2013年12月31日火曜日

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四ツ谷の駅前もすごく静かだった

 
こんばんは~、マリーで~す。

ついさっき、うちのおばはんのお供で四ツ谷に出かけて帰ってきたところよ。さすが大晦日よね、いつもだったら夜だって賑やかで人並みも車の流れも絶え間ないのに今日はさすがに夕方のミサの前でも静かなものだったわよ。うちのおばはんに言わせると四ツ谷はあの人が二十歳そこそこの頃、御茶ノ水の学校の帰りに寄ると昼間でも人通りがあんまりなくてすごく静かなところだったんですって。その頃って四ツ谷はカトリックの四ツ谷村って言われてたくらい、修道院もいくつも点在してたみたい。今は引っ越しちゃった文化放送もその頃はなんとカトリックのラジオ局だったんだって。もう、今の四ツ谷からは想像もつかない感じよ。

今は教会の鐘の音さえ騒音扱いされかねない悲しい時代になっちゃったんだわさ。でも、やっぱり駅前から教会や上智大学とか雙葉の建物を見ると、なんとなく安心する人も多いんじゃないかしら。お金だ経済だとかって話以外の世界もあるかもしれないって考えさせられるのかもよ。

でもって今日は大晦日だから夕方のミサは今年一年の感謝のミサだったの。あの人、いつもだとこのミサと深夜の新年のミサに行ってたんだけど今年は体調も考えて新年のミサは近場に行くみたいよ。あたし、そこにもお供するのよね。その代わり明日は一日中お休みよ。

さっきの四ツ谷のミサの後で出会ったあの人のお友達は、いったん帰ってまた深夜に四ツ谷に来て聖歌隊で歌うんですって。うちのおばはんはクリスマス以来風邪が治りきらなくて、そんな寒い時間に四ツ谷に出る気力はないって今年は隣の駅よ。ここも大きい教会だけど深夜はあんまり人がいないさびしいミサだった記憶があるから今日もおんなじかもしれないわ。終わったらさっさと帰るだけだから近場のほうが便利は便利だけど、知ってる人がいないとわびしいみたいよ。

とにかくもうじき10時でしょう。11時過ぎたら出かけるからあの人それまでテレビを見るみたいだからこの辺で終わりにするけど、これを見てくださる皆様、良いお年をお迎えくださいね。また来年もどうぞよろしく。 ほんじゃまたね。

2013年12月30日月曜日

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明日は大晦日

 
こんばんは~、マリーで~す。

なんかさ、一年て、本当にあっという間に過ぎちゃうのね。うちのおばはん、クリスマス以来、なかなか風邪が良くならなかったんだけど、さすがに大晦日が明日ってなると焦っちゃってるのよね。焦ったってさあ、ここまできたらなるようにしかならないじゃないの。お掃除だけはちゃんとしておけば後はもういつもとおんなじだわさ。

だってねえ、あの人、年が明けたらまず月曜日が緑内障の検診で眼科でしょう、木曜日は整形外科で、金曜日は前から予定の歯周病の患部の歯肉の一部切除の手術よ、当分食べるのが大変だと思うな。妹のことや友達のこともあるし、どうも全然おめでたい気分じゃないみたいよ。

そんでも、お正月だし何かちょっとちゃんとしたおいしいものくらいは食べたいって、買い物だけはしてきたから明日は夕方四谷の感謝のミサに行って、帰ってきたからまた夜中に今度は吉祥寺のあんまり人の集まらない深夜の新年ミサに行って、帰りにはあちこちの神社を見物してくるつもりなんだわ。大きいところだと、お神楽があったり、屋台が出ていたりして面白いんですって、少しは気も晴れるんじゃないかしら。ほんでもってたぶん、元日は寝正月かな。風邪がよくなったばかりでぶりかえしたりしないでよね。

来年はどんな一年になるのか知らないけど、うちのおばはんも少しは状況が変わって今のままじゃなくなるようにってあたしだって願ってるのよ。なんたってこのままじゃいくらなんでも大変すぎるんだもん。あたしが文句を言ったってしょうがないから止めとくけどさ、自分のこともそうだし、妹も弟もどうなっちゃってるんだか、義理のお母さんは高齢者もいいところで、この先あの人の家のお墓もどうしたらいいのかさっぱりわからないんじゃ、やっぱりお正月でも心配ごとが重過ぎるんじゃないの。

望んでいた道どころか、ずいぶんかけ離れたところにきちゃったんだものねえ。せめて大晦日、お正月は、あの人の心の中の子供心が喜ぶような楽しい面白い話に出会えるといいなって思うわ。でも多分、あの人自身はかなり能天気だから、いつものなんとかなるわよでなんとかなっちゃうのかもよ。今までだってそうだったしねえ。

なんだかんだといっても、明日で今年も終わりだし、来年のことは来年になってから心配するっかないのよね。ということで今日はこれでおしまいよ。 ほんじゃまたね。 

2013年12月29日日曜日

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今年最後の日曜日

 
今年はいやに白菜が高いと思っていたらこれも夏の暑さや台風などの影響だったらしい。いつもだったら丸ごと1個買っても300円はしないのが、先日400円以上するのに驚いて2分の1個だけ買ってきたのが、もう使い切ってしまった。大根、にんじん、長ネギ、それにジャガイモ、玉ネギはお正月中十分足りそうなので、あとは高くても白菜を2分の1か、せめて4分の1買っておかなくてはと思いながらニュースを見たら、白菜高騰のはなしだった。野菜など天候に影響される作物はてきめんにお値段に響くわけだ。

かと思えば日本とは人口の多さでは比べものにならない大変な国、中国が今や高齢者人口が急増、それにたいする介護施設や介護機器などの需要も増えているのだそうだ。個人的には非常に興味を感じているのは中国や韓国のように古来年上の人を敬う文化を持っていた国では介護施設などでの高齢者虐待などの問題は起こらないのだろうか。起こったとしたらあちらの両国の場合はどのように対処するのだろうか。そこから日本が学べることはあるのだろうかということなのだ。ビジネスチャンスがどうのこうのというばかりでなく、そういう面もちゃんと報道してほしい。

それはそうと、今日は今年最後の日曜日だし、気温もおととい、昨日よりは上がっていてだいぶ体調もいいので、近場の吉祥寺教会のミサに行くことにした。自分の教会ではないので知っている人がほとんどいなかったりするのが寂しいが、反面近いからちょっと体調不良気味の時でも、ちょこっと出かけてささっと帰ってこれるという利点もある。元日のミサも今回は人のあまりいない吉祥寺の深夜ミサでいいかなと思っているところだ。面白いのは吉祥寺の武蔵野八幡のほうは深夜でも元旦の初参りの人が入っていくのは、やっぱり日本だと思う。

地震予知の先生が今、仕事が忙しすぎて寝る時間も足りない状態で何も言ってくれないから仕方なく資料を見て適当に判断しているのだが、やっぱり31日前後3日くらいはなるべくなら徒歩で帰れる距離以上出かけたくない気がする。何も起こらずにすめばそれでよし、用心しておいても損はなかろう。


2013年12月28日土曜日

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体調不良につき本日は・・・

 
クリスマスの直前に風邪をひいて以来、寒さが続いているせいかどうもなかなか治らず、咳風邪になって頭も喉も痛い。さすがに今日は申し訳ないが簡単なところでいくことにした。

ちょっと面白い記事があったので紹介する。どこがおもしろいって、NHKのごちそうさんに登場した「焼き氷」を出すお店があるのだそうだ。もちろん大阪。とっくにご存知の方にはごめんなさい。

 
 
      
GIGAZINEという、さまざまな面白いネタを拾ってくるサイトに出ていたものだ。「焼き氷」、東京にもどこかで出さないかなあ。
とにかく明日は日曜日なので、何とか教会にいけるように今日はこれで終わりにさせていただきます。
 
パソコンのほうも具合が悪くてうまく出てくれません。IEが怒っているので。
 
 
 
 

2013年12月27日金曜日

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グレーテルのかまども風の谷のナウシカも

 
テレビではあまりアニメを見ないのだが、ジブリ作品となると別だ。もう何度も見ているのにテレビの放映があればたいていまた見てしまう。

今日は日テレで久しぶりの「風の谷のナウシカだ。だが金曜日のこの時間9時半から10時ちょっと前までという時間は、NHK Eテレで、グレーテルのかまどもある。こちらも好きな番組だ。キムラ緑子さんがかまどの声とわかってはなおのこと見たい。以前はオンデマンドで再放映が見られたのだが今はそれがなくなったので、残念ながらテレビで見るしかないのだ。

というわけで、考えたあげく、一部分30分くらいは欠けても何度も見てストーリーはわかっているからグレーテルのかまどもナウシカも両方見ることにした。実を言うと最近のPM2.5の被害のニュースを見るたびにナウシカの世界を連想するのだ。すぐ近くの国同士が余り関係のよくない今のこの世界にはナウシカも現れる様子もなさそうだが、それでも何かを考えさせられるではないか。

国同士が協力しあう代わりに敵対しあう世界に未来はあるのだろうか。ただのアニメ映画を見て深く考え込んでしまう。マ、最も聞くところによると、敵対したほうが何かと都合のよい人たちもいるとかいないとか。何のことはない10代のころに夜中に勉強の傍ら聴いていた昔のフォークソングの世界は今でも続いているらしいのだ。しかも、その辺を深く掘り下げると、悲しいことに、誰もが食べていくためにそうするしかない現実が見えてしまう。

誰も戦争など望んではいないのだ。ただ大勢の人が食べていくためにそれしかないからいろいろな問題が起こってくるのだ。多分、真の神様はそういうことのすべてを通して、一人一人の人を試し、訓練しておいでなのかもしれない。何が本当によくて、何が悪いのかは、永遠の光に照らされて初めてはっきりするのだろう。

その時代に生まれて生きてそこで出会うすべてのことは、一人一人には時には納得が行かないとしても、神様のご計画の中では必ず何らかの意味があるのだと思う。どんな巨大な天災も戦争死などの人災も何の意味もなく起こるのではないと思うのだ。



2013年12月26日木曜日

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曇りのち雨の日

 
こんばんは~、マリーで~す。

うちのおばはんときたらもう、なんかやたらに機嫌が悪くてさあ、いくら風邪も治らなくて歯も痛いからってなんでもかんでもあたしに投げなくたっていいじゃないよねえ。おまけに今日はあたしにはさっぱりわからない面倒な話の後じゃないの。靖国がどうたらこうたらの後ではいったいどういう話をすればいいのよ、まったく困るんだわさ。

もうこうなったら、あたしはあたしの話に切り替えますからね。あたしはそんな面倒な話はお断りよ。もっと面白い話のほうが好きだもんね。

さっきあの人、ちょっとyoutubeを見てたけど、相棒のお正月スペシャル版の撮影シーンとか出てたの。でもビデオを撮った方が音量を間違えたらしくて音があんまりよく聞こえないんだけど、だいたいのところはわかったのね。水谷豊さん、演技もいいけど、現場のみんなが気持ちよく仕事ができるようにこまかく気配りしているところ、本当にえらいなあって思っちゃった。うちのおばはんみたいに自分の仕事をあたしに押し付ける人とはまるで違うのよねえ。

ほんでもってその撮影現場のシーンを見たらもう今から元日の夜が楽しみよ。相棒ってただのドラマっていうより、脚本から音楽から一人一人の俳優さんたちの個性から全部が絡み合って、見ている側にも本当に面白いんだわ。

今さあ、あの人、アメブロのほうじゃ組対5課の大木役を演じてる俳優さんのブログを毎日見てるのね。どうしてかって言うとその俳優さんが日経のSNS以来のお友達の群馬県人さんとお友達だったからなの。どこでどうつながっているか本当にわからないものよねえ。アメブロとbloggerはこのメインブログが時々具合が悪くなるから用心のために同じものを転載しておいてあるんだけど、今日の面白くない話は向こうには出さないみたいよ。あたしは出したっていいと思うんだけどなあ。

でもとにかく、今日はこんなところかしらね。あんまり長くなってもしょうがないからこのへんでおしまいね。ほんじゃまたね。









靖国参拝 とりあえずこんなことをどこかに書き込んだ


 
※ ある方の意見への応答です。

そうも思わないが、靖国の問題が単純ではないことはよくわかっている。だから本日より安倍(さんもつけない)はフォローも応援もしない。(つもり)

 怒っても仕方がないけれど、とにかく物事は何事もよい面と悪い面があるので、一面的に安倍に反対とはいいませんが、これは今後の日本の方向にものすごく響く出来事だと思います。尖閣諸島の問題、沖縄奄美周辺、簡単ではないですよ。歴史的な経緯を考えると中国、韓国が手を出してこないともいいきれないのです。だけど靖国は困る、絶対まずい。今の日本の若い人たち、全然物を考えないのはどうしてなのでしょう。

あ、これは今の私の本音です。自分のところにも出しておきます。

寒気がしてしまいます。

ほんとですね。あれでもカトリック信者

人間の複雑さ、面白さですね、麻生さんでそれでは、若い人たちは結局昔を経験していない、実際を見てきていないからでしょうし、文句を言っても仕方がないかなあ。この先、日本が大地震や火山噴火に巻き込まれずにすめば安倍の賭けもそれなりかもしれないし、いずれにしてもこちらはおばば化していく世代で、この先大変なのは若い世代。そして子供たちですよね。



2013年12月25日水曜日

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大恐竜展

 
天気予報では明日は残念ながら午後は雨になってくるらしい。一日晴れるようなら上野に大恐竜展を見に行くつもりだったのだが、どうも延期になりそうだ。最も開催は来年の2月23日までだからあせらなくてもよいのだが、来年の初めは内科から眼科、整形外科に歯科と定期的な医者通いが押していてどうも気持ちがおちつかないから年内に見ておきたいと思っている。

子供の頃に父が少年少女世界動物文学全集というのを全巻そろえて買ってくれたのが、どうも自分の動物好きの始まりになっているようなきがする。犬や猫は家にいつもいたし、食用だけど鶏やひよこも何羽もいた。しかし、恐竜への興味や関心はどこから来たのかよく覚えていない。ただ、昔の中山法華経寺の大きな本堂に夕日が落ちるのを見て、古代の巨大な生き物の背中に夕日が落ちる場面を連想して、だいぶ大人になってからそれを物語りに取り入れた。

人類などまだ地球の片隅に生きるちっぽけなねずみほどの大きさの生き物だったころに地上を闊歩していた今はこの星のどこにもいない巨大な生き物たちのイメージというのはなぜか心を惹かれるものがあるのだ。ジブリのかぐや姫の物語ではないけれど、今あることは昔あったこと、めぐりめぐってまたこれから先にも起こること、というわけで人類の未来が恐竜の運命に重なって感じられてくる。人間という存在の小ささを教えられるのだ。

年内に出来れば見に行っておきたいものだ。チケットだけはちょうど安く手に入れたのですでに持っている。

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喜びも悲しみも

 
クリスマスおめでとうございま~す。マリーで~す。

今夜はクリスマス・イブ。あと1時間で本当にクリスマスよ。うちのおばはん、お昼ごろは四ツ谷のイブミサに行って、一回家に戻ってから夜中に吉祥寺に行こうかな、とか考えていたの。ところがさ、四ツ谷で思いがけなく古いお友達に出会っちゃって、帰りに一緒にお茶を飲みに行ってお互いにちょっと話したのね。それでお友達の近況を聞いてなんだか今夜はもう出かける気がしなくなっちゃったのよ。

だってさあ、その人、去年の今頃は末期癌だったけどものすごい大手術を受けて助かったばかりだったの。それから1年で今日は再発して今は11日おきに抗癌剤治療で入院と退院を繰り返しているんだっていうのよ。うちのおばはんだってショックよ。お父さんのときのことや、日経新聞の知り合いのときのことがあるから、心配はしていたんだけど、それでもあんまり考えたくなかったのよね。でもやっぱりだったんだもん、なんか気持ちが落ち込んじゃったみたいよ。

