

なんていうかさあ、自分自身の中に男性的な面を持ってるから現実の男性の心も見抜けるのよ。逆に男性の心の中には女性的な面があるんだわ。人間の心はすごく複雑に入り組んでいるから、世の中いろいろな出来事が起こるのよねえ。自分の心のなかの女性像を現実の誰かに投影して、奥さんを捨てて別の女性が好きになっちゃったりなんていくらでもあるじゃない。

人間の心は一面的じゃないから、気をつけないと何が起こるかわからないのよ。アキちゃんの火遊びもNHKの朝のドラマなら丸く収まると思うけど現実はもっと大変なんじゃないかしら。

うちのおばはんの昔の会社の先輩が、毎日のごく普通の生活っていうのが一番難しいんだって言ってたのよ。普通の生活を守っていくためには並々ならない努力が必要なんだわさ。普通の家庭の普通の幸せって家族の努力なしには成り立たないものなんだってことみたいよ。火遊びで一家崩壊なんていうのもいくらでもあるしね。

あれっ、なんか変な話になっちゃった。もうこれで終わりにしとくわね。ほんじゃまたね。

メインブログからの転載

足のむくみがひどい(追加あり)

 
※ 昨夜の雷以後の追加

雷が鳴ったと思うとすぐに止んで、でもパソコンを開けるとまたドカドカガラガラ雷鳴。今夜は安心してパソコンを開けそうもないから、ブログの記事の追加も止めておく。足腰の調子は良くなくても心は自由にあちこち飛び回っているから、体調さえよければ書くのは簡単だ。
実を言うとこのところ西のキリスト教より東のキリスト教にこころ惹かれている。いや、今に始まったわけではない。遥か昔、初めて出かけたイエスの小さい姉妹の友愛会という修道会の祈りの場で、東方典礼のカトリック教会の存在を知った。今の小さい姉妹は観想会ではなく労働修道会に分類されるらしい。

別に貧しさ自体や労働者の生活を生きたいと思っていたのではない、東方典礼の祈りに関心があったのだ。しかし、当時、ローマカトリックでオーソドックスつまり正教会との接点のある会というと小さい姉妹会しか見当たらなかったのだ。あれから30数年、日本の教会の状況は変わった。
インターネットのお陰で正教会についての情報も増えた。足が問題でなかなかお茶の水の復活大聖堂ニコライ堂に足が向かないのだが、あちらの信仰の内容をもう少し詳しく知りたいものだ。あちらの祈りの質がこころを惹き付ける。世間で一般信者として生きていくとすれば、あちらの祈りを取り入れたい。

@nerorism 確かに。

雷が心配でもタブレットのお陰でツイッターくらいはなんとかなる。

ブログの記事の追加の代わりに書きちらかしているわけだが、雷と雨でなんだか少し涼しくなったような感じ。これで明日はまた34度くらいにいくらしい。そんなだからこちらも体調がおかしくなってくるのだ。足のむくみ、いやだなあ、母方の血統は腎臓が弱いのだ。暑さ負けで弱いところがダメみたい。

話を戻してカトリック教会と正教会のこと、上智大学の先生に詳しい方々がおいでだ。そうだ、あの先生方の著作は読んでおいて損はないな。私の足を引っ張っていた方が亡くなった今、ドミニコ会の誰かさんは相変わらず亡くなったかたの言葉を信じたままなのかな?まあいいけどね。

@Marx_hakase  そのごんべいさんて、昔話や落語に出てくるごんべいだぬきを思い出します。漢字で書くと可愛くないのでひらがなにしました。

あ、もうこんな時間だ。やめようっと。

そうか、いい方法があった。明日の朝、雷の心配が無くなったら、今夜のツイートをまとめて、ブログの追加記事にしてもいいかも。病気の話ばかりでは読む気になってくれないかもしれないものね。

むむむっ、劇中とはいえ、若い子は怖い。あまちゃんよ、それは困るなあ。

皆様おはようございます。

今朝は足のくるぶし、ちゃんともとに戻ってる。すねも大丈夫。昨日暑いのに一日横になっていたのが効いたみたい。



こんにちは~、マリーで~す。今日は早いでしょう、まだ3時のおやつの時間にもなってないもんね。どうしたんだって?それがねえ、うちのおばはん今朝起きたら足がひどいことになっちゃってて、足首も甲もむくんでるし、すねも押してみるとやっぱりむくんでるのよ。昨日、ちょっと塩分の多いものを食べた自覚があるからそのせいかもしれないけど、これじゃますます出かけるどころじゃないじゃないの。どうも気になるんだけどあの人の足、関節が変なのももしかして浮腫と関係あるってことはないのかしら。

今月中は暑すぎるから来月になったら整形外科も行くけど、総合病院のほうがいいのかもよ。だってさあ、あの人の足、何年も前から少しずつ全体に変で、腰痛は他の症状も考えるとやっぱり脊柱管狭窄症と脊椎症って日医大病院で書いてくれた病名でいいみたいな感じよ。そう言えばあの診断書、衛生病院はどこへやっちゃったのかしら。でも、足首や膝の関節症の始まりはわかりきっていたわけだけど、それだけじゃなくて足の静脈瘤もだんだん進行してるんだと思うわよ。静脈瘤って言ってもあの人のは表面にはあまり変化がなくて深いところの静脈に問題があるみたいなのよ。と言ったって、やっぱりちゃんとお医者さんに診てもらわないと素人じゃわからないしね。あ、やる気の無いお医者さんもダメだわさ。とにかく内科とか静脈瘤のことにも連携してるところにいかなくちゃ。

靴下でかぶれて足がかゆいのも、足がむくんで靴下の編み目が皮膚に食い込んでますます皮膚炎がひどくなるってことみたいよ。あの人、今朝の足のひどさで、じっくりと自分の足の状態を観察してそう思ったみたいなの。とりあえずは野菜果物をたくさん食べて水分を外に出さなくちゃ。あ、でも熱中症も困るか。どうするのが一番いいのかなあ。何となく分かるのは、多分これも暑さ負けが関係ありそうだってことだけなのよね。

なんかつまらない話でごめんなさいね、あの人がしっかりしないから、あたしまで一緒にあたふたしちゃうんだわ。でもとにかくこれじゃあ、映画を見に行きたくったってそう簡単にはいかないんだし、まずは体調をなんとかしなくちゃ。厭でもちょっとお家でおとなしくしてるしかないんじゃないのかしら。へんな話だけど調子の悪いときは横になってたほうがおしっこがちゃんと出るのよね。むくみも横になってたほうが治りやすいんだと思うわ。

あれっ、ますます、つまんない話になっちゃったみたい。もう今日はだめだわ。どっちにしても今日はほんとに調子良くないからこれでおしまいにしておくわよ。ほんじゃまたね。

2013年8月20日火曜日

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日本製に回帰かな?

