2013年6月30日日曜日

メインブログからの転載

『やっぱり夏風邪をひいたらしい』


こんにちは~、マリーで~す。

今、この時間はあと10分くらいで夕方の6時だけど、お外はまだまだ明るいし、さすがに明日から7月の夏の雰囲気いっぱいね。

だけど、うちのおばはんときたらまた風邪引いちゃって、明日は四ッ谷の雙葉の修道院で、レジオマリエの一日黙想会に行く予定だって、さっき、とりあえず風邪薬やロキソニンも用意してたわよ。

足首が腫れて痛がってたのは今朝は収まってきてたみたいよ。朝は細くなってた足も、この時間はまた静脈瘤で、ぶっといあんよに戻っちゃってるし、だから塩分を控えろっていったのにラーメンなんか食べちゃってさ、ここはデスクさんを見習ってモヤシでも食べてればいいのにまったく。

明日は朝からだから、今夜は八重の桜を見たら、さっさと寝てほしいところよね。来週は月の初めだからまたお薬をもらいに、あっちもこっちもお医者さんにいかなくちゃならないし、忙しいんですからね。

このごろ、全然あたしの言うことも聞かずに夜更かしばっかりしてるから風邪もなおらないじゃないの。ほんとにもう。

しょうのないうちのおばはんの代わりにここまで書いたけど、いくら文句を言ってもあの人自身がその気になってくれないとどうにもならないんだわさ、まったく。

まあ、そんなわけで今日はしょうがないからこれでおしまい、ほんじゃまたね。

2013年6月29日土曜日

メインブログからの再掲載

『ちょっと心配』

こんばんは~、マリーで~す。

うちのおばはんときたら、まったく何をやってるんだか、もう、あの人のドジ加減にはケータイのあたしだって恥ずかしくなっちゃうわ。もうほんとにいい加減にしてほしいわよ。今日は今日で、先日から気になっているアメカゴっていう新潟日報のSNSに勝手に人の記事を削除するなって文句をつけたのはいいんだけど、よくよく調べたら、自分の別ブログを乗せたいときは、再掲載の形じゃなくて、専用のコーナーがあったのよね。

あの人、だいたい説明をよく読まないからこういうことになっちゃうのよ。まったくもう。この間だって、ピンタレストをいじっていたはずなのに、いつのまにかインスタグラムに迷い込んじゃって、抜け出したと思ったらタンブラに出ちゃってるのよ。なんというかさあ、おっちょこちょいの機械オンチもいいとこよ。原因はたぶん、説明をよく読まないで考えないうちに先に動き出したりするからだと思うんだわさ。

お友達もその辺をわかってるから、Yoshi さんなんか、やっぱり、の一言よ。まったくもう、あたしまで恥ずかしいじゃないのよ。

だけど、まあねえ、今日のところは足が痛いって言ってて、どうも調子がよくないみたいだから、このへんで勘弁しとくけど、もうちょっとしっかりしてよねえ。

あの人の足はって? 風邪をひいてまた治らなくなっちゃってるからだと思うけど、左足首がむくんじゃってて、歩くとき力がかかると痛くて歩けないのよ。静脈瘤があるから、毎日夕方になると足の太さが朝起きたときよりはるかに太くなっちゃってるから、足首にへたに重みがかかると具合が悪いのよ。もともと太りすぎなんだもん。おまけに体調がよくないと、おしっこの出がわるくなって水分が体にたまっちゃって、ますます、足に負担がかかるわけよ。あの人の死んだお母さんがそんなだったから体質なんじゃないのかしら。

とにかく、体調がよくならないとどうしようもないんだわさ。そんなわけだから今日のはなしはここまでね。ほんじゃまたね。

2013年6月28日金曜日

メインブログからの転載

『油断大敵』


こんばんは~、マリーで~す。

今日はひさしぶりにお外はまあまあの天気で気温も高くなってたのよね。それなのにさ、うちのおばはんときたら、なんだか知らないけどまた咳や鼻水や、熱があるといつも出てくる歯の痛みで、もう全然お出かけどころじゃなかったのよ。あの人さあ、このところ、ちょっと考えなくちゃならないことが多くて寝不足なのよ。ほんでもって明け方になると掛け布団が脇に落ちてるの。だから風邪引いちゃうのよねえ。まったくしょうがないんだからもう。

しょうがないから今日は一日お家にいて、テレビを見てたら、NHKのニュースの途中で急にアナウンサーさんの後ろで、別の声がああしろこうしろって指図し始めて、アナウンサーさんもあわてていたと思ったら、練馬のほうで小学生が三人、ナイフを持った男におそわれて怪我をしたってニュースになったのよ。以前に、関西で子供が大勢殺されて、他にも怪我をした子供や先生がいっぱい出た事件があったから、うちのおばはんもこれは大変、大丈夫だろうかって、犯人が早く捕まるように願ってたわ。

このごろまた、やたらにナイフを振り回す事件が起きてるじゃないの。それも子供から大人まで、年齢に関係なしみたい。そりゃあさぁ、今の時代って社会全体がストレスの多い、普通に生きにくい嫌な時代だけど、すぐにナイフを持ち出したり、子供を襲って憂さ晴らしかなにか知らないけど、弱いものをやっつけることで満足しようだなんて、本当にどうかしてるんじゃないの。

もっともそうはいっても、たぶん、実際に事件に巻き込まれないように、普段から用心は必要なのね。昔々のお父さん、お母さんは子供によその人にやたらについていったりしちゃ駄目、自分ひとりのときはよその人を家に入れちゃ駄目とか、知らない人には用心するようにとか、ふだんからちゃんと教えていたような気がするわよ。向こうからいきなり襲ってくるようなのはそうも言ってられないけどね。

そういえば思い出しちゃった小学生の女の子がインターネットで悪口を言われたからだったかしら、同級生の女の子を殺しちゃった事件、なんていうかさあ、今の人って、自分の心を抑える力が、大人も子供もすごく弱いみたいな感じね。簡単に相手を殺して解決しようだなんて、どうしてそうなるのかさっぱりわかんないわ。

そうなると、ひとりひとりの個人の問題っていうだけじゃなくて、もっと広く深い社会全体の問題なのかもしれないわ。これってなんなのかしら、とっても怖い感じよ。

でも、こんなことを言っているうちにまた寝不足になるといけないからこの辺でやめておくわよ。ほんじゃまたね。


沈黙の対話

 
いわゆる、普通考えられている美しさもないし、一見、なんと言うこともない写真だ。だが・・・・

 
この人はここで本当に祈っているのが伝わってくる。
 
 
 
 

なんというか一種、業務連絡

 
先日、某所で聞いた話で、いろいろなことがつながってきた。

世の中複雑で怖いから、ただでさえ情緒不安定で、物事をすべて自分中心に見てきた女の子がうまく利用されて、さらに精神的におかしくなってしまった顛末が目に見えるようだ。バカだなあ。有名大学を出て、英語もぺらぺらで、わざわざ外国の修道院にまで押しかけて行ける行動力もあって、それで結局ご病気の人になってしまうなんて。

だけど年月は容赦ないから彼女ももう43だったかな、かわいそうだけどどうしようもない。いったい彼女にマスメディアの目が向くように裏工作したのは誰だ。あれで彼女は自分は特別に注目される人間だと思い込んでしまったのだ。それでますます不安定になってしまった。このところおとなしいのは何かまた変化があったのだろうか。