このお友達はうちのおばはんより歳は上なんだけど、お互いにすごくよく似ていてそれでいて正反対っていう面白い関係で、お互いに引き付けあいながら、反発しあったり、競合関係だったりっていう、それだけ表面に見える以上に深い関係のお友達なのよね。彼女のほうは多分まだ1年くらいは生きられるんじゃないかと思うとかって自分では言っていたけれど、人間の生命って本当のところ誰でもいつどうなるかわからないんだものね、当人が思っているほど時間があるかどうか、逆にもうちょっと長いかもしれないし、こればっかりはわからないのよね。

抗がん剤治療を28回も受けていてまだ生きている人は初めてだって病院で言われたんですって。それだけあちらは元々が頑健な体質なんだけど、それでもいつかは限界が来ちゃうでしょうし、そんなことを思ったらうちのおばはん、いつもの年のように単純にクリスマス気分じゃなくなっちゃったらしいわ。

自分の妹のほうも病気のことはまだ詳しい話をきいていないし、なんだか切ないのよねえ。先のことばかり心配しても仕方がないんだし、せめて今元気に生きている人たちがみんな毎日を喜んで生きられますようにって心から祈ってたわよ。

人間て本当にへんてこりんだわ。たった1日のうちに喜んだり、悲しんだり心配したり全然気持ちが定まってないんだもん。あたしだってつきあうのは大変よ。これで多分明日はまたけろっとしてるのが目に見えるようだわさ。まあ、いいけどね。明日は明日にまかせて今日はここいらでおしまいにするわよ。明日がみんなによい日でありますように。ほんじゃまたね。


2013年12月23日月曜日

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12月23日の夜の11時すぎた

 
こんばんは~、マリーで~す。

ほんと言うと、うちのおばはん、全然風邪が治らなくてさあ、今日も沈没したまんまだったんだけど、あと1時間で12月24日だって気がついて起きだしてきてパソコン開いたから、あたしも手伝ってるの。明日もあの人、これじゃ夜は無理だから咳止めのんで四ツ谷の一番早い時間のミサにいくつもりみたいよ。

さっき、せめて馬小屋の写真くらいは撮ってこようってカメラの電池の充電もしてたわよ。いつもだったら夜遅くの馬小屋を見てるのに今年はどうもそうはいかないから仕方がないって、ぶちぶちこぼしてたわ。そんな状況だから今日はわるいけどまた借り物の写真で我慢してね。


         


あの人、猫好きだからふかふかの毛並みのこのにゃんこが気にいったのよね。抱っこしたら天然
のマフになりそう。

2013年12月22日日曜日

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風邪ひきだけど気分はのんびりモード?

 
こんにちは、珍しいでしょう、昼間からマリーで~す。

町も教会もクリスマス前で賑わってるし、日曜日だからパソコンを開けば、うちのおばはんのSNSのお友達もみんななんとものどかな雰囲気よ。このところ、ローズさんが口火を切って寒いときにおいしい、チャウダーのはなしがあっちにもこっちにも出てきてるけど、今日は福岡に単身赴任中の日経の方がすっごくおいしそうな牡蠣のチャウダーの話を書いていて、あんまり貝類は使わないうちのおばはんも、一番簡単なアサリの缶詰で試してみようかなんて思ったみたい。

お家でちゃんと臼と杵でお餅つきをしている写真をアップしたお友達もいるし、暮れだから片付け物の整理の話もあるし、どこを見ても本当に年末って感じだわさ。もっともうちのおばはんは風邪が治らなくてお家でおとなしくしてるんだけどね。だいたいあの人、油断しすぎよ。今年はものすごく暑い日が続いてたからって冬物を出すのも遅れてたし、薄着のままだったし、もう12月も終わりだっていうのによ。だから風邪ひいちゃったんじゃないの。

これじゃ、たぶん明日は出かけるのは取りやめかもしれないけど、とりあえずは今夜は相棒Xdayを見たらさっさと寝て明日早起きできるようにって、この時間からあたしに手伝わせてるのよ。まったく物見高いというかなんというか。

それはとにかく、今夜の相棒Xdayって、たしかうちのおばはん映画館にも2回見に行ってるのよね。1回じゃ、ストーリーを追うだけで全体がよくつかめなかったからって、あたしもお供で一緒に行ったのよ。ほんでもってあの人、これはとんでもない話だってすごくショックだったみたいなの。あれから少しは時間がたってるけど、日本の状況自体はそれほど大きくは変わっていないし、怖いなあって思ってるみたいよ。

何が怖いのかは自分で今夜のテレビを見てね。秘密法案にも何もこれから来る時代のことから目をそらさせたいのかもしれないとか思っちゃうわ。これから先の若い人たち、本当に大変だわ。
何をどうしたらいいのか、みんなで考えなくちゃいけない問題だと思うんだわさ。なんたって今の日本の国の借金がどうなってるか、ちゃんと忘れずに考えてる人ってどれだけいるのかしら。高齢社会の行き着くところって、多死と人口減少よ。税金を払う国民が減っていけば国の借金の問題も大変なことになっていくわよ。

「相棒Xday」面白く見ながら、考えさせられること請け合いの話よ。ぜひもう一度見てちょうだいな。ほんじゃまたね。


2013年12月21日土曜日

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待降節第4週の土曜日

 
こんばんは~、マリーで~す。

うちのおばはん、やっぱりまだ昨日の風邪が治ってなかったみたいよ。夕方の聖歌隊に行ったは行ったんだけどさ、歌っていてちゃんと声がでないの。それこそ喉が痛いし、声がぶれちゃったりして、最後にはあの人、どうしようもないから声出すのやめて口パクでいくのかと思ったら、なんといきなり喉に楽な低い地声で歌っちゃったのよ。このところ、聖歌隊の歌は4声じゃなくてユニゾンだから、風邪ひいてると、もともと女性でも低いほうの音のほうが楽々と出るあの人にはソプラノの高音は苦しくなっちゃったんだわさ。

傍にいたソプラノの人がびっくりして振り向いたわよ。指揮者もあきれたんじゃないかしら。

いつだったかSNSのオフ会(三金会っていうのだけど)で最後にカラオケに行ったとき、あの人が思いっきり低い地声でタイガースの応援歌の六甲おろしを歌ったらみんなびっくりして変てこな顔をしてたっけ。女性らしい声なんてあの人には縁がないのよ。ほんとにひどいドラ声。

とにかくどうせ今年は喉の調子もよくないからクリスマスは下の会衆席で聴くほうに回るって言ってたから、風邪ひいてても心配はないけどさ、地声はないでしょう、地声はさあ。

でも、なんだかんだといっても、今日はとうとう祭壇の待降節のロウソクも4本とも火が灯って、教会の庭の馬小屋もあとは赤ちゃんのイエス様を待つばかりよ。来年はいろいろと動き出さなくてはならないし、あの人にももっとちゃんとしっかりしてほしいわ、本当によ。

今日は土曜日だから、あの人、このあとまたNHK番組の妄想ニホン料理を見るつもりなのよね。しょうがないからこのへんで終わりにするわね。ほんじゃまたね。


2013年12月20日金曜日

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東京にも今年初めての雪が降った日

 
こんばんは~、マリーで~す。

今うちのおばはん、NHK Eテレの「グレーテルのかまど」っていうちょっと面白い番組を見てたのよね。ほんでもって何の気なしに出演者の配役を見たら、かまどの声の役の人って、なんとキムラ緑子さんだったの。びっくりよ、もう、ほんとに。全然気がつかなかったもんねえ。「ごちそうさん」では和枝さんの役を演じてる女優さんよ。うちのおばはん、ずっと気に入ってた女優さんだったんだけど、これはやっぱり思ってたとおりうまい女優さんだったってすっごく褒めまくっちゃってたわ。

宮崎美子さんもいい女優さんだけど、キムラ緑子さんはなんか独特の雰囲気があって演技も好きだったけど、声だけの演技でもこんなに見事に演じ分けてるんだもの、たいしたものよねえ。まさか、かまどがキムラ緑子さんとは今日の今日まで気がつかなかったってあの人、驚いてたわ。

あの人、今日は昨日の寒さのせいか、朝からなんとなく風邪っぽくて頭も歯も痛いって、どこにも出かけなかったの。でもそれで正解だったみたい。都心は霙や雹も降ったみたいだし、東京西部もやたら寒くて出かけてももっと調子が悪くなるだけだったと思うもんね。

そんなわけで今日はたいしたは話題もないから、アメブロのお友達でアメリカにいる80歳をすぎたトーマスさんという方が紹介していた映画、日本ではあまりまだ知られていないみたいだからここでも紹介しとくわね。トーマスさんはカトリック信者で、今はアメリカに帰化してるけど、日本語を忘れないためにも、日本語で日記をつけてる方なの。先生をしていた方なのよ。
 
 http://www.mother-son.jp


これが映画の紹介。トーマスさんのところにはもうすこし細かいことも出てるわ。

 http://ameblo.jp/thomas-penfield/entry-11731642031.html

今日はうちのおばはんも早く寝たほうがいいと思うからこの辺でおしまいにするわね。ほんじゃ、またね。

  

2013年12月19日木曜日

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今日の旧約はサムソンが登場していた

 
昔々、子供向けの物語で聞いた旧約聖書に出てくるサムソンさんは、力の強い英雄なんだけど、女性に弱くて悪女のデリラに騙されて目をつぶされてしまう、ちょっとお馬鹿な英雄のイメージがあるのだが、今日、久しぶりにまじめに聖書朗読を聞いていたら、思わずはっとさせられてしまった。今日の聖書はサムソンのお母さんのはなしだったのだが、結婚していてもいつまでたっても子供が生まれなかった不妊の女性だったお母さんに子供が生まれ、その子は、生まれる前から神様のものだった。

サムソンは大きな失敗もするけれど、もともとはお母さんのお腹の中にいたときから、神様に捧げられた人、選ばれた人だったのだ。サムソンの人生の失敗も全部ふくめて神様はこの人をご自分の道具として使われたのだ。サムソンの人生も新約のさきがけだったのだ。

日本人のこちらは旧約のナジル人のような特別な存在ではないけれど、でも生まれてきて生きていること自体は、やっぱりひとりひとり、何かの思し召しがあってこの世に生まれてきたのだと思うし、だとしたら何か自分に与えられた役目のようなものもあるはず。それがどういうものなのかわからなくても、生まれてきて生きているのは何か意味があるからだろうと改めて思う。

英雄サムソンでもデリラにだまされてひどい目にあったり、最期は自分の命もすててペリシテ人の神殿を打ち壊す、そんな人生全部ふくめて神様のものなのだ。としたら、もしかして我々のごく平凡でなんということもない人生でさえも、実は全部全部神様からのものなんじゃなかろうか。つまらない出来事のように思えることも深い部分では大きなことなのかもしれない。

うまく表現できないが、たぶんつまらないこととか、どうでもいいことというのはどこにもないのかもしれない。



餃子の王将

 
今朝起きて、パソコンを開いたときは驚いた。猪瀬辞任のほうは天気予報と一緒にタブレットで先にニュースを見ていたからわかっていたのだが、餃子の王将の文字と銃撃の文字が頭の中で結びつかず、一瞬意味がわからなかった。

だって餃子の王将といったら、日経のSNS以来の知人たちから教わった安くて美味しい、しかもサービスも品質も良い、非常に良い店というイメージしかないのだ。たしか某調味料関連の会社の知人は営業だけれど、若き日を王将チェーンで、仕事全般の初期訓練を受けたのではなかったかしら。そんな話も覚えているので、かなり信頼感を持つ会社だから驚いた。

銃撃って、ここは日本だからやたらな人間は銃砲所持は簡単には出来ないことになっている。まあ福岡とか、銃砲どころか、手投げ弾が落ちていたりする地域もあるようだが、普通は警察や、自衛隊、そしてやくざ屋さん(広域暴力団ともいう)に、たまに狩猟関係くらいだろう。一体全体、何事だろう。

とにかく早く解決してくれないと気分が悪いはなしだ。


2013年12月18日水曜日

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寒い寒い

 
こんばんは~、マリーで~す。

今週と来週は水曜日でも相棒の放送がないし、もうすぐクリスマスにお正月で、なんかうちのおばはんも気持ちだけは忙しいみたいよ。あたしに年内はいつもより少し多めに手伝えって言うのよね。そんなこと言われたっていつもとおんなじことしか出来ないわよ。

あの人、先週髪をカットしていつものベリーショートにしたばっかりだから、今朝起きたら頭のてっぺんから寒さがグーンとしみこんできたらしいわ。なんたって今日は東京も雪とかみぞれだとかってニュースで言ってるくらいだから相当寒いんじゃないの。さすがのあの人もこの季節は水仕事をすると手はガサガサになるし、顔も洗いっぱなしだと粉を吹いちゃうのよね。うちのおばはんて、本当はクリームとか軟膏とか、べたべたするものを触るのが嫌いで、つい数年前まで冬でも手にも顔にも何にもつけてなかったら、いくらなんでもひどいことになってきて、仕方なく荒れ肌対策のクリームや軟膏をぬりたくるようになったのよ。

もうケラチナミン軟膏やモイスチャークリーム無しには、お顔もおててもガサガサ。ひび、あかぎれ、しもやけでひどいの。何でそうなっちゃうかっていうと、あの人、手袋って物が嫌いなのね。生まれつき両手の小指だけが普通より細くて短くて、それで手袋をすると、すごく手の動きが悪くなるもんだから寒くても冷たくてもビニール手袋でさえしないからますますおててはガサガサってわけ。まったくさあ、当人はよくても汚い手を見る回りの人のことも考えなくちゃねえ。

寒さには本当にかなわないけど、それでももう来週の火曜日はクリスマス・イブよ。今日の昼ミサでイエス様を育てた聖ヨゼフのことを聞いたんだけど、聖ヨゼフってすごく偉い人なのね。自分のいいなずけだったはずのマリア様の身に起こった有り得ないはずの出来事を、天使のお告げを信じて受け入れて、自分は一生裏方の役目に徹してマリア様とイエス様を守って終わった方よ。それで、ヨハネ・パウロ二世教皇はこの方を救い主の守護者って呼んだのだし、今のフランシスコ教皇はカトリック教会の保護者って呼んでるんだわ。大聖テレジアはこの聖ヨゼフを本当に大切にしていたんですってよ。自分は表に出ることも無く、裏方でマリア様とイエス様を守って一生を終えた聖ヨゼフの姿ってたしかに祈りの生活をしている修道会の姿に重なる感じでしょう。

教会のお庭の馬小屋にも、もうじき赤ちゃんのイエス様がおいでになるんだわ。まだ飼い葉桶は空っぽなのよ。馬小屋自体はあらかた完成しているけど、24日の夜中の0時すぎに赤ちゃんのイエス様のご像を安置して本当に完成するんだわ。最もたぶん24日の明るいうちにご像を置いちゃうと思うけどさ。教会中みんな忙しい日なんだもん、しょうがないかな。あの馬小屋の中で、赤ちゃんの傍で、三人の博士たちより目立たない姿で毎年そこにいるのが聖ヨゼフよ。だけど本当はそこにいて赤ちゃんとマリア様を守っている一番大変な役目を果たしてるんだわさ。それどころか、誰にも気づかれないときにもイエスさまの教会を守っているのよねえ。

長くなっちゃったから今日はここでおしまいよ。ほんじゃまたね。

※ お知らせ なんと今度の日曜日の日曜洋画劇場で「相棒Xday」放映です!!