こんばんは~、マリーで~す。
 
うちのおばはん、どう見ても夏バテみたいなのよ、冷たいものばかり欲しがってさ、結局お腹にきちゃってるのよ。まったく子供じゃあるまいし、情けないっちゃないわ。

おかげで今日もテレビを見る時間が長かったから、汗とアレルギー性の蕁麻疹の関係もわかったわよ。これもやっぱり暑さ負けの症状のひとつだったみたいよ。あんまり暑いから皮膚にも異常が出ちゃうのね。内臓からじゃなくて接触性皮膚炎てやつよ。要するにいつものナイロンかぶれが汗をかく季節はいつもより症状がひどくなるってわけよ。こればっかりは体質だからどうしようもないんじゃないの、抗アレルギー剤と痒み止めしか手がないんだわさ。

そう言えばさっきあの人のところにAmazonからメールが来て、注文したギャラクシータブ7.7のカバーケースを届けるって伝えてきていたわ。タブの7.7って他の機種と違ってカバーケースがどこにもおいてなくてAmazonを探したらあったの。

おまけに先週、ドコモショップに契約内容の変更に行ったら、お店にギャラクシータブが一台もおいてなくてあの人びっくりしてたわ。お店の人に聞いてみたらギャラクシータブはこの先、ドコモから消えちゃうらしいのよね。

性能からいって本当はタブより気に入っていたNECはさっさと撤退しちゃってるし、タブがだめになったらもうこの先はやっぱり日本製に戻ったほうが安心みたいだってあの人、言ってたわ。知り合いの方が今度買った機種は色彩も音もとってもきれいなの。あのメーカーならその点は確かだってウォークマンでよくわかってるもの。うちのおばはんもリンゴのマークより、日ごろよくわかっているメーカーのほうがいいみたいよ。

それはとにかくまだ当分タブの7.7を使うんだから、ちゃんとしたケースが手に入ってよかったわ。それでひとつ安心しちゃってあの人、またテレビにかじりついて、お気に入りの子供番組が終わったら今度はおとなの面白番組で、フルタ家のなんたらかんたらいう番組から今はニュースを見てるわ。10時からあまちゃんの宮藤さんの面白い番組があるからあれを見てから寝るんだって言ってるけど、あの人明日大丈夫なのかしら。

何となくまた頭が痛い、喉が痛いなんて言い出しそうで心配だわ。まったくしょうのない。でもまあ、たまだからいっか。

心配してもしょうがないからこのへんでやめとくわね。 ほんじゃまたね。

2013年8月19日月曜日

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これは??

初めてみたのは写真ブログのtumblrでだった。ひと目見た時、これも深海に人知れず住んでいる不思議な生き物の一種かと思ったものだ。だってこの写真を御覧じろ。知らない人間にはどう見ても謎の生物。
 
 

タコはタコなのですけどね。実は近海の浅瀬にも普通にいるらしい。食べられるとかいう話もある。さてこれは何でしょう?

※ 今日はちょっと頭が痛いので(多分、このところ暑さに耐えられず扇風機を付けたまま寝ているので、頭や顔に風が当たりすぎて具合が悪くなった感じです)タコの紹介だけでおしまいです。以上

 

2013年8月18日日曜日

メインブログからの転載

NHK_PRさん風にいうと今日もすごくルポイ

 
こんにちは~、マリーで~す。

うちのおばはんの調子はどうかって? なんてこともないから大丈夫よ。だいぶごねてたけど、美味しいものとか、面白い話とか、可愛いものとか、あの 人の好きな物を並べたから、今日はもうすっかり機嫌がよくなってるわよ。

この時期はなんたってうちのおばはんの大好きないろいろな果物が出盛りじゃない の。スイカこそ重くて丸ごとは買えなくなっちゃったけど、ナシもブドウも桃もどれもみんな一番美味しい時だもの、機嫌も良くなるわよ。運良くあの人お酒に まるで弱くて全然飲めないから、お酒で憂さ晴らしなんてことはできないしさ、果物や甘いお菓子と面白い映画のDVDでも見るしかないじゃない。それくらい はしょうがないでしょう。

ほんでもって気がまぎれてきてパソコンを開いたら、ツイッターではちょっと気になる方のツイートを見つけちゃってますます嫌なことはどこかに消えてったってわけよ。あの人フェイスブックにそのへん、書いてたから、今日はちょっとこっちにも転載してみるわよ。


―たまたま放送作家の内村宏幸さんのツイッターを見つけてフォロー。サラリーマンneo以来、気に入っているライターさんだ。

ブログがフェイスブックのフェイスブックページにも参加していることがわかって、オフィシャルブログから、その前のココログのブログまで、あちこち読んでまわっているうちにじんわりと考えさせられてしまった。

笑いに包みこんだ真面目。そうだ、もうちょっと真剣にこれからどうするか考えなくては、自分はこれからどうしたいのだ、どこから手をつけたらよいのだろう。

脈絡もなくそんな思いが湧きあがる。笑いは不思議だ。何気ない顔をしながら人生の一大事に心を向けさせたりもするのだ。

内村さんやっばりすごいなあ。―


これからどうなるかなんてわかるわけないんだし、うちのおばはんも、とにかく毎日毎日一歩一歩進んでいくしかないんだしさあ、目の前の一歩をちゃん と歩いてればそれなりに道も見えてくるんじゃないの。なんかあたしにはそんな気がするのよね。

そりゃあ、いい加減な人やずるい人もいるけど、だからって、 諦めちゃったら自分が損をするだけじゃないの。諦めないで歩き続けなくちゃ。

足がダメでは歩けないって?杖があるじゃない、お金がなくったって生きてればどこかで道は開けるような気がするもんね。若い時とちがっておばはん世代では何にもできない?それにしちゃあ、ブログのアクセス数を見ると、そんなに悪くないんじゃないの。

なんとかなるわよ、昔々、ラジオで山谷親平さんて方がいつも『継続は力なり』って言ってたのを思い出してよ。諦めたり投げ出したりしないでとにか く、自分の心のなかにある何かを追い求めていくしかないじゃないの。どっちにしたって還暦過ぎて今の年でしょう、そんなに先があるわけじゃないんだし、 せっかくここまで来たんだから生きてるうちは子供の頃からずっと変わらない思いを追い続けていかなくちゃ。

とにかくあの人、先々、たとえ認知症になったって、心のなかの呼び声を追いかけている限り、神様に行く道はそんなに迷わないんじゃないの。あたしはそう思ってるわ・・・・・。

うーん、だけど、うちのおばはんときたら、あたしの話なんて全然聞いてなくて桃がいいか、プラムがいいかなんてことで頭がいっぱいなのよね、まったくもって困ったもんだわ。しょうがないから今日はこのへんでやめとくわね。 ほんじゃまたね。


おまけ

自分のことだったら、話すのも簡単だけど家族のこととなるとうちのおばはんも、あれでなかなか神経使ってるらしいのよ。兄弟姉妹に90近い義理のお母さんがこの暑さの中でどうしてるかなんて心配してもどうにもならないし、うちのおばはんも昨日妹から電話で、義理のお母さんにいくら電話してもつながらないし、まさか何かあったらどうしようって言ってきたから、心配の種が重なっちゃってたのよね。