裏工作した人物はわかっている、むかし、私からマスメディアの目をそらさせるために、とびきりの美女の友人にマスメディアの目が向くように裏工作した人と同一人物だろう。すでに亡くなってしまったが。そしてこちらの彼女も今は66か67歳。年をとっても人のもって生まれた性格はあまり変わらないことをおしえてくれたので、お付き合いしなくなった。

ものすごく大掛かりで奥の深いとんでもない話の一端に触れてしまったのね、あの子。こちらだって関係者が生きているうちはじっとしているしかなかったのだ。父が心臓神経症で寿命を縮めたのも同じ原因だった。散々心配させてしまったもの。ちっぽけで無力な一個人が巨大な問題に巻き込まれると、仕事は失う、家族はばらばら、親類からも見放される、本当にどうしようもなくなる。

今だって、はっきりいってぎりぎりの生活だ。これからどうするにしてもこちらの経済問題は責任をとってもらわないと困る。第一、バス代を節約して雨の日はミサにも行かないような生活状況わかってるのかね。これからどうなるにしても経済の問題は知らん顔されては困る。

しかし、同時に先日のはなしで炙り出された問題の大きさときたら。こんなものが世間一般の考え方で何とかなるとは思えない。嫌だけど、やっぱり関わり合った自分も含めて関係するすべての、清めとか償いの必要に思いがいってしまう。果たして現実の今の自分の状況で、どこまで、何が、可能なのかさっぱりわからないが。

 
 

2013年6月27日木曜日

メインブログからの再掲

今日は出かけるので早めに

※ これは今朝、フェイスブックに簡単にメモのような記事で出したものを、もうちょっと手直しして書き直しました。


パロディの「進撃の育児」を先に見てその面白さに笑い、そういえばオリジナルのほうの「進撃の巨人」というのは、実物はどういう話なのだろうと今回初めて気になってきた。
それでYahooのGyaOで探して動画を見たり、一緒に作品の解説をあちこち探してやっと全体像が見えてきてその内容に驚いた。

話自体は一種のダークファンタジーに分類されるものなのだが、どこからともなくやってきて、人間を捕食する理不尽な巨大な存在である巨人、それに立ち向かっていく勇敢なでもちっぽけな人間たちの話しだ。

大震災以後はこの構図が巨大自然的災害に翻弄される人間の姿にも重なって話題作となったらしい。なるほど確かにそんな風にも見えてくる。

実はまだ登場人物たちの関係もよくわかっていないのだが、話自体の面白さはあらすじを見てきただけでもわかる。ただ、動画の絵の荒々しいタッチが苦手だ。

西原理恵子さんのちょっと前の汚ない絵にくらべればまだましだけれど、あの絵につきあう気力があるかどうか自信がない。とはいえ、これはたしかに問題作と言えると思う。

なるほど、これならパロディが出てきたりしてもおかしくない。おとなたちの予測をこえる赤ちゃんたちの行動を、巨人になぞらえたパロディも面白い。


帰ってきてから時間があれば、また別の話もかくかもしれません。

2013年6月26日水曜日

寝不足

このところ、何かと考え事で眠れず、つい明け方まで起きている日々。さすがにちょっとまずいので今日はブログも手を抜いて早く寝ることにする。眠いのは眠いのに、コーヒーを飲むとたちまち眠れなくなって明け方になるから、梅酒の梅をかじっておこう。お酒は飲めない当方、梅酒の梅はよい導眠剤なのだ。

グーグル画像で眠れない画像を探したら、この写真が出てきた。


2013年6月25日火曜日

新潟のアメカゴ.net からの記事+エックス

『こういうこともある』


某所で、亡くなった知人が死の間際にうわごとのように口にした数字の話しを読んで、やっぱりそういうことはあるのだなあと思った。

私の父の最期のときも実に奇妙なことがあった。あのときは、継母が泊り込みでつきそっていてその週の日曜日から私が交代で泊り込むことになっていたから私は東京に戻っていたのだ。

しかし、その朝、看護師さんが巡回に来て父の様子をみて、血圧が下がったまま上がらなくなっているし、もうこれは駄目だからご家族を呼んでくださいと言ったのだそうだ。でもあの人が私に電話をかけてきたのは、その日の夜更け、11時近くなってからだった。

普通だったらもう阿佐ヶ谷から千葉の内房の病院までたどるつけるわけのない時間だ。今でこそ80半ばの老人になってだいぶ穏やかになった継母だが当時は先妻の子の私とは折り合いがわるく、父を独り占めしたかったらしい。父の死の間際でも子供が来られるわけのない時間にやっと連絡してきたのだ。

しかし、こちらもこれは何が何でも行かなくてはと思うから、とりあえず、阿佐ヶ谷駅に行くと、普通もう終電が出てしまった時間なのに事故があったとかでまだ中野行きの電車が動いていたのだ。阿佐ヶ谷ではタクシーも少ないが、中野ならタクシーも多いから長距離タクシーが拾えるかもしれないと思い、とにかく中野まで行ってみた。

すると改札を出たとたん、千葉方向に乗り合いで行く人はいませんか、あと一人ですよ、と個人タクシーの運転手が叫んでいたので、即刻乗せてもらい、特別料金でかなりのお金はかかったとはいえ、親の死に目にはしっかりと間に合った。

普通だったらこんなにスムーズにことが運ぶはずもないのに、その日はどうしても私が千葉の父の死に目に間に合うようにすべての段取りがついていたような不思議な感じだったのを思い出す。

知人の最後の数字にしても、うちの親の死に目に間に合うはずのない時間なのに、ちゃんと間に合ったことにしても、不思議としかいいようがない。人が死ぬときというのはやはり普段とは違う、なんと言うか、この世とあの世の境がちょっぴり開かれて変わったことも起こるのではないかと思えてならない。
 
 
上記の記事をどうご覧になるかは、勿論、人それぞれだろう。しかしだ、私個人としては宗教を信じる者としても、人間の命はこの世だけで終わるものではないと信じている。
 
このところずっと、あれこれと考えるわけだが、カトリック教会には数年の見習い期間の後、誓願を立てて、一生のほとんどを外に出ないで塀の中で祈りの生活を送る人たちがいる。
 
女性ばかりの職場に長くいたから、現実の女性の集団の面倒さ、大変さは少しはわかるつもりだ。宝塚ではあるまいし、憧れだけではそこで一生過ごせるわけがない。女性はひとりひとり、だれでもみんな、本来は家庭という巣の真の中心となるべく、育ってきているのだ。だからどこの組織、どこのグループを見ても一人は主導権を握るような人物が出てくる。
 
たいていは、任せておいたほうが楽だし、便利だから言いなりになっているけれど、時にはその相手とぶつかりあうことだってある。女性が女性を敵に回してしまうと最悪だ。
 
職場でも学校でもグループ活動でも、教会や修道院でさえも実態はそんなに違いないはずだ。一般社会ならいやなら出て行ってしまえばすむが、宗教の世界でそれはどうなのだろう。
 
昔、ある方が、それは犠牲の生活だから痛いものであってほしいと言っておられた。そうだろうな、自分の憧れ、自分の志向程度では続かないような気がする。
 
でも、誰かが苦労すると、他の人たちが助かるというイメージがあるのだ。犠牲の生活、償いの生活の意味はそれだろう。
 
人生がこの世だけで終わりなら、そこまで考える必要もないが、どうもその先も現実にあるのではないかと思わせる出来事が実際にあると、やっぱり、この世を越えたあの世にまで続く生き方を考えなくてはいけないのではないかと思うのだ。
 