2013年12月17日火曜日

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パイナップル

 
今日は帰りに阿佐ヶ谷に寄って買い物をしてきた。ついでに駅前に出ていた露天の八百屋でパイナップルも2つ買ってきた。フィリピン産でDoleのスウィーティオの札がついている。でも本物かどうかは食べてみなければわからない。

パイナップルは死んだ父が若い頃戦争で南方に行っていたので、そこで覚えたというパイナップルの実のカットのやり方を私も教わったから、割合簡単に切り分けて食べられる果物なのだ。皮のむき方の手順を知らないとどう食べていいのか、わからなくなる方もいらっしゃるらしい。

父や父の戦友の方たちは本当に仲がよくて、毎年戦友会を開いて集まり、父の葬儀のときもはるばる参加してくださっていたのを今でも覚えている。保守王国千葉県人だし、どちらかといえば右よりではあるのだけど、実際に戦争に行った父たちは決して戦争を是とはしていなかったのもしっかり覚えている。中山の法華経寺の参道沿いにある、父の幼馴染の一人だった方のお墓を見ると、いつも仲良しの友達だったんだよと言っていた父。

日本の国がこの先どういう方向に行くのか、さすがに心配になってくる昨今、パイナップルの味を味わいなおそうと思う。

とはいえ、物事の良し悪しはそう簡単に決められないのもたしかだ。とにかく、しっかりと方向性を見定めながら行くしかない。

2013年12月16日月曜日

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月曜日はだれ気味

 
こんばんは~、マリーで~す。

ほんとはさあ、あたしの出番じゃないはずだったのに、うちのおばはん、ブルーマンデーって言うのかしら、月曜日のせいか朝からだれちゃってて全然役立たずになっちゃってるのよねえ。しょうがないからまたあたしが出てきたんだけどさ、あたしだって月曜日ってなんか気が乗らないのよねえ。

あ、来週の月曜日は別よ。天皇陛下のお誕生日じゃ、そんなこと言ってちゃ失礼よね。だけど、普通の月曜日ってどうしてこうやる気が出ないのかしらねえ。

金曜日の夜は一番調子がよくて土曜、日曜は元気いっぱいなのに、どうして月曜日の朝ってこんなにやる気が消えちゃってるんだか不思議でしょうがないわ。うちのおばはんなんか今は会社に勤めてないのに相変わらずいまだに月曜日はやる気がしないみたいよ。どうなっちゃってるのかしら。

そんでも何とか四ツ谷の昼ミサに出かけて、動き出してやっと少しはエンジンがかかってきたかと思ったんだけど、どうも今日はもうこの時間になったらもうだめって感じなのよ。やる気スイッチが早々と切れちゃっててお休みタイムみたいなのよ。まったくさあ、人に仕事を押し付けておいて調子がいいというかなんというか、あたしだってお休みにしたいのにさ。あたしに後は任せるって言われてもこっちだって困っちゃうんだけどなあ。

しょうがないからこのあいだうちのおばはんのお供で、教会の案内所やサンパウロやドンボスコって言う、キリスト教関係の本とか聖具、つまりご像とかおメダイやロザリオなんかを扱ってるお店を回ったはなしでもしようかしら。面白いなって思ったのは、ロザリオにも流行とか最新型みたいなのがあるのよね。ことしは木玉を糸で編んであるのが多い感じだったわ。

だけどあの人、去年、まだこんなにいろいろ出ていない頃に、木玉のブレスレット型ロザリオと、ネックレスになるロザリオを買って持ってるから今年は何も買わなかったのよね。ネックレスになるロザリオはそのままではさすがに気が向かないから、十字架は取り外してその代わりにカルメル山の聖母のおメダイに付け替えて、ほんとのネックレスにしてあるのよ。司祭に祝福していただいたものじゃないから自由に作り変えても別に構わないわけだもん。

あの人に言わせると、木玉は軽いし、糸で編んであるからうるさい音も出ないし、プラスチックほどあからさまに安っぽくもないからお値段の割りに、そんなに悪くないんですって。でもほんとに丈夫で長持ちするのはプラスチックの100円ロザリオと長崎編みって言うすごく手のかかる手編みのロザリオみたいなのよね。

ベールは必要だとか必要でないとかいろいろな意見があってどうも気に入らないって、うちのおばはんは全然被ろうとしないし、万一、今のフランシスコ教皇様がベールはあったほうがいいとおっしゃるなら仕方がないから被るけどそうでなければべーるなんていらない派なのに、どうしてロザリオのほうは手放さないんだかほんとに不思議だわさ。

やっぱりさあ、あれはマリア様につながるものだからかしらねえ。ほんとにすっごく不思議よ。

でもこの辺になると長話になっちゃうから今日はここいらで止めとくわね。ほんじゃ、またね。



2013年12月15日日曜日

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そろそろ

 
こんばんは~、マリーで~す。

今日は一日中やたらに寒かったわよねえ。どおりで、今うちのおばはんがお天気ニュースを見たら都心でも今日は今までで一番寒かったらしいわよ。あの人、ただでさえ寒いのには弱いからアメブロの亮子さんのとこのにゃんこのレオ君とおんなじになっちゃってたのよ。ストーブから全然離れられないの。

ほんでも夕方になったら、なんか体の暖まるものが食べたいって、台所でがたがたやってたけど出来上がってきたのは何のことはないまたあの人の好物のシチューだったわ。今月三回目じゃないかしら。この前、牛乳を普通より多めに入れたら味がやわらかくなってぐっとおいしくなったって今日もまた牛乳たっぷりなのよ。

年齢的に骨密度に気をつけといたほうがいい世代だから、カルシュームを摂るのに乳製品は欠かせないんだけど、あの人、牛乳に弱くて、牛乳だけ飲むとお腹ピーピーになるから、いつもヨーグルトにしてるんだけど、牛乳もお料理に混ぜると大丈夫なのよね。だから生だったらのめない牛乳でもシチューにはいっぱい入れてるってわけ。

そんでもって今この時間、何をやってるのかって言うと、テレビで吉永小百合さんの出てる映画を見てるわよ。そうそう、その前は、今年ももうそろそろかなって、ノーラッド・トラックス・サンタのサイトを見てたの。毎年、今頃になるとクリスマスにサンタさんの行方を追いかける準備をするんだわさ。お子様並みかもね。

でも世界中で同じものに心が向かうのってなんか夢があっていいと思わない? あの人、このサンタさんのサイトが大好きなのよ。
     http://www.noradsanta.org/

今年もまた、イエス様がお生まれになった日には世界中の人がそろってみんな平和に過ごせるようにってことなのかしら。そうなってほしいわよね。

今日の話はこんなとこかなあ、ってことでおしまいにするわよ。ほんじゃまたね。

2013年12月14日土曜日

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しょうがないなあ、家のおばはんときたら

 
こんばんは~、マリーで~す。

今日は土曜日で、夕方のミサは主日のミサだから、うちのおばはんも足腰以外は今のところひどい咳も出なくなってるし、これなら大丈夫だろうって、このあいだからまた聖歌隊に歌いに行ってドラ声を張り上げてるのよ。ほかの人の邪魔にならないことを願うわ。ほんでもまあ、ちゃんと教会に行ってるって事はこの冬は寒いけど今のとこ、あの人、体調はまあまあいいみたいよ。軽い風邪くらいですんでるのよね。

で、二階の聖歌隊席から下の祭壇を見たら今日の三本目のロウソクの色はピンクだったの。神父様の説明ではピンクは喜びの色なんですってよ。クリスマスがすぐ近くまできたっていう喜びみたい。なんたって今日はもう教会の庭の馬小屋もかなり出来上がっていて、飼い葉おけの赤ちゃんがいないだけくらいになってたもの。だけど、家のおばはんの隣にいた人たちが、この馬小屋の赤ちゃんのイエス様って何度も盗まれちゃったのよって、物騒な話をしていたの。まったくこのごろの時代ときたら教会の馬小屋のイエスさまでも盗まれちゃう罰当たりないやな時代なのねえ。そんな話で喜びが半減した気分にはなったけど、それでもピンクのロウソクの意味は変わらないんだわさ。

あ、いや、それよりこれってもしかして、教会の庭でさえクリスマスの赤ちゃんのご像が盗まれちゃうくらい、この世は光と闇、善と悪がごく近いところで交差しあってる世界だってことも教えてるのかしらね。そんな複雑でわけのわからない世界にもあの赤ちゃんはそんなんでもいいからって来てくださったのよね。やっぱりこれは喜んでいいことみたいだわ。

とにかく今日はそんな土曜日だったのよ。あの人、まだこれからNHKテレビの妄想ニホン料理を見るつもりみたいだから、もう今日はこの辺で終わりにしとくわね。なんかそっちのほうに気持ちが行っててこれ以上話が進まないみたいだしさ。

そんなわけで今日はおしまい。ほんじゃまたね。

2013年12月13日金曜日

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かぐや姫の物語見てきました

 
正直これは若い方々に理解されなかったとしても不思議はないだろうなあと思いました。

私は一神教のキリスト教カトリックの信者ですけれど、日本人ですから先祖代々の血縁地縁では古い神道的な感覚も仏教的な感覚もしっかりと受け継いでいるのを自覚しています。その感覚が教えてくれるところでは、はじめの『まわれまわれ・・・』と歌いだすわらべ歌は、自然と日本の四季の移り変わりや、仏教の輪廻転生を連想させられるわけです。

この映画が語っているのはかぐや姫の運命と言うだけでなく、私たちひとりひとりの誕生に始まる一生であり、生と死の移り変わりのように思います。だから見終わるとなんとも言いようのない悲しみがひたひたと心に押し寄せてくるのです。でも同時にそれが終わりではなく、より大きく言えば地球の歴史、宇宙の歴史の中でこれまでにも何度も繰り返されてきたことなのを思い出すのです。

それはあのわらべ歌や主題歌にも現れているように思います。

それで終わりとなると、ではキリスト教は何なんだということになりそうなので、多少つけくわえます。キリスト教はというか、キリストはこの生と死の移り変わりの繰り返しを断ち切るためにこられた方だと思います。
  
 四谷の雙葉の修道院の受付にはこんな手作りローソクが置かれていました。これは心に溢れてくる悲しみを消し去る灯火ではないでしょうか。
 

2013年12月12日木曜日

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救世主の到来を知らせる者、それと無関係にジブリ

 
あっというまに12月も半ばに近づき、今度の日曜日には待降節の蠟燭は3本めも火が点る。今日は木曜日で聖書の集いのある日。今日の聖書の箇所にはまた洗礼者ヨハネが登場だ。新約はおろか旧約聖書には殆どあまり縁のない普通の日本人だったら、洗礼者ヨハネといってもどういう立場のどういう人なのかもわからないことが多いような気がする。

でもこの人物の役割は実はとても大きい。今日のテキストはそのへんだ。でも、今日はここではそれは書かない。もし興味のある方は実際に教会に行ってみていただきたい。せっかくのクリスマスの季節だし、ぜひ、ぜひ、どうぞ。

で、今日はこの先はこの間からの続きでかぐや姫の物語以来のジブリの話を続けさせていただきたい。これは黙っているとどうもこちらの気がすまないのですな。

このあいだから別の場所には出していたのだが、こちらにはまだだ。そのまま転載する。あ、信仰の問題とアニメの話とどう関係するのかといわれれば、どちらにも共通するのは、ひとつのことを全力で追い求めていく情熱だと思う。ジブリの人達の情熱を見習って、こちらはキリスト教を追い求めて行ったら、相当なことが可能になるような気がするのだがどうだろうか。


※ 文体が変わるのはお許しあれ。

年内の相棒も終わったのでもうひとつの課題ジブリのこと、メモ

最近こちらはサボっていますが(動画のほうばかり開いていて)、まだまとまっていないブログ用の記事のメモを置いておけるのはここだけなので、ひさしぶりに。(実はこれ別の仲間内のSNSには出してあるのでこういう書き出しです。)

『 先日、スタジオジブリの人々を描いたドキュメンタリー、夢と狂気の王国を見ていらい、ジブリを作り上げた人たちのすごさに感動しています。宮崎駿氏などはすでにもう今後のジブリは衰退していくとみているようですが、それはそうかもしれません。

 自分でも、たいしたこともない創作を書いたりして、無から有を作り上げていくことの大変さはわかります。今のジブリがあるのは創造性と実行力を兼ね備えたスタッフが首をそろえているからで、この先はたしかに宮崎さんや高畑さん、鈴木さんのような巨人はそうそうでてくるはずもなく、後はないかもしれません。

しかし、ジブリというこの集合体のこれまでの活動の記録はもっと世に知られてもよいのではないかと思えます。夢と狂気の王国では出てこないものが、youtubeの鈴木さんのジブリ汗まみれを見るとわかってきます。こちらは声だけですけど、youtubeだけではもったいない気がしてなりません。こういう人たちがいたんだよ。こういう人たちがあのすばらしい作品を作り上げてきたんだよ、と声を大にして知らせたい気分です。

 風立ちぬと、8年もかけてやっとできあがったかぐや姫の物語、これはちょっとやそこらの作品ではないし、この2作はさらに多くの方に見ていただきたい、それだけの内容のある作品だと思うのです。 個人的にえらく感動してしまった結果がこの記事です。』


 以上、あと年内の大きいテーマは教会関係だけみたいです。


2013年12月11日水曜日

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昨日の相棒のおまけ

 
相棒fanさんのところのコメントを見てもやはり昨日の相棒は出来がよくなかったようだ。1時間に無理矢理押し込めるには本当は深すぎる、大きすぎる内容だったのだと思う。輿水脚本がつまらない内容の筈はないと思うのだ。どう考えても時間枠が短すぎたとしかおもえないのだが。



これだから甘くは見ていられない

 
今日は水曜日。相棒のシリーズ12-9、年内最後だ。どんな話が出てくるかと固唾を呑んでテレビを見ていると、出だしは向島芸者殺人事件だった。殺された女性がカイトくんの小学校のときの同級生で将来の結婚を約束した幼い初恋の相手だったことから話が進んでいく。

彼女の過去を調べれば調べるほど話は思いもよらぬ方向にいくようだ。彼女の交際相手も問題だ。そして右京さんが何をつかんだのか、カイト君に向かって言う奇妙な言葉。『君は愛する人のために人を殺すことが出来ますか』。

殺されるまでの彼女の驚くような変貌をとげていたその実際の姿。そして彼女を本当に気に入ってくれていたご贔屓客や、悲しい愛を捧げた男。この話は一話分の時間で終わらせるにはもったいない話だったと思うが致し方ない。時間の制約で描かれなかった部分は各自の想像力に任せられているのだが、そこが実に重いのだ。人間性というものの深みを感じさせられるようなドラマであった。 

それはとにかく、年度内の相棒の放映は今日でおしまいで、次回は来年の1月1日、元日スペシャルで、夜9時から11時半まで。ゲストもなかなかで宇崎竜童さんや中村橋之助さん、他。


2013年12月10日火曜日

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コショウ味の鳥焼き

 
こんばんは~、マリーで~す。

今日のタイトルなんか変だと思わない? 今、うちのおばはんがとんでもないことをやらかしたとこよ。今日は頭痛いから買い物も出かけないで、冷蔵庫にあるものを料理しようって、鳥の胸肉を塩コショウであっさり網焼きにしようとしたら、寝ぼけててコショウの蓋をとって肉に振り掛けちゃったのよ。コショウがドバッと肉にかかっちゃって、あの人大慌てよ。どんな味になるのかしら、興味しんしん。

これはもう跡片付けも大変よ、まったく間が抜けてるわよねえ。それでもお肉だから味付けの誤魔化しがきくからまだいいけど、この前なんか野菜スープで同じ失敗をしてコショウ味のスープになっちゃったのよ。さすがにせっかくのスープが半分以上無駄になっちゃったんだわさ。あの、コショウ入れの蓋ってもうちょっとなんとかできないのかしらね。うちのおばはんみたいなうっかり屋さんには危険よ。

お料理のほうは何とか食べられるものになりそうだって安心したみたいで、あの人、焼けるまでの時間つぶしにパソコンで明日の『相棒』の紹介を見て、明日の脚本も面白そうで楽しみだってのんきなことを言い出してるわ。また今度はパソコンに気をとられてお肉を焦がさないでよね。といってもコショウまみれで最初から黒くなっちゃってるか。

そんなこんなで鳥の胸肉が焼けたら、あの人、これなら今年はクリスマスも自分で鶏肉を焼いたほうがあっさりした味で油っ気もごく少なくてすむし、これでいこうかななんて言ってるわ。でもなんか面白いなあ、あの人、小さい頃、お家の庭にたくさん鶏やヒヨコがいて、昔のことだから、お客さんが来るとその鶏を料理して出してたのよね。それも今生きていた鶏が首をちょん切られて血が噴水みたいに噴出すのを見て大ショックで鶏肉が食べられなかったのに、おとなになったら、いつの間にか平気になってるんだものねえ。