でもさっき妹がまた電話してきて、あちらは一人暮らしの高齢者だから役所で見回りに来てるそうだし、きっと新潟の自分の親類のところに帰ってるのだろうと言ってきて、うちのおばはんもやっと1つだけは胸のつかえがおりたみたいよ。ほんとに一安心してたわ。あとは四谷が知らん顔した時に備えて今後の現実的な対策を考えておかなくちゃね。引っ越しも考えなくちゃならないしさ。しっかりしなくっちゃ。当てにならないものを当てにしていたのじゃいつまでたっても動きがとれないもんね。

       

2013.8.17

朝から愚痴、でもひとまずこれで終わりです

 
お早う御座います。土曜日の朝ですけど、今日も早朝からすでに暑いこと、暑いこと。そのせいか、なんだか妙な気分で目が覚めました。どうもやっぱり自分の意志とは別に昨日わかった東京衛生病院のやり口、気が付かないうちにだいぶ心が傷ついているらしいのです。だってあの病院、一応キリスト教系ですよ。いやしくもイエス様のお名前を全面に出している病院がそんなことでいいのですか。

あの病院には、公園のお風呂ダヌキのコピーをさし上げているのです。河北病院の方も理事長の親類が知り合いなので同じく公園のお風呂ダヌキのコピーを差し上げ、めぐりめぐってあの病院の経営陣の手に、公園のお風呂ダヌキがさるお方絡みで、皇室関係、マスメディアの関係に知られていることを、ある人物が自分の権力維持に使って、前区長や衛生病院、河北病院にも多大な影響力を及ぼしていたこと、知らないから黙っているわけではないのですよ。

知っていてもそんなことに振り回されたくないから黙っていました。どうでもよかったからです。しかし、今回はひどいじゃありませんか。こちらは本当に三階の一人暮らしで足腰の故障に粗大ゴミも下ろせない状況なのに、社協に出す書類に正しい情報が記載されないまま提出されていたとは、まったくなんだこれは、です。社協の訪問調査の方でさえ、こちらの室内の状況を見ただけで、柱やたんすに掴まらないと朝、起き上がれないことを見ぬいたというのに、医者のくせにたった5分の面談でいい加減な書類を書いて。

まあ、福祉事務所も実際がお分かりのようで、もう一度別の病院に行って検査を受け直して書類提出のやりなおしでいくことになったわけですが、なにがひっかかるといって、あちらはキリスト教系の病院なのに、というところです。

私はねえ、子供の頃から、嘘や誤魔化しのないもの、真実のものを求めていたからキリスト教の信者になったのですよ。でも、40年近い年月を通してイエス様は真実でも教会や指導者は信頼するべき相手ではないと思うに至ったのが現実です。人間が甘いと言われればそれまでですが、私の求めてきたのはこんなものじゃありません
 
それは一体どこにあるのかわかりませんけれど、生きているうちはそれを探し求め続けずにはいられないと思っております。
 
※ ピーピー、メソメソ気分だったところに、はっとするような絵と言葉が。
 
 


月のうさぎってなあんだ?知ってる?

 
情けない話は切り上げて気分転換を図ろうと思います。

今朝の話の方は結局もうちょっと暑さが収まったら別の病院で再検査を受けて初めからやり直しということで、今度は中野の警察病院か立正佼成会の佼成会病院はどうかと思っているところです。キリスト教系は過去の経緯を引きずっているところばかりのようなので私個人で行くときはやめておきます。

それよりもっと楽しい話で行こうと思います。フェイスブックにこんな写真を出したのです。

 

 

意外な拾いもの、意外な美味、さすが、こんにゃくの産地群馬県の製品。でも、東京西部の小さなスーパーにたまたまあった時に買ったこれ、次回果たしてお店に仕入れてあるかどうかが疑問。もしかするとこれっきりの幻の美味か??

知らなかったのですが、これって結構よく知られたこんにゃく冷やし中華だったらしく群馬県人さんがいろいろ教えてくださいました。
こんなのもあります。

   
http://www.youtube.com/watch?v=vfbIyH9buq0

西友あたりでも扱ってくれないかしらとおもいます。無理かな??

※ ついでなので書いておきますが、当方、そうだからそうだという話ししかしておりません。今朝の話、不愉快な方はご覧にならなくて結構ですよ。やっぱり30数年にもわたる話しとなるとこちらもつい感情的になってもくるのです。

   

業務連絡

 
※ 四谷の関係者、カトリック教会の関係者、その他、関係のある皆様方に

つい今しがた杉並区の福祉事務所の担当者のMさんからの連絡で、この間からここでも書いてきた介護支援の話し、ついこの間は杉並社協からの訪問調査があって江野畑さんという担当者の方と面談したばかりだったのが昨日になって急転直下状況が変わり、今朝の電話では病院側の診断が介護支援の必要を認めていないからダメで、とにかく手続きの都合で一旦取り下げてくれというのでした。

どうも変だとは思っていたのです。衛生病院のクリニックではきちんと再検査をしたわけではなく、日医大病院での数年前の記録(だいぶあれから症状も変わって、本当に異常が出てきているというのに)と、たった5分かそこらの面談だけで書類を書いているのです。その書類が異常なしだから介護支援の対象にならないと言われてもこちらも困るのですが、衛生病院側は、いやS医師は何をどう判断しているのでしょう。

ちょっといくらなんでも黙って引っ込む気がしません。とりあえず今回の申請は取り下げるとして、新たにもう一度もうちょっとちゃんとしっかりした診察で書類を書いてくれる病院が必要のようです。衛生病院でなくてもいいしとさっき、福祉事務所のかたがちらっとおっしゃいましたが、まさにそうでしょう。

ただの生活保護受給者としかこちらを知らない病院や医者ではダメでしょう。まあちょっと落ち着いてどうするか考えます。なんといっても長年こちらの足をひっぱってきた亡くなった方は杉並区にも影響力を発揮していたのでこうなると、本当に困るのです。衛生病院も河北もその人物の力で今になっているので、ただの生活保護受給者については、国の方針もあるし、知らん顔して放っておこうということなのでしょうね。

どっちにしても来週にならないと衛生病院のほうは担当者が夏休みでわからないということでした。以上
 









2013年8月15日木曜日

メインブログからの転載

まあ、こういうこともあるか

 
先日、ウォークマンに新曲や動画をいれるためにまずパソコンにソニーのXアプリを入れる必要があり、それまでパソコン全体をCドライブ一つにまとめて使っていたのを、ウォークマンと、キャノンのファイルを入れる場所を作るためにリカバリーしてCドライブを2分割してCとDの二つのドライブに作りなおしたのです。ところが二、三日前から異常が出てきていて、この感じは以前にもあったDドライブの隙間に何か他所のCookieが入り込んで隠れている時の動作異常と思います。

