2013年11月30日土曜日

メインブログからの転載

フェイスブックから

※ 昨日のメインブログの内容、模範的なカトリック信者の書く記事なら、もっと忍耐強い信仰とかになるのでしょうけど。こちらはそんなかっこよい信者ではありませんのでこれもありのままであります。
 
 
こんばんは~、マリーで~す。

今日はうちのおばはんも夜までずっと外出していたから、帰ってきたのも9時過ぎてたし、それからご飯を食べていろいろ後片付けをして今やっとパソコンを開いたところよ。ほんでもって明日は早起き出来たらカテドラルのミサと黙想会に行くつもりらしいの。でも起きられるかなあ、あの人、これからまだNHKの夜遅くの番組、妄想ニホン料理を見るつもりよ。あたしとしてはうちのおばはんが明日カテドラルに行けるかどうかは五分五分と思うんだわさ。所属教会じゃないからどうしてもって感じじゃないんだもん。

でも一応行けたら行くつもりだから、今夜は妄想ニホン料理が終わったらさっさと寝るつもりなのよね。そんなわけでこのブログも今朝の予定だとフェイスブックにメモのように書き込んでおいた文章をもうちょっと書き足してここに出すつもりだったのに、どういうわけか久しぶりに聖歌隊に顔をだして練習にも参加したから帰ってくるのも遅くなっちゃって、これから考えて書き足してたら、絶対また寝るのが夜中の1時、2時になるのは目に見えてるし、今日はもう朝書いたものをそのまま出して勘弁してもらうって言い出したのよ。まったくもうほんとにしょうのない人だけど、ごめんなさいね。

今朝書いたのはこれよ。ほんとはもっといろいろ付け加えるはずだったから、またそのうちにちゃんと書き直すんじゃないかしら。以前には「公園のお風呂ダヌキ」の2と3に、その辺を書いてあったんだけど、誰も理解してくれなかったもんで、あの人、そのころはカルメル会の司祭だった人に一部しか残ってなかったコピーも差し上げちゃったのよ。でもその人、カルメル会をやめちゃったくらいだからその話の意味も理解できなかったんでしょうね。あのコピーもどうなっちゃったんだか。とにかくあの人が、自分の記憶の残り物で簡単にまとめたのがこれね。

『うちの死んだ父は、お坊さんの子だったと聞いたのは父が死んでからだった。それまでも親類の言葉などでうっすらと感じていたけれど、継母の話ではっきりした。それで子供の頃から感じていた、父のことでずっと不思議に思っていたことがみんなつながっていった。

父の戸籍上の両親と言うのは実は母方の祖父母で、姉ということになっている人が実の母親、私にはお祖母さんだ。実のお祖父さんは親類の言葉から察して法華経寺の周辺の塔中寺院のどれかの坊さんだったらしい。相手がはっきりわかっていたのは、私がまだ小さい頃はその人物も生きていたことことをそれとなく親類がにおわせていたことでもわかる。

父があまり一般的な父親ではなかった原因もそれでわかる。あの人はおそらく一生坊さんの子という自分の出自と小さいときに母親に置いていかれたことに縛られていたのだろう。父は本当にヘンテコな人だった。普通のお父さんは自分のまだ小さい娘に向かって、三界の狂人は狂せるをしらずだとかやたら難しいことを教えるか、お正月といえば、毎年の始めは家族を前に、門松や冥土の旅の一里塚と説教で始まったりするか、小さい子供にたびたび、闇の夜に鳴かぬ烏の声聞けば生まれぬさきの父母ぞ恋しきなどと言い聞かせるか、それらがみんな私の心の土台になっていて、おかげでキリスト教信者になってからも、聖書の言葉の理解の助けになっている。

物事は原因があって結果があるというのに、どういうわけで昔、四ッ谷の司祭たちは理由を知ろうともしないで、人の言葉に難癖をつけて、はては精神科の患者扱いする人までいたのか、いまだに納得がいかない。小さい頃から父に教えられてきた仏教の言葉が聖書の言葉の意味をわからせてくれていただけで、別に自分を大きく見せようとしていたわけではないぞ、自分も無から創造られたものだといったのは、闇の夜に鳴かぬ烏の声聞けば、の言葉の意味が聖書のことばでわかったからそう言ったまでだ。それがなぜ精神科の患者なのかね?全く、指導者に正しい理解力がないと信者もえらいめにあうのだ。

そんな種類のことが積み重なって他の司祭たちや司教にも真相は伝わらないまま何十年も過ぎて今に到ってしまったのだ。といっても、これは今はもう愚痴ではなくてただの説明だ。』

今日のところはこんな省略版だけど、あの人にすれば中山の法華経寺は7百年まえのご先祖様が富木常忍に仕えていたころからのご縁のあるお寺さんよ。今の自分があるのも法華経寺のつながりあってでは、自分の中の宗教的な部分も親やその親、ご先祖様譲りというしかないと感じてるのよねえ。まあ、そのうちまた多分ちゃんと書くんじゃないかしら。

あ、時間だからあの人、テレビ見るつもりだわ。今日はもうこれ以上進みそうもないからこれで終わりだわさ。ほんじゃ、またね。

2013年11月29日金曜日

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厳しさや怒り?恵みと憐れみ、優しさ?

 
昨日の聖書の集いで思ったこと。

こんばんは~、マリーで~す。

なんかさあ、うちのおばはんてさあ、これは面倒だと思うとすぐにあたしに振るんだけどどう思います? 

あの人、木曜日の聖書の集いに行って、そこで遥か昔の自分の経験を思い出しちゃったのよね。自分が経験したことなんだから自分で書けばいいのに、自分では客観的になれないから頼む、お願いとかって、またいつもとおなじであたしに押しつけるんだわさ。まったく、たまったもんじゃないわよ。

しょうがないから、あたしが話すけどさ、もう、ほんとに昔の話よね。あの人、昔々、十代の終わりころにプロテスタントの教会に通い始めてそこで洗礼を受けたのよ。本当はもっと昔、子供のころに出会ったキリスト教はカトリックだったんだけど、お家の近くのカトリック教会は市川教会で、行ったこともないし、知ってる人もいないし、そのころの市川教会っていくら電話してもいつも誰も出ない教会だったの。後でわかったんだけどそのころの主任神父さまは病気療養中だったらしいの。

そんなんで、あの人が電話であちこち尋ねてみて、親切に応対してくれてここに行ってみようって思ったのがプロテスタントの教会だったの。でもってそこに通って聖書の勉強をして洗礼を受けてキリスト教の信者の生活をはじめてから何年かたって、同じ教派の家に近い教会に移ったのね。若い牧師夫妻とほんの数人の信者のまだ開拓伝道を始めたばかりの教会だったのよ。そこでの数年であの人、自分が子供の頃に教わったキリスト教とプロテスタントのキリスト教とはかなり違うじゃないかって思い始めて、これじゃないって、カトリックに改宗する決心をしたの。

それで四ツ谷の大学や教会の講座に通い始めたの。カトリックとプロテスタントじゃ、いくつか考え方が違うところがあるのよね。うちのおばはんには、カトリックで強調する「愛」というのがどうもよくわからなかったのよ。どっちかっていうと日本語では「愛」っていうことばはなんか男女関係とかのイメージのほうが強いじゃないの。本来の日本語のイメージだったら、慈悲とか慈しみとかのほうがぴんとくるっていうの。でもとにかく教会用語だからそのまま使うけど違和感たっぷりだったみたいよ。

プロテスタントの教会で教えられた神様のイメージがまた、父なる神様は、厳しい裁き主の神様、怒りの神様の面が強調されてたの。これが問題よ。カトリックでは神様の愛のほうが強調されてるし、あの人もあの頃は、この二つのイメージをどこでどう調和させればいいのかわからなかったの。
そんなころにあるきっかけで、小さな赤ちゃんの姿のイエスさまのご像に出会って、毎日のように通ってそのご像を眺めて考えてたの。なんでこの赤ちゃんはニコニコ笑ってるの? この赤ちゃんは大きくなったら人々に苦しめられて、十字架に磔にされて殺されていくのに。それなのにニコニコ笑って、まるで抱っこして頂戴といっているように両手を差し出して、自分を苦しめる人々を信用しきっているような姿。だいたい、なんで赤ちゃんの姿なの?