せっかくのお肉になってくれた鶏さんや牛、豚、羊さん、お魚さんはおいしく食べてあげないとそのほうがよっぽど可哀相なのよね。だからうちのおっちょこちょいおばはんみたいにコショウをかけすぎたりしちゃだめだめだめ。ってこんなとこで今日のはなしはおしまいよ。ほんじゃ、またね。




メモ

 
昨日は朝から出歩いて流石に疲れてしまい、ブログを書かないまま寝てしまったので、とりあえず簡単に昨日の映画の感想だけ。ジブリ作品をいつも面白く見てきただけの観客の一人でしかないから、昨日の映画でほとんど初めてジブリの歴史、人間関係等を知ったわけだ。風立ちぬとかぐや姫の物語の創作の背景をちょっぴり覗いたおかげで新しい視点からこの二つの映画を見直すことになりそうだ。宮崎さん、高畑さん、鈴木さんはもちろん、ジブリの作品に関わっていらっしゃる皆さま方全員に拍手を送りたいと思う。


2013年12月9日月曜日

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ジブリ 夢と狂気の王国

 
おっはようございま~す。朝から出てきたマリーで~す。

うちのおばはんが他のは後回しでもいいから、この映画だけは見ておきたいって言うから、今日はさあ、午後は久しぶりに都心のシネコンで映画をみてくるわよ。他のはたいてい吉祥寺でも見られるんだけど、これみたいなのはよっぽどのところでないと上映してないもんね。えっと、スタジオジブリのドキュメンタリーで『夢と狂気の王国』っていうの。なんかすごいタイトルだけどさ、なんたって『かぐや姫の物語』に7年も8年もかけてるような会社よ。ちょっとこれは見にいかなくちゃ。今までの沢山のアニメだってどれをとってもすごいのばっかりよ。こんなのを作ってきた人達のこと、やっぱり興味がわくわよね。

あ、だけどこれは上映時間を確認しないで行くと大変なことになりそう。普通の娯楽映画と違って、行けば見られるものかどうかちょっとわからないわね。うちのおばはんのおしりを叩いて、ちゃんと確認してもらわなくちゃ。あの人、ドジだからせっかく出かけて見られなかったことも何度もあるのよ。

まあ、どっちにしても四ツ谷の昼ミサの帰りに寄るんだから、調べる時間はたっぷりだわ。あの人、シネコンの狭い座席で杖を下に落として下の列の人に探してもらった苦い経験があるから、シネコンはあんまり好きじゃなくなってるけど、こういうときはしょうがないものねえ。杖を落とさないでちょうだいね。

てことで、さてこの後は掃除洗濯、出かける準備だから、話は一応ここまでね。ほんじゃまたね。

2013年12月8日日曜日

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ジャック・スパロー見なくちゃ

 
こんばんは~、マリーで~す。

うちのおばはんたらさ、なんかまた風邪のひきかけみたいなのよね。寒くなるって予報が出てるのに油断するからだわさ。いつものことだけど、ほんとにしょうがないのよねえ。

夕べだってさ、夜はちゃんとねんねして朝仕事をすればいいのに、夜中の遅くまで起きてたりしたのがまずかったんだと思うな。あの人のやり方って、あれじゃ駄目に決まってるじゃないのよ。まあ、体重の多い分、体力はあると思うからそんなには心配しないけどね。たださ、寝不足は高血圧の人にはいいことじゃないのよね。もうちょっとやり方を考えなさいよって言いたいわ。

そんなんだから、わるいけど今日はもうこれから「パイレーツオブカリビアン」生命の泉を見たらさっさと寝てもらうことにするわよ。え、それも見なくてもいいんじゃないかって? それはだめよ、あたしも一緒に見るんだからいいっていったらいいの。その代わり、明日は早起きさせるからいいじゃないの。今年は曜日の都合で無原罪のマリア様のお祝いが一日ずれて明日になるんだし、ちょうどいいわよね。

あ、時間だから今日はここでおしまいよ。ほんじゃ、またね。


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「ぬた」

 
毎年12月8日は太平洋戦争開戦と無原罪のマリアさまが重なる記念日なのが、今年は日曜日と重なるので、無原罪のマリア様の日は月曜日になるのだそうだ。迂闊にも気がつかなかったのだが、帰りの電車で知り合いと一緒になったおかげでわかった。家に戻ってインターネットで中央協議会のカトリック教会のこよみでもちゃんと確認したから確かだ。教会のこよみは時々ちゃんと確かめないとこういうことがあるから面倒だ。

それはとにかく今日は土曜日。楽しみにしていた番組、妄想ニホン料理がある日。今日はスペイン人と台湾の人が想像でつくりだす「ぬた」。最近の若い子なら日本人でも「ぬた」がわからないかもしれないぞ。おお、最初に出来上がった「ぬた?」は雑炊みたいな「ぬた」だ。

次はフォアグラをつかう「ぬた」。沼のようなというイメージから考え出されたスペインの「ぬた」だ。わあ、もったいない。それから今度はこれを日本人向きの味にアレンジしたものを作成。日本人のスペイン料理研究家さんのアレンジだ。これは結構おいしく出来上がっているらしい。日本人が日本人向きにつくったのだもの。

次は台湾の「ぬた」。こちらは沼のようなで山芋のぬめりを連想して使う。薬膳食材たっぷりの台湾の「ぬた」だ。かと思うと次は客家(はっか)の人の想像した「ぬた」。

文化と文化が出会ったときに生まれる味と面白さ。この番組、夜遅いのがちょっと残念。

こんな話でお茶を濁しているのも、実は帰ってきて何気なくテレビをつけたとき始まった番組に見入ってしまい、それがまた心に食い込んでくるようなものだったので、何か気持ちの切り替えが出来ず、書くに書けない気分だったためだ。

去年亡くなった歌舞伎の中村勘三郎の一周忌特別番組で勘三郎最後の言葉 永遠の旅立ち 家族の闘い。私が中高生のころ、亡くなった勘三郎はまだ子役の勘九郎で、その頃から何かと話の種になっていた子だったのが、成長してよい歌舞伎役者さんになり、先代を越えるような仕事をしそうだと思っていたのが、私よりずっと若いのにさっさとこの世を去っていってしまったのはまだ記憶に残っているから、今日の番組で、次の世代を引き継いでいく二人の息子さんたちの活躍や、お孫さんのちびちゃんがすでに舞台に立つ姿を見てなんとも感無量だった。

若い頃ならこんな感慨も持たなかっただろうが、さすがにいまや、自分より若い人が先にあの世に行ってしまうのは本当に悲しい。それでもやはり次の世代の芽生えを見ると何か安心するのだ。歌舞伎のように世代から世代に引き継がれていく伝統の世界は特にそれがはっきり目に見えるのだから、つい深く考えてしまったということか。



2013年12月6日金曜日

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普通のぼたもちがいい

 
こんばんは~、マリーで~す。

今日はうちのおばはんときたら、午後に阿佐ヶ谷の歯医者さんに行って帰りに躓いて足の指に怪我をしちゃったからって、夕方四ツ谷に出かけるのはやめにして、そのまま西荻窪に戻って図書館で新聞や雑誌を読んでたの。夕べからテレビもラジオも新聞もいろいろと騒がしくなってるけどさ、今日の阿佐ヶ谷の駅前なんかもすっごいものだったわよ。演説の声が鳴り響いちゃってたけど、あの人は足が痛くてそれどころじゃなかったみたいよ。

あたしなんかにはあの人以上に今の日本の政治の流れなんてわからないんだけど、ひとつだけわかるのは、世の中何事も万事塞翁が馬で、何がほんとに良いことで、何が悪いことかなんて簡単には見極められないんじゃないかと思うのよねえ。時間の経過を見ないとなんとも言えないようなことだってあると思うのよねえ。ほかにも時間の経過で現れてくる不確定要素ってのもあるはずだし、なんともいえないのよねえ。

そんなことより、あの人、昨日フェイスブックのお友達の記事で見たすっごくへんてこな食べ物が気になってたみたいよ。ナマコのボタモチっていうんですって。なまこ餅で作ったぼた餅かと思ったら全然違ってて、海で採れるナマコのほうで、それを黄な粉と砂糖でぼた餅みたいにして食べるっていうのよ。これってゲテモノっていうんじゃないのかって聞いたら、地方によってはいろいろな食べ物があるんだからゲテモノと決め付けちゃだめって叱られちゃった。

ほんでもって、今日はあの人、図書館に行ったついでに地方の変わった食べ物が出てくる本を借りてきたんだわさ。えっとねえ、東北おやつ紀行とか、クスクスの謎とかって本。雑学の種かもしれないけど、それでもこういうのって人間を考える材料になるんだからいいんだってうちのおばはんの言い分なのよね。なんか、あの大震災のことも、何十年、何百年もたつと忘れられてしまうかもしれないけど、土地の人が子供のころから食べなれていた食べ物の味というのは時と場所が変わっても別の形になっても受け継がれていくものなんじゃないかっていうのよ。

よくわかんないんだけどさ、その土地の食べ物って言うのも、その土地の歴史とかそこに生きていた人たちと切り離せないものだってことみたい。もしそうだったら、この先も自分の生まれ育った土地から原発事故や何かで大勢の人が切り離されて遠くに移されてしまったりすることはできるだけ起こらないようにって、思わずにいられない感じ。

でもここであんまり余計なことを言うとまたあの人に怒られちゃうからこのへんでやめとくわね。ほんじゃまたね。


 

2013年12月5日木曜日

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待降節の木曜日

 

今日は木曜日。夕方出かけるまでだいぶ時間もあるので、ほかの用事は全部サボって、この間から気になっていた、NHKテレビドラマ「真夜中のパン屋さん」を今の時間までオンデマンドで1から5まで通しで見てしまった。さすがにくたびれたが、物語の全体はわかった。通して見てもやっぱりこの番組は面白い。

登場する人々、お話の世界だからそれはまあ現実にはありえないかもしれないが、実を言って、そのままではないけれど、現実の某世界の知人たちの顔が思い浮かぶのだ。詳しく言うわけには行かないが、事実は小説より奇なりという言葉のとおりなのだ。人間の世界だから物語の世界も当然現実の人間の世界の一面を描くのだから当たり前か。

世の中、まさかまさかが真実だったりするから大変だ。とはいえこのはなしはここまでとして、今日はこのあと夕方はミサと聖書の集いで四谷に出かける。うかうかしているうちに、あっという間に今度の日曜日には待降節のろうそくも2本目が灯る。聖歌の一節ではないけれど、「時が今しも過ぎていくのに、人は誰も気づかない」といううちに日々が過ぎていくわけだ。

今日の聖書の集いでは、待降節のいつもの聖書の箇所で洗礼者ヨハネが登場する。毎年聞いているのに毎年聞き逃して過ぎているような気がする箇所だ。しかし、今年はなんとなくちょっぴり違う響きも感じている。どうもそれはフランシスコ教皇様が関係しているかもしれない。

今日、フェイスブックで知人がcnnのニュースを紹介していた。この間、別の方のブログで見てショックを受けた話の後日譚だ。
    http://www.cnn.co.jp/world/35040610.html

自分だったらこの方が傍にきたら近づいてきたらどうするか、たぶん逃げ出すに違いない。でも今のローマのお頭様は本当にすごいお方だったのだ。自分などは臆病で弱虫な信者だけどこのはなしを思い出すとこれではいけないと考えさせられてしまう。

この世では誰もが理想と現実の間に生きているとはいえ、一歩でもできるだけ理想を目指していきたいものだ。

2013年12月4日水曜日

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相棒12-8


 
岩下志麻さん、ずいぶん久しぶりだ。タイトルは「最後の淑女」。

予告編やストーリーを見るとなにやら気になるのは『あの声でトカゲ喰らうかホトトギス』の一言。ムム、早く見たい。

・・・続きはあとで。



今日の話もあっと驚くような結果に。まさかまさか想像もしなかった話の進展に呆気にとられているところ。まったく相棒は何が出てくるかわからない~、油断もすきもない。まいった、まいっただ。これはやはり説明するより各自で見ていただくしかないだろう。

しかし、だんだんと甲斐パパは格好よくなっていくなあ。人間の複雑さということだろうか。始まりの頃に見せた裏の顔も消さないで時には出してほしいな。

とにかくそんなことで、来週の話も待ち遠しいのだ。


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NHKテレビ真夜中のパン屋さん、面白い

 
前からフェイスブックのほうで、ある神父さまがご自分の読んだ本が面白かったと紹介しておいでだったので、タイトルだけは知っていた「真夜中のパン屋さん」、NHKドラマで放映中なのも知っていたものの、なかなか食わず嫌いの当方、どうもチャンネルに手が伸びないまま第5回目の本日になって、たまたま帰宅が遅れ、家に戻ってからのいつもの時間が少しずれたおかげで、テレビをつけたらこの番組がはじまっていた。

教育関係のお仕事で若い子たちを育てておいでのあの神父様が面白いとおっしゃっていた本のドラマ化した番組だなあ、どんな話かちょっと見てみようかとなんとなく気が向いて見始めたら、あらあら、思った以上に面白いぞ。だんだん話しに引き込まれて今さっき見終わったときには次回が待ち遠しい気分。

登場人物たちのそれぞれの個性がなんとも面白い。あ、この方は別の番組では若武者だったっけ、この女の子、結構演技が上手で気に入ってる、あ、六角さんだ。などなど、あっという間に終わってしまって、もっと見たいと思うところで続きはまた今度だ。続き物はこの手でついつい釣られて延々と最終回まで見てしまう。今回は今日初めて途中から見たので、明日から時間のあるときにまたNHKオンデマンドで見ていない分を初めから見てしまうなあ。

ちょっと前まではテレビは家に置かない方針だったのだが、「相棒」のために、ついに中古でテレビを買い入れてしまって、よい面と悪い面と両方だ。これも仕方のないところか。

明日は午前中病院に行くから、申し訳ないが、はなしはこのへんでおしまいにしたい。またそのうち。


2013年12月3日火曜日

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NHKテレビ真夜中のパン屋さん、面白い


 
前からフェイスブックのほうで、ある神父さまがご自分の読んだ本が面白かったと紹介しておいでだったので、タイトルだけは知っていた「真夜中のパン屋さん」、NHKドラマで放映中なのも知っていたものの、なかなか食わず嫌いの当方、どうもチャンネルに手が伸びないまま第5回目の本日になって、たまたま帰宅が遅れ、家に戻ってからのいつもの時間が少しずれたおかげで、テレビをつけたらこの番組がはじまっていた。

教育関係のお仕事で若い子たちを育てておいでのあの神父様が面白いとおっしゃっていた本のドラマ化した番組だなあ、どんな話かちょっと見てみようかとなんとなく気が向いて見始めたら、あらあら、思った以上に面白いぞ。だんだん話しに引き込まれて今さっき見終わったときには次回が待ち遠しい気分。

登場人物たちのそれぞれの個性がなんとも面白い。あ、この方は別の番組では若武者だったっけ、この女の子、結構演技が上手で気に入ってる、あ、六角さんだ。などなど、あっという間に終わってしまって、もっと見たいと思うところで続きはまた今度だ。続き物はこの手でついつい釣られて延々と最終回まで見てしまう。今回は今日初めて途中から見たので、明日から時間のあるときにまたNHKオンデマンドで見ていない分を初めから見てしまうなあ。

ちょっと前まではテレビは家に置かない方針だったのだが、「相棒」のために、ついに中古でテレビを買い入れてしまって、よい面と悪い面と両方だ。これも仕方のないところか。