そのCookieが悪さをして日本語IMEをうごかないようにしているのでしょう。これは明日はまた大掛かりなリカバリーをするしかなさそう。がっかりです。

まあ今日は朝からちゃんとマリア様の祝日のごミサには行けたし、お陰で、昔の知り合いの思い出を思い出したし、このくらいは仕方がないかと思うばかりです。昔、私にマリア様の不思議を考えさせてくださったのはプロテスタントの知人でした。その当時は千葉の東高の先生だった方で、今は浦和のバプテスト教会の牧師の奥様で女性伝道者です。

妙な御縁でプロテスタントの教会にいたころ、その方に何気なく聖書の中で一番素晴らしい女性は誰かと尋ねた時、彼女が一言「マリアよ」とそれだけ言ったのです。どうしてと聞くに聞けない感じで、それ以来心のなかでずっと彼女の答えの意味を考えて、ある時ふと、祈りの中のマリアさまの応え「仰せのごとくわれになれかし」の意味のすごさにはたと気がつき、やっと知人の「マリアよ」の答えの意味がわかったのでした。

プロテスタントの信者として七年過ごして結局カトリックに改宗したわけですが、何故かその方向に導いた方はプロテスタントの牧師夫人でありました。今朝のミサでその頃のことを思い出し、懐かしく、そういえばカトリック教会の浦和、いや今の埼玉教区は司教様がいないのだったということも思い出し、埼玉教区のことをマリア様にお願いしなくてはと思ったのでした。

Cookieがパソコンに悪さをしないようにとも祈りますけどね。

   

パソコンがブログを書かせてくれません

 
今これはタブレットなのでメモ程度にしか書き込めませんが、とにかくブログを書こうとすると日本語印字ができなくなります。仕方がないのでGoogleの日本語IMEをいれてみたものの、だめかも。試してみてだめなら、チビパソコンで出来るところまでやってみて明日、あまり何度も繰り返したくないのですが、またリカバリーするいかないでしょう。全くもう、困った困ったです。以上

2013年8月14日水曜日

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コルベ神父様

 
こんばんは~、マリーで~す。

今日も暑かったわよねえ。テレビのニュースじゃまたお年寄りの一家の熱中症死のはなしよ。お年よりは長く生きてきた自分の昔の経験を基準に判断してしまって、変化に追いつけずにいるような気がするんだわさ。お気の毒だけど、周りの変化についていけないのはこの状況じゃ致命的になってしまうのよね。もうちょっとで秋になるから、それまでは皆様方、何とか暑さに負けないでいってほしいんだわ。

うちのおばはんも暑さでアレルギー性の蕁麻疹に参ってるけど今日はねえ、いろいろ考えて、わざわざ古くなってまだ捨てるのも惜しくてしまってあった洗いざらしたソックスをはいてみたら、やっぱり思ったとおりそんなに痒くならないですんでるわよ。どうも新しいのがだめなのね。

今日はカトリック教会では第二次世界大戦中にナチスにつかまって、牢獄でほかの囚人の身代わりになって亡くなったコルベ神父様を記念する日だったの。コルベ神父様は聖フランシスコの精神で生きる修道会のフランシスコ会の一派でコンベンツァルフランシスコ修道会の神父様だったのよ。ちなみに日本ではフランシスコの会は4つあるのよ。小さい兄弟会にコンベンツァル会にカプチン会ともうひとつ、英国教会からカトリックに移ったアトンメント会よ。

ほんでもってうちのおばはんが一時期吉祥寺の在世フランシスコ会にお世話になってたとき指導司祭だったのがコンベンツァルフランシスコ会の山口神父様だったのね。それからコルベ神父様のことを始めて知ったのは40年も昔、お父さんの知り合いの方の会社で写真植字の仕事をしていたころ、会社が神保町にあったから毎日お昼休みは古本屋さん巡りをしていて、そのときに見つけた1冊の本でだったの。

それが霜山徳爾先生の「明日が信じられない」っていうカッパブックスの本だったの。コルベ神父様のことも、津和野に流された長崎の隠れキリシタンの方たちの話も確かその本で初めて読んだのよ。おまけに子供のころからラジオの心のともしびでいつも心に響くお話をなさっていたシモヤマトクジさんが実は上智の先生だった霜山徳爾先生だったことがわかったのもそれがきっかけだったの。そもそもそれが遠藤周作先生やほかの先生方とのへんてこなかかわりのはじめだったんだわ。

話が長くなりすぎるから適当にしておくけど本当に忘れられない本だったのよ。だって今あの人がプロテスタントじゃなくてカトリックなのもその本がきっかけだったんだわさ。だから今日とあしたのマリア様の祝日はなんとかごミサに行かなくちゃって思ったらしいのよ。あしたは大祝日だからミサの時間も日曜日と同じ時間割だわ、お昼の12時のミサは英語だから日本語のミサは朝と夕方よね。それか吉祥寺教会に行くかだわ。

とにかくあの人も、明日は早起きして教会に行かなくちゃって思ったみたいだからこの話も今日はここまでね。ほんじゃまたね。

2013年8月13日火曜日

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異常天候早期警戒情報って?

 
こんばんは~、マリーで~す。

うちのおばはん、この暑いのにどうも風邪でもひいちゃったみたいなのよ。あの人、熱があるとすぐに歯が痛くなるのよねえ。どうも調子がよくないらしくて、食欲もないみたいで、水やコーヒーばっかり飲んでたから、何か食べないとまずいんじゃないかって言ってあげたら近くのコンビニに行ってアイスクリームだけ買って、そのお店だけじゃ好きなアイスがないからって、もう一軒のコンビニにも出かけて、結局いま冷蔵庫の中は大量のアイスクリームとヨーグルトとプリンが中心になっちゃってるのよ。これもどうかと思うわよ、まったく。

足の蕁麻疹は相変わらずで、調べたら結構靴下やソックスでかぶれるケースって多いのね。昔はこんなことなかったのに、このごろは体に合わない物質が増えてるせいか何か、全体におかしいんだわ。仕方がないから素足で履物を履くつもりらしいのよ。でもあの人皮膚自体が弱いから、気をつけないと次は靴で足が擦れて痛くて歩けなくなりかねないわ。なにか対策を考えなくちゃ。

そんなんだから今日も一日おうちにいてテレビを見てたのよね。ちょうど相棒の再放送も前からもう一度見たいと思っていた「殺しのカクテル」っていう、今NHKのあまちゃんではお祖父さんの役を演じている蟹江さんが出演している初期のシリーズの作品ともう一作、タイトルを忘れちゃったけど、内部のスパイのはなし。神戸尊くんがいたころの事件。どっちもうちのおばはんのお気に入りの話だったから、途中コンビニに行っただけでずっとテレビにかじりついてたわ。

だけど、夕方のニュース番組になったら、甲子園以外は熱中症やらpm2.5の話やら、うんざりすることばっかりで、おまけに聞いたこともない、猛暑の夏の暑さでもって異常天候早期警戒情報が出たっていうのよね。これって冬の霜や雪で農作物の植物が被害を受けそうな時に出る警報だとばっかり思っていたら、猛暑の被害で植物どころか人間が萎れちゃうような時にも出るのね、知らなかったわよ、こんなの。