そしてあるとき、はっとわかったの。天地万物の創造主である偉大な神様、この世界のすべてのものの裁き主である、恐ろしいお方がそのままの姿を見せたら人間は誰一人生きてはいられないのよね。だけど、神様は何とかして悪いことばかりしている人間たちに、ご自分のところにきてほしいってお思いだから、なんとただの赤ちゃんの姿になって地上に降りてきてくださったんだってわかったわけよ。この時になって、キリスト教でいう「愛」の意味がやっとはっきりわかったの。男女がいちゃいちゃするだけが愛じゃない、もっと深い気持ち、相手を大切にして生かしたい、守りたい、そういうのが神様の愛なんだってわかってきたのよ。

そのへんがぼんやりとわかり始めたら、若かったころのうちのおばはんにも、もうひとつ、ご聖体の意味もビビビンってわかっちゃったの。誰でも怖がらずにご自分に近づいてきてほしいと思っておいでの神様はちっちゃな赤ちゃんの姿にもなってこの地上においでになったけど、パンとぶどう酒の形にもなってくださったのよね。

神様は素直な心でご自分に近寄ってくる人たちには、怒りの神でや裁きの神じゃない、恵みと憐れみの神なのよね。怖がらないでいつでもそばに来て頂戴って、みんなによびかけてらっしゃる方なんだわ。本物の神様の「愛」とか優しさはこのお方にあるんだって、夕べ、うちのおばはん、聖書の集いで聞いたあるはなしからそんなことを思い出してたの。

もうじき待降節だし、クリスマスはすぐよ。あの赤ちゃんはどんな赤ちゃんなのか、今年はちょっと見直してみてもいいかもよ。

あの人のおかげでもう、こんな長話をしちゃったわ。今日はこのくらいでやめとくわね。 ほんじゃ、またね。





   

おしらせ

 
写真は借り物
   

2013年11月28日木曜日

参考資料

メモ(ツイッターから)

ああ、そうか。現実的に考えないと夢でおわってしまいそう。むずかしいところだ。

それこそこちらの考えをきちんとまとめないと、どこに、誰に相談してみるかも見えてこないな、もう少し時間をかけよう。

何が出来るか、何をすべきか、ただし、ロヨラのイグナチオの方式は自分に合うと思えない。ああいうのではなくて、もう少し本来の意味の観想的な探求を望む。イグナチオの観想はあれはちょっと別のものだと感じるので。

今この年齢、この健康状態で可能なことって何だろう。持ち合わせている頂き物の才能、能力も考慮する必要がある。まあ、この年齢では耐用年数、賞味期限もあまり長くはないけど、ここまできたということは何か意味があるはず。

だから、この30数年、ずいぶんひどい目にもあってるけど、それでも続いている。ほしいものがこの世のものじゃないから耐えられたんだ。と言うことは、この先もその路線でいくしかないような気がする

空には憧れないけど、子供の頃から、永遠というものに憧れてたの。お金も物も永遠じゃない、そんなものはほしくない、終わりのないものがほしいの。それでいつのまにか今の自分があるの。

以上、これって何十年も前から言ってるのに四ツ谷は誰もきいてくれなかったんだよなあ。
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2013年11月27日水曜日

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相棒12-7プラス

 
こんばんは~、今日は水曜日だけどマリーで~す。

水曜日の相棒のある日にお前さんが出てくるとはいったいどうしたんだって? 別にたいしたこともないんだけど、うちのおばはんが昨日のことがあるからさ、あたしにあれからどうなったか、簡単に話してほしいんですって。まったく、どうしようもない人騒がせな人よねえ。

 昨日はキャンキャン騒いでたけど一晩寝たら昨日のことなんて忘れちゃって、いつもどおりよ。あの人いつだってそう。よっぽどでないとすぐに他の事に気移りしちゃって昨日のことなんて朝には半分忘れてんの。ほんでもって、別の問い合わせで福祉事務所に電話したら、なんか話はうまく納まってる感じだったから、もうすっかり安心しちゃって全部忘れちゃったみたい。月に2千円ずつの返済ならなんとかなるもんね。

あの人さ、一ヶ月の後半は一週間2千円で暮らしてるから、一度に4千円支払うとほんとに大変で、月末は小麦粉の練ったのを焼いたものと納豆ばかり食べてすごすことになっちゃうの。高円寺とか阿佐ヶ谷なら物価も安いからって、遠くまで買い物に行ったりしてしのぐのよね。ま、そのくらいはしょうがないわよ。だってさ、結局それで今日まできちゃったのは、なんだかんだといってもあの人がほしいのはお金や物じゃなかったからじゃないの。この先のことは、その辺から考えるしかないと思うわよ。

それはそれとして、はなしを相棒に戻すけど、今この時間はテレビを見てたとこよ。今日の相棒のタイトルは「目撃者」。内容はいつもとおなじく各自ご自分でみたほうがいいから、くわしいことは言わないけど、今日の話では、右京・カイトのコンビと伊丹・芹沢コンビがそれぞれに捜査を進めていくうちに過去の真実が浮かび上がっていくところも面白くて、合間合間に中園参事官や、暇課長にたち米沢さんがいつものようにチョコチョコ絡んで話を盛り上げているの。

でもって最後のほうの右京さんの怒りがほとばしる場面、ドキッとして、なんか忘れられない感じよ。話の全体の構成がよかったと思うな。そんなわけで、なんか今日は説明もあっさりでごめんなさいね。

うちのおばはん自身も明日もう一度ビデオで見直すつもりなのよ。なんたって、今日はあの人個人の話まで入っちゃってるから、いつもと話の書き方も違うけど、それだけじゃなくて今日の話、もう一回見ないと登場人物の関係がごちゃごちゃしちゃってるのよね。だからとりあえずこんなとこで今日はおしまいよ。ほんじゃ、またね。



今夜は相棒、でもその前に

 
北海道釧路市動物園から秋田の男鹿水族館に嫁入りしたホッキョウクグマ、クルミの子供のミルク、来年1月後半にお母さんのクルミのいた釧路市動物園に移動します。雄のユキオは上野動物園に帰って来るそうで、上野も釧路もホッキョクグマが2頭ずつになります。
北海道のお友達のブログに詳しい話が出ているのでこちらをどうぞ。

        http://blogs.yahoo.co.jp/yo10101024ko

うれしいような、でももうちょっとミルクがお母さんのそばにいられたらよかったのにという気持ちも。



2013年11月26日火曜日

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この場合、責任者はどこになるのだろうか?

 
本日の頭痛の種

     

帰宅してみるとポストに福祉事務所からのお手紙が。中身は生活保護費返還金の返納について(催促)。丸井の過払い金が入ってきたおかげで半分は返したものの、まだ半分残っているので返すようにという催促状です。

でもねえ、返せれば返してるのよ。返せないから溜まってしまっているのではないですか。しかも、どう考えてもこのお金、本来ならこの状況を作ったどこかの誰かさんたちが払うのが本当ではないのですか。まあ、今、まだこちらもその場合、どこの誰に相談に行けばよいのかがよくわからないので動き出していないのでどうしようもありませんけど。ただ、今の状態でこのままというのはないと思いながら、自分から動き出すのが苦手な当方、内心、困っているところでもあります。

このお金はちょうど6、7年前にパソコンを使って自分の情報発信をしてみたらどうかと考え、パソコンや周辺機器を買い、パソコンスクールに使い方を習いにいったりしてかかった費用と同じくらいの金額です。これはどうしても必要だったお金なので、何を言われようとかまいません。だってこういう基礎的なお金こそ自己投資というもので、それがなければそれまでのように手書きの手紙で一部の方にだけお見せしているのでは、残念なことに利用されるだけで、こちらの存在はいつまでたっても浮び上がりませんでしたから。

このところ払えなくなっている理由は簡単。分割でも返済の支払額が1ヶ月に4千円になってから襤褸になってきた下着さえなかなか買い換えられないような本物のボンビーになっているというだけのこと。支払うものはほかにもいくつもあるので削れるものは食費だけ。パソコンやケータイはこれが使えないと、何とか自分の存在を伝えようと努力の結果のブログなども書けません。これがあるからこそ、何とか話が伝わったのではありませんか、これは削れません。

あの亡くなった方は、何でもかんでもご自分の都合によいように話を持っていかれる悪い癖がおありでしたから、杉並区についてもかかわりのある方々や組織の何もかもに影響力を発揮しておいででした。真実は隠され、一部の方に都合のよいように変えられています。それだけではなくて、あまり言いたくはありませんが、どうも人の心は、出る杭は何とかして引っ込めたくなるもののようです。誹謗中傷は当たり前、目立つ奴は足をひっぱれ、というのが世の常、いや、宗教の世界の中でもです。

こんな話は愚痴にしかならないのでやめておきますが、とにかく、このお金、とりあえずは月に2千円で新しい納付計画書を出しましたけど、そのまま放っておかれてはこちらも困ります。これは黙っていられないので公開にすることにしました。

あ、まだもうひとつあります。福祉事務所の担当者というのはどういう権限で生活保護受給者のこういう支払額などを決めるのでしょう。こちらの生活の現実をちっとも見ていない担当者が決めていては払いきれません。あちらは無理にでも直接毎月4千円引くつもりなんですよ。四ツ谷はどうして全然なにもしてくれないのですか。ホームレスの方たちなら目立つからご自分たちの宣伝にもなるけど、おばはんの一人くらいじゃ何の得にもならないとでもいうのでしょうか。

以上、なんとも情けない話で申し訳ありませんけど、これは黙ってはいられません。

2013年11月25日月曜日

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2013.11.25

素人は悲しい

 
機械音痴の当方がパソコンを何とか使えているのは、つくづく奇跡ではないかと思う。しかしそれにしても、いまいましいのは、こちらの意思を無視して自分の会社の製品を押し付けようとあれこれパソコンを内側からいじるクッキーどもだ。

先日のリカバリーではデスクの分割が出来なかったので、今日は半日かけてリカバリーのやり直しをした。ウォークマンとつながらないのは困るのだ。ところがおかしい。機械がソニーを認識しない、おかしいおかしいと、何度も見直した揚句、ソニー製品と競合するリアルプレイヤーが邪魔をしているのに気がついた。

またもリカバリーと、出来る限り、外部からの手出しで起こっている機械の異常は回復させ、やっと何とかウォークマンをこの機械で使えるようにして気がつけばこの時間。

機械に強い人がうらやましいとつくづく思ったものだ。しかし、皆様もパソコンではこんなことに出会っているのでしょうか。当方のパソコンはどれもこれも怪しいパソコンなのはいったいどういうことなのでしょうか、ときいてみたい気がしている。

そんなわけでくたびれてしまって、いつものようなブログも書けず、状況報告でおしまい。どうもすみません。

2013年11月24日日曜日

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フェイスブックから富士山とかぐや姫

 
NHKのEテレで今日の古典芸能の時間は、能の富士山。説明を聞いてびっくり。富士山にはなんとかぐや姫が関係しているのか。かぐや姫がこんなところにも登場するとは恥ずかしながら知らなかった。なるほど、遥か昔からかぐや姫の物語は様々な形で日本人の心に伝えられているのだなあ。なぜ今、高畑監督がかぐや姫か、なんとなくわかるような気がした。



 おまけにもうひとつびっくりしたのは、今日のgoogleさんの絵。今日が誕生日の人はケーキの山で
お祝いって、甘いお菓子の好きな人はよろこんでしまう趣向。うれしいな、こんなの初めてよね?