明日は午前中病院に行くから、申し訳ないが、はなしはこのへんでおしまいにしたい。またそのうち。


2013年12月2日月曜日

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にゃんこ・にゃんこ・にゃんこ

 
昔から家中みんな猫好きで、今は猫が飼えない環境でも、心の中にはいまだに今はもういないダボ助猫を飼っているし、写真ブログの猫写真を集めまくっているわけだが、こういうのは自分だけではなくて世の中の猫好きの同志たちはみんな同じことを考えていることがわかった。
自分は主にtumblrで猫写真を集めてきたが、ほかにも猫好きが喜ぶような写真サイトがあるようだ。猫なんてどこがいいんだとおっしゃる方々、ちょっとこれをごろうじろ。こういうのを見ると夢中になってしまうのだよ。
    
写真はtumblrから。


2013年12月1日日曜日

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先のことはなんともいえないのだ

 
ケーキも和菓子もそれぞれおいしいけれど、和菓子の季節感というのはなんともいえないものだと思う。その上、最近は現代風にアレンジされたものもあって、これがまた可愛らしい。

        
 

それはそれとして、世の中のニュースには今、TPPの文字が躍っていているのだけれど、今のままで行くと地球環境からして、何れ必ずそれどころではない、世界的な食料不足もやってくるはず。TPPもいいけど、お願いだからIPCC報告を忘れずに、もっと真剣に考えておかないと、いくらお金を積んでもどこの国もほかの国に食料をまわせる余裕のないような時が来るような気がする。そのとき、日本はどうするつもり? まだ先のことだからと言っていていいのかなあ。あんまり言いたくないけどとても心配だ。

大聖テレジアの生きた時代の地球環境を思い出しても、地球規模の飢えの時代が再びやってこないなどと思っていてはいけないのではないかい。日本の食文化と一緒に飢餓の時代の食も調べてみたところでは、このまま行くと、本当に大変な未来がやってくると思うな。こんな話はあまりしたくはないのだけれど、人類の歴史はいいときばかりではないし、飢えとの戦いだったのも思い出しておいてもわるくはないんじゃないのかなあ。猛暑と酷寒は温暖化で起こる裏表の現象だそうだし、いずれにしても食料生産がうまくいかないことになっていくらしいではないか。

2013年11月30日土曜日

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フェイスブックから

※ 昨日のメインブログの内容、模範的なカトリック信者の書く記事なら、もっと忍耐強い信仰とかになるのでしょうけど。こちらはそんなかっこよい信者ではありませんのでこれもありのままであります。
 
 
こんばんは~、マリーで~す。

今日はうちのおばはんも夜までずっと外出していたから、帰ってきたのも9時過ぎてたし、それからご飯を食べていろいろ後片付けをして今やっとパソコンを開いたところよ。ほんでもって明日は早起き出来たらカテドラルのミサと黙想会に行くつもりらしいの。でも起きられるかなあ、あの人、これからまだNHKの夜遅くの番組、妄想ニホン料理を見るつもりよ。あたしとしてはうちのおばはんが明日カテドラルに行けるかどうかは五分五分と思うんだわさ。所属教会じゃないからどうしてもって感じじゃないんだもん。

でも一応行けたら行くつもりだから、今夜は妄想ニホン料理が終わったらさっさと寝るつもりなのよね。そんなわけでこのブログも今朝の予定だとフェイスブックにメモのように書き込んでおいた文章をもうちょっと書き足してここに出すつもりだったのに、どういうわけか久しぶりに聖歌隊に顔をだして練習にも参加したから帰ってくるのも遅くなっちゃって、これから考えて書き足してたら、絶対また寝るのが夜中の1時、2時になるのは目に見えてるし、今日はもう朝書いたものをそのまま出して勘弁してもらうって言い出したのよ。まったくもうほんとにしょうのない人だけど、ごめんなさいね。

今朝書いたのはこれよ。ほんとはもっといろいろ付け加えるはずだったから、またそのうちにちゃんと書き直すんじゃないかしら。以前には「公園のお風呂ダヌキ」の2と3に、その辺を書いてあったんだけど、誰も理解してくれなかったもんで、あの人、そのころはカルメル会の司祭だった人に一部しか残ってなかったコピーも差し上げちゃったのよ。でもその人、カルメル会をやめちゃったくらいだからその話の意味も理解できなかったんでしょうね。あのコピーもどうなっちゃったんだか。とにかくあの人が、自分の記憶の残り物で簡単にまとめたのがこれね。

『うちの死んだ父は、お坊さんの子だったと聞いたのは父が死んでからだった。それまでも親類の言葉などでうっすらと感じていたけれど、継母の話ではっきりした。それで子供の頃から感じていた、父のことでずっと不思議に思っていたことがみんなつながっていった。

父の戸籍上の両親と言うのは実は母方の祖父母で、姉ということになっている人が実の母親、私にはお祖母さんだ。実のお祖父さんは親類の言葉から察して法華経寺の周辺の塔中寺院のどれかの坊さんだったらしい。相手がはっきりわかっていたのは、私がまだ小さい頃はその人物も生きていたことことをそれとなく親類がにおわせていたことでもわかる。

父があまり一般的な父親ではなかった原因もそれでわかる。あの人はおそらく一生坊さんの子という自分の出自と小さいときに母親に置いていかれたことに縛られていたのだろう。父は本当にヘンテコな人だった。普通のお父さんは自分のまだ小さい娘に向かって、三界の狂人は狂せるをしらずだとかやたら難しいことを教えるか、お正月といえば、毎年の始めは家族を前に、門松や冥土の旅の一里塚と説教で始まったりするか、小さい子供にたびたび、闇の夜に鳴かぬ烏の声聞けば生まれぬさきの父母ぞ恋しきなどと言い聞かせるか、それらがみんな私の心の土台になっていて、おかげでキリスト教信者になってからも、聖書の言葉の理解の助けになっている。

物事は原因があって結果があるというのに、どういうわけで昔、四ッ谷の司祭たちは理由を知ろうともしないで、人の言葉に難癖をつけて、はては精神科の患者扱いする人までいたのか、いまだに納得がいかない。小さい頃から父に教えられてきた仏教の言葉が聖書の言葉の意味をわからせてくれていただけで、別に自分を大きく見せようとしていたわけではないぞ、自分も無から創造られたものだといったのは、闇の夜に鳴かぬ烏の声聞けば、の言葉の意味が聖書のことばでわかったからそう言ったまでだ。それがなぜ精神科の患者なのかね?全く、指導者に正しい理解力がないと信者もえらいめにあうのだ。

そんな種類のことが積み重なって他の司祭たちや司教にも真相は伝わらないまま何十年も過ぎて今に到ってしまったのだ。といっても、これは今はもう愚痴ではなくてただの説明だ。』

今日のところはこんな省略版だけど、あの人にすれば中山の法華経寺は7百年まえのご先祖様が富木常忍に仕えていたころからのご縁のあるお寺さんよ。今の自分があるのも法華経寺のつながりあってでは、自分の中の宗教的な部分も親やその親、ご先祖様譲りというしかないと感じてるのよねえ。まあ、そのうちまた多分ちゃんと書くんじゃないかしら。

あ、時間だからあの人、テレビ見るつもりだわ。今日はもうこれ以上進みそうもないからこれで終わりだわさ。ほんじゃ、またね。

2013年11月29日金曜日

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厳しさや怒り?恵みと憐れみ、優しさ?

 
昨日の聖書の集いで思ったこと。

こんばんは~、マリーで~す。

なんかさあ、うちのおばはんてさあ、これは面倒だと思うとすぐにあたしに振るんだけどどう思います? 

あの人、木曜日の聖書の集いに行って、そこで遥か昔の自分の経験を思い出しちゃったのよね。自分が経験したことなんだから自分で書けばいいのに、自分では客観的になれないから頼む、お願いとかって、またいつもとおなじであたしに押しつけるんだわさ。まったく、たまったもんじゃないわよ。

しょうがないから、あたしが話すけどさ、もう、ほんとに昔の話よね。あの人、昔々、十代の終わりころにプロテスタントの教会に通い始めてそこで洗礼を受けたのよ。本当はもっと昔、子供のころに出会ったキリスト教はカトリックだったんだけど、お家の近くのカトリック教会は市川教会で、行ったこともないし、知ってる人もいないし、そのころの市川教会っていくら電話してもいつも誰も出ない教会だったの。後でわかったんだけどそのころの主任神父さまは病気療養中だったらしいの。

そんなんで、あの人が電話であちこち尋ねてみて、親切に応対してくれてここに行ってみようって思ったのがプロテスタントの教会だったの。でもってそこに通って聖書の勉強をして洗礼を受けてキリスト教の信者の生活をはじめてから何年かたって、同じ教派の家に近い教会に移ったのね。若い牧師夫妻とほんの数人の信者のまだ開拓伝道を始めたばかりの教会だったのよ。そこでの数年であの人、自分が子供の頃に教わったキリスト教とプロテスタントのキリスト教とはかなり違うじゃないかって思い始めて、これじゃないって、カトリックに改宗する決心をしたの。

それで四ツ谷の大学や教会の講座に通い始めたの。カトリックとプロテスタントじゃ、いくつか考え方が違うところがあるのよね。うちのおばはんには、カトリックで強調する「愛」というのがどうもよくわからなかったのよ。どっちかっていうと日本語では「愛」っていうことばはなんか男女関係とかのイメージのほうが強いじゃないの。本来の日本語のイメージだったら、慈悲とか慈しみとかのほうがぴんとくるっていうの。でもとにかく教会用語だからそのまま使うけど違和感たっぷりだったみたいよ。

プロテスタントの教会で教えられた神様のイメージがまた、父なる神様は、厳しい裁き主の神様、怒りの神様の面が強調されてたの。これが問題よ。カトリックでは神様の愛のほうが強調されてるし、あの人もあの頃は、この二つのイメージをどこでどう調和させればいいのかわからなかったの。
そんなころにあるきっかけで、小さな赤ちゃんの姿のイエスさまのご像に出会って、毎日のように通ってそのご像を眺めて考えてたの。なんでこの赤ちゃんはニコニコ笑ってるの? この赤ちゃんは大きくなったら人々に苦しめられて、十字架に磔にされて殺されていくのに。それなのにニコニコ笑って、まるで抱っこして頂戴といっているように両手を差し出して、自分を苦しめる人々を信用しきっているような姿。だいたい、なんで赤ちゃんの姿なの?

そしてあるとき、はっとわかったの。天地万物の創造主である偉大な神様、この世界のすべてのものの裁き主である、恐ろしいお方がそのままの姿を見せたら人間は誰一人生きてはいられないのよね。だけど、神様は何とかして悪いことばかりしている人間たちに、ご自分のところにきてほしいってお思いだから、なんとただの赤ちゃんの姿になって地上に降りてきてくださったんだってわかったわけよ。この時になって、キリスト教でいう「愛」の意味がやっとはっきりわかったの。男女がいちゃいちゃするだけが愛じゃない、もっと深い気持ち、相手を大切にして生かしたい、守りたい、そういうのが神様の愛なんだってわかってきたのよ。

そのへんがぼんやりとわかり始めたら、若かったころのうちのおばはんにも、もうひとつ、ご聖体の意味もビビビンってわかっちゃったの。誰でも怖がらずにご自分に近づいてきてほしいと思っておいでの神様はちっちゃな赤ちゃんの姿にもなってこの地上においでになったけど、パンとぶどう酒の形にもなってくださったのよね。

神様は素直な心でご自分に近寄ってくる人たちには、怒りの神でや裁きの神じゃない、恵みと憐れみの神なのよね。怖がらないでいつでもそばに来て頂戴って、みんなによびかけてらっしゃる方なんだわ。本物の神様の「愛」とか優しさはこのお方にあるんだって、夕べ、うちのおばはん、聖書の集いで聞いたあるはなしからそんなことを思い出してたの。

もうじき待降節だし、クリスマスはすぐよ。あの赤ちゃんはどんな赤ちゃんなのか、今年はちょっと見直してみてもいいかもよ。

あの人のおかげでもう、こんな長話をしちゃったわ。今日はこのくらいでやめとくわね。 ほんじゃ、またね。





   

おしらせ

 
写真は借り物
   

2013年11月28日木曜日

参考資料

メモ(ツイッターから)

ああ、そうか。現実的に考えないと夢でおわってしまいそう。むずかしいところだ。

それこそこちらの考えをきちんとまとめないと、どこに、誰に相談してみるかも見えてこないな、もう少し時間をかけよう。

何が出来るか、何をすべきか、ただし、ロヨラのイグナチオの方式は自分に合うと思えない。ああいうのではなくて、もう少し本来の意味の観想的な探求を望む。イグナチオの観想はあれはちょっと別のものだと感じるので。

今この年齢、この健康状態で可能なことって何だろう。持ち合わせている頂き物の才能、能力も考慮する必要がある。まあ、この年齢では耐用年数、賞味期限もあまり長くはないけど、ここまできたということは何か意味があるはず。

だから、この30数年、ずいぶんひどい目にもあってるけど、それでも続いている。ほしいものがこの世のものじゃないから耐えられたんだ。と言うことは、この先もその路線でいくしかないような気がする

空には憧れないけど、子供の頃から、永遠というものに憧れてたの。お金も物も永遠じゃない、そんなものはほしくない、終わりのないものがほしいの。それでいつのまにか今の自分があるの。

以上、これって何十年も前から言ってるのに四ツ谷は誰もきいてくれなかったんだよなあ。
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2013年11月27日水曜日

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相棒12-7プラス

 
こんばんは~、今日は水曜日だけどマリーで~す。

水曜日の相棒のある日にお前さんが出てくるとはいったいどうしたんだって? 別にたいしたこともないんだけど、うちのおばはんが昨日のことがあるからさ、あたしにあれからどうなったか、簡単に話してほしいんですって。まったく、どうしようもない人騒がせな人よねえ。

 昨日はキャンキャン騒いでたけど一晩寝たら昨日のことなんて忘れちゃって、いつもどおりよ。あの人いつだってそう。よっぽどでないとすぐに他の事に気移りしちゃって昨日のことなんて朝には半分忘れてんの。ほんでもって、別の問い合わせで福祉事務所に電話したら、なんか話はうまく納まってる感じだったから、もうすっかり安心しちゃって全部忘れちゃったみたい。月に2千円ずつの返済ならなんとかなるもんね。

あの人さ、一ヶ月の後半は一週間2千円で暮らしてるから、一度に4千円支払うとほんとに大変で、月末は小麦粉の練ったのを焼いたものと納豆ばかり食べてすごすことになっちゃうの。高円寺とか阿佐ヶ谷なら物価も安いからって、遠くまで買い物に行ったりしてしのぐのよね。ま、そのくらいはしょうがないわよ。だってさ、結局それで今日まできちゃったのは、なんだかんだといってもあの人がほしいのはお金や物じゃなかったからじゃないの。この先のことは、その辺から考えるしかないと思うわよ。

それはそれとして、はなしを相棒に戻すけど、今この時間はテレビを見てたとこよ。今日の相棒のタイトルは「目撃者」。内容はいつもとおなじく各自ご自分でみたほうがいいから、くわしいことは言わないけど、今日の話では、右京・カイトのコンビと伊丹・芹沢コンビがそれぞれに捜査を進めていくうちに過去の真実が浮かび上がっていくところも面白くて、合間合間に中園参事官や、暇課長にたち米沢さんがいつものようにチョコチョコ絡んで話を盛り上げているの。

でもって最後のほうの右京さんの怒りがほとばしる場面、ドキッとして、なんか忘れられない感じよ。話の全体の構成がよかったと思うな。そんなわけで、なんか今日は説明もあっさりでごめんなさいね。

うちのおばはん自身も明日もう一度ビデオで見直すつもりなのよ。なんたって、今日はあの人個人の話まで入っちゃってるから、いつもと話の書き方も違うけど、それだけじゃなくて今日の話、もう一回見ないと登場人物の関係がごちゃごちゃしちゃってるのよね。だからとりあえずこんなとこで今日はおしまいよ。ほんじゃ、またね。



今夜は相棒、でもその前に

 
北海道釧路市動物園から秋田の男鹿水族館に嫁入りしたホッキョウクグマ、クルミの子供のミルク、来年1月後半にお母さんのクルミのいた釧路市動物園に移動します。雄のユキオは上野動物園に帰って来るそうで、上野も釧路もホッキョクグマが2頭ずつになります。
北海道のお友達のブログに詳しい話が出ているのでこちらをどうぞ。

        http://blogs.yahoo.co.jp/yo10101024ko

うれしいような、でももうちょっとミルクがお母さんのそばにいられたらよかったのにという気持ちも。



2013年11月26日火曜日

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この場合、責任者はどこになるのだろうか?