もし、面倒で大変でも、それを引き受けて逃げなかったら、他の人たちが助かるとしたら、考えてもいいのではないのかなあ。
 
もっともこちらの現実の状況、年齢、健康、家族のこと、などなどと折り合いがつく場があるとすればだが。



2013年6月24日月曜日

メインブログからの転載

『悲しくてもくいしんぼ』

こんばんは~、マリーで~す。

今日は曇ってるわりに暑かったと思わない? 湿気が多かったせいかしらね。なんか知らないけどうちのおばはんときたらさっき、パソコンを開いてfacebookを見てつきあいの長いグループのこのあいだ亡くなった知り合いの方の奥様の書いた故人の思い出や闘病記を読んで涙ぐんでたと思ったら、今度は暑い暑いってアイスクリームに飛びついてんのよ。悲しくても食欲とは別なのかしら、人間てほんとにへんてこりんだわ。

まあ、だけどそうやって気持ちの切り替えができるから生きていけるのかもしれないけどさ、ケータイのあたしから見ると摩訶不思議よ。

あ、ちょっとまって、ここで一回ブログを保存にするみたい。このごろ、機械の調子がわるくて、うっかりしていると書きあがってENTERを押したとたんに全部消えちゃったりするのよね。途中で一回保存にして、編集でつづきを書くと大丈夫みたいなの。ノートパッドで書いてコピペしてもいいんだけど、時々それも怪しいのよ。これってさあ、何か又怪しいものがもぐりこんでるのはわかってるけど、持ち出されて困るようなものはこの機械に入れてないし、そうたびたびリカバリーばかりするのも問題だから、うちのおばはん、当分このまま使うんだって。

話しを戻すけど、今日はあの人、午前中は関口のカテドラルのお祝いのミサに行ってたのよ。そしたら大司教様のご挨拶の中でも、昨日からfacebookの一部で話題の新しい北海道の司教様の話がでたの。札幌教区ってしばらく司教様が不在で、新潟教区の菊地司教様が兼任してらっしゃったらしいのね。ほんでもって、facebookを見てると、菊地司教様がものすごくお忙しいのがあたしにでさえよくわかったくらいよ。それが昨日だったか、おとといだったか、菊地司教様がfacebookに、ローマで札幌教区の新しい司教に勝谷太治という方が決まったって言う話しを載せたのね。

うちのおばはんも、ああ、これで菊地司教様も少し、荷が軽くなったかしらとか思ってたんだわさ。そんなこんなで昨日、たまたまうちのおばはんがfacebookを開いたら、facebook側でこの人とこの人はどこかでつながりがあるんじゃないかって思うと出てくる、もしかして知り合いコーナーに勝谷太治さんという名前が出てたの、あの人、この名前を見て、知らないなあ、日経関係じゃないし、どこの誰よとかって思っているうちに、はたと思い出してfacebookに文句を言う記事を書いたら、それを見たカトリックの知り合いが、偶然というかたちのみ摂理かもしれないから、リクエストしろっていうの。

うちのおばはん、本当は全然とっかかりのない人にやたらにリクエストしたりしないのよ。だって、facebook以前に日本経済新聞で作っていたワガマガって言うSNSのメンバーがワガマガが終了したあと、みんなでfacebookに引っ越してきたからちゃんと本人を知っている友人多いのよ。やたらによく知らない友人を増やすのもどうかと思うしね。

だけど偶然というかたちのみ摂理説も気になるからとりあえずフォローにしておいたの。で、今日の今日、大司教様の話に又お名前が出てきて、これはやっぱりリクエストしてみるかって思ったみたい。知り合いが、来るものは拒まずみたいだ、さすがふところが広いとか言っていたのも効いたのかな。

まだあの人、これからいろいろ動かなくちゃならないんだし、教会側に少しは関係者がいたほうがいいのかもしれないしさあ、(全然会ったこともないけどね)、知り合いが言っていた偶然というかたちのみ摂理はこれまでにもさまざまな時とところで出くわしてきたわけだし、これもどこかでかかわってくるかもしれないじゃないの。

長くなっちゃったから今日のはなしはこんなところでおしまいね。ほんじゃまたね。

2013年6月23日日曜日

善福寺川

今日は選挙の投票日。うっかりしていて期日前投票を忘れていたから直接投票に出かけた。家から投票所の中学校まで一番近い道は善福寺川に沿った遊歩道を歩いて行く道だ。

善福寺川は善福寺公園の中にある遅野井の滝(滝といっても小さな湧き水だが)を源泉にして流れ出す流水だ。遅野井の滝はこれ。


普段はなんということもない小さな川なのだが、大雨や台風となると、たちまち水量が増えて、水の勢い水深も増して周辺に危険を及ぼす、危ない川に変身する。そのためだろうか、今日も川の向こう岸を眺めると、水量を知らせるための派手な色の水準標識がぶら下がっていた。こんな感じだ。

今は水量もこんなに浅いが水が増えれば壁の色の変わっているあたりまでいっぱいに水があがってくる。柵の下を見れば土嚢が積みっぱなしのところもある。東京の地下は今、地下水の増加で処置に困っているそうだが、市街地の街中を流れる川も実は用心が必要なのだ。


メインブログからの転載

世間話から祈りと孤独を考察

  
 昔、リバス神父様が指導していた「祈りの学校」という講座があった。顔見知りの奥様とおしゃべりしている最中になぜかそこで教わったはなしを思い出していた

 人間という存在の状況というのは実は、みんな一人一人、深い井戸のそこにいるようなものでなんとかして隣り合う別の井戸の底にいる他者に自分の存在を伝えるために高く旗を掲げて振り合っているというイメージをおっしゃっていた。

 なぜそれを思い出したのかというと、同じものを見ていても自分と、知り合いの奥様の関心の向かう方向の違いが面白かったのだ。彼女は写真が趣味で、ブログを見てもまず目に入るのは写真、こちらは写真はただのおまけ、なるほど、人と人とがわかりあうのって難しいよなあ。旗を振り合っていても見ている部分は両者とも自分が関心を持つ部分だけなのかもしれない。

 神と人とを愛すると簡単に言うが、本当に他者を愛し大切にするには、自分の好み、自分の関心だけ見ていてはいつまでたっても駄目なのだろうと、今頃改めて考えさせられた。自分と違うものを受け入れる広い心が必要なようだ。分かり合えなくても他者を排除しない、自己主張ばかりしない広い心、いやあ、むずかしい、むずかしい。

 すぐ隣に座っていても、お互いに相手の振っている旗が見えていないことだってありそうだ。見えていても読み違いもあるだろう。つまりそばにいても実は両者とも孤独だったりすることもありそうだ。あるいは相棒に登場する刑事部長と中園参事官のような関係かもしれない。

 これはどうも普段日ごろの生活から心の向かう方向を正している必要がありそうだ。いつでも何をしていても思いが神様に向かっていないとたぶんうまくいかないのだと思ったのだった。つまり自分の心という深い井戸の底で誰に向かって旗を振っているのかが問題なのだろう。



 以下は出かける前に書いたお知らせ

 このところ風邪をこじらせてなかなか治らず、木曜日夜の聖書の集いも全然出席できていない、ちょっと情けない状況だ。

大事な知り合いの告別式も失礼させていただいているくらいで、なんともどうしようもない。来週の木曜日は今月の最後だけれど、果たしてどうなるか自信がもてない。天気がよく気温も高くなれば体調もよくなるのだが、雨だったらまた欠席になるかもしれない。早く梅雨があけてほしい。