あの人、明日は暑くても何でもアイス以外のまともな食料の買出しも行かなくちゃならないし、駅前まで出るんだったらついでに四谷に行けたら行くつもりらしいわ。素足で何を履いたら擦れないかってまだ迷ってるけどね。蕁麻疹に擦り傷じゃあ明後日はマリア様のお祝いなのに、また行けなくなりかねないわよ。まったく困ったもんだわさ。

でもとにかく、あの人、今月も来月もそれほど余分なお金もないし手持ちの履ける履物でなんとかするしかないんだから、試しにあしたはまず素足でスニーカーで、くるぶしやかかとの擦れ易いところにはバンドエイドを貼っていくってことになるんじゃないかなあ。それで駄目ならまた考えるってことで。まったく人生なにがあるかわかったもんじゃないってことよ、まあ、これもしょうがないわよ。

そんなわけで今日はこれでおしまいよ。ほんじゃまたね。

2013年8月12日月曜日

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今日も夕方は雷、大雨

こんばんは~、マリーで~す。
 
さっきまで猛烈な雷と雨でどうなることかと思ったけど、何とか収まったみたいでよかったわ。何しろ東京西部のうちのおばはんのすんでる区では雷大雨洪水注意報やら避難所設置のニュースまで出てたのよね。あの人の住んでるところは川から離れてるからそんなに心配ないんだけど、川の近くは大雨が降ると怖いんだわさ。

今年はあの人もあたしもこれまで経験したこともないようなとんでもなく暑い日が毎日続いていて、パソコンなんかかわいそうなものよ。タブレットでさえあんまり長く使われるとやっぱり熱でちゃんと動けなくなっちゃうのよ。

うちのおばはん自体が、あんまり汗をかくとアレルギー性の蕁麻疹がすごくなって、今さあ、あの人の足、くるぶしのちょっと上から甲のほうまでブツブツが出て、かゆくてかゆくてしょうがないみたいなのよ。あたしは機械だからかゆいってどういうのかよくわからないけど、あの人、寝てても無意識に足をかきむしってるから相当みたいよ。抗ヒスタミン剤も飲んでるけど、副作用であの人、今度は眠くて眠くて、すぐ居眠りが出てきてるの。かわいそうだけど収まるまでどうしようもないわ。

大体さあ、東京で気温が38度まであがるなんてこれまで実際には経験したことなかったもんねえ。熱中症で倒れたり、ひどいと亡くなったりするケースだって信じられないような件数じゃないの。あの人、クーラーのない生活だから、さすがにだいぶ用心してあれこれ気を配ってるみたい。いつもの夏だったら、トマトとお豆腐とそうめんが夏の食生活の基本なのに、今年はこれは下手をすると命にかかわるなんて大げさに構えて、普段はそれほど好きでもなかったのに、お肉とかの吸収のよいたんぱく質もちゃんととらないと駄目だって言い出してるのよ。まったく珍しい話だわ。

地球の自転と太陽の位置の関係で、こんなに暑くても、たぶん暑さ寒さも彼岸までって言う昔からの言葉通りに季節は動いて行くんじゃないかと思うし、お盆が過ぎたら少しずつ秋が近寄ってくるんだと思うのよ。だけど今はとにかく熱中症に用心しながら毎日を過ごすしかないものね。命あっての物種っていうじゃないの。せいぜい無茶はしない生活でいくしかないわよね。

なんかつまらない話で長くなっちゃったからこのへんでやめとくけど、うちのおばはんだけじゃなくて、これを読んでくださっている方々みんな、暑さ負けしないように気をつけてね。 

ほんじゃまたね。

2013年8月11日日曜日

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HOME いとしの座敷わらし、そして少年Hへ

 
座敷わらしという言葉を初めて見たのは子供のころに親が買ってくれた宮沢賢治の童話でだった。それから何十年もたってある方から、東北のおしらさまの話を聞いた。いろいろな説があるらしいが、その方は子供の姿をしている存在だと語っていた。小さい子供の姿のおしらさまは古くからのその土地の昔からの家についている古い女神にお仕えする役目の存在らしい。といってもこちらは代々関東の人間だから、なるほど、なるほどと話を聞いているばかりで何も言えはしない。違う世界のはなしとして聞くばかりだった。

しかし、そんな東北の昔からの土地の言い伝えなどを聞いていたので、座敷わらしが小説のタイトルに出てきたと思っているうちに、なんと水谷豊さんの主演で映画化された時、子供の姿の座敷わらしに知人の話が重なって、これは面白そうだと思った。

そして、確かキリスト教以前の古代のヨーロッパの異教の伝説や神話は現代の欧米人の心の奥底にも形を変えながら生きていることを考察したのがユングという心理学者だったと思う。現代の日本人は古いものを切り捨て、何でも新しいものを取り入れることがよいように考えるようになっているわけだが、果たしてすべてがそれでよいのかどうかは非常に問題ではないかという気もするのだ。

日本は小さな狭い島国でありながら、各地の昔からの伝統、文化は実に多種多様でこれをなんでもかんでもグローバル化で失ってしまうのは本当にもったいないことではないか。昔からのものの中に未来に続くものが隠れているかもしれない。

精神文化といっては大げさかもしれないが、古いものの中から今も変わらないものを拾い上げて音楽や絵画や創作の世界にもう一度生かすことは出来ないのかと考えてしまう。古いゲルマンの神話がワーグナーの手で見事な音楽芸術になったように、いやそこまでいかなくてもいいから日本人の心の奥底にあるものを掘り起こして生かせないものだろうか。

そんな思いの中で、いとしの座敷わらしに出会ったわけだ。水谷さんもずいぶん素敵な作品を選んだものだと思う。この映画の映像の美しさは映画館で最初に見たときから大好きだった。パソコンやスマホが生活の中心の世界では見つからないものも確実に存在する。けれどもそれを一度も見たことも聴いたこともない人にはわからない、そんな世界があるのをもう一度思い出させられた。

今日はテレビ朝日でこの作品をはじめて上映している。テレビで見るときは映画館よりもストーリーや細部に目がいくようだ。それもなかなか面白い。何度見ても草笛光子さんさすがだ。

そしてこれを見終わったら、来週はぜひ上映の始まった「少年H」を見に行かなくてはと思っているところだ。


2013年8月10日土曜日

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暑さとかゆさと眠気と

 
いやはやすごい一日でありました。

平和旬間の講演に間に合うように出かけ、行きはとても歩く気がしなかったのでバスで荻窪に出て、荻窪から四谷で、まあまあ冷房の効いた中での移動でしたからそれほど強烈な暑さに感じなかったのが、四谷について駅の外に出たとたんの猛烈な熱気ときたら、もうたまりません。

講演中は心配していたとおり抗ヒスタミン剤が効きすぎるくらい効いて、眠くて眠くて、5分か10分ごとにいつの間にか夢の国をさまよっては、はっと目を覚ましての繰り返しでした。

それでも眠気をお供に何とかカテドラルのミサのほうにも出かけ、途中ここでもまた、いつのまにかなんどもこっくりこっくり居眠り。カテドラルから新宿駅まではバスで一本ですから何とか無事に帰宅しました。