 
本日の頭痛の種

     

帰宅してみるとポストに福祉事務所からのお手紙が。中身は生活保護費返還金の返納について(催促)。丸井の過払い金が入ってきたおかげで半分は返したものの、まだ半分残っているので返すようにという催促状です。

でもねえ、返せれば返してるのよ。返せないから溜まってしまっているのではないですか。しかも、どう考えてもこのお金、本来ならこの状況を作ったどこかの誰かさんたちが払うのが本当ではないのですか。まあ、今、まだこちらもその場合、どこの誰に相談に行けばよいのかがよくわからないので動き出していないのでどうしようもありませんけど。ただ、今の状態でこのままというのはないと思いながら、自分から動き出すのが苦手な当方、内心、困っているところでもあります。

このお金はちょうど6、7年前にパソコンを使って自分の情報発信をしてみたらどうかと考え、パソコンや周辺機器を買い、パソコンスクールに使い方を習いにいったりしてかかった費用と同じくらいの金額です。これはどうしても必要だったお金なので、何を言われようとかまいません。だってこういう基礎的なお金こそ自己投資というもので、それがなければそれまでのように手書きの手紙で一部の方にだけお見せしているのでは、残念なことに利用されるだけで、こちらの存在はいつまでたっても浮び上がりませんでしたから。

このところ払えなくなっている理由は簡単。分割でも返済の支払額が1ヶ月に4千円になってから襤褸になってきた下着さえなかなか買い換えられないような本物のボンビーになっているというだけのこと。支払うものはほかにもいくつもあるので削れるものは食費だけ。パソコンやケータイはこれが使えないと、何とか自分の存在を伝えようと努力の結果のブログなども書けません。これがあるからこそ、何とか話が伝わったのではありませんか、これは削れません。

あの亡くなった方は、何でもかんでもご自分の都合によいように話を持っていかれる悪い癖がおありでしたから、杉並区についてもかかわりのある方々や組織の何もかもに影響力を発揮しておいででした。真実は隠され、一部の方に都合のよいように変えられています。それだけではなくて、あまり言いたくはありませんが、どうも人の心は、出る杭は何とかして引っ込めたくなるもののようです。誹謗中傷は当たり前、目立つ奴は足をひっぱれ、というのが世の常、いや、宗教の世界の中でもです。

こんな話は愚痴にしかならないのでやめておきますが、とにかく、このお金、とりあえずは月に2千円で新しい納付計画書を出しましたけど、そのまま放っておかれてはこちらも困ります。これは黙っていられないので公開にすることにしました。

あ、まだもうひとつあります。福祉事務所の担当者というのはどういう権限で生活保護受給者のこういう支払額などを決めるのでしょう。こちらの生活の現実をちっとも見ていない担当者が決めていては払いきれません。あちらは無理にでも直接毎月4千円引くつもりなんですよ。四ツ谷はどうして全然なにもしてくれないのですか。ホームレスの方たちなら目立つからご自分たちの宣伝にもなるけど、おばはんの一人くらいじゃ何の得にもならないとでもいうのでしょうか。

以上、なんとも情けない話で申し訳ありませんけど、これは黙ってはいられません。

2013年11月25日月曜日

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2013.11.25

素人は悲しい

 
機械音痴の当方がパソコンを何とか使えているのは、つくづく奇跡ではないかと思う。しかしそれにしても、いまいましいのは、こちらの意思を無視して自分の会社の製品を押し付けようとあれこれパソコンを内側からいじるクッキーどもだ。

先日のリカバリーではデスクの分割が出来なかったので、今日は半日かけてリカバリーのやり直しをした。ウォークマンとつながらないのは困るのだ。ところがおかしい。機械がソニーを認識しない、おかしいおかしいと、何度も見直した揚句、ソニー製品と競合するリアルプレイヤーが邪魔をしているのに気がついた。

またもリカバリーと、出来る限り、外部からの手出しで起こっている機械の異常は回復させ、やっと何とかウォークマンをこの機械で使えるようにして気がつけばこの時間。

機械に強い人がうらやましいとつくづく思ったものだ。しかし、皆様もパソコンではこんなことに出会っているのでしょうか。当方のパソコンはどれもこれも怪しいパソコンなのはいったいどういうことなのでしょうか、ときいてみたい気がしている。

そんなわけでくたびれてしまって、いつものようなブログも書けず、状況報告でおしまい。どうもすみません。

2013年11月24日日曜日

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フェイスブックから富士山とかぐや姫

 
NHKのEテレで今日の古典芸能の時間は、能の富士山。説明を聞いてびっくり。富士山にはなんとかぐや姫が関係しているのか。かぐや姫がこんなところにも登場するとは恥ずかしながら知らなかった。なるほど、遥か昔からかぐや姫の物語は様々な形で日本人の心に伝えられているのだなあ。なぜ今、高畑監督がかぐや姫か、なんとなくわかるような気がした。



 おまけにもうひとつびっくりしたのは、今日のgoogleさんの絵。今日が誕生日の人はケーキの山で
お祝いって、甘いお菓子の好きな人はよろこんでしまう趣向。うれしいな、こんなの初めてよね?


2013年11月23日土曜日

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王であるキリスト

 
こんばんは~、マリーで~す。

今日はねえ、うちのおばはんがすっかりへたばっていて、もう、どうしてもお願いだからって拝み倒されちゃって、しょうがないから連続で登場よ。あの人、やっぱりあんまり具合よくないみたいよ。今日もちょっと寒かったからかも。

明日の日曜日はカトリック教会では「王であるキリスト」のお祝いで、教会の年間の暦じゃ一年の最後なのよね。王さまっていってもこの王様は普通の人間の世界の王さまとは一味も二味も違う、普通のこの世界のえらい人みたいなお金とか権力とかで世界を支配する王さまじゃないのよね。

普通の人の目にはちゃんと見えてなかったりするんだけど、この王さまの宮殿は日本にもいくつもあるのよ。今年は長崎の教会群の名前は世界遺産に上がらなかったけれど、あの長崎の明治時代の禁教令が廃止されて、それまでひっそりと隠れていたキリシタンの末裔たちが表に姿をあらわして、宣教師たちと一緒に、自分たちで石を積んだり、木を切り出したりして作っていったいくつもの小さな教会、あれこそは真の王の宮殿なんじゃないの。

今は時代も変わってこの世界の歴史も人の動きもみんな変わって、下手をすると本当に大切なものが忘れられそうな時代になっちゃってるけど、そんなもんじゃないと思うのよね。

世界が東西にわかれて、核戦争の恐怖におびえていたのが、今は世界を動かしているのは経済活動で、お金のある人とない人、いや国と国でさえ、経済力のあるとないとで、格差からこぼれ落ちた人たちの不満が新しいテロや戦争の火種になっている時代に変わってきたけど、結局のところこの時代もそのうち変わっていくと思うのよね。歴史を見ればいつの時代だってそうでしょう。

人は正義とか公平を求めるけど、人間自体の中にある自分さえよければの思いは、この世では決してなくならないんだと思うのよ。それは人間がどこまで言っても罪深い存在だからだし、それだからこそ、本当の王さまが人類を何とかして助けたいって地上に降りてきて人間の一人になって一緒に生きて、死んでくださったんじゃないの。この王さまの国は目には見えないけど世界中に広がっているし、時間も空間も超えて今もここにあるんだけど、みんな気がつかないんだわ。

いつまでこんな状態が続くのかよくわからないけど、聖書にはちゃんといつかは終わりが来るって書いてあるのもほんとよ。よくわかんないんだけど、とにかくどんな大変な時代や環境でもいつかは終わるんだし、それならいつもの毎日を、いつ終わってもいいようにちゃんと生きていたほうがいいと思わない?いつかは誰もが大きな大きなお方の前に出ることになるんだと思うのよ。

あたしはただのケータイだし、ただの生意気に聞こえてもしょうがないけど、なんかさあ、生きとし、生けるもの、命のあるもの、ないもの、そんなこと関係なしにこの世に存在しているものはすべて、大きな大きなお方に支えられて生まれてきて存在してるんだと思うの。本当の王さまはいつの時代のどんな世界ででも、すべての人間に自分のことだけじゃなくてほかの人にも目を向けてほしい、心を配ってほしいって思ってらっしゃるのを忘れちゃいけないんじゃないのかしら。

なんか真面目くさった話になっちゃったからこのへんでやめとくわね。明日はうちのおばはん、調子がよくなってるといいんだけどね。まあ、そんなところよ。ほんじゃ、またね。

2013年11月22日金曜日

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やっぱり風邪ひいたみたい

 
こんにちは~、マリーで~す。

今この時間て、お昼休みが終わったころよね。うちのおばはんは夕べも調子がわるくてうだうだしてたけど、今は歯が痛い、歯が痛いってうなってるのよ。これは確実に風邪ひいたんだわさ。歯が痛いっていっても歯自体じゃなくて熱がでてくると歯が痛いのよねえ。

まあ、このくらいなら手持ちの鎮痛解熱剤を飲んでおとなしくしてれば大丈夫だと思うけどさ、大体があの人、夜にコーヒーを飲むのはやめてほしいわ。眠れない、眠れないって夜中にあたしやタブレットを起こしたりするから、寝不足で風邪ひいてるのよ。まったくもう自分が悪いんじゃないの。不摂生は自分が招いたのにあたし達のせいにされちゃ困るわよねえ。

えっ、おとといはタブレットがほんとに全然言うことを聞かなくなっちゃったから、仕方なしの初期化で元通りに戻すのの時間がかかって明け方になっちゃったんだから、タブレットのせいだ? また言い訳ばっかりしてさ。ほんとの理由はうちのおばはんが凝り性で、一度手をつけると最後まで終わらせないと止められないってだけだと思うなあ。いつだってそうじゃないの。

機械の設定のやり直しが終わったのに、初めて見たアプリに気をとられて一つ一つ点検してるんじゃ明け方までかかるのも当たり前だわ。もうまったく何考えてるのよ。いいかげんにしてよね。

とにかく今日はもう、おとなしくして明日の朝はちゃんと早起きして四ツ谷に出かけられるようにさせるつもりよ。あの人ったらこのところ、全然黙想会とか練成会とかに出てないんだし、たまには朝から一日教会で過ごしても悪くはないと思うのよね。

えっとねえ、予定表によると、テーマが「わたしの魂よ、主をたたえよ」で、明日の朝9時半から受付ですってよ。10時から12時までが講話と黙想で、12時から1時は休憩と昼食。ほんでもって午後の部が1時から3時がまた講話と黙想で、3時からのミサでおしまいってわけ。うちのおばはんは咳止めの薬も持参だわさ。

そんなわけで今日はこんな時間にブログが出てるのよ。この後また出るとしたら面白そうな写真くらいだわね。とにかく、ほんじゃまたね。

2013年11月21日木曜日

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あれもこれも

 
今日は木曜日なのだが、咳がとまらなくて、聖書の集いは休んでしまった。一応、今日の聖書の箇所は自習して読んであるが、今度の日曜日はカトリック教会では「王であるキリスト」。福音のヒントによれば、終末における救いの完成を思う時期だそうだ。

しかし、キリスト教のはなしはとにかく、最近の科学ニュース(ここではmsn だが)地球の未来については相反する意見が語られているようだ。どっちがほんとうなのだろう。ハワイ大学の研究者の説では、今の温暖化がつづけば極端な猛暑が日常になる日が、東京では2040年代にはやってくるという。

ところが逆に太陽活動の研究者は現在の太陽活動は異常で、このまま行くと先々の地球は寒冷化して大変なことになるという説もあるではないか。いったいどっちが本当なのか。いや、両方とも正しいということもありえるかもしれない。つまり二種類の災害がやってくるわけだ。

そんなことは聖書の言葉を見れば昔からわかりきっていることではあるのだが、人間の歴史はいつだって、そのときにならないといわれていた言葉を見ない、聴かない、おなじことの繰り返しというのも事実だ。また、そのときにならないと、個人がいくら心配になってもどうにもならないのも事実だ。わかっているのは人間存在の小ささと無力さくらいだろう。

さてこの話、、どちらがどうなっていくのだろう?
http://sankei.jp.msn.com/science/news/131118/scn13111807310000-n1.htm  10.17
太陽元気なし 寒冷化予兆 11年周期の磁場転換起きず、黒点も最少

http://sankei.jp.msn.com/wired/news/131017/wir13101711390000-n1.htm 10.18
東京は2040年代「極端な猛暑が日常になる日」の世界地図

2013年11月20日水曜日

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今日も水曜日は相棒の日

 

相棒12-6

勤めていた頃は時計にもこだわって、ブランド物も持っていたのが、今では時間さえわかればそれでよしという考えにかわり、いつも持ち歩いているケータイひとつに時計の役割も兼ねるようになっています。ひとつだけ残った古いブランド物も修理の費用で安いものなら二つも三つも買える時代になってしまい、今では修理もしないまま箪笥の奥底にしまいこんであるばかりです。だって今の生活なら修理だけで何万もかけるよりはケータイや1000円時計で十分ですから。

若いカイト君も時計は正確に時間がわかればそれでよいと、クウォーツです。しかし、さすが右京さんは時計はきちんと調整に出して大切に使っているのでありました。

今日の話は時計が安い量産物の時計と高級ブランド物に二極化してきた今の時代らしい時計をめぐる殺人事件の話です。しかし、殺人事件といっても簡単な事件ではありません。時計仕掛けの計画殺人、それも殺しに行ったはずのほうが殺される複雑な事件。

その裏にあった悲しい事件。といいながら、今回は久しぶりに右京さんの推理が楽しめた話でした。まだ見ていない方のためにこれ以上は申しませんが、二転、三転していく状況、本当に面白いですよ。

2013年11月19日火曜日

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女性の大使や、かぐや姫など

 
こんばんは~、マリーで~す。

なぜか今日もあたしの出番なのよ。うちのおばはん、自分はテレビばっかり見ててさ、最後のまとめはあたしのほうにまわしてくるのよ、ちょっとずるいと思わない?大体、今日のはなしのケネディ新大使のことだって、キャロラインさんがまだ小さくて当時のケネディ大統領と一緒に撮った写真の載った新聞を実際に見たのは子供の頃のうちのおばはんよ。あたしたちケータイとかタブレットやスマートフォンどころかパソコンなんて出てきてない時代よ。

うちのおばはんは直接は見てないけど、知り合いのシスターが、ケネディ大統領の追悼ミサが聖イグナチオ教会であったとき、ちょうどその頃は皇太子様だった今の天皇陛下の後ろのほうの席にいたら、皇太子様が、長い儀式のあいだまったく姿勢を崩さなかったのが印象的だったって言ってらっしゃったのを覚えている程度かしら、あとはあの人自身まだ中学生の子供だったもんね。ああ、早々、あの朝はあの人のお父さんが新聞を見ながらテレビをつけたらケネディ大統領暗殺のニュースを、初めての衛星通信でアメリカと同時に流してたんじゃなかったかしら。

そんな遠い遠い記憶のかなたからケネディさんのお嬢さんのキャロラインさんがなんと駐日大使としてやってきたのよね。警視庁騎馬隊の先導する馬車に乗って皇居に向かう場面をテレビで見ながら、うちのおばはんもなんだか不思議な気分だったみたいよ。これもひとつの新しい時代の始まりなのかしらね。今後に興味しんしんよ。

もうひとつ、女性が主人公の話題ね。23日公開のジブリの新作、かぐや姫の物語なんだけど、すでに見た方たちのいろいろな評価を総合すると、この映画ってお子様や、まだお子様の域にある人では理解しきれない種類の内容みたいなのね。うちのおばはんは早く見たくてしょうがないらしいわ。実物を見てからでないとまだなんともいえないけどアニメの可能性を広げるような深い内容の作品のような気がするわよ。