2013年11月23日土曜日

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王であるキリスト

 
こんばんは~、マリーで~す。

今日はねえ、うちのおばはんがすっかりへたばっていて、もう、どうしてもお願いだからって拝み倒されちゃって、しょうがないから連続で登場よ。あの人、やっぱりあんまり具合よくないみたいよ。今日もちょっと寒かったからかも。

明日の日曜日はカトリック教会では「王であるキリスト」のお祝いで、教会の年間の暦じゃ一年の最後なのよね。王さまっていってもこの王様は普通の人間の世界の王さまとは一味も二味も違う、普通のこの世界のえらい人みたいなお金とか権力とかで世界を支配する王さまじゃないのよね。

普通の人の目にはちゃんと見えてなかったりするんだけど、この王さまの宮殿は日本にもいくつもあるのよ。今年は長崎の教会群の名前は世界遺産に上がらなかったけれど、あの長崎の明治時代の禁教令が廃止されて、それまでひっそりと隠れていたキリシタンの末裔たちが表に姿をあらわして、宣教師たちと一緒に、自分たちで石を積んだり、木を切り出したりして作っていったいくつもの小さな教会、あれこそは真の王の宮殿なんじゃないの。

今は時代も変わってこの世界の歴史も人の動きもみんな変わって、下手をすると本当に大切なものが忘れられそうな時代になっちゃってるけど、そんなもんじゃないと思うのよね。

世界が東西にわかれて、核戦争の恐怖におびえていたのが、今は世界を動かしているのは経済活動で、お金のある人とない人、いや国と国でさえ、経済力のあるとないとで、格差からこぼれ落ちた人たちの不満が新しいテロや戦争の火種になっている時代に変わってきたけど、結局のところこの時代もそのうち変わっていくと思うのよね。歴史を見ればいつの時代だってそうでしょう。

人は正義とか公平を求めるけど、人間自体の中にある自分さえよければの思いは、この世では決してなくならないんだと思うのよ。それは人間がどこまで言っても罪深い存在だからだし、それだからこそ、本当の王さまが人類を何とかして助けたいって地上に降りてきて人間の一人になって一緒に生きて、死んでくださったんじゃないの。この王さまの国は目には見えないけど世界中に広がっているし、時間も空間も超えて今もここにあるんだけど、みんな気がつかないんだわ。

いつまでこんな状態が続くのかよくわからないけど、聖書にはちゃんといつかは終わりが来るって書いてあるのもほんとよ。よくわかんないんだけど、とにかくどんな大変な時代や環境でもいつかは終わるんだし、それならいつもの毎日を、いつ終わってもいいようにちゃんと生きていたほうがいいと思わない?いつかは誰もが大きな大きなお方の前に出ることになるんだと思うのよ。

あたしはただのケータイだし、ただの生意気に聞こえてもしょうがないけど、なんかさあ、生きとし、生けるもの、命のあるもの、ないもの、そんなこと関係なしにこの世に存在しているものはすべて、大きな大きなお方に支えられて生まれてきて存在してるんだと思うの。本当の王さまはいつの時代のどんな世界ででも、すべての人間に自分のことだけじゃなくてほかの人にも目を向けてほしい、心を配ってほしいって思ってらっしゃるのを忘れちゃいけないんじゃないのかしら。

なんか真面目くさった話になっちゃったからこのへんでやめとくわね。明日はうちのおばはん、調子がよくなってるといいんだけどね。まあ、そんなところよ。ほんじゃ、またね。

2013年11月22日金曜日

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やっぱり風邪ひいたみたい

 
こんにちは~、マリーで~す。

今この時間て、お昼休みが終わったころよね。うちのおばはんは夕べも調子がわるくてうだうだしてたけど、今は歯が痛い、歯が痛いってうなってるのよ。これは確実に風邪ひいたんだわさ。歯が痛いっていっても歯自体じゃなくて熱がでてくると歯が痛いのよねえ。

まあ、このくらいなら手持ちの鎮痛解熱剤を飲んでおとなしくしてれば大丈夫だと思うけどさ、大体があの人、夜にコーヒーを飲むのはやめてほしいわ。眠れない、眠れないって夜中にあたしやタブレットを起こしたりするから、寝不足で風邪ひいてるのよ。まったくもう自分が悪いんじゃないの。不摂生は自分が招いたのにあたし達のせいにされちゃ困るわよねえ。

えっ、おとといはタブレットがほんとに全然言うことを聞かなくなっちゃったから、仕方なしの初期化で元通りに戻すのの時間がかかって明け方になっちゃったんだから、タブレットのせいだ? また言い訳ばっかりしてさ。ほんとの理由はうちのおばはんが凝り性で、一度手をつけると最後まで終わらせないと止められないってだけだと思うなあ。いつだってそうじゃないの。

機械の設定のやり直しが終わったのに、初めて見たアプリに気をとられて一つ一つ点検してるんじゃ明け方までかかるのも当たり前だわ。もうまったく何考えてるのよ。いいかげんにしてよね。

とにかく今日はもう、おとなしくして明日の朝はちゃんと早起きして四ツ谷に出かけられるようにさせるつもりよ。あの人ったらこのところ、全然黙想会とか練成会とかに出てないんだし、たまには朝から一日教会で過ごしても悪くはないと思うのよね。

えっとねえ、予定表によると、テーマが「わたしの魂よ、主をたたえよ」で、明日の朝9時半から受付ですってよ。10時から12時までが講話と黙想で、12時から1時は休憩と昼食。ほんでもって午後の部が1時から3時がまた講話と黙想で、3時からのミサでおしまいってわけ。うちのおばはんは咳止めの薬も持参だわさ。

そんなわけで今日はこんな時間にブログが出てるのよ。この後また出るとしたら面白そうな写真くらいだわね。とにかく、ほんじゃまたね。

2013年11月21日木曜日

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あれもこれも

 
今日は木曜日なのだが、咳がとまらなくて、聖書の集いは休んでしまった。一応、今日の聖書の箇所は自習して読んであるが、今度の日曜日はカトリック教会では「王であるキリスト」。福音のヒントによれば、終末における救いの完成を思う時期だそうだ。

しかし、キリスト教のはなしはとにかく、最近の科学ニュース(ここではmsn だが)地球の未来については相反する意見が語られているようだ。どっちがほんとうなのだろう。ハワイ大学の研究者の説では、今の温暖化がつづけば極端な猛暑が日常になる日が、東京では2040年代にはやってくるという。

ところが逆に太陽活動の研究者は現在の太陽活動は異常で、このまま行くと先々の地球は寒冷化して大変なことになるという説もあるではないか。いったいどっちが本当なのか。いや、両方とも正しいということもありえるかもしれない。つまり二種類の災害がやってくるわけだ。

そんなことは聖書の言葉を見れば昔からわかりきっていることではあるのだが、人間の歴史はいつだって、そのときにならないといわれていた言葉を見ない、聴かない、おなじことの繰り返しというのも事実だ。また、そのときにならないと、個人がいくら心配になってもどうにもならないのも事実だ。わかっているのは人間存在の小ささと無力さくらいだろう。

さてこの話、、どちらがどうなっていくのだろう?
http://sankei.jp.msn.com/science/news/131118/scn13111807310000-n1.htm  10.17
太陽元気なし 寒冷化予兆 11年周期の磁場転換起きず、黒点も最少

http://sankei.jp.msn.com/wired/news/131017/wir13101711390000-n1.htm 10.18
東京は2040年代「極端な猛暑が日常になる日」の世界地図

2013年11月20日水曜日

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今日も水曜日は相棒の日

 

相棒12-6

勤めていた頃は時計にもこだわって、ブランド物も持っていたのが、今では時間さえわかればそれでよしという考えにかわり、いつも持ち歩いているケータイひとつに時計の役割も兼ねるようになっています。ひとつだけ残った古いブランド物も修理の費用で安いものなら二つも三つも買える時代になってしまい、今では修理もしないまま箪笥の奥底にしまいこんであるばかりです。だって今の生活なら修理だけで何万もかけるよりはケータイや1000円時計で十分ですから。