家についてすぐにしたことは、パソコンでかゆみとは何なのか検索したこと。かゆみって思ったより複雑な現象のようです。かゆみの出るアレルギーの原因物質もたくさんあって、今回の蕁麻疹は昔のナイロンタオル皮膚炎の後遺症ですが、まだ金属や貼り薬がまるでだめだし、多分一生かゆみに悩まされるのでありましょう。

かゆみの前にはまじめな思索も祈りもどこかにきえてしまうのはなんとしたことでしょう。おかげでこんな話しか書けませぬのです。以上


予想最高気温37度

 
お早うございま~す、マリーで~す。

今日はいやに早いなって? うちのおばはんがこの後は出かけて夜まで帰ってこないのと、今日は気温が猛烈に上がるらしいからパソコンの熱暴走も心配だし、とにかく早めに書いておきたいから手伝えって言われたのよ。今日は朝から30度越えちゃってるし、予想じゃ今日の最高気温37度ってなってて、さすがにうちのおばはんもビビってるんだわ。そんな気温生まれてから一度も経験したことないもんね。

だけど、たぶん出かけたほうが、バスも電車も建物の中も冷房は効いていると思うから安全かもしれないわ。もっとも今日はカトリック東京教区の平和旬間の催しで例年この日は四谷から関口のカテドラルまでの平和を願っての平和行進があるんだけど、もし37度でも歩くのだったらこれは大変だわさ。あの人は今年は足の具合がよくないから初めから電車やバスでいくつもりでいるからいいけど、なんかちょっと心配。ほかの方々だって無理しないで行ってほしいわよ。

うちのおばはんときたらこの季節はただでさえ、汗をたくさんかくと出てくるアレルギー性蕁麻疹でかゆくてかゆくて、仕方がないからかゆみ止めの抗アレルギー剤を飲んで、今度は眠気に困っちゃったり、もう踏んだり蹴ったりなのよね。ふだん体温が低めなのに外気温が37度?どうなっちゃうんでしょう。無理するとろくなことにならないと思うわよ。

眠気は濃いコーヒーとゆっくり深く深呼吸を繰り返すのとで退治するしかないらしいのよ。だけどそれってかなり胃に負担がかかりそう。それでも冷房の効いた場所に行くと眠くなっちゃうんだわ。今日も講演の最中やミサの説教の最中に居眠りしないようにしてほしいわ、まったく。

この時間だからこんなはなしでお仕舞いにしとくわね。帰ってきてパソコンの具合やあの人自身の調子がよければ、何か別に書いてくれるかも知れないけど、今はなんともいえない感じよ。だからとにかくここで一応お仕舞い。

ほんじゃまたね。

※ せっかくだからおまけ。今年の暑さでさすがにうちのおばはんも危険を感じて、時々は暑さ負け防止に食べに行くようになったステーキ屋さん。昨日はカットステーキで割り増し料金別。
 
  

西荻窪北の最近出来たお店。ステーキハウス kazu

2013年8月9日金曜日

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ローンレンジャー

 
せっかく四谷の昼ミサに行ったので、ついでに新宿ピカデリーに寄った。ジョニー・デップの最新作「ローンレンジャー」が見たかったのだ。

それにしても今日も外は本当に暑くてバスや電車のクーラーがこんなにありがたいと思える年は珍しい。肩や足腰が冷えるからなどと今年ばかりは言っていられない。先ほど帰宅してパソコンを開き明日の天気予報の気温を見て本当にびっくり仰天の気分だ。

今年は足の調子が悪いから、平和旬間のカテドラルまでの平和行進は参加せず、電車やバスで行くつもりだから自分はよいけれど、ほかのかたがたは予想最高気温37度の明日は、よくよく気をつけないとこの暑さにはやたらな考えでは危険だと思う。

今日の暑さでさえ、昼間だったからなおのこと駅からピカデリーまでがいつもより長い道のりに感じてしまったくらいだ。しかし、それでもさすがに映画館の中に入ってしまえば、暑さもどこへやらで映画を見る楽しみでわくわくするのはいつもと同じだ。

で、中身はどうだったかというと正直なところ、子供のころにテレビでローンレンジャーを見ていた世代としては、あれよあれよと思うばかりの派手な作りのローンレンジャーで、面白くないとは言えないけれど、なんだかなあという感じ。

進行案内役の子供とインディアンの蝋人形の老人の対話など、なんだかいかにもディズニー映画らしい教育的な配慮で現実に戻り、この映画は全体、何が言いたいのか一回見ただけではよくわからないという欲求不満が残って、もう一度見直さなくては自分には納得がいかないというのが今の気持ちだ。

映画の予算に三作分の予定だったのだが、予算超過だがもう一度見に行かないとどうも気持ちの納まりがつかない。パイレーツオブカリビアンのようにすっきりいかないのはなぜだろう。

2013年8月7日水曜日

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白玉の季節

今NHKの動物の赤ちゃん特集をみているところ。水族館の水棲動物の赤ちゃんたちの誕生と成長していく記録だ。体は魚のような形に進化している鯨類のいるかでも、ひれ足類のあしかでも、やはり温血動物の哺乳類の動物は魚類とは全然違うのを感じる。

いるかや鯨のような鯨類はとにかく、あしかやあざらしなどのひれ足類は頭にとがった長い耳こそついていなくても、太古の昔、地上で生活していたころは犬や猫のような生き物の仲間だったのだ。今でこそ姿かたちは水の中の生活に適応してすっかり変わっていてもよく見れば犬の顔そっくりではないか。性格だってあきらかに哺乳類の賢さや、人懐こさを持っている動物たちだ。

そんなわけでテレビを見ているうちに、何か甘くて冷たいものがほしくなってしまった。でもアイスではない。寒天やところてん、白玉団子のような食べ物がほしい。しかし、どれもこれも買い置きがないから今日はあきらめるしかない。

寒天やところてんは買ってくれば簡単だが、あの白玉だけは粉を買ってきて練ってちいさなちいさな団子をいくつも丸めて、茹でてそれをまた水にさらして冷たく冷やす手間を考えるとこの中で一番高級品に感じる。今は出来合いの白玉団子のもともあるらしいが、子供のころに母が作ってくれたのは小指の先ほどの、子供が食べてうっかりのどに詰まらせないような大きさの特製だ。自分で作るのもそれくらい小さいほうがおいしく感じる。

それにしても、暑くなることは連日の予報でわかっていたけれど、この気温まだこの先当分続くのか。バテないようにそれなりの対策を考えたほうがよさそうだ。食欲があまりなくてもこれなら食べられるというものはなるべく常備しておくつもりだ。



2013年8月6日火曜日

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かき氷とアイスクリーム

こんばんは~、マリーで~す。

今日は8月の6日。うちのおばはんが生まれる4年前のこの日に広島に原子爆弾が落とされたのよね。あの人の世代だって正直に言うと原子爆弾のことなんて子供のころは何も知らなかったのよ。高校の修学旅行が九州方面一周だったから、たしか広島も通過したような気がするんだけどほとんどおぼえてないのよね。ただバスガイドさんの歌った歌のフレーズのきれっぱしがぼんやり記憶に残っていただけ。「ああ原爆許すまじ」っていう言葉だけおぼえてたの。