だけど23日は、たしか四谷は教会黙想会だし、うちのおばはんは今年はそれに行ってみようかって思ってるみたいで映画は選択肢に入ってないから、来週以降か12月になってからかどっちかだわ。なんたって月末はお財布の中身もきびしいから、まあしょうがないんだわさ。

いけない、今日もまたこんな時間になっちゃったからこれでおしまいよ。ほんじゃ、またね。


2013年11月18日月曜日

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NHK 「プロフェッショナル」仕事の流儀

 
こんばんは~、マリーで~す。

今日はちょっと遅いじゃないかって?あら時々はこんなことだってあるわよ。うちのおばはんが夕方四ツ谷の教会に寄ってから帰ってきたから全体に時間がずれこんじゃったのよね。あの人、どうも昨日から咳がでると止まらなくなっちゃうくせに、せっかく阿佐ヶ谷に来てるからって、歯医者さんの帰りに商店街を見て歩いて買い物して、ここまできたらもっとついでにって四ツ谷にまで寄ってきたの。

それはいいんだけど、今日はさ、あの人、朝から絶対見るって決めてたテレビの番組もあるし、阿佐ヶ谷で買ってきたすごく新鮮で美味しそうなイカを一匹は焼いて、一匹は明日用にイカ大根の煮物にしたりの台所仕事に夕食でしょ、気がついたら見る予定のNHKの『プロフェッショナル・仕事の流儀』が始まっちゃってるし、もう、あの人テレビに釘付けで何にもしないでテレビを見ちゃってたから、こんな時間よ。

今日のプロフェッショナルは、宮崎駿先生。今回の引退に至るまでのはなしよ。うちのおばはん、たいしたこともないものしか書けないんだけど、自分でも少しは作文を書いたりして、何にもないところから物語を書いていく大変さもわかるのよね。あの人に言わせると、物語って言うのは自分が書くっていうより、いつのまにか生まれてくるんだって。そこまでにいくのが大変らしいのよね。宮崎先生が『大事なものはたいてい面倒くさい』っておっしゃってるのを見て、本当だよなあってうなづいてんのよ。

だからあの人、最近はもう面倒な書き物はさぼってばかりいるのね、どうしようもない人だわ。うちのおばはんみたいな怠け者ではとてもとても。その点、宮崎駿先生の作品となると一本一本、やっぱりどれもすごいわねえ。引退してもまだなんとか特別編とかなんとかで、新しい作品を作ってほしいって、あたしだって思っちゃう。ほんとに残念だわさ

だけど今日はこの話、この辺で終わりにしないとまたあの人夜中に咳が止まらないとまずいから、悪いけどここらでやめとくわね、なんか尻切れトンボだけどさ。とにかく、そんなことで、ほんじゃまたね。

2013年11月17日日曜日

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思いもよらない

 
こんばんは~、マリーで~す。

夕べはパソコンの緊急リカバリーでごめんなさいね。今日は一日かかって何とか復旧したけど、今時、IE以外使えないなんてほんとにどうかしてるわよね。でも、ファイアフォックスを入れると、このパソコンときたら、どうしようもないストライキを起こしちゃって、うちのおばはんもさすがにくたびれちゃったみたいよ。今回はデスクの分割もあきらめちゃってるから、ウォークマンもこのままじゃ新しい曲も入れられないし、写真の取り込みも出来ないわ。当分はどうしようもないみたいよ。

まあ、そんな話ばかりじゃしょうがないから、別の話ね。うちのおばはんてお酒はまるっきり飲めないし、食べ物だってそんな痛風の原因になる尿酸値を増やすようなものは摂っていないはずなのに、内科で血液検査をするといつもなぜか尿酸値が高いのよね。だから気をつけて、大好きな魚卵類とか、卵や小魚は控えてたんだけどぜんぜん効果がなくて、前回も尿酸値でひっかかっちゃてたの。

原因はわからないけど、たぶん知らない間に何か、尿酸値を増やすようなものを食べているのだろうってことはわかってたのね。ただ、それが何かがわからなかったわけよ。

そしたらこのあいだのNHKの「ためしてガッテン」で、原因がわかったの。なんとねえ、まさかまさかで、健康食のつもりでよく食べていた納豆も実は犯人だったし、あの人の大好物のクリームたっぷりのケーキとか、甘いお菓子もやっぱりだめなのね。あれを見て、うちのおばはん、本当に大ショックだったみたい。お酒もビールも飲まなくても、脂っこい肉類は食べなくても、納豆でも、ケーキでも尿酸値って上がるのねえ、あたしだって知らなかったわよ。クリームは脂肪だから怪しいかなと思っても、納豆もだめなんて想像もつかないじゃないの。

さすがのあの人も、元々生まれつき血管が細いのに、動脈硬化になってきてはさすがにヤバイ!と思ったらしいわよ。緑の野菜ならいくら食べてもいいってお医者さんが言ってらっしゃったしね、今までの食べ方じゃだめだってようやく少しは身に沁みたんじゃないのかしら。

そんなわけで本日のはなしはこれまでね。ほんじゃ、またね。

2013年11月16日土曜日

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あっ、またか!

 
このところ、何とかごまかし、ごまかし、動かしていたメインのパソコンめが、いきなりまたおへそを曲げてふて腐れて動かないので、すみませんが今日はこの間からフェイスブックのほうに取り置き担っていた話をそのまま載せます。内容をご存知のかたがたはごめんなさい。でもこのことで、NHKの『ごちそうさん』が面白く感じられるようになったのも確かなのです。
『この間、自分のメインブログのどこかに、ご近所にロシア料理のつぼ焼きの店があるという話を書いたがこれがその後日譚になります

今日、たまたま時間があったので、たぶんお店の客もそろそろ引き上げたころだと思うころ、お店に行ってみました。西荻区民センターの近くのわき道からはいってすぐ、ポワヴルというそのお店がありました。

ところが、ところが、店主さんの体調がよくないので今月いっぱいで閉店の予定なのだそうです。お話を伺ったところ、店主さんはロシア正教には無関係だけれど、なんとあのバラライカで修行した料理人で、マスコミにも食文化の関係でも、知る人ぞ知るという方でした。

お店が閉店してしまうのは本当に残念ですがお店のある家自体が生まれ育ったご自分の家で、健康の問題もあるし、年金生活に入れる年齢になったからもういいということらしいです。残念!!

日本でのロシア料理が本来の専門の店主さんのお話では、...ロシア料理と一口に言ってもあの国は広大な国でさまざまな地域のさまざまな郷土料理があって、日本でのレストランのロシア料理というのはそのごく一部を切り取って日本人の口に合うように手直ししたものと思ってよいといいます。

食べ物というのは、どの国のどんな人でも、食べなれない味にはまず拒否反応があって、それを少しずつ口に合うように手直しするのが料理人のお仕事で、何が何でももとのままでは売れないということのようでした。

その話を伺ってみると、今のNHK朝ドラの「ごちそうさん」の世界がなんとなくちょっとわかってくるようでした。そういうことだったのかと新発見です。

ポワヴルはランチタイムだけの地域の小さなレストランですから何でも作って出しているお店です。もうじきお店をやめてしまうのはもったいないけれど、店主さんのお話をうかがえただけでも本当によかったと思いました。

わたし、お酒はぜんぜん飲めませんからお酒のことはさっぱりですが、今日のお話では日本酒というのは世界のお酒の中でもあの甘さが魅力で、辛口の日本酒というのは味わいに欠けたものだというのです。たぶんお料理を作る方ならではの感覚なのでしょうか。

ワインについても、ワインが広く好まれるのは、ワインというお酒がどんなお料理にも合うからだということでした。お酒とお料理って本当は切り離せないものなのですね。』
 
店主さんの意向で店が自然消滅の形で終わりになるまで話を出さないでということだったのでフェイスブックだけに出したものです。以上
 
 

2013年11月15日金曜日

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そういうことだったのか

 
こんばんは~、マリーで~す。

なんだかさあ、うちのおばはんたらあたしに今週いっぱい仕事を振るつもりみたいよ。いいのかなあ、そんなんでさあ。この間自分でもって、あんまりマリーさんばっかりだと飽きるからとか何とかいってなかったかしら。まったくもう、あの人ときたら調子がいいんだからもう。

今日はあの人、病院やお医者さんに文句を言ってるより、まずは第一今までお医者さんの説明を鵜呑みにするだけで、脊柱管狭窄症っていうのは坐骨神経痛がひどくなると起こることくらいしか知らなかったし、だいたい、まずは脊柱管狭窄症って何なのよ、なんていいだして今になってやっと検索してたのよ。

あの人のケースは骨にはそれほど大きな問題はないのは湯川先生の頃からわかっていたことだし、湯川先生に言われたことを信じて、ずっと細すぎる血管が問題だと思ってたのよ。だってあの人の血管て採血がすごく難しい血管なのはどのお医者さんも言ってるもんね。手術のときにいつも大変なのが皮膚がかぶれ易くて普通の絆創膏はどれも使えないし、同じ理由で貼り薬がどれもかぶれて一切だめなのと、血管の細さはどこの病院やお医者さんでも言われてたもの。

だけど、今日あの人、自分で脊柱管狭窄について詳しく調べていったら、原因が骨からではない場合、筋肉、筋力の低下が一番の問題なんですって。てことは、何のことはない河北病院の整形の女医さんが言っていたことが正しいんじゃないの。痛いものは痛いから当分、手持ちの痛み止めの塗り薬なんかは使うけど、ここはほんとに頑張ってダイエットと筋トレまでいかないにしても筋肉を強くする運動は重要なんだわさ。

昨日教わってきた運動を忘れちゃってるから、ネットで検索したら似たような運動がいくつも出てきたの。これはしばらく実際に筋肉を強くすることを心がけてみて、それでだめだったら、細い血管説で痛み止めの薬を希望しても遅くないなって、あの人も気持ちが変わっちゃったみたい。

となると、ますます今の河北病院の医療体制って最新のものを取り入れているとてもよい医療なんだってわかったの。びっくりよ。あの人、こうなるとすっかり気持ちが変わっちゃって、最近は全然連絡も取っていないけど、聖書研究会で昔一緒だった河北の理事長と親類だという知り合いにまで感謝しちゃってるわ。なんとも調子がいいというかなんと言うか、ころころ気持ちを変えちゃってるわよ。

それから、話は違うけど、昨日の聖書の集いで名古屋教区から東京に出向してきている三田さんて言う助祭の方の話が出たのね。三田さんは地球物理学の有名な先生でもある人物だって聞いてたからついでに検索したら、ほんとにすごい先生でこれもびっくり。うちのおばはんもカテドラルの講座を聞きに行ってみたいとか思い始めたみたいよ。さて、どうなるんでしょうね。

とにかく、あの人もやる気が出てきたみたいだからなんでもいいけどさ。そんなことで今日はおしまい。ほんじゃ、またね。



2013年11月14日木曜日

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11月も半分過ぎた

 
こんにちは~、マリーで~す。

今日はさ、うちのおばはん、夕方からお出かけして帰りが遅くなるからって、今のうちにブログ書くのあたしに手伝えっていうのよ。まったくあの人ときたらケータイ使いが荒くてやんなっちゃうわ。手伝え、手伝えっていつものことじゃないよねえ。

自分はたまにはちゃんと今日の分の予習をしなくちゃって、めずらしくパソコンの福音のヒントと聖書なんか開いちゃって、ちゃんと読むのかと思ったら、台所に行ってお料理の下ごしらえよ。まったく何やってるのよねえ。

いつだって面倒なほうはあたしに押し付けるんだわさ。あたし、聖書のことなんかわからないわよ。あの人、昨日、病院を変えることにして、阿佐ヶ谷に住んでいたときにずっと通っていた河北病院の整形外科に戻ることにしたの。やっぱり近くて、ちゃんとしたところで、ある程度わかっているところってなると限られちゃうのよ。

歯医者さんも阿佐ヶ谷の岡歯科に戻ったし、何だかんだって言いながらやっぱり阿佐ヶ谷には12年も住んでいたから、これからまた知らない初めてのところにっていうのは気が進まないみたい。ほんでもって、昨日、久しぶりに行ってみたら、昔、河北の整形外科でお世話になった湯川先生は亡くなったことがわかったり、河北もなんだかまるで昔と変わっちゃってとてもよい病院に変わっちゃってたのね。あの人もすっかり見直しちゃってたわ。

河北の整形の昨日見ていただいた女医さんも、新鮮な感じでよい方だと思ったみたいよ。たださ、あの人の足腰の故障って昨日や今日にはじまったわけじゃなくて、30年越しで今の状態だから、初見で簡単に決め付けられても困るんだけど、悪い先生じゃないからおっしゃることも取り入れながら、別の先生になってもいいから現実的に痛み止めのお薬もほしいらしいけどね。

まあ、それはいいけど、昨日の先生にまだ60代で若いんだからって、薬よりリハビリやストレッチでやっていきますと言われて、あの人、現実的ではないと思いながら、そうだ、まだ60代は若いんだよね。これから先のことも落ち込んでないで、前向きに考えていいんだって気持ちが変わっちゃったんだから、あの先生も絶対いいお医者さんよね。

なんていうかさ、さすがのうちのおばはんも目標とか目的ってなものがみえなくなっっちゃってたわけよ。つまりさ、今日の聖書の集いのテキストじゃないけど、聖書には「忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」ってあるけど忍耐って簡単に言うけど、忍耐するということ、諦めや投げやり、いい加減、適当になりすぎず、自分の目標にむかって、そのときそのときを出来るだけ一生懸命に生きることって考えていくとさ、それは自分の目標がはっきりしている必要があるんじゃないの。

この聖書の言葉ってさあ、自分の一生の目標としているものは何かとか、目指しているものは何かとかまで改めて考えさせる感じじゃないの。だってさあ、何のために生きているのかがはっきりしていないと、忍耐どころか惰性になっちゃいそうだもんね。なんか、アンパンマンのテーマソングみたいな話になっちゃったから、この辺でやめとくけど、あの人、昨日の河北病院の整形にいって、けっこう良いほうに刺激を受けたみたい。足腰の現実の痛みのほうの対処もちゃんとしてくれるともっといいけどね。

そろそろ、時間みたいだから今日はここまでね。ほんじゃ、またね。



2013年11月13日水曜日

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相棒12-5

 
今日の相棒のはなしは、どうもなにか無残な感じがしてならない。中国の科挙の昔から、選抜試験というものはいつの時代の何処の国にもあったわけだが、今日の話の出だしの就活学生たちのまるでお揃いのリクルートスーツ姿はなんだろう。

話の中で登場人物の一人が就活とは人生の集大成のようなものといったことを言うのが心に残る。人生ってそんな安っぽいものかねえ。大学で学生たちを育てている側の知人がいつだったか話していた、最近の学生の浅さを思い出してしまった。

どうも堅苦しい話ばかり出てきてしまうのでやめておく。それより、そのリクルートスーツについていた仕付け糸の謎から、事件の糸ぐちを解いていく右京さんの推理が見事だ。初めに着ていたスーツには仕付け糸はついていなかったのだ。

いったい何処で何が起こって新しいスーツに着替えたのか、さらにはどうして被害者は殺されたのか?就活をめぐっていったい何が起こったのか?そこにある人間関係はどのように絡み合っているのか?その辺はこれ以上余計なことは言いません。この先は見てのお楽しみ。

最後の花の里での場面がなにか心にしみます。やっぱり親子なんだなあ。

ちょっと寄り道

相棒の前にちょっとだけ割り込み

 
お馴染みの病院に行ってみたら面白いことになった。ここは阿佐ヶ谷に住んでいたとき、確か阿佐ヶ谷クリニックから紹介されていくようになったのではなかったかしら。河北総合病院だ。いろいろあったけど、ここはまあそれほどの文句も無いのでとりあえず行ってみた。

すると、内科の先生の紹介状も功を奏したのか、ちゃんとした診察をしていただいた。ただ若い女性の先生で、私の現状を半分は言い当て、半分は?? 骨には大きな異常はないし、痛み止めは出しませんときた。