若いカイト君も時計は正確に時間がわかればそれでよいと、クウォーツです。しかし、さすが右京さんは時計はきちんと調整に出して大切に使っているのでありました。

今日の話は時計が安い量産物の時計と高級ブランド物に二極化してきた今の時代らしい時計をめぐる殺人事件の話です。しかし、殺人事件といっても簡単な事件ではありません。時計仕掛けの計画殺人、それも殺しに行ったはずのほうが殺される複雑な事件。

その裏にあった悲しい事件。といいながら、今回は久しぶりに右京さんの推理が楽しめた話でした。まだ見ていない方のためにこれ以上は申しませんが、二転、三転していく状況、本当に面白いですよ。

2013年11月19日火曜日

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女性の大使や、かぐや姫など

 
こんばんは~、マリーで~す。

なぜか今日もあたしの出番なのよ。うちのおばはん、自分はテレビばっかり見ててさ、最後のまとめはあたしのほうにまわしてくるのよ、ちょっとずるいと思わない?大体、今日のはなしのケネディ新大使のことだって、キャロラインさんがまだ小さくて当時のケネディ大統領と一緒に撮った写真の載った新聞を実際に見たのは子供の頃のうちのおばはんよ。あたしたちケータイとかタブレットやスマートフォンどころかパソコンなんて出てきてない時代よ。

うちのおばはんは直接は見てないけど、知り合いのシスターが、ケネディ大統領の追悼ミサが聖イグナチオ教会であったとき、ちょうどその頃は皇太子様だった今の天皇陛下の後ろのほうの席にいたら、皇太子様が、長い儀式のあいだまったく姿勢を崩さなかったのが印象的だったって言ってらっしゃったのを覚えている程度かしら、あとはあの人自身まだ中学生の子供だったもんね。ああ、早々、あの朝はあの人のお父さんが新聞を見ながらテレビをつけたらケネディ大統領暗殺のニュースを、初めての衛星通信でアメリカと同時に流してたんじゃなかったかしら。

そんな遠い遠い記憶のかなたからケネディさんのお嬢さんのキャロラインさんがなんと駐日大使としてやってきたのよね。警視庁騎馬隊の先導する馬車に乗って皇居に向かう場面をテレビで見ながら、うちのおばはんもなんだか不思議な気分だったみたいよ。これもひとつの新しい時代の始まりなのかしらね。今後に興味しんしんよ。

もうひとつ、女性が主人公の話題ね。23日公開のジブリの新作、かぐや姫の物語なんだけど、すでに見た方たちのいろいろな評価を総合すると、この映画ってお子様や、まだお子様の域にある人では理解しきれない種類の内容みたいなのね。うちのおばはんは早く見たくてしょうがないらしいわ。実物を見てからでないとまだなんともいえないけどアニメの可能性を広げるような深い内容の作品のような気がするわよ。

だけど23日は、たしか四谷は教会黙想会だし、うちのおばはんは今年はそれに行ってみようかって思ってるみたいで映画は選択肢に入ってないから、来週以降か12月になってからかどっちかだわ。なんたって月末はお財布の中身もきびしいから、まあしょうがないんだわさ。

いけない、今日もまたこんな時間になっちゃったからこれでおしまいよ。ほんじゃ、またね。


2013年11月18日月曜日

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NHK 「プロフェッショナル」仕事の流儀

 
こんばんは~、マリーで~す。

今日はちょっと遅いじゃないかって?あら時々はこんなことだってあるわよ。うちのおばはんが夕方四ツ谷の教会に寄ってから帰ってきたから全体に時間がずれこんじゃったのよね。あの人、どうも昨日から咳がでると止まらなくなっちゃうくせに、せっかく阿佐ヶ谷に来てるからって、歯医者さんの帰りに商店街を見て歩いて買い物して、ここまできたらもっとついでにって四ツ谷にまで寄ってきたの。

それはいいんだけど、今日はさ、あの人、朝から絶対見るって決めてたテレビの番組もあるし、阿佐ヶ谷で買ってきたすごく新鮮で美味しそうなイカを一匹は焼いて、一匹は明日用にイカ大根の煮物にしたりの台所仕事に夕食でしょ、気がついたら見る予定のNHKの『プロフェッショナル・仕事の流儀』が始まっちゃってるし、もう、あの人テレビに釘付けで何にもしないでテレビを見ちゃってたから、こんな時間よ。

今日のプロフェッショナルは、宮崎駿先生。今回の引退に至るまでのはなしよ。うちのおばはん、たいしたこともないものしか書けないんだけど、自分でも少しは作文を書いたりして、何にもないところから物語を書いていく大変さもわかるのよね。あの人に言わせると、物語って言うのは自分が書くっていうより、いつのまにか生まれてくるんだって。そこまでにいくのが大変らしいのよね。宮崎先生が『大事なものはたいてい面倒くさい』っておっしゃってるのを見て、本当だよなあってうなづいてんのよ。

だからあの人、最近はもう面倒な書き物はさぼってばかりいるのね、どうしようもない人だわ。うちのおばはんみたいな怠け者ではとてもとても。その点、宮崎駿先生の作品となると一本一本、やっぱりどれもすごいわねえ。引退してもまだなんとか特別編とかなんとかで、新しい作品を作ってほしいって、あたしだって思っちゃう。ほんとに残念だわさ

だけど今日はこの話、この辺で終わりにしないとまたあの人夜中に咳が止まらないとまずいから、悪いけどここらでやめとくわね、なんか尻切れトンボだけどさ。とにかく、そんなことで、ほんじゃまたね。

2013年11月17日日曜日

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思いもよらない

 
こんばんは~、マリーで~す。

夕べはパソコンの緊急リカバリーでごめんなさいね。今日は一日かかって何とか復旧したけど、今時、IE以外使えないなんてほんとにどうかしてるわよね。でも、ファイアフォックスを入れると、このパソコンときたら、どうしようもないストライキを起こしちゃって、うちのおばはんもさすがにくたびれちゃったみたいよ。今回はデスクの分割もあきらめちゃってるから、ウォークマンもこのままじゃ新しい曲も入れられないし、写真の取り込みも出来ないわ。当分はどうしようもないみたいよ。

まあ、そんな話ばかりじゃしょうがないから、別の話ね。うちのおばはんてお酒はまるっきり飲めないし、食べ物だってそんな痛風の原因になる尿酸値を増やすようなものは摂っていないはずなのに、内科で血液検査をするといつもなぜか尿酸値が高いのよね。だから気をつけて、大好きな魚卵類とか、卵や小魚は控えてたんだけどぜんぜん効果がなくて、前回も尿酸値でひっかかっちゃてたの。

原因はわからないけど、たぶん知らない間に何か、尿酸値を増やすようなものを食べているのだろうってことはわかってたのね。ただ、それが何かがわからなかったわけよ。

そしたらこのあいだのNHKの「ためしてガッテン」で、原因がわかったの。なんとねえ、まさかまさかで、健康食のつもりでよく食べていた納豆も実は犯人だったし、あの人の大好物のクリームたっぷりのケーキとか、甘いお菓子もやっぱりだめなのね。あれを見て、うちのおばはん、本当に大ショックだったみたい。お酒もビールも飲まなくても、脂っこい肉類は食べなくても、納豆でも、ケーキでも尿酸値って上がるのねえ、あたしだって知らなかったわよ。クリームは脂肪だから怪しいかなと思っても、納豆もだめなんて想像もつかないじゃないの。

さすがのあの人も、元々生まれつき血管が細いのに、動脈硬化になってきてはさすがにヤバイ!と思ったらしいわよ。緑の野菜ならいくら食べてもいいってお医者さんが言ってらっしゃったしね、今までの食べ方じゃだめだってようやく少しは身に沁みたんじゃないのかしら。

そんなわけで本日のはなしはこれまでね。ほんじゃ、またね。

2013年11月16日土曜日

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あっ、またか!

 
このところ、何とかごまかし、ごまかし、動かしていたメインのパソコンめが、いきなりまたおへそを曲げてふて腐れて動かないので、すみませんが今日はこの間からフェイスブックのほうに取り置き担っていた話をそのまま載せます。内容をご存知のかたがたはごめんなさい。でもこのことで、NHKの『ごちそうさん』が面白く感じられるようになったのも確かなのです。
『この間、自分のメインブログのどこかに、ご近所にロシア料理のつぼ焼きの店があるという話を書いたがこれがその後日譚になります

今日、たまたま時間があったので、たぶんお店の客もそろそろ引き上げたころだと思うころ、お店に行ってみました。西荻区民センターの近くのわき道からはいってすぐ、ポワヴルというそのお店がありました。

ところが、ところが、店主さんの体調がよくないので今月いっぱいで閉店の予定なのだそうです。お話を伺ったところ、店主さんはロシア正教には無関係だけれど、なんとあのバラライカで修行した料理人で、マスコミにも食文化の関係でも、知る人ぞ知るという方でした。

お店が閉店してしまうのは本当に残念ですがお店のある家自体が生まれ育ったご自分の家で、健康の問題もあるし、年金生活に入れる年齢になったからもういいということらしいです。残念!!