しかし、それはとにかく、朝、facebookを見たところ、幸田司教様の一日黙想会の案内が出ていた。司教様のブログに細かい案内が乗っているが、ここにも簡単に紹介しておく。

   ● レジオマリエ黙想会

     7月1日(月) 10時から15時半(ミサで閉会)

     場所は四ツ谷駅前 雙葉のニコラ・バレ修道院

     テーマは「ひとびとの中におられるキリスト」 指導 幸田司教様

     参加費 500円 ロザリオ・昼食・飲み物持参

  
     どなたでも参加可  問い合わせ等詳細はこちらをごらんください。
                   http://nativitas.blog130.fc2.com/


 今日はこの後、四ツ谷の夕方のミサに行くが、まだ喉が治っていないから聖歌隊は今週もお休みして、下の席に行くしかなさそう。
   

2013年6月21日金曜日

聖ペトロ聖パウロの祝日

今度の月曜日6月24日は、聖ペトロ聖パウロの祝日で、今年は関口の東京カテドラルで11時から東京大司教区の金祝銀祝を迎えた神父様方のためのお祝いのミサが行われるそうだ。平日の午前中という時間帯ではあるけれど、長い、長い年月を神と人のために働いてこられた神父様方に感謝して、なるべくミサに参加したいものだ。

東京の大司教様と森司教さまには霊名の祝日でもある。例年だとアクション同志会の方々にすべて任せて自分は行かないのだけれど、今年はなぜか行く気になっている。

昔、ある方が、教会は聖人の集まりでもあり、罪びとの集まりでもあると教えてくださった。まだ二十代の後半だったころだから、言葉としては理解しても現実としてはわかっていなかった。今、六十代前半に入って、この言葉の意味が重く実感されるようになった。人間て本当に複雑で難しいものだと思う。

宗教の世界だから、キリスト教の教会だからといって、ここはまだ天国ではないのもよくわかるようになった。けれどそれでも、神様がこの教会に呼んでくださった以上、できる限り全力を尽くして善なるものに良なるものになっていきたい、いつかは御前に立てるような人生を生きていたい、そんな心で、一信者の自分には大先達である二人の大聖人や、よき指導者の神父様方のお祝いの日のミサに与かりたいと思っている。

今日はあんまり一般的ではないはなし

こんにちは~、マリーで~す。

昨日はさ、一日ずっと肌寒かったから、さすがのうちのおばはんも着るものも食べるものも体を温めるようなものにして、掛け布団も毛布一枚じゃなくて、薄い上掛けも掛けたのね。それがよかったのかなにか、今日は朝起きたときから気分もすっきりしてるし、体調もよくて咳も止まってたの。

それで午前中は前から気になっていたけど、手をつけていなかったガスレンジの周りや、換気扇の掃除をしたのよ。このアパート、古いけれどもともとはマンションとして作られたから部屋も台所もトイレもみんな天井が高くて、背の低いうちのおばはんには蛍光灯や電球の取替えも、換気扇の掃除も大きい踏み台なしには全然手が届かないの。

それでついお掃除も手抜きが多くなっちゃって、換気扇や、蛍光灯の笠の上とか、天井に近いところの掃除が行き届かないのよ。ハウスダストのアレルギーだから、本当だったらなるべく塵や埃はたまらないようにしなくてはいけないのに、背が届かないからついつい、たまにしかやらないのね。

でも一見きれいになっていても当人は換気扇の汚れも、蛍光灯の笠の上の埃も、ガスレンジの下や四隅にたまっている汚れ、ちゃんとわかっているから、内心では気になって仕方がないわけよ。

それで、今日は気分もいいし、お掃除日和だって、気になっていたガスレンジの下のコーヒーや煮物のお汁が吹きこぼれた跡とか、塵とか埃も掃除して、換気扇も外してこれも可能な限りきちんと汚れ落としをしてたわよ。ほんとは戸棚の上の大きい缶とかいらない埃だらけの道具も片付けたいけど、おき場所がないからそのままだけどね。とりあえず、自分がわかっていて気になっている汚れだけはきれいにしといたのよ。

でもって、お掃除しながらさあ、あれ、これは何かに似ているなって思ったみたいなの。えーと、アナロジーとかなんとかって言うんだったかしら。他の人は気がつかなかったとしても、この台所をいつも使っている当人は本当はどこが汚れているかよくわかっている、この感じに似ているものを知っているような気がするぞ。

他の人は知らなくても自分はよくわかっている、あるところのさまざまな問題。塵や埃、汚れ。あれもお掃除が必要というか、というか清めとか償いが必要なのではないか。関係者はほとんどもうこの世を去っているけれど、あれは償いが必要なのではないのか。とかって、なんかよくわかんないけど、あの人、そんなことを思い始めたのね。そういえば去年、誰かさんのところに押しかけて行ってその辺を話したんじゃないかしら。

あれからごたごたして話が途切れてたのね。ほんでもって、その後、足腰の調子が前より具合が悪くなってきて現実的に可能な話かどうか自信がなくなっちゃってとぼとぼしてるのが今の状況なのよ。だから、おてまみも書くに書けない、まとまらないってわけなんだわ。今の新しい責任者は以前のことなんて全然知らないから何をどうまとめるか、どう伝えればいいのか迷っちゃってるんだわさ。

なんか長くなってきちゃったから今日はこのへんでやめとくけど、たぶん来週はなんとかまとまってくるんじゃないのかしら、なんともいえないけどさ。ほんじゃまたね。

2013年6月20日木曜日

あっちもこっちも


こんばんは~、マリーで~す。

今日は遅いじゃないかって? あら、このところがちょっと早めだっただけでこんなものよ。なんたって、うちのおばはん、今日は天気もよくないから出かけるのは止めて一日家にいたわりに、全然仕事にならなかったのよね。やらなくてはならないことがあっちもこっちもあるんだけどどっちも気持ちがまとまらなくて中途半端で、両方とも結局手をつけてないの。

今日のあの人がしたことっていったら料理だけだわさ。手羽先の5本入りパックを4つ買ってきてあるから、半日かけて、ためしてガッテンで覚えた骨抜きの練習ついでに下ごしらえまで終わらせて、半分は冷凍、半分は塩コショウをして網焼きと、いつもの手羽大根の煮物をつくったの。だけど骨を一本抜いてしまうと、ほんとに食べやすいのよね。こんなに食べやすいとは思わなかったわ。ためしてガッテンて、お料理のことは見ておいて損はないみたいよ。たいてい、実際に役に立つ内容なんだもの。

それにしてもせっかく朝早起きしたのに、今日のサッカーときたらなんというか、あれって思ったら、あっというまに負けてきて終わっちゃったし、どうもあれが全体にけちのつき始め、雨空と一緒に、やる気が失せた原因みたいな気がするわ。

まあ、焦るとろくなことがないし、やる気が自然に湧いてくるのを待つしかないんだけど、天気がよくないのは体調にもかなり影響するし、そうなるとやる気にも影響しちゃうのよねえ。せめて早く台風が通り過ぎていってほしいもんだわさ。

そんなことで今日のはなし、おしまい。ほんじゃまたね。


2013年6月19日水曜日

うちには絵本はなかったなあ

こんにちは~、マリーで~す。

うちのおばはん、昨日ずぶ濡れで帰ってきたのがよくなかったらしくて、朝からあんまり調子がよくなくてカロナールを飲んだけど効かないって、さっき今度はロキソニンを飲んでたわよ。また風邪をぶりかえしちゃったのかなあ。