骨には異常はないのは昔、河北の整形でお世話になった、今は亡き湯川先生も初めそういって、私がそれでも痛い、痛いと訴え続けたので、一生懸命学会の症例を調べてくださり、私の神経痛が骨より血管が細すぎて起こっているのを見つけてくださって、痛み止めのノイロトロピンとビタミン剤のメチコバールの組み合わせを処方してくださり、それをずっと飲んできたのだけど今回の先生は...、それは出しません。そのかわりに、リハビリで筋肉強化のストレッチを教わってください。それを次回までやってみて、それで納得できなかったら別の先生のところに行ってもいいです。ということだった。

リハビリのほうでは指導の方が、湯川先生を覚えていたので、湯川先生の処方の薬の代わりに今日のはこういう処方だと思ってやってみてくださいとのこと。

今日の先生の目にも私は太りすぎ以外はそんなに問題の無いまだまだ若い人に見えたらしい。ありがたいような現実の神経痛が不安なような複雑な気分。

とにかく、しばらくは筋肉強化のストレッチとダイエットしなくちゃ。それで駄目なら湯川先生の処方を出してくれそうな先生を探すしかない。どうなるのだろう。

この筋肉強化の処方は最新の整形の処方で、おまけに厚労省の方針にあうものらしい。でも、血管が細いのはどうにもならないんじゃないの、不安なのじゃよ。
 

2013年11月12日火曜日

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着る毛布に寝袋、そして着る寝袋

 
こんばんは~、マリーで~す。

うちのおばはんときたらさあ、中古のテレビを買ってからって言うもの、どうも世間の動きをやたら、テレビから仕入れるようになっちゃって、変なものにばかり目をつけてるのよ。今朝は最近流行りだとかの着る毛布だわ。あの人、前に安いのをひとつ買ってきて、結局今は、座布団代わりにいすに敷いてるのよ。だってサイズがさあ、あの人は普段着だってLLとか3Lから手直ししたりして何とか着られるものを探しているのよ。普通に売っている着る毛布じゃ横幅が全然足りないわよ。

今朝のテレビを見て、何とか自分の着られるサイズはないかって探してたけどなさそうだったから、ついでにAmazonで、この前デイリーポータルZで見て気になっていた着る寝袋を探してたわ。この冬は相当寒そうだし、冬場のガス料金は毎年本当に高くつくから、自分の部屋にいる時、少しでもできるだけ暖かくすごせるようにって考えてるみたい。

だけどさ、あの人、横幅とか体重はあるけど、背は結構低いのよ。着る寝袋はいいけど、下手なものを買うと、寝袋の足がもつれてお部屋の中で転んでばかりいるようなことになりかねないなあ。足首も外に出せる型のがあればいいけどね。

それから最近の寝袋って封筒みたいに出入りしやすい形のがあるのね。これは使いやすそうだわ。ただ、今のあの人は足腰の故障で、起きるとき、どこかに掴まるところがないと立ち上がれない状況だから普通の寝袋はだめじゃないのかな。その点でも着る寝袋って立ち上がったり歩き出して転ぶのを気をつけさえすれば実用的かもね。

実用品はちょっと高くてもいいものを選ばないとって、あの人、ほしいものリストに入れたけど、まだもうちょっと考えるみたい。実物を見る機会があれば一番いいのよね。まあ、とにかくこの冬をなるべくガス料金を節約して、いかに暖かくすごすかはほんとに現実的な問題だわさ。なんか毎年、今頃になるとあの人の頭の中、教会のクリスマスのことと、ガス料金のことでいっぱいになるのよね。今年は自分は聖歌隊で歌わないから、なるべくきれいな歌声の聴けるミサに行きたいと思ってるのよ。

つまらない話でわるいけど、今日こんなとこね。ほんじゃ、またね。

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羹(あつもの)

 
こんばんは~、マリーで~す。

今日はね、うちのおばはんがお鍋をガスにかけていて、まだもうちょっと煮込まないと、ガスを止めて後は明日にできない状況になっちゃってて、しょうがないからあたしもお付き合いよ。

急に寒くなってきちゃって、おいしくて体が温まって飽きない冬のお料理ってことで、あの人、またスープものを作ってるわ。やっとこさ、失敗作のチーズシチューをなんとか片付けたばかりだけど、今、ニンジン、玉ねぎ、ジャガイモがどっさり買いこんであるから、これを使うお料理が多くなっちゃうのよね。今日のは肉とニンジン、玉ねぎ、ジャガイモまではシチューと同じだけど、それにサバの水煮缶とトマト缶を一缶ずつ入れてるの。サバ缶が生臭いけど、ローレルの葉っぱも一緒に煮込むから大丈夫。

うちのおばはんは、スープとかシチューとかが大好きなのよ。自分で作るのもいいけど、このあいだからロシア料理のつぼ焼シチューのちゃんとしたのを食べてみたいと思ってるけど、ロシア料理ってお店が少ないから特にその気になってお出かけしないとなかなか行けないって悔しがってるのよ。

別にそんなおしゃれなものでなくても、スープとかシチューは簡単でおいしくて飽きないわよね。なにしろ旧約聖書の時代にも羹(あつもの)は出てるから、旧約の太祖たちも羊や牛のスープ料理を作ってたんじゃないかしら。

でも、あの人、時間のかかる煮物なんかのときになると旧約聖書を思い出して開いてみたりするのは何なのかしら。そうか、旧約って人間の生活がそのまま出てくるからかしら。普通の物語や小説に負けない面白さだしね。

聖書って堅苦しく読むのもいいけど、面白い読み物として読んでみても悪くはないと思うのよね。なんか今の時代にも通じるような話がいっぱい出てくるじゃないの。イエス様のお生まれになった世界って、あんまり日本人には縁のない世界だけど、人間の世界はいつの時代のどこの社会もおんなじだなあって思えるんじゃないかしら。

なあんて言ってるうちに煮えてきたみたいよ。あの人、台所に行ったきり戻ってこないからこれもこの辺でおしまいにするわね。ほんじゃまたね。

2013年11月11日月曜日

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※ 昨日はplalaが故障してメンテナンスであちらのブログはアクセス不能だったため、そのまま持ち越しです。

 

「あなたの愛が重い」

 
こんばんは~、なぜか今日もマリーで~す。

うちのおばはんときたら、今ねえテレビの八重の桜をつけっ放しにして、時々ちらちらそっちを見ながらパソコンをいじってるのよ。まったく一度に両方なんて無理に決まってるじゃないよねえ。

今日、あの人、ウォークマンの曲の入れ替えで久しぶりに昔の曲を何曲も選んだの。その中には、はしだのりひことシューベルツの「風」も入ってたのね。あの人にはほんとに忘れられない思い出のある歌なのよね。お母さんが亡くなってしばらくしたころにこの曲がよくかかっていてこれを聞いたお父さんがその歌はお母さんを思い出すから聞きたくないと言っていた歌なのよ。あの人もそれで、この歌を聞くとお母さんを思い出すの。

うちのおばはんて、小さいときからお父さんっ子だったんだけど、それと同時に一番上で初めての子だったから。下の二人より余計に両親の関心を集めていたのね。お母さんが小学校からずっと成績表を大事に箪笥にしまってあったのは長女のあの人のだけだったくらいなの。片耳が聞こえなくて、耳の遠かったお母さんは初めての赤ちゃんだったあの人のことは、何から何まで心配しすぎて、子供が何をしてほしいのか読み取って何でも先に手を出して子供に自分でやらせなかったのよ。

だからあの人、いまだに自分から行動するってのができないのよね。誰かが準備してくれるのを待って自分で何にもしないの。というか、どうすればいいのかよくわからないのよね、本当のところ。受身には強いけど、自分から動き出すのが苦手なのよ。いつだってお母さんがなんでも全部用意してくれていたから。

お母さんの影響力の強さといったら、昔、心理の先生のところに週一度、ずっと通って自分の心を整理してわかったのは自分とお母さんのつながりが問題だったことなんだけど、あの人、お母さんが死んでからもお母さんと切れていなかったのよ。あれから何十年もたって、若いころみたいにお母さんに呑み込まれた状態が続いていて自分というものがないような状態は抜け出しているんだけど、それでも自分から動き出すとなると弱いのよね。

お母さんは高校三年の卒業間際に突然に病気で亡くなっちゃったわけだけど、いまだにあの人に影響し続けているわよ。ほんとに怖いくらい。うちのおばはんの猫好きもお母さんゆずりだわ。よい影響だけを受け継いだらいいのに、あの人ったら、なんでもお母さん任せ立った子供のころをいまだに引きずっちゃってるんだもん。そこがあの人の弱みよ。

教会の神父様たちだってそこのところを理解しないと、あの人への判断も間違えるかもよ。大体、出だしからずっと間違えてばっかりだしさ。この先も全然見当違いな判断をしてたらどうにもならないと思うな。

昨日、あの人、NHKの目撃!日本列島の「あなたの愛が重い~娘と母にいま何が~」を少し見て、母と娘の問題なんて今に始まったことじゃないのにって、ぶつぶつ言ってたわ。お母さんて、いつまでたっても自分から生まれた子は自分の一部だと思っていて、子供のほうはすっかりお母さんに呑み込まれちゃってたり、何とかお母さんから切れようとしてものすごい戦いをしていたりほんとに大変なんだわさ。今月で64歳になろうというおばはんにして未だにその影響から抜けきれないでいるくらい重い問題なんだからね。簡単じゃないわよ。

長くなりすぎるからこの辺で今日はおしまいよ。ほんじゃまたね。

 

2013年11月9日土曜日

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お料理も想像力

 
こんばんは~、マリーで~す。

今日は土曜日だから、うちのおばはんもかなり暢気に構えちゃっててさ、夕方のミサの帰りも寄り道ばっかりしてんのよ。荻窪で一回降りたのよねえ。初めの予定じゃさ、荻窪の西友で買い物してバスでまっすぐお家に帰るはずだったのよね。

ところが、今日はお昼が軽かったからお腹がすいてたらしいの。それなのに電車の中でタブレットを見てたらGigazineの昨日の記事に「M屋の肉味噌茄子コンボ牛めし」っていうメニューの紹介が出てたのねえ。あの人、味噌茄子も、肉味噌茄子も大好きなのよ。気持ちが変わってたまにはM屋で食べて帰ろうってことになったわけ。だって、ああいうものこそ外で食べないとおうちでひとり分作るのはかえって面倒なのよね。

ほんでもってそこで夕食を済ませて、外に出たらまた気が変わってもう一度電車に乗って西荻窪の西友に行って買い物したのよ。どうせ重いものを運ぶつもりで実用のリュックを背負って出かけたし、外食の分、せめてバス代は節約しようっていうせこい考えね。

もうこうなったらどうせだからって、あっちに寄ってみたり、こっちも覗いたり、重い野菜果物を背負ってご苦労なことだわさ。やっとこさ、お家に戻って、テレビをつけて今日はちょっと夜遅くだけど、面白い番組があるのを思い出して、眠気覚ましの紅茶を用意したりしはじめたのよ。まったくもう、寝不足で調子が悪いなんて言ってて、夜更かししようっていうんだからどうしようもないわ。

でもその番組「妄想ニホン料理」って確かにほんとに面白いわよ。どうしてこれを、オンデマンドでやってくれないのか、残念だわ。そうすればあの人だって寝不足にならないで見られるのにね。

日本の料理なんて縁のない国の人に想像力を駆使してその名前のお料理を作ってもらうとどういうものが出来上がるか、これがもうなかなかすごいんだから。明日は日曜日だし、あの人、いつも遅い時間のミサだから寝坊しても大丈夫だってこの番組を楽しみにしちゃってるのよ。まったくしょうのない。

だけど、さっきテレビの画面に千葉県に竜巻注意報が出たってテロップが出たから、番組がなくてもあの人、心配で夜遅くまで起きてそうだからまあいいか。とにかく、今日はそんなことで、話はとりあえずおしまい。

ほんじゃまたね。

ほんとはね、もっとまじめな、NHK番組の母と娘の問題、あなたの愛が重いを取り上げるつもりだったのが、今夜はあの人の胃袋が重いから、簡単な話になっちゃったの。ごめんなさいね
(ケータイのマリーから)



2013年11月8日金曜日

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松谷みよ子さんの『現代の民話』

 
昨日、久しぶりに聖書の集いに出かけ、今度の日曜日分の福音を読んで分かち合った。そこでサドカイ派の人々とイエス様の死後の復活論争の話が出た。当時のサドカイ派の人々の考え方は、人間は生きている間だけで、死んでしまえば後はないというような考え方だったようだ。しかし、イエス様はそうではないことを教えようとされた。

これはいつの時代の何処の国の人にとっても頭を悩ませる問題だ。この問題を何とか説明しようとして多くの人がいろいろ考え、沢山の説を出してきた。でも、こればかりは、向こうに行ってしまうと大体それ以後は音信不通になるから誰もよくわからないのが本当だ。

誰も見たことも無いものを、人はどうして信じることができるのか? 最近ある出来事があって、かかわった方々は皆、それぞれにさまざまなことを感じ、考えさせられることになった。そのことで思い出したのが松谷みよ子さんの、現代民話考(全12巻)や、あの世からのことづて、現代の民話などの調査研究を集めた大量の本のことだった。

実を言うと自分の父親の死に際の奇妙な偶然以来、人が死ぬときは変わったことも起こったりするらしいと思っていたので、、今回の出来事もそれほど驚きはしなかった。それで思い出したのが若いころ読んだ松谷みよ子さんの本だ。あれはそういう出来事の話の集大成ではなかったか。

これは思うに、聖書の昔から、死後の世界はあるとか無いとかの論争と一緒に、時々信じられないような奇妙な出来事というのが本当に起こって、それに出会った人達は自分の経験でやっぱり、あちらの世界はあるらしいぞと、子や孫たち、周りの人達に伝え、伝えして死後の生を信じる心も伝えられてきたのではなかろうか。

いくら研究しても、人間には限界があるので、誰一人この世にいるうちはわかりきることなどできないのだが、信頼し、敬愛していた人達がそれこそこの世に残る人達へのことづてを置いていったかのような奇妙な出来事、たぶん、それを信じてこの世での一生を一生懸命生きることのほうが、あの世など無しと決め付けて生きるより、よりよく人生を味わえるような気がしている。愛する人達と共有してきた時間、彼らから受け継いできたこと、そういうものは、そういうものこそが信仰を支える土台なのではないかと思う。



メインブログからの転載

フェイスブックから

 
昨日というかすでに今日に入ったころの時間、夜中なのだけど、ちょっと気になることがあってタブレットをさわっていると、フランス在住の、ま_ここっとさんのブログに、昨日ツイッターのほうで見てかなりショックを感じたパパさまの写真が出ていた。大変な状態の一人のひとを抱き止めている一枚の写真。

昨日も思わず、うわっとパソコンを閉じてしまいそうになった写真。本当に世の中はいろいろなことがあるものです。直接そちらを紹介したいところですが、このタブレットではどうやってコピペできるかいまだにわからないのです。


時々、人間の組織としての教会には嫌気がさしますが、こういう写真を見ると本当に反省してしまいます。今の教皇様はやっぱりすごい。あんまり文句ばかりいっていては申し訳ないという気持ちになります。
昨日見たほうの写真はもう一枚のほうのもっとショッキングな、恐ろしいくらいの写真で、カトリック雑誌かなにかに出た写真です。

教皇様の写真とわかっていなければ日本では恐らく恐ろしすぎてだせない。崇高さより不快感を感じさせてしまうような、そんな写真でした。

しかし、その2枚の写真を見て、フランシスコ教皇様に関してはとやかく文句や反論は言えないと思った。本当に口先だけではない方だ。

日本語でヴァチカンからはじめてさんざん苦労してたどり着いた。ああくたびれた。

  http://translate.google.co.jp/translate?hl=ja&sl=it&u=http://vaticaninsider.lastampa.it/&prev=/search%3Fq%3Dvatican%2Binsider%26hl%3Dja%26biw%3D975%26bih%3D434

たぶん、この中のどこか。