日本でのロシア料理が本来の専門の店主さんのお話では、...ロシア料理と一口に言ってもあの国は広大な国でさまざまな地域のさまざまな郷土料理があって、日本でのレストランのロシア料理というのはそのごく一部を切り取って日本人の口に合うように手直ししたものと思ってよいといいます。

食べ物というのは、どの国のどんな人でも、食べなれない味にはまず拒否反応があって、それを少しずつ口に合うように手直しするのが料理人のお仕事で、何が何でももとのままでは売れないということのようでした。

その話を伺ってみると、今のNHK朝ドラの「ごちそうさん」の世界がなんとなくちょっとわかってくるようでした。そういうことだったのかと新発見です。

ポワヴルはランチタイムだけの地域の小さなレストランですから何でも作って出しているお店です。もうじきお店をやめてしまうのはもったいないけれど、店主さんのお話をうかがえただけでも本当によかったと思いました。

わたし、お酒はぜんぜん飲めませんからお酒のことはさっぱりですが、今日のお話では日本酒というのは世界のお酒の中でもあの甘さが魅力で、辛口の日本酒というのは味わいに欠けたものだというのです。たぶんお料理を作る方ならではの感覚なのでしょうか。

ワインについても、ワインが広く好まれるのは、ワインというお酒がどんなお料理にも合うからだということでした。お酒とお料理って本当は切り離せないものなのですね。』
 
店主さんの意向で店が自然消滅の形で終わりになるまで話を出さないでということだったのでフェイスブックだけに出したものです。以上
 
 

2013年11月15日金曜日

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そういうことだったのか

 
こんばんは~、マリーで~す。

なんだかさあ、うちのおばはんたらあたしに今週いっぱい仕事を振るつもりみたいよ。いいのかなあ、そんなんでさあ。この間自分でもって、あんまりマリーさんばっかりだと飽きるからとか何とかいってなかったかしら。まったくもう、あの人ときたら調子がいいんだからもう。

今日はあの人、病院やお医者さんに文句を言ってるより、まずは第一今までお医者さんの説明を鵜呑みにするだけで、脊柱管狭窄症っていうのは坐骨神経痛がひどくなると起こることくらいしか知らなかったし、だいたい、まずは脊柱管狭窄症って何なのよ、なんていいだして今になってやっと検索してたのよ。

あの人のケースは骨にはそれほど大きな問題はないのは湯川先生の頃からわかっていたことだし、湯川先生に言われたことを信じて、ずっと細すぎる血管が問題だと思ってたのよ。だってあの人の血管て採血がすごく難しい血管なのはどのお医者さんも言ってるもんね。手術のときにいつも大変なのが皮膚がかぶれ易くて普通の絆創膏はどれも使えないし、同じ理由で貼り薬がどれもかぶれて一切だめなのと、血管の細さはどこの病院やお医者さんでも言われてたもの。

だけど、今日あの人、自分で脊柱管狭窄について詳しく調べていったら、原因が骨からではない場合、筋肉、筋力の低下が一番の問題なんですって。てことは、何のことはない河北病院の整形の女医さんが言っていたことが正しいんじゃないの。痛いものは痛いから当分、手持ちの痛み止めの塗り薬なんかは使うけど、ここはほんとに頑張ってダイエットと筋トレまでいかないにしても筋肉を強くする運動は重要なんだわさ。

昨日教わってきた運動を忘れちゃってるから、ネットで検索したら似たような運動がいくつも出てきたの。これはしばらく実際に筋肉を強くすることを心がけてみて、それでだめだったら、細い血管説で痛み止めの薬を希望しても遅くないなって、あの人も気持ちが変わっちゃったみたい。

となると、ますます今の河北病院の医療体制って最新のものを取り入れているとてもよい医療なんだってわかったの。びっくりよ。あの人、こうなるとすっかり気持ちが変わっちゃって、最近は全然連絡も取っていないけど、聖書研究会で昔一緒だった河北の理事長と親類だという知り合いにまで感謝しちゃってるわ。なんとも調子がいいというかなんと言うか、ころころ気持ちを変えちゃってるわよ。

それから、話は違うけど、昨日の聖書の集いで名古屋教区から東京に出向してきている三田さんて言う助祭の方の話が出たのね。三田さんは地球物理学の有名な先生でもある人物だって聞いてたからついでに検索したら、ほんとにすごい先生でこれもびっくり。うちのおばはんもカテドラルの講座を聞きに行ってみたいとか思い始めたみたいよ。さて、どうなるんでしょうね。

とにかく、あの人もやる気が出てきたみたいだからなんでもいいけどさ。そんなことで今日はおしまい。ほんじゃ、またね。



2013年11月14日木曜日

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11月も半分過ぎた

 
こんにちは~、マリーで~す。

今日はさ、うちのおばはん、夕方からお出かけして帰りが遅くなるからって、今のうちにブログ書くのあたしに手伝えっていうのよ。まったくあの人ときたらケータイ使いが荒くてやんなっちゃうわ。手伝え、手伝えっていつものことじゃないよねえ。

自分はたまにはちゃんと今日の分の予習をしなくちゃって、めずらしくパソコンの福音のヒントと聖書なんか開いちゃって、ちゃんと読むのかと思ったら、台所に行ってお料理の下ごしらえよ。まったく何やってるのよねえ。

いつだって面倒なほうはあたしに押し付けるんだわさ。あたし、聖書のことなんかわからないわよ。あの人、昨日、病院を変えることにして、阿佐ヶ谷に住んでいたときにずっと通っていた河北病院の整形外科に戻ることにしたの。やっぱり近くて、ちゃんとしたところで、ある程度わかっているところってなると限られちゃうのよ。

歯医者さんも阿佐ヶ谷の岡歯科に戻ったし、何だかんだって言いながらやっぱり阿佐ヶ谷には12年も住んでいたから、これからまた知らない初めてのところにっていうのは気が進まないみたい。ほんでもって、昨日、久しぶりに行ってみたら、昔、河北の整形外科でお世話になった湯川先生は亡くなったことがわかったり、河北もなんだかまるで昔と変わっちゃってとてもよい病院に変わっちゃってたのね。あの人もすっかり見直しちゃってたわ。

河北の整形の昨日見ていただいた女医さんも、新鮮な感じでよい方だと思ったみたいよ。たださ、あの人の足腰の故障って昨日や今日にはじまったわけじゃなくて、30年越しで今の状態だから、初見で簡単に決め付けられても困るんだけど、悪い先生じゃないからおっしゃることも取り入れながら、別の先生になってもいいから現実的に痛み止めのお薬もほしいらしいけどね。

まあ、それはいいけど、昨日の先生にまだ60代で若いんだからって、薬よりリハビリやストレッチでやっていきますと言われて、あの人、現実的ではないと思いながら、そうだ、まだ60代は若いんだよね。これから先のことも落ち込んでないで、前向きに考えていいんだって気持ちが変わっちゃったんだから、あの先生も絶対いいお医者さんよね。

なんていうかさ、さすがのうちのおばはんも目標とか目的ってなものがみえなくなっっちゃってたわけよ。つまりさ、今日の聖書の集いのテキストじゃないけど、聖書には「忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」ってあるけど忍耐って簡単に言うけど、忍耐するということ、諦めや投げやり、いい加減、適当になりすぎず、自分の目標にむかって、そのときそのときを出来るだけ一生懸命に生きることって考えていくとさ、それは自分の目標がはっきりしている必要があるんじゃないの。

この聖書の言葉ってさあ、自分の一生の目標としているものは何かとか、目指しているものは何かとかまで改めて考えさせる感じじゃないの。だってさあ、何のために生きているのかがはっきりしていないと、忍耐どころか惰性になっちゃいそうだもんね。なんか、アンパンマンのテーマソングみたいな話になっちゃったから、この辺でやめとくけど、あの人、昨日の河北病院の整形にいって、けっこう良いほうに刺激を受けたみたい。足腰の現実の痛みのほうの対処もちゃんとしてくれるともっといいけどね。

そろそろ、時間みたいだから今日はここまでね。ほんじゃ、またね。



2013年11月13日水曜日

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相棒12-5

 
今日の相棒のはなしは、どうもなにか無残な感じがしてならない。中国の科挙の昔から、選抜試験というものはいつの時代の何処の国にもあったわけだが、今日の話の出だしの就活学生たちのまるでお揃いのリクルートスーツ姿はなんだろう。

話の中で登場人物の一人が就活とは人生の集大成のようなものといったことを言うのが心に残る。人生ってそんな安っぽいものかねえ。大学で学生たちを育てている側の知人がいつだったか話していた、最近の学生の浅さを思い出してしまった。

どうも堅苦しい話ばかり出てきてしまうのでやめておく。それより、そのリクルートスーツについていた仕付け糸の謎から、事件の糸ぐちを解いていく右京さんの推理が見事だ。初めに着ていたスーツには仕付け糸はついていなかったのだ。

いったい何処で何が起こって新しいスーツに着替えたのか、さらにはどうして被害者は殺されたのか?就活をめぐっていったい何が起こったのか?そこにある人間関係はどのように絡み合っているのか?その辺はこれ以上余計なことは言いません。この先は見てのお楽しみ。