机に向かってるけど今日も全然頭が働かないみたいで、何にも書けてないじゃないの。しょうがないからパソコンを開いちゃ、あっちこっち見てるだけ。今朝からこの時間まであの人の心の網にひっかかったのは、twitterで、tbs_booさんのアイコンを作っている、のりこさん(noriko_v)が書き込んでいたカエルの絵本のことくらいかしら。

うちのおばはんのお家には小さいとき絵本て、全然なかったのよね。今思えば不思議なんだけど、あの人のお父さんがあの人に初めて買ってくれたのは、活字がいっぱい、難しい漢字もいっぱいの大人が読むような文庫本の童話だったの。

今も覚えてるわよ、新潮文庫のアンデルセン童話全3冊、岩波文庫の旧仮名の風の又三郎と銀河鉄道の夜、おかげで読みたい一心で必死に漢字や旧仮名に取り組む小学生だったのね。絵本は、親戚の家で、いとこの女の子たちが見ていた白雪姫の記憶くらいしかなくて、50代を過ぎてから、初めてベアトリス・ポッターの愛らしいウサギや子猫のものを見てひと目ぼれしたくらいのものだったのよ。

だけど、想像力、創造力をそそるような可愛いものは好きだから、のりこさんの作ったTBSのブーのアイコンには最初からファンになっちゃったのよ。初期のnhk_prとtbs_booがおやつのプリンを前にしたイラストなんか、今でもあの人、ケータイやタブレットにも入れて眺めているわ。

それからもう一人忘れちゃいけない、夢の中を漂うようなあんとに庵さんの画風も好きだけどね。昔からあんとに庵さんの絵は見ていたけど、この方とtwitterの論客が同一人物とは夢にも思わなかったから、ほんというと個展を見に行って実際のご本人に会ってみてご本人がなんと言おうとtwitterの論調からは想像もつかない上品な物腰や柔らかいきれいな声にあっけにとられちゃってたのよ。

とにかく、美術とか音楽とか、心の奥深いところに働きかける仕事のできる人って尊敬しちゃうわ。うちのおばはんみたいに雑文しか書けないんじゃとうていそうはいかないもんね。

おしゃべりしてたらもう夕方になっちゃうじゃないの。しょうがないなあ、うちのおばはん、書かなくちゃいけないお手紙にも全然手がついていないでどうすんのよねえ。頭が痛いから書けない? まったくもう。今日のところはしょうがないけどさ、もうちょっとしっかりしてよね。

そんなわけで今日はここまで。ほんじゃまたね。 

2013年6月18日火曜日

明日から天気が相当荒れるらしい

うちのおばはん、昨日はグーグル・ピカサで、散々悩んでたんだけど、いくら日本語の説明を見ても実物のほうには、そんなのどこにあるのよ、っていう状態だったのよ。ほんでもってとうとうあの人、最後に仕方なくなって、面倒くさがって読もうとしなかった英文の説明の方を見たら、何のことはないピカサはグーグルのサービスだから、新しく更新してからのは同じグーグルのクロームブラウザなら、あっという間だってことがやっとわかったの。

あの人がピカサで困っていたのはアンドロイドのタブレットにピカサで入っている写真がどうやっても動かせなくなっちゃってなんだけど、パソコンの方にクロームブラウザを入れて同期したら簡単に動いたわよ。いいかわるいかはよくわからないけど、グーグルも昔と違ってほんとに面倒なことになってきたのよね。

でもやっとひとまず、やれやれだわさ。おかげでうちのおばはんちょっと寝不足気味で、今日はまた聖三木図書館にこもってたんだけど、頭が全然働かなくて、仕事にならなかったの。これは駄目だって思ったみたいで3時前に引き上げて、阿佐ヶ谷に寄ってご飯を食べたの。今日18日でしょう、天丼のてんやさんが25周年記念に18日は10と8でてんやの日って、普通の天丼がサービス価格の390円なんですって。

値段までサンキューで390円なのね。油物は普段控えているうちのおばはんも天丼ならたまには食べたいって、てんやさんに入ったわけ。このお店さあ、値段の割りにお米もいいお米だし、てんぷらもおいしいんだって。体重が気になってるくせにおいしいものはやっぱり食べたいらしいんだわ。まったく困っちゃうのよねえ、この人。

その後、すぐそばの西友でいい大根が安かったから重いのに大根とかいろいろ買って、外に出たらちょうど雨が降り出したところで、これはまずいって荻窪で電車を降りてバスに乗って帰ってきたのはいいけど、バス停から家まで歩いただけでびしょ濡れよ。あの人の予想より雨の降り出しが早かったみたい。

でもって、おうちで天気予報を見たら、明日、あさっては相当天気がよくないみたいじゃないの。雷だの、突風だのって、ほんとにどうなっちゃうのかしら。まあ、あの人には天気がよくないとおうちで仕事日和になるらしいけどさ、雷は困るのよねえ。パソコンは電源切っとかなくちゃならないし面倒だわ。

雨が降らなすぎれば、旱魃が心配だし、降りすぎれば、これもまた問題だし、うまくいかないのねえ。ま、いいか、明日のことは明日自身が心配するとかっていうもんね。とにかく今日の話はここまででお仕舞い。ほんじゃまたね。

2013年6月17日月曜日

いやはや、ピカサって大変

こんばんは~、マリーで~す。

今日はすぐに終わりよ、なにしろ、うちのおばはんときたら、ずっとピカサの使い方がわからなくて、入れたいものも消したいものも全然どうにもならなくて、今もまだ頭を抱えてるの。多分明日になってもまだ駄目かもね。

だから今日はブログもまたおやすみよ。ごめんなさいね。新しくなってますます使い方が複雑になっちゃってさあ、あの人の頭じゃ難しすぎよ。とにかくそんなんでまたね。

2013年6月16日日曜日

ひとこと

どなたかがおっしゃっていた。 「あまりにも急な逝き方でびっくりしました」 まったくそのとおり。
だからなんだかまだ気持ちが片付かなくて今日は何も書けない。

2013年6月14日金曜日

訃報

知人が亡くなった。日経の方で、以前日経NETの時代にあった日経のSNS、WagaMagaのときからの知り合いで、上尾の丸山さんとお呼びしていた方だ。癌の闘病中だったから心配はしていたのだが、このところ小康状態のようだったのに、突然に亡くなってしまった。ショックだ。

上尾の丸山さんにはブログの書き方から、写真のアップの仕方、そのためのパソコンの使い方、全部みんな教えていただいた。その昔はイタリアに駐在していたので、その当時のヴァチカンにいた日本人聖職者の方々の話などもよく出た。中国文学の素養にも長けていて、話題豊富な面白い方だった。この方に教わったことはたくさんあって、地震雲についても丸山さんだったから、頭から否定したりせずにこれも頭に置いておいても、そう間違ってもいない部分もあると思うようになったのだ。ユーモア、夢、理想、丸山さんの美点は数え切れなかった。

くら寿司のことも丸山さんで知った。嘉門達夫の歌もそうだ。そういえば、昔の金曜会のあとで参加者みんなで狭い部屋に押しくら饅頭で入って歌ったときの動画、まだyoutubeにあるかな? 最近見ていないからわからないが、丸山さんががなりたてるように、おら、東京さ、行くだと歌っているのが残っているかもしれない。