それからラジオの深夜放送で初めてフォークソングって言うものに触れて、高石友也さんの「チューインガムひとつ」って言う歌が最初のきっかけで関西のフォークソング運動を知ったの。それでそのころに高石さんの歌で「死んだ女の子」を聞いて、原子爆弾というものがどういうものだったのか、何が起こったのかやっとわかってきたの。

指が生まれつき正常じゃないからギター買ってもちゃんと弾きこなせないのにお父さんにねだって何万もするギターを買ってもらったり、あちこちのコンサートに行ったりしてたころよ。だけどあの人、フォークコンサートにもお父さんが一緒についてきたりしていたような、まるっきりの世間知らずだったから、あのころの若い人たちのいろいろな考え方には縁がなかったの。どうももっと全然違う何かを探してたのね。

だから結局フォークソングじゃなくて、キリスト教の信者になって、聖歌隊で聖歌を歌う方向にいっちゃったんだわ。それでも、関西のフォークソング運動にほんのちょっぴりでも目を向けてたおかげで、いいかわるいかはとにかく、何十年も昔から山谷や釜が崎のことも同和問題のこともフォークソングを通してちゃんと知ってたの。ただ、自分が求めているものはそういうものじゃないってわかっていたからそれほど特別なことと思えなかっただけみたいよ。

だけどある時、あの人の書いた童話や物語がさるお方にお読みいただいたりしたことで、カトリック教会とある特殊な世界のかたがたの間に立っていたことがあったの。そのときにあの人、同じように特殊な世界でも上に立つ方々の側だけじゃなくて、カトリック教会が本当に神様の教会なら、住井すゑさんの橋のない川のような世界の側も、両方とも考える教会でなくてはいけないんじゃないかってある方に言ったの。

はっきり言ってあの人、お父さんの方もお母さんの方も鎌倉室町あたりまでさかのぼれる、古い関東の地元の人間よ。別に橋のない川の世界に何か関係があるとかじゃなくて、キリスト教が本当に神様の教えなら、本来は人を上下隔てるような教えではないはずだと思ったからそういったのに、なぜかどこかの誰かはあの人を本当は橋のない川の世界の人ではないかって疑ったり、悪いうわさをたてたりしたのよねえ。だいぶ前のことだから今はどうなってるんだか。でも犯人も亡くなっちゃったしもうどうでもいいことなのかもね。

とにかく、関西のフォークソング運動のおかげで、あの人の人生かなりたくさんの影響を受けてきたのは確かだと思うわよ。今の状況も多少それも関係していた気がするものね。だけど、せっかくここまで来ちゃったんだから、最後までちゃんと追い求めてきたものを追い続けてもらいたいわ。終わりのないもの、永遠に続くもの以外のものに目をくれてちゃ駄目。

ということで今日はおしまい。ほんじゃまたね、

え、何? タイトルのかき氷とアイスクリームってのはどこにあるって? このところ毎日暑くてかなわないからタイトルだけ冷たいものを並べてみたの、そんだけよ。じゃあねえ。

2013年8月5日月曜日

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うちのおばはんはのんきにスイートをむさぼっていたけど

こんばんは~、マリーで~す。

今日はね、うちのおばはんお昼過ぎから夕方までずっと荻窪にいたの。もう何年も前から知り合いの人たちの噂になっていた有名な喫茶店がなんと荻窪と吉祥寺にも出店したのよねえ。あの人、コメダ珈琲っていうそのお店が東京に来たら絶対行ってみたいと思っていたのよ。あの人があこがれていたのはそのお店の名物スイーツのシロノワールっていう、ソフトクリームが乗っていて、その上にまた蜜をかけて食べる大きな菓子パンだったの。

うちのおばはんて、お酒はまるっきり飲めない代わり、甘いものは大好きって人だから、あの大きなシロノワールをぜひ一度食べてみたいと思っていたわけよ。こんなお菓子なんだけどさ。


こうなると味よりまずはビジュアルでたべてみたくなるじゃないの。 もちろん味もおいしいけどね。
それでコメダに行ってみたら、これがすごく居心地のいいお店だったの。座席も広くてゆったりしているし、のんびりしていてもせかされないし、あの人、タブレットを持って行ってたから、そのまま夕方までずっと涼しいコメダにいたんだわさ。


確かにあそこはすっごくいい雰囲気のお店よ。

だけどあの人がのんびり半日過ごしておうちに帰ってきてテレビをつけたらちょうど沖縄のヘリコプター墜落のニュースが入ってきたところだったの。沖縄は○次嶺さんていう、あの人の代母さまが沖縄の人だったから今でもなんとなく気になるのよね。

さっきの9時のニュースでも、沖縄ではオスプレイのこともあってかなりの問題みたいじゃないの。難しい問題だけど簡単に片付けたりしないで今後のためにもちゃんと考えてもらわないと困ることなんだと思うわ。まったくもう、うちのおばはんも甘いお菓子のことだけじゃなくて、辛い現実もちゃんと見てよね。ほんと。

まあ、この辺でやめないとあの人、睨んでるから沖縄ってほんとに難しいんだってことでおしまいよ。

ほんじゃまたね。





2013年8月4日日曜日

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あれっ、ちょっと待ってよ

こんばんは~、マリーで~す。
 
今日はねえ、ちょっと大きな地震があったじゃない。うちのおばはんの目の前で扇風機がガタガタ揺れ動いちゃっててもあの人、最初は地震に気がつかなかったのよ。今お隣のマンションで中の改築工事をやってるから最初そのせいかと勘違いして、隣は音はうるさいけど振動はないなあって、やっと地震に気がついたのよ。

ほんでもってYahooの地震速報をみたら予想以上に大きめの地震じゃない。あの人一昨年の大震災の時を思い出して出かけるのがこわくなっちゃって行く予定だった千鳥が淵の戦没者墓苑も行くのをやめちゃったの。

今、杖をついてよたよた歩いていて、千鳥が淵は交通の便がよくないのに万一何かあるととても歩いて帰れないって心配になっちゃったのよね。もう2年も経ったのにまだあの日のことが忘れられないんだわさ。

そんなわけで今日はおうちで久しぶりにウォークマンの曲の入れ替えをしながらユーチューブであの人の世代の懐メロを聴いて懐かしがってたの。あの岡林信康さんの灯台守の歌なんて想像もしたことがなかったわよ。ああ、そっか、でももともとは牧師の息子だし案外今もこころは社会の灯台守なのかもね。

今日はそんなこんなで、あの人もなんだかしょぼくれた一日だったみたいよ。なんたって、ツイッターで知ってる人のツイートに人生の残り時間の計算法なんてのがあって、あのひと面白がってつい試したら現在63歳と8ヶ月か9ヶ月のうちのおばはんの場合、長くても20年いけばいいほうなのに気がついちゃったのよ。そこまでいかない可能性だって高いもんね。