最後の花の里での場面がなにか心にしみます。やっぱり親子なんだなあ。

ちょっと寄り道

相棒の前にちょっとだけ割り込み

 
お馴染みの病院に行ってみたら面白いことになった。ここは阿佐ヶ谷に住んでいたとき、確か阿佐ヶ谷クリニックから紹介されていくようになったのではなかったかしら。河北総合病院だ。いろいろあったけど、ここはまあそれほどの文句も無いのでとりあえず行ってみた。

すると、内科の先生の紹介状も功を奏したのか、ちゃんとした診察をしていただいた。ただ若い女性の先生で、私の現状を半分は言い当て、半分は?? 骨には大きな異常はないし、痛み止めは出しませんときた。

骨には異常はないのは昔、河北の整形でお世話になった、今は亡き湯川先生も初めそういって、私がそれでも痛い、痛いと訴え続けたので、一生懸命学会の症例を調べてくださり、私の神経痛が骨より血管が細すぎて起こっているのを見つけてくださって、痛み止めのノイロトロピンとビタミン剤のメチコバールの組み合わせを処方してくださり、それをずっと飲んできたのだけど今回の先生は...、それは出しません。そのかわりに、リハビリで筋肉強化のストレッチを教わってください。それを次回までやってみて、それで納得できなかったら別の先生のところに行ってもいいです。ということだった。

リハビリのほうでは指導の方が、湯川先生を覚えていたので、湯川先生の処方の薬の代わりに今日のはこういう処方だと思ってやってみてくださいとのこと。

今日の先生の目にも私は太りすぎ以外はそんなに問題の無いまだまだ若い人に見えたらしい。ありがたいような現実の神経痛が不安なような複雑な気分。

とにかく、しばらくは筋肉強化のストレッチとダイエットしなくちゃ。それで駄目なら湯川先生の処方を出してくれそうな先生を探すしかない。どうなるのだろう。

この筋肉強化の処方は最新の整形の処方で、おまけに厚労省の方針にあうものらしい。でも、血管が細いのはどうにもならないんじゃないの、不安なのじゃよ。
 

2013年11月12日火曜日

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着る毛布に寝袋、そして着る寝袋

 
こんばんは~、マリーで~す。

うちのおばはんときたらさあ、中古のテレビを買ってからって言うもの、どうも世間の動きをやたら、テレビから仕入れるようになっちゃって、変なものにばかり目をつけてるのよ。今朝は最近流行りだとかの着る毛布だわ。あの人、前に安いのをひとつ買ってきて、結局今は、座布団代わりにいすに敷いてるのよ。だってサイズがさあ、あの人は普段着だってLLとか3Lから手直ししたりして何とか着られるものを探しているのよ。普通に売っている着る毛布じゃ横幅が全然足りないわよ。

今朝のテレビを見て、何とか自分の着られるサイズはないかって探してたけどなさそうだったから、ついでにAmazonで、この前デイリーポータルZで見て気になっていた着る寝袋を探してたわ。この冬は相当寒そうだし、冬場のガス料金は毎年本当に高くつくから、自分の部屋にいる時、少しでもできるだけ暖かくすごせるようにって考えてるみたい。

だけどさ、あの人、横幅とか体重はあるけど、背は結構低いのよ。着る寝袋はいいけど、下手なものを買うと、寝袋の足がもつれてお部屋の中で転んでばかりいるようなことになりかねないなあ。足首も外に出せる型のがあればいいけどね。

それから最近の寝袋って封筒みたいに出入りしやすい形のがあるのね。これは使いやすそうだわ。ただ、今のあの人は足腰の故障で、起きるとき、どこかに掴まるところがないと立ち上がれない状況だから普通の寝袋はだめじゃないのかな。その点でも着る寝袋って立ち上がったり歩き出して転ぶのを気をつけさえすれば実用的かもね。

実用品はちょっと高くてもいいものを選ばないとって、あの人、ほしいものリストに入れたけど、まだもうちょっと考えるみたい。実物を見る機会があれば一番いいのよね。まあ、とにかくこの冬をなるべくガス料金を節約して、いかに暖かくすごすかはほんとに現実的な問題だわさ。なんか毎年、今頃になるとあの人の頭の中、教会のクリスマスのことと、ガス料金のことでいっぱいになるのよね。今年は自分は聖歌隊で歌わないから、なるべくきれいな歌声の聴けるミサに行きたいと思ってるのよ。

つまらない話でわるいけど、今日こんなとこね。ほんじゃ、またね。

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羹(あつもの)

 
こんばんは~、マリーで~す。

今日はね、うちのおばはんがお鍋をガスにかけていて、まだもうちょっと煮込まないと、ガスを止めて後は明日にできない状況になっちゃってて、しょうがないからあたしもお付き合いよ。

急に寒くなってきちゃって、おいしくて体が温まって飽きない冬のお料理ってことで、あの人、またスープものを作ってるわ。やっとこさ、失敗作のチーズシチューをなんとか片付けたばかりだけど、今、ニンジン、玉ねぎ、ジャガイモがどっさり買いこんであるから、これを使うお料理が多くなっちゃうのよね。今日のは肉とニンジン、玉ねぎ、ジャガイモまではシチューと同じだけど、それにサバの水煮缶とトマト缶を一缶ずつ入れてるの。サバ缶が生臭いけど、ローレルの葉っぱも一緒に煮込むから大丈夫。

うちのおばはんは、スープとかシチューとかが大好きなのよ。自分で作るのもいいけど、このあいだからロシア料理のつぼ焼シチューのちゃんとしたのを食べてみたいと思ってるけど、ロシア料理ってお店が少ないから特にその気になってお出かけしないとなかなか行けないって悔しがってるのよ。

別にそんなおしゃれなものでなくても、スープとかシチューは簡単でおいしくて飽きないわよね。なにしろ旧約聖書の時代にも羹(あつもの)は出てるから、旧約の太祖たちも羊や牛のスープ料理を作ってたんじゃないかしら。

でも、あの人、時間のかかる煮物なんかのときになると旧約聖書を思い出して開いてみたりするのは何なのかしら。そうか、旧約って人間の生活がそのまま出てくるからかしら。普通の物語や小説に負けない面白さだしね。

聖書って堅苦しく読むのもいいけど、面白い読み物として読んでみても悪くはないと思うのよね。なんか今の時代にも通じるような話がいっぱい出てくるじゃないの。イエス様のお生まれになった世界って、あんまり日本人には縁のない世界だけど、人間の世界はいつの時代のどこの社会もおんなじだなあって思えるんじゃないかしら。

なあんて言ってるうちに煮えてきたみたいよ。あの人、台所に行ったきり戻ってこないからこれもこの辺でおしまいにするわね。ほんじゃまたね。

2013年11月11日月曜日

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※ 昨日はplalaが故障してメンテナンスであちらのブログはアクセス不能だったため、そのまま持ち越しです。

 

「あなたの愛が重い」

 
こんばんは~、なぜか今日もマリーで~す。

うちのおばはんときたら、今ねえテレビの八重の桜をつけっ放しにして、時々ちらちらそっちを見ながらパソコンをいじってるのよ。まったく一度に両方なんて無理に決まってるじゃないよねえ。

今日、あの人、ウォークマンの曲の入れ替えで久しぶりに昔の曲を何曲も選んだの。その中には、はしだのりひことシューベルツの「風」も入ってたのね。あの人にはほんとに忘れられない思い出のある歌なのよね。お母さんが亡くなってしばらくしたころにこの曲がよくかかっていてこれを聞いたお父さんがその歌はお母さんを思い出すから聞きたくないと言っていた歌なのよ。あの人もそれで、この歌を聞くとお母さんを思い出すの。

うちのおばはんて、小さいときからお父さんっ子だったんだけど、それと同時に一番上で初めての子だったから。下の二人より余計に両親の関心を集めていたのね。お母さんが小学校からずっと成績表を大事に箪笥にしまってあったのは長女のあの人のだけだったくらいなの。片耳が聞こえなくて、耳の遠かったお母さんは初めての赤ちゃんだったあの人のことは、何から何まで心配しすぎて、子供が何をしてほしいのか読み取って何でも先に手を出して子供に自分でやらせなかったのよ。

だからあの人、いまだに自分から行動するってのができないのよね。誰かが準備してくれるのを待って自分で何にもしないの。というか、どうすればいいのかよくわからないのよね、本当のところ。受身には強いけど、自分から動き出すのが苦手なのよ。いつだってお母さんがなんでも全部用意してくれていたから。

お母さんの影響力の強さといったら、昔、心理の先生のところに週一度、ずっと通って自分の心を整理してわかったのは自分とお母さんのつながりが問題だったことなんだけど、あの人、お母さんが死んでからもお母さんと切れていなかったのよ。あれから何十年もたって、若いころみたいにお母さんに呑み込まれた状態が続いていて自分というものがないような状態は抜け出しているんだけど、それでも自分から動き出すとなると弱いのよね。

お母さんは高校三年の卒業間際に突然に病気で亡くなっちゃったわけだけど、いまだにあの人に影響し続けているわよ。ほんとに怖いくらい。うちのおばはんの猫好きもお母さんゆずりだわ。よい影響だけを受け継いだらいいのに、あの人ったら、なんでもお母さん任せ立った子供のころをいまだに引きずっちゃってるんだもん。そこがあの人の弱みよ。