今、確認したところ、騒音ばかりで映像は全然見えませんでした。2008年の三金会のあとでの3、4人用の部屋に12人入っての騒ぎでした。

うちの父のときのことがあるので、病状をみていて覚悟はしていたけれど、これは早すぎる、早すぎるよ、丸山さん。

残念ながら、通夜も告別式もさいたま市まで行けないけれど、ただただ冥福を祈ります。
今、フェイスブックを見たら、初めてWagaMagaで、かじっかさんの金曜会に参加したとき、ご一緒したosanakさんは通夜と告別式に福岡から出てくるのですね。まったく、年月の経過が夢のようです。若くて元気いっぱいだった丸山さんのあの日の姿が目に浮かぶようです。

2013年6月13日木曜日

わんこも水遊び

こんばんは~、マリーで~す。

うちのおばはんは昨日からずっとすごい咳をしてるわよ。また風邪ひいちゃったみたいなの。うちのおばはんの妹がお腹が痛いって泣きついてきたけど、あの人、電話で話していてもすごい咳をしてたから、妹のほうが心配しちゃってたのよ。なんたって、あの人、のどが弱いからすぐ風邪ひくくせに、油断ばっかりするんだもんね。妹のほうはただの食中毒だったって、簡単に治ったらしいけど、あの人のほうは下手するとこれはまたお医者さんに行かないとだめかもね。

そんなんだから今日はブログもまた手抜きよ。こんな写真を見つけて喜んでたの。あの人が好きなのは、可愛くて面白いのなのね。

このわんこ、うちのおばはんみたいに泳ぎが出来ないなんてことはないわよね。あの人だと救命胴衣も必要になりそう。


2013年6月11日火曜日

GAOっとブログ

今日は朝から面倒なことばかりで、これでは自分も楽しくないし面白くないから、可愛いものをちょっと覗いてみた。男鹿水族館のホッキョクグマ、クルミと子供のミルクだ。今、一番のお気に入りなのだ。

GAOっとブログというのが、動物たちの様子を紹介していて内容も面白い。写真もいっぱいだ。

   http://www.gao-aqua.jp/blog/img/h1_title.jpg

本日の追加

まだセットのやり直しの途中ですが、これだけフェイスブックに書き込んでおいたので。

朝、妹から電話。妹も弟も心配なことばかり抱えていて、それを聞かされてもこちらもどうしようもないのだよ。まったくどうしたものか。冷たい姉だと思われるかもしれませんが、そうではありません。実の妹弟だからこそ、頭が痛くなるのです。

しかし、それはとにかくパソコンを開いたらまたこのあいだの異変が起こってきて、これはもうどこかに隠れ潜んでいるcookieを追い出すしかないと思ったのでこの際、リカバリーのやり直しに取りかかった。この前はCとDに二分割したので、cookieめ、人目につかない場所に隠れているのだ。

今回は一つにまとめることにして、音楽や動画ファイルは外付けに移した。

そんなことで今日は多分いつものようなブログの更新はできないと思う。あ、そうだ、グーグルのブラウザも使い勝手はいいのに、勝手な行動が多すぎる。当分、IEとoperaだけでいくつもりだ。ファイアフォックスがもうちょっと使いやすければいれたいのだけど、ギャラクシータブではまるでダメで、これも入れられない。

あと、相棒のファンの方々、新しい劇場阪の制作が始まったそうですよ。上映は来春だそうです。中心は右京さんとカイト君、それにいつものメンバーや警察庁に移動した尊君も。だそうです。

真面目な話はこんなところでは出せませんから、いずれまた手書きのおてまみで。(一部関係者用の業務連絡)

以上。

2013年6月10日月曜日

タコはおいしいばかりではなかった

もう配信は終わってしまったようだが、ちょっと前にNHKオンデマンドの見逃し番組でタコの知能の高さにびっくりさせられたことがあった。

ああ見えてタコは知能が高く、記憶力や状況を推察するだけの能力も優れていて、もしかしたら何十万年か、何百万年か先には文化と文明を持つに至ってもおかしくはないらしいのだ。

人間の考えているこの世界も、本当はさらにもっと広く深いものなのかもしれない。人類が生まれ、今も住んでいるこの地球以外の世界に何が存在しているのかは想像することしかできないが、知人の話では外国ではヴァチカンなどではすでに地球外生命体との接触についても研究しているという話が流れているのだそうだ。

そこまではどうかわからないけれど、確かに現在の人類が未来永劫に地球に存在しているとばかりは限るまい。草は枯れ花は萎み、神の前には千年も一日のようという感覚を自分の中に持たなければ見えてこない世界もあるのだ。

ピンタレストの話が出て、確かに面白いけれど、あれは目の前の物欲に心を奪われそうな仕組みと感じる。どうもそれは遥かな遠いものへのまなざしとは相反するような気がするのだ。

そんなことを昨日から思っている。

おまけはタコさんの肖像

    

2013年6月9日日曜日

旧式タブレット登場

こんばんは~、マリーで~す。

うちのおばはんのパソコンのクッキー同士が勝手な喧嘩ばかりしてて、あの人も怒ってそんなことばかりするなら、これではどうだって、仕舞い込んであった旧式のタブレットを出してきたら、パソコンめの動きがいつもみたいに正常に戻って、ちゃんと日本語入力出来るようになったのよ。まったく面倒な機械で困っちゃうわ。

あの人、明日は眼科の定期検診だし、風邪が治らないと困ると思って、昨日と今日はおうちでおとなしくしてたから、今のところ背中や節々の痛みは治まっていて、咳だけになったわよ。今年はあの人、何度も風邪ばっかりひいてさ、やっぱりもう若くはないってことなのかもね。でもそんなのしょうがないわよね。

うちのおばはん、まだこれから始めなくちゃいけないことがあるみたいなのよ。だけどどういう形でなのか自分では全然わからないらしいの。自分の希望や願いはあるんだけど、それじゃなくてもっと面倒で億劫なほうが神様の希望や願いなのかもしれないってんで、びびっちゃってるんだわさ。この年齢で、この健康状態で、どこまで何が可能なのかっていうんだけどさ、そんなの自分で決められる問題じゃないし、なんていうか神様次第のことだから、心配したってしょうがないんじゃないの。

まあ、とにかく明日は朝が早いんだから、今日はさっさと寝かさなくちゃ。梅酒の梅を二粒もかじればよく眠れるわよ。寝過ごすと困るけどね。そんなわけで今日はこれでおしまい。

ほんじゃまたね。


2013年6月8日土曜日

本日は風邪を引いてお休み

こんにちは~、マリーで~す。

うちのおばはん、もうほんとにだらしないんだから。夕べさあ、帰ってきてからああでもないこうでもないって考え事していて、寝るのがすごく遅くなったのね。あれもよくなかったんだと思うんだけど、夜中にゴホゴホ咳をしていたと思ったら、今朝は早速に頭痛、発熱、咳こんこんで寝込んじゃってるわよ。

土・日はお医者さんだって休診が多いからあの人もあわてて、風邪薬がどのくらい残っているか見たら、前にお医者さんでもらったカロナールと粉のPLがあるから足りるんじゃないかしら。後、痛み止めにもらった整形のロキソニンがまだ少し残ってるから今日明日おうちでおとなしくしていれば大丈夫と思うけどね。とにかくあの人油断ばっかりしてるんだもん、困るわ。

月曜日は早起きして千駄木の大学病院の眼科に緑内障のほうを診てもらいに行かなくちゃならないんだし、なんとか風邪のほうが治まらないと本当に困るわよ。

とにかくそんなわけで今日は聖歌隊もお休みよ。明日どうなるかは、明日の調子を見てからだわさ。 ほんじゃまたね。

なるほど

昨日の初金の祈りの集いで

自分の願いや希望と、神様の願いや希望、どっちを優先してる?