あの人も相変わらずのお間抜けさんよね。自分の今の年齢を考えてみれば、後どのくらいのことができるかとか予想がつきそうなものなのに、考えてないのよねえ、まったくさあ。あっという間におしまいに近づいちゃうじゃないの。

もうちょっとまじめに考えてほしいわよ、ほんとにもう。それとも考えてなくても感じてるのかな? 岡林信康さんが歌ってる灯台守じゃないけどさ、意味のある人生を送ってちょうだいよね。ま、今日はそんなとこかな。ほんじゃまたね。

2013.8.3

夏の土曜日は朝からのんびりモード

 
部屋の掃除と洗濯だけは終わらせて、合間にテレビ。あまちゃん、間をあけて水谷豊さんの美術館案内に久しぶりに若大将の散歩。見ながら仕事をしてまた間をあけて、今日はお昼から夕方まで5時間半の「相棒祭り」があるそうだ。なんとも本当にのんびりした夏休み気分。でも残念ながら最後まで見ているわけにいかないから、夕方は四ツ谷。また何かあれば続きは夜。


夕方、まだ時間があるからと思い、ゆっくり歩いて西荻窪から荻窪まで各駅停車で一駅乗って荻窪で下車、ここで快速に乗り換えれば土・日・休は中野まで止まらないから四ツ谷には十分余裕をもって着くはずだったのが、なんと今日はその時間は吉祥寺で急病人がでて、そのために快速が遅れ遅れて、四ツ谷についたのはとっくにミサが始まっている時間だった。まあ、時にはこういうこともあるというわけだ。

おかげで電車を待っている間にこの間から気になっていた、昔、NHKみんなのうたで聞いた歌の歌詞を今朝検索で見つけてメモしておいたのを読み直していた。歌の題も忘れて覚えていたのは別役実さんの作詞だったことだけだったのだが、NHKみんなのうた、別役実作詞でちゃんと出てきたのにはびっくりした。風の子守歌という題の歌だ。

歌自体は子供でもすぐに覚えられるくらいの軽いあまり印象に残らない歌なのだが、大人が聞くと歌詞のことばの意味の重さがずんと心に響いてくる歌だった。読んでみたい方はご自分で探してみてほしい。プロの劇作家・詩人の詩だ。あまり気軽に引用したくない。あの言葉の重さ、意味の重さのわかる方に読んでほしい気がする。https://www.youtube.com/watch?v=FEYRCPUocgw  これです。

あのころはまだカセットテープが優勢だったから、この歌もテープにとって何度も聴いていたのだが、引越しのときについにテープを処理してしまい、その後みんなのうたのどのCDに入っているのかもわからないまま年月がたってしまった。でも、ぜひあの歌や歌詞をもう一度なんとかしてと、うろ覚えの記憶を頼りにあれこれ検索して見つけたのだ。風の子守唄、とてもよい歌だと思う。※私が持っていたのは女の子が歌っていた版で岸部四郎版ではないのでお間違いなく。
  

2013年8月2日金曜日

メインブログからの転載

今年は住まいの契約更新

 
こんばんは~、マリーで~す。

うちのおばはんはさっき四谷から帰ってきて、大家さんの住まいに寄ったのだけど、会計を担当している奥さんがお留守だったからまた後で出直さなくちゃならないのよね。今年は部屋の契約更新の年で、うちのおばはんもこの二年のうちに次の住まいを探さないと、足腰が悪くなって外階段の三階じゃきつくなっちゃってるんだけど、とりあえずもう二年の契約更新よ。

今、あの人が住んでるのは大家さんの個人マンションだから一部が大家さんの住まいで、大家さんの都合で家賃も銀行振り込みじゃなくて、毎月大家さんに直接払いに行くの。最近は大家さんご夫妻もお年で、新しい住人はもう不動産屋さんに任せているらしいけど、古い人はまだ大家さんの直接管理なのね。

不動産屋さん管理のほうは部屋も改築してお風呂もついてるけど、うちのおばはんの住んでるところは古いまま。そのかわり、このあたりとしては安いし交通も便利だったのに、あの人自身の健康状態がここに向かなくなってきちゃったんじゃ、これはどうしようもないわよ。

まあ、この先、どうなるんだかよくわからないけどどこかに移らなくちゃならないことだけは確かなんだわさ。今月の半ばくらいに介護保険のほうも動くみたいだから、それからでないとまだどこから手をつけたらいいのかあの人もよくわからないみたいなのよ。

とにかく暑いうちは動きようがないし、秋の涼しい季節になったらこの先のことも本気になるんじゃないかしら。今はさあ、あまりの暑さで毎日何をしててもまるで心ここにあらずで半分ボケーっとしちゃってるからもうちょっと時を待つしかないみたいよ。まあ、冷房がないんだし、あの人も熱中症にだけは気をつけてほしいんだわ。

2013年8月1日木曜日

メインブログからの転載

八月

日本の八月はやはりなんといってもお盆の季節だろう。都会では最近は新暦にあわせて七月にお盆を済ませたりもするが、多くは今も旧暦で、郷里に帰って親類縁者とともにこの時期を過ごす。
 
この時期は今ここに生きている自分と遥か遠い昔の先祖たちとのつながりを思い起こす時間だろう。ふだんは何も考えずうわべの時間を生きているけれど、人生はやはりそれだけではない。一人暮らしで帰る故郷もない人だとしても、思い出を取り戻す時間かもしれない。

思い出とか、心の世界というのは思っているより重要なものなのだ。心が充足していれば、一人暮らしだろうと、貧しい生活だろうと、将来が見通せない状況だろうと、実はなんとかなるのだ。

では心の充足はどこから来るのかといえば、当方は一応カトリック信者だから「祈り」の効用を信じている。ただ、その「祈り」というのは、あれがほしい、これがほしい、こうなればよいとかいうような求めるだけのもののことではない。

 
「祈り」というのは神様とお話することだそうだ。人間と人間の間での話し合いでも、どちらか一方が言いたいことを言うだけで、相手の言うことを聞こうとしないとしたら、それこそ話にならないわけだ。話はこちらが話すだけではなくて相手の言う言葉も聞かなくてはどうにもならない。

姿もなく声もなく気配もない神様の語る沈黙の声をどうやって聞き取るのかといえば、これはもう自分の心を耕すしかなかろう。昔々、ある方は内面の充実という言葉をおっしゃっていた。そう、必要なのは心の豊かさというものなのかもしれない。

こういったものがないまま、外に向かっての働きかけ、宣教だ、伝道だといっても中身がなければ何も生まれてはこないのだ。

今、日本ではお盆の近づいてくる時期、今、ここにいる自分とおじいさん、おばあさんとのつながりでもいいし、さらにはもっと遠いご先祖様でもいい、とにかく、今、自分がここに生きて存在していることの不思議を見直すあたりからはじめたらどうだろうか。

この世のどこにもいなかった自分が今生きてここにいる不思議、そんなことに思いを向けてみるにはお盆はよいときかもしれない。