教会の神父様たちだってそこのところを理解しないと、あの人への判断も間違えるかもよ。大体、出だしからずっと間違えてばっかりだしさ。この先も全然見当違いな判断をしてたらどうにもならないと思うな。

昨日、あの人、NHKの目撃!日本列島の「あなたの愛が重い~娘と母にいま何が~」を少し見て、母と娘の問題なんて今に始まったことじゃないのにって、ぶつぶつ言ってたわ。お母さんて、いつまでたっても自分から生まれた子は自分の一部だと思っていて、子供のほうはすっかりお母さんに呑み込まれちゃってたり、何とかお母さんから切れようとしてものすごい戦いをしていたりほんとに大変なんだわさ。今月で64歳になろうというおばはんにして未だにその影響から抜けきれないでいるくらい重い問題なんだからね。簡単じゃないわよ。

長くなりすぎるからこの辺で今日はおしまいよ。ほんじゃまたね。

 

2013年11月9日土曜日

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お料理も想像力

 
こんばんは~、マリーで~す。

今日は土曜日だから、うちのおばはんもかなり暢気に構えちゃっててさ、夕方のミサの帰りも寄り道ばっかりしてんのよ。荻窪で一回降りたのよねえ。初めの予定じゃさ、荻窪の西友で買い物してバスでまっすぐお家に帰るはずだったのよね。

ところが、今日はお昼が軽かったからお腹がすいてたらしいの。それなのに電車の中でタブレットを見てたらGigazineの昨日の記事に「M屋の肉味噌茄子コンボ牛めし」っていうメニューの紹介が出てたのねえ。あの人、味噌茄子も、肉味噌茄子も大好きなのよ。気持ちが変わってたまにはM屋で食べて帰ろうってことになったわけ。だって、ああいうものこそ外で食べないとおうちでひとり分作るのはかえって面倒なのよね。

ほんでもってそこで夕食を済ませて、外に出たらまた気が変わってもう一度電車に乗って西荻窪の西友に行って買い物したのよ。どうせ重いものを運ぶつもりで実用のリュックを背負って出かけたし、外食の分、せめてバス代は節約しようっていうせこい考えね。

もうこうなったらどうせだからって、あっちに寄ってみたり、こっちも覗いたり、重い野菜果物を背負ってご苦労なことだわさ。やっとこさ、お家に戻って、テレビをつけて今日はちょっと夜遅くだけど、面白い番組があるのを思い出して、眠気覚ましの紅茶を用意したりしはじめたのよ。まったくもう、寝不足で調子が悪いなんて言ってて、夜更かししようっていうんだからどうしようもないわ。

でもその番組「妄想ニホン料理」って確かにほんとに面白いわよ。どうしてこれを、オンデマンドでやってくれないのか、残念だわ。そうすればあの人だって寝不足にならないで見られるのにね。

日本の料理なんて縁のない国の人に想像力を駆使してその名前のお料理を作ってもらうとどういうものが出来上がるか、これがもうなかなかすごいんだから。明日は日曜日だし、あの人、いつも遅い時間のミサだから寝坊しても大丈夫だってこの番組を楽しみにしちゃってるのよ。まったくしょうのない。

だけど、さっきテレビの画面に千葉県に竜巻注意報が出たってテロップが出たから、番組がなくてもあの人、心配で夜遅くまで起きてそうだからまあいいか。とにかく、今日はそんなことで、話はとりあえずおしまい。

ほんじゃまたね。

ほんとはね、もっとまじめな、NHK番組の母と娘の問題、あなたの愛が重いを取り上げるつもりだったのが、今夜はあの人の胃袋が重いから、簡単な話になっちゃったの。ごめんなさいね
(ケータイのマリーから)



2013年11月8日金曜日

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松谷みよ子さんの『現代の民話』

 
昨日、久しぶりに聖書の集いに出かけ、今度の日曜日分の福音を読んで分かち合った。そこでサドカイ派の人々とイエス様の死後の復活論争の話が出た。当時のサドカイ派の人々の考え方は、人間は生きている間だけで、死んでしまえば後はないというような考え方だったようだ。しかし、イエス様はそうではないことを教えようとされた。

これはいつの時代の何処の国の人にとっても頭を悩ませる問題だ。この問題を何とか説明しようとして多くの人がいろいろ考え、沢山の説を出してきた。でも、こればかりは、向こうに行ってしまうと大体それ以後は音信不通になるから誰もよくわからないのが本当だ。

誰も見たことも無いものを、人はどうして信じることができるのか? 最近ある出来事があって、かかわった方々は皆、それぞれにさまざまなことを感じ、考えさせられることになった。そのことで思い出したのが松谷みよ子さんの、現代民話考(全12巻)や、あの世からのことづて、現代の民話などの調査研究を集めた大量の本のことだった。

実を言うと自分の父親の死に際の奇妙な偶然以来、人が死ぬときは変わったことも起こったりするらしいと思っていたので、、今回の出来事もそれほど驚きはしなかった。それで思い出したのが若いころ読んだ松谷みよ子さんの本だ。あれはそういう出来事の話の集大成ではなかったか。

これは思うに、聖書の昔から、死後の世界はあるとか無いとかの論争と一緒に、時々信じられないような奇妙な出来事というのが本当に起こって、それに出会った人達は自分の経験でやっぱり、あちらの世界はあるらしいぞと、子や孫たち、周りの人達に伝え、伝えして死後の生を信じる心も伝えられてきたのではなかろうか。

いくら研究しても、人間には限界があるので、誰一人この世にいるうちはわかりきることなどできないのだが、信頼し、敬愛していた人達がそれこそこの世に残る人達へのことづてを置いていったかのような奇妙な出来事、たぶん、それを信じてこの世での一生を一生懸命生きることのほうが、あの世など無しと決め付けて生きるより、よりよく人生を味わえるような気がしている。愛する人達と共有してきた時間、彼らから受け継いできたこと、そういうものは、そういうものこそが信仰を支える土台なのではないかと思う。



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フェイスブックから

 
昨日というかすでに今日に入ったころの時間、夜中なのだけど、ちょっと気になることがあってタブレットをさわっていると、フランス在住の、ま_ここっとさんのブログに、昨日ツイッターのほうで見てかなりショックを感じたパパさまの写真が出ていた。大変な状態の一人のひとを抱き止めている一枚の写真。

昨日も思わず、うわっとパソコンを閉じてしまいそうになった写真。本当に世の中はいろいろなことがあるものです。直接そちらを紹介したいところですが、このタブレットではどうやってコピペできるかいまだにわからないのです。


時々、人間の組織としての教会には嫌気がさしますが、こういう写真を見ると本当に反省してしまいます。今の教皇様はやっぱりすごい。あんまり文句ばかりいっていては申し訳ないという気持ちになります。
昨日見たほうの写真はもう一枚のほうのもっとショッキングな、恐ろしいくらいの写真で、カトリック雑誌かなにかに出た写真です。

教皇様の写真とわかっていなければ日本では恐らく恐ろしすぎてだせない。崇高さより不快感を感じさせてしまうような、そんな写真でした。

しかし、その2枚の写真を見て、フランシスコ教皇様に関してはとやかく文句や反論は言えないと思った。本当に口先だけではない方だ。

日本語でヴァチカンからはじめてさんざん苦労してたどり着いた。ああくたびれた。

  http://translate.google.co.jp/translate?hl=ja&sl=it&u=http://vaticaninsider.lastampa.it/&prev=/search%3Fq%3Dvatican%2Binsider%26hl%3Dja%26biw%3D975%26bih%3D434

たぶん、この中のどこか。



2013年11月7日木曜日

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相棒12-4

 
知らなかった。このごろは社交ダンスをボールルームダンスと呼ぶのか。当方、小さいころのお遊戯も苦手だったし、中学のフォークダンスや、盆踊りでさえ、手振り足振りがなぜか周りと逆だったりした、惨憺たる記憶があるくらいで、社交ダンスなどというものにはまったく縁のない人間なのだが、不思議と知り合いには踊れる人が多かった。

それも女性だけでなく男性もだ。踊る人達は男性も女性も非常に姿勢が良くて、挙措動作もきれいだった。それはダンスに限らず、日舞でもおなじだ。バランス感覚がよいのだ。

今日の話で、出だしから踊っていて足元を踏み外すのを見てそんなことを思い出していた。素人でもあるまいし、こんなところで足を踏み外すのはよっぽどのことのはず。いったい何がどうしたのだろうと思ううちに、話は思いも寄らない方向に進んでいく。

いつものように種明かしはしないが、今日は久しぶりの真飛聖さんを始め、ダンスシーンの美しさもあり、、謎解きと二重に楽しめるものだった。カイト君も右京さんから「君、最近わかりが早くなってきましたね」と褒められ?るし、やはりシーズン11のころとはどんどん様子も変わっていくようだ。


   

なんじゃこりゃ

 
ウォークマンの設定がまだ終わらないので古い写真を見ていて見つけたもの。いつの何で何処から拾ったのかわからないが、tumblrあたりかな?