そこのところ、もうちょっと考えよう。

2013年6月6日木曜日

明日は初金

こんばんは~、マリーで~す。

今日は木曜日だから、うちのおばはんは夕方、四谷のミサに行ってそのまま聖書の集いに出て、さっき帰ってきたの。暑い季節になると、毎日帰ってきてからの水浴びと洗濯は欠かせないのよ。だけど明日は朝から天気が悪いらしいからって洗濯物は中に干してたわ。暑くなって急にまた気温が下がるとあの人、風邪をひきやすいんだから用心してもらわなくちゃ。

明日は一日中雨なのかしら、うちのおばはんとしては、明日は月の第一金曜日、つまり初金だし、久しぶりに初金の祈りの集いに行こうと思ってるのよね。だけど雨だと杖が滑りやすいし、ちょっと面倒なのよ。夕方止んでてくれるといいけどさ、降ってたら仕方がないから雨の様子を見てバスに乗るしかないかなあ。明日になってから決めるんだわさ。

初金の祈りの初金聖歌隊の歌は、聴く人を祈りに導いてくれるという点では、きちんと訓練された、自己満足ではないちゃんとした歌を聞かせてくれる、たぶん相当によい聖歌隊だと思うわよ。あれは聴きに行く価値があるんじゃないかしら。前にも言ったことがあるような気がするけど、今は亡き霜山徳爾先生が日本人の宗教性について、美を通して真実へということをおっしゃっていらっしゃったのよね。

祈りに導く音楽性には、やっぱり美の要素は欠かせないんじゃないのかしら。初金聖歌隊はその点でとてもいいと思うんだわさ。少なくともうちのおばはんはいいと思ってるみたいよ。夕方のミサの後だから時間もちょうどいいしね。

長々と書いちゃったけど、よかったら実際に聴きに来てみてほしいわ。あれ、そういえばたしか聖体賛美式もあるんじゃなかったかしら。とにかく、雨の中でも行ってみて損はないと思うわよ。ということで今日はおわり。

ほんじゃまたね。

2013年6月5日水曜日

鳥さんは恐竜の子孫

こんばんは~、マリーで~す。

今日はうちのおばはんが期待して楽しみにしていたNHKのためしてガッテンを一緒に見たのよ。あの人、お金はなくても出来るだけおいしいものを作って食べたい人だから、スーパーでもたいてい格安の鳥手羽をおいしく食べる方法ってすごく興味があったみたい。鳥手羽って食べるとき骨が邪魔なのよね。

あの人の鳥手羽の調理法って自分で作るときはいつも大根と一緒に煮込むのばっかりだったの。大体、昔、台所で油を使って鍋に火が入って怖い思いをして以来、絶対、油ものは自分で作らないから、から揚げを作る気はないんだけど、鳥手羽自体はもっとおいしく簡単に食べたいと思ってたみたい。

ほら。ケンタッキーのフライドチキンだって鳥さんの骨って食べるときほんとに邪魔じゃないの。手羽先は大根と一緒に煮込むと、柔らかくなって骨も簡単に外れて、それこそコラーゲンたっぷりで食べられるけど、いつもそればかりじゃ飽きちゃうのよねえ。

あの骨さえ抜くことができれば、から揚げよりヘルシーな手羽焼きにしたらおいしいんだけどって、うちのおばはん、いつも手羽を焼いて食べるたびに思ってたのね。だから、ためしてガッテンで鳥手羽の骨を抜き方をやるらしいってわかって絶対見なくちゃって思ったんだわさ。

それでテレビを見たら、鳥さんてなんと大昔の恐竜さんの仲間の子孫なんですってね。だからか、中国料理で使う蛇ちゃんの肉とか、フランス料理にも出てくるっていう蛙さんの肉って、鳥肉に一番似ているっていうのは姿形は全然違うのに、実はお仲間だったからなのね。びっくりだわ。

でもとにかく今日は料理バサミをうまく使えば、鳥の手羽先の骨抜きも案外簡単にできるらしいのがわかったわ。これは試してみる価値ありそうよ。コツをつかむのにちょっと何度も試してみる必要はありそうだけどね。鳥の手羽先をおいしく食べるにはやっぱりどうやっても一手間かけないとだめみたい。

今日はなんだかお料理教室みたいになっちゃったから、このへんでおしまい。ほんじゃまたね。

2013年6月4日火曜日

今日はまるで夏みたい

こんばんは~、マリーで~す。

つい今しがた、いきなりグラッと揺れたから、うちのおばはんもあわててせっかくインストールしたyahooのツールバーを見たけど何にも出てなくて、他の地震速報を見ても天草の地震しか出てなかったの。あの人、そんなはずはないってあちこち見てたらやっとtwitterの地震速報で東京23区の深さ56キロのところが震源で揺れたのがわかったのよ。

それは震源の深さ56キロだったらたいしたことはないのかもしれないけど、だけどこのところ日本中のあちこちが震源になってるじゃない。ほんとにいやな感じだわ。

今朝だってうちのおばはんがテレビを見ていたらいざというときのための水や食料や必要なものを個人で準備するとそれだけで5万円くらいかかって、置いて置く場所も必要だっていうのよ。お金なんてほんとに持っていないうちのおばはんなんか、ペットボトルのお水が半ダースと、缶詰が10個くらいあるだけだわ。地震に備えるどころじゃないわよ。もう、なるようにしかならないと思っているしかないって言ってるわ。

ほんとにこればっかりは最終的には運次第、うちのおばはんみたいに神様を信じている人だったら、神様の思し召し次第というよりほかないわよね。それにしても気になるのは、昔の関東大震災のとき、しばらく前からあっちでもこっちでも地震が起きる状況が続いてたっていうじゃない。今の状況もすごくいやな感じ。

でもうちのおばはんに言わせると、それでも今は今出来ることとか、しなくてはいけないことをするしかないんですって。だからあの人、もう6月だし、とにかく今後のことも考えなくちゃならないからって、今、なんか自分の考えをまとめようとしてるみたい。

だけど自分でも自分の気持ちとか考えをまとめようとすると意外と難しいのよね。もうちょっと何とかまとまってきたら、また今度は手書きのおてまみを書くんじゃないのかしら。やっぱりさあ、若い人と違って健康状態は不安だらけだし、体力にも全然自信がないし、何かを始めたいとか思っても簡単にこれと言い切れないみたい。

まあ、なんにしても現実の生活だから、今のあの人の状況で可能なものでなければどうしようもないんだしさ、焦ったってしょうがないわよ。そんなわけで今日の話はこれでおしまいだわさ。ほんじゃまたね。

2013年6月3日月曜日

世の中ほんとに大変 (他のブログからの転載)

こんばんは~、マリーで~す。

うちのおばはんは今ねえ、大家さんに家賃を払いに行ってきたところよ。大家さんの奥さんがこのあいだ転んで右手を骨折して大変だったから、ついでに奥さんと世間話をしてきたみたい。

世 の中、本当にいろいろなことが起こるものなのね。うちのおばはんがびっくりしてたわ。大家さんの奥さんの知り合いのお宅でお葬式があって、ご主人が亡く なってすぐ奥さんが亡くなって、結婚してアメリカにいた娘さんが家族をアメリカに残してひとりで帰ってきて後片付けをしてお墓の掃除なんかもしていたら、 突然くも膜下で倒れて、これも急死しちゃったんですって。