     

   

2013.11.5

あ、だめだ

 
書き終わって、確定を押したとたんにパソコンから全てが宙に消えてしまった。このところ大丈夫だったのでつい油断した。今日はもう書き直す気力も一緒に消えてしまった。

2013年11月4日月曜日

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夕方は雨

 
こんばんは~、マリーで~す。

うちのおばはん、典礼聖歌のコンサートを聴いているときはそれほどでもなかったんだけど、電車とバスでお家に帰りついたら、なんかまた熱が出てきたみたいで、歯が痛い、歯が痛いってうなってるの。風邪が治りきっていないのよね。それでもちゃんとご飯を食べてるから多分だいじょぶなんじゃないのかな。今夜はさっさと寝れば明日は治ってると思うな。

それでも今日のコンサートは行ってよかった、予想以上によかったって言ってるわよ。いつもだとテレジア聖歌隊単独なんだけど、今回はあの人は今回初めての、関西のほうの方たちらしいんだけど、典礼聖歌アンサンブルっていうグループと合同だったの。

あの人、今日は早めに着いたから、たまには少しいつもと違う位置からちゃんと音を聞いてみようとかって最前列右に座ったのね。うちのおばはんも今でこそ行ってないけど、最近までは自分も歌ってる側だったから、こういう機会にちゃんとした男声音の上と下のメロディを聞きたかったのね。だってさあ、あるところの某グループの男声音ときたら何故かどうもハチャメチャなのよね。音質の問題かも知れないけど、たまにはきれいな声で正確な音程で聞きたいってわけよ。

テレジアもいいんだけど、今日の典礼聖歌アンサンブルの方たちの音はすごかったのよねえ。見事だったわよ。やっぱりさあ、どうせなら美しい音のほうが人の心にすんなりと入って、神様のほうに気持ちを向ける役に立つんじゃないかと思うのよね。日本人の宗教性という点から見たら美の要素というのは大きいんじゃないかと思うんだけどなあ。お前のへんてこな声で言われたくないって? はぁ、どうもしいましぇんね。

でもとにかくさ、音楽って、歌ってじかに心に響くのよね。今日の最後のほうで聞いた高田先生の遺作にあたる「神のみわざがこの人に」に、うちのおばはんでさえ、しみじみと感じ入ったみたいだったわよ。あの人にしちゃめずらしいんだわさ。だけどそれでもこれはコーラスとしての完成度も高いから心に入ったんじゃないの? ただ歌えばいいってもんじゃないみたいだわ。

でもさ、こんな話をしてるとまた長話になっちゃってあの人も早く寝るどころじゃなくなるから今日はもうやめとくわね。とにかくこれはとても大きな問題みたいな気がするのよ。

とりあえず今日はここまで。ほんじゃまたね。


2013年11月3日日曜日

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高田三郎生誕100年記念演奏会

 
こんにちは~、マリーで~す。

せっかくの連休なのにさあ、お天気が今一なのよねえ。まあ、うちのおばはんなんかは寒くなってきたら風邪ばかり引いちゃってて、あんまりお出かけ気分になれないみたいだけどね。今日もさっきまでGoogle playのストアでもって、前から見たいと思っていた西田敏行さんの映画「遺体」のビデオを借りて見てたのよ。東日本大震災のときの話だけど、これは見るだけの価値がある映画だってあの人言ってたわよ。

Google playってタブレットのアプリを買うときしか使ったことがなかったんだけどあの人がぜひ見たい映画が2本ともストアで借りられることがわかって、これならわざわざアマゾンでDVDを買わなくても済むからってためしに借りてみることにしたのね。

もう1本は「異人たちとの夏」どっちも名作で、それだけに無料動画でも全編公開はしていなくて、買うか借りるかしかないの。「異人たちとの夏」は、もう何度も見ていて、何度見てもやっぱり心に響いてきてやっぱりDVDもほしいんだけど、今回は試しにplayのストアで借りてみることにしたのよ。1回借りると72時間、3日間は何度も見られる仕組み。

料金もタブレットから申し込めばドコモの料金と一緒に引き落としだし、それでいてgoogleの一部だから狭いタブレットだけじゃなくて広くて見やすいパソコンのブラウザからも共通で見られるのよ。なるほど、これじゃマイクロソフトがIE以外のブラウザを目の敵みたいにするわけだわさ。

マイクロソフトさんにはわるいけど、うちのおばはんのタブレットだって、IEだけは同期出来なくて他のブラウザとばかり同期するから、あちらも怒ってパソコン壊しを始めちゃうんだわ。でもパソコンを壊したってパソコンのせいじゃないもんね。
そんな話はとにかくとして、お天気が悪くて困っちゃうわ。明日も東京は雨みたいじゃないの。だけど明日は午後から、うちのおばはんの昔からよく知っている人たちのコンサートがあるの。困っちゃうなあ。

※ 四ツ谷の駅前の教会の主聖堂で、午後2時半開演(2時開場)入場無料

※ 日本の典礼聖歌の父 高田三郎生誕100年記念演奏会

 演奏は典礼聖歌アンサンブル(TSC)と、聖イグナチオ教会テレジア聖歌隊

もしよかったら、明日四ツ谷の教会に聴きに来てね。雨が降ってても絶対聴きに来て損はないと思うのよ。あたしが保証しちゃうもん。マリーさんの保証じゃあ、あてにならないって。そんなことないわよ、とにかく来ればわかるって。ほんとよ。

とにかくそんなことで、明日よろしく。ほんじゃまたね。



2013年11月2日土曜日

メインブログからの転載

カボチャひとつとっても

これが日本カボチャ

    




共通のイメージ

キリスト教由来の行事ではないが、最近日本にも入ってきて商業ベースで結構広まってきたハロウィン、今日はもう終わっているけれど、今目の前にレイ・ブラッドベリの『ハロウィーンがやってきた』(晶文社 文学のおくりもの8 伊藤典夫訳)があるので思い出したことなど書いてみる。

世の中には輸入物の行事で、ある程度の知識がないと、意味のわからない象徴、シンボルというものがあるわけで、ハロウィンの場合は、数年前のアメリカで仮装パーティーに出かけた日本人の男の子が不審者と間違われて銃で撃ち殺されてしまった悲しい事件あたりから、アメリカの銃社会の現実などと一緒にハロウィンという行事も知られるようになってきたような記憶がある。

でもそのまえから、ブラッドベリに親しんでいた方なら、実態を見たことがなくてもハロウィンあるいはハロウィーンという言葉や内容も知っていたと思う。ただ、今のようにネットで調べればすぐ写真も出てくる時代になる前は、カボチャといえば日本の八百屋さんに並んでいる小さい硬いカボチャしか知らないし、カボチャでランタンを作るといっても、あの硬いカボチャのイメージでは、これでどうやって作るのだとおもうばかりだったわけだが。

つまり、カボチャといってもアメリカと日本ではすぐに同じものを思い浮かべていたわけではなかったのだ。おなじことはキリスト教の中のシンボルにも言える。こひつじという言葉で日本人は何を連想するのだろうか、柔らかいウールくらいではないか。後、高級レストランの食材や料理くらいか。

だから、ミサにあずかって、神の子羊と唱えながらちゃんとこれが人類の現在の贖いのために身代わりになって死なれたキリストイエスのことだとわかって唱える人って果たしてどのくらいいるのだろうかと時々考えてしまう。信者だからわかっているはずとばかりはいえないような場面にもよく出くわす。

洗礼を受けた信者で、おんからだのはり付けられた十字架は気味が悪いから嫌いだと公言する人ってほんとにキリスト教の信者なのかなあ。まあ、あまり美的でない十字架は確かに好ましいと思えないけれど、シンボルというのは意味があるものなので、その意味が大事なのだが、日本人の信者の場合どのくらいちゃんとわかっているのだろうか。

そこがわかっていないから洗礼を受けても何年かすると教会から卒業してしまう人が減らないのではないのか。カリタスも大事だけど、肝心の神様に対する愛、イエス様への愛は、自分とこのお方の関係、その意味がわかっていないと消えてしまうのだと思う。

カボチャのイメージからはなしがずれてしまったけれど、共通のイメージというのはそのグループを強める力でもあるし、本当は大きな意味があるのをちょこっとでも思い出してみてほしい。



2013.11.1

本日は簡単なはなし

先日以来の頭痛のたねだったメインパソコンは、もしかするとなんとかちゃんと元のように使えるようになるかもしれない。経過を書き込もうとするとタブレットは、というかどこかのcookieがいやがって書き込めなくなるのでやめておくが、詳しい話はぬきでセキュリティソフトのavastさまさまで、ウイルスバスターではどうにもならなかったことがavastに替えてからすっかり問題が解消してきたようだ。セキュリティソフトって重要だとつくづく思う。このavastというセキュリティソフトがまだ広く知られていないのは勿体ない話だと思う。

それは良いとして、今日は昼ミサに四ッ谷に行くと駅前に機動隊の車輌?や警官が何人か詰めていたので、誰が来ているのだろうと思っていたのが、夜のニュースでロシアの高官だったことがわかった。最近ロシアの話題多いな。当方などはロシアときいてもロシア料理からロシアの宮廷文化のことを教えられ、ソ連時代しかしらなかったロシアという国の歴史に今ごろ気がついたくらいの知識だ。ロシアも中国も革命時代がおかしかっただけで、今の状況というのは元々の姿に戻ろうとしているだけなのかもしれない。両方とも巨大な国なのが何か恐ろしいけれど。