それで大家さんと奥さんも警察に身元確認に呼ばれて、テレビなんかに出てくる場 面みたいに亡くなった方を確認したりで、大変だったんですって。でもって結局ご家族が全員亡くなってしまったお宅はこれから誰がお墓の面倒を見たり、お寺 さんに維持費を払ったりするのか、それもごたごたして大変だったんですって。

うちのおばはんも自分のお父さん、お母さんの入っているお墓 の事で、これからお寺さんやお墓の管理はどうしたらいいかって、悩んでいるところだったから他人事のような気がしなかったみたいよ。もちろん、どこのお墓 も何十年、何百年もたって親類縁者もいなくなれば最後はどちら様も無縁墓になって消えていくんだけど、まだ家族や親戚も生きている今は、これがまた面倒な のよね。

なんだかあの人も大家さんの奥さんに相槌を打ちながら、世の中ほんとに大変だって改めて思っちゃってたわよ。前にちょっと知って いた人から樹木葬のはなしを聞いたことがあったのね。お骨をお墓に入れないで、好きな木の根元に埋めてもらうの。でもうちのおばはんが、それならぜひ梅の 木の根元がいい、梅の花の香りになりたいって言ったら誰かが、だけど梅干になるかもしれないって言い出して、話がお笑いになっちゃったんだけどさ、でもお 墓の管理維持のことを心配しなくちゃならないより、きれいな花や、よい香りに変わって、誰かに喜んでもらえるほうがいいかなあ、とかって思うんだわさ。

そ ういうのって、どういうとこでどういう人たちが計画立案してるんだか、もうちょっと詳しいことが知りたい感じ。ベアトリス・ポッターだったかしら、有名な ピーター・ラビットの作者の方はお墓ではなくて遺灰はご自分の好きだった場所に撒かれたのじゃなかったかしら。うちのおばはんは大家さんの奥さんの話でつ くづく考えちゃったみたいよ。

面白くない話でごめんなさいね。今日はこれでおしまいよ。ほんじゃまたね。


2013年6月2日日曜日

八重の桜の殿様役 (他のブログからの転載)

こんばんは~、マリーで~す。

今日はうちのおばはんのお供で東京カテドラルに行ってきたわよ。あたしとタブレットを連れていってくれたのに、あの人、出掛けにリュックから斜めがけバッグに換えたらカメラのキャノ子を入れ忘れちゃって、説教の録画が撮れなかったのよね。まったくドジなんだからもう。

まあ、だけど今日は天気もよかったし、久しぶりに顔を合わせた人もいたからそれだけでも十分だったみたいよ。

ほんでもって帰りはどこにも寄らずまっすぐ帰ってきたんだけど家に着いたらもう8時近くなってたから、あの人、珍しくテレビの八重の桜を見たのよ。いつもだと連続物は少しまとめてNHKオンデマンドで見てるのに珍しいなあって思ったら、最近お気に入りの会津藩主松平容保役の俳優さんの名前を知りたかったのね。

うちのおばはんて、よっぽど気に入った番組しか見ないから最近の若い俳優さんの名前なんてあんまりよくわからないのよ。この俳優さんは偶々見た空飛ぶ広報室にも出ていて、この子はなかなかだっていうの。でも名前も知らなくて、ちょっと見、地味だけど殿様役が務まるくらいの品の良さもいいし、演技力もいいし、この先が楽しみな若手だなって思ったみたい。今日やっと名前がわかったのよ。

空飛ぶ広報室も、知り合いの甥子さんが本物の航空自衛隊だったから何とはなしに見始めたのよ。なんか、うちのおばはんてかなり矛盾してんのよ。戦争も憲法改正も反対の癖に、いろいろな知り合いの関係で自衛隊は嫌いじゃないの。昔々の職業軍人の家庭に育った大先輩を見て、とても真似は出来ないと思いながらすごく尊敬しちゃってるしさ。でもさあ、今時の軽薄ネトウヨみたいなのは偽者もいいとこだと思ってるのよね。

またはなしが横にそれちゃって長話になりそうだからこのへんでやめとくわね。人間て矛盾の塊りだもん、簡単じゃないわよ。

てなことで今日はおしまい。ほんじゃまたね。

どうでもいいこと、かな? (他のブログからの転載)

こんばんは~、マリーで~す。

本当はさあ、うちのおばはんももっと早く家に帰るつもりだったのよねえ。だけど、 あの人が行ってる聖歌隊でミサ奉仕が終わったらすぐ帰ろうと思っていたのに、今日は皆さんと相談して話し合わなくてはいけない用事があるからミサが終わっても帰らないでくださいって言われちゃったの。それでしょうがないから少し残ってお付き合いしてきたのよ。

だけどさあ、聖歌隊のメンバーもみんな違う考え方の人が集まっていて、うちのおばはんだってうちのおばはんの考えがあるのよね。あの人はどうでもいい話し合いが嫌いなのよ。だから、最低必要な話が済んだところで逃げ出して帰ってきちゃったの。

うちのおばはんにとっては聖歌隊に求めているのは音楽的なことより、どっちかって言うと、祈り、神様の語りかけに導いてくれる時間なのよね。まあ、あんまりへたくそなのも困るけど、あの人自身にとっては聖歌を歌うことで神様に心が向かうことのほうが大事みたいよ。

だけど他の人たちはまたその人たちの考え方があるし、面倒なんだわさ。メンバーだけの話ならまだいいけど、この間なんかミサの時、下から聖歌隊席が見える司祭のほうから、聖歌隊席でごちゃごちゃ動き回るのは下から見てると気になるから、聖歌隊席に少し高い壇を置いたらどうかって言う話が出たのよ。まったく冗談じゃないわよ。ただでさえ足元のバランスが崩れやすくて転んでばかりいるうちのおばはんなんか、壇から落ちるのが関の山だわ。大体司祭はミサに集中してもらいたいわよ、上の聖歌隊席なんかに気を取られてるようじゃ困るわ。

でも、大勢の人が集まっているんだからいろんな考え方があるのも仕方ないけどね。とにかくそんなわけで今日はあの人、ぶつくさぶつくさ言いながら帰ってきたわよ。まったくしょうのないおばはんだわさ。さっきご飯を食べて機嫌も直って、今夜はこのあと、この間のアイスマンの再放送を見るつもりみたい。タイムスクープハンターはNHKオンデマンドで見るつもりかしら。

ほんじゃ、今日はこのへんでおしまい。またね。

2013年6月1日土曜日

事情あって放棄していた昔のブログを見直しているところ

今、書いているブログは中心的なのがplalaの押入れ、ついで状況に応じて時々書いているアメーバブログ、そしてplalaの押入れの今後を懸念して念のため、予備的に書き始めたここ、計3箇所ということになります。

しかし、実は長く書いていたのはyahooブログであり、yahooがどうも挙動不審な様子を見せ始めてからplalaに移るまで、どこがいいか探してしばらく使ってみたso-netブログやココログがそのまま抛ってあるのです。

あ、そういえば一番はじめに書き始めたのはケータイしか持っていなかったころに、魔法のiランドというところで始めたのでした。先日探してみると整理されてしまっていましたが、場所だけ残っておりました。

SNSはtwitterとfacebook、が主で、あとはキリスト教SNSのキャンドルズに闘病中のお友達のいるアメカゴ、こんなところを使い分けていますが、今回、思い立って、ほったらかしにしてあるふるいブログを読み直し重要なものは別に再掲載しておこうと考えているところです。

すでにplalaの分は古い重要なものは再掲載を始めていますが、もっと古いものはそのままになっているのを思い出したためです。