2013年9月30日月曜日

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気になる『地獄でなにが悪い』

 
日経が取り上げていたくらいだからそんなに変な作品ではないだろう。

外国の映画祭(第70回ヴェネツィア国際映画祭)では賞もとったそうだ。主演は演技達者な俳優、國村隼さん、他の出演者も見逃せない俳優さんたちだ。これはぜひ見たいと思っている。

國村隼さんの話ではこれはコメディなのだという。しかし、それにしても映像は血まみれ血みどろ、血の海なんだけど?? でも、個人的には血の海くらいでは驚かない。

父がガンで入院中はずっと病院に泊まり込んだり通ったりでつきそっていたから、顔見知りの方が喉頭ガンの手術のあとの再発で頸動脈が自然に切れての大出血であっという間に亡くなった現場を見ている。

その程度で恐れも驚きもしないけれど、首が飛んだり手が飛んだりする場面もあるとかないとか。タイトルもすごいけど映像も凄まじいようだ。コメディとしては変わった部類のコメディのようだ。あまりにすさまじいと笑うしかないということかな?とにかく今週か来週にでも見に行くつもりだ。

ただのスプラッターで人々が感動するはずはないのだから、その辺がどう描かれているのか楽しみだ。

2013年9月29日日曜日

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頭痛い、だるい、眠い、今日はもうだめ

 
こんばんは~、マリーで~す。

うちのおばはん、今朝は起きだしたのも遅かったけど、一日中だらだらしてて、何処へも行かないし、何にもしないで、ただウォークマンの曲の入れ替えだけで終わっちゃったのよ。どうも夕べちゃんと上掛けも掛けずに寝ちゃったのがまずかったんじゃないのかしら。

一日中ぐずってて、まるで駄目子さんよ。夜になったら熱が出てきてさっき解熱剤飲ん出たから、これは寝冷えして風邪ひいたんじゃないの?まったく、大人の女性とは思えないありさまだわさ。

今はテレビで日本の伝統芸能を見てるけど、これ終わったらさっさと寝てもらいたいわ。こんなんじゃさ、様式美も何もあったもんじゃないわよ。ほんなわけだから今日はこれでおしまいね。まったくもう、本当にどうしようもないんだからもう。

ほんじゃまたね。

   

2013.9.28

妄想日本料理

 
昨日の朝はIPCC報告の内容で頭が痛くなり、この地球の気温の大きな変動はいずれはそれこそ地球規模の食料不足も招くことになりそうなことも考えさせられ、今はTPPがどうのこうのといっているけれど必ずいつか、それどころではなくなるのだと思った。それこそ食料自給率の低い国はどうなることやらだ。しかし、まだそこまで考えては早すぎよう。今は流れるままに日常を生きていくだけだ。

というわけで娯楽や楽しみを忘れるのはもったいないから、来週からの面白い番組のはなしをすることにした。

土曜日だから夜遅くなった時間だがテレビをつけたままだ。以前見てすごく面白かった番組が今度レギュラーになるのだそうで、今日は先立っての紹介だ。

何が面白いって、日本料理を全然知らない外国の料理人がほんとに簡単な説明を頼りに、ああかな、こうかなと想像を膨らまして料理を作るのだけど、これがあっというような出来で、笑ってしまったり感心したり、よくまあ考え出すものだと思うような料理ぞろいだったのだ。

来週からが楽しみだ。ほぼ夜中の放送だったら毎回は見られないけれど、たぶんオンデマンドに出るだろうと期待している。

 

2013年9月27日金曜日

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美味しいものは好きだけど

 
こんばんは~、マリーで~す。

今朝は寒かったわね。うちのおばはん、今日はあまちゃんを見終わったらすぐに掃除洗濯だけ済ませて高血圧の定期健診にいつもの内科のお医者さんに行ったのよ。この間から降圧剤が変わって、心配した足首や足の甲のすごいむくみはとれてるし、血圧も下がってるんだけど、血液検査の結果でひとつだけわけのわからない異常があるのよね。

あの人、お酒もビールも飲まないし、鳥皮やモツは食べないし、タラコや筋子は好物だけど、プリン体が多いのはわかっているから、たまのおにぎりの具くらいしか食べないし、卵の黄身だってあんまり食べてないのよプリン体の多いものはかなり避けてるのに何故か今日も尿酸値が高かったのよ。なんでよねえ。

あの人のお父さんが痛風で苦しんでいたから、尿酸値は気をつけているつもりなのにどうして検査結果が高いんだかわけがわからないわ。マヨネーズは毎日は使わないのよ。よく使う食材ってことなら、あの人お金はあんまり無いから、鯖の水煮缶をいろいろな料理に使ってるけどいつも野菜もいっぱい使ってるわよ。

原因不明の尿酸値の謎だわさ。

ほんでもって、お医者さんの後はそのまま四ツ谷に回って、帰りは区の図書館に行って夕方おうちに帰ってきたのよ。あの人、最近あんまり週刊誌や月刊誌の雑誌を読んでなかったのに今日は一生懸命雑誌を読んでたわ。何を読んでたかわかる?あまちゃん関連の記事よ。まったくとんだミーハーなんだからもう。

あ、ミーハーっていえば、うちのおばはんの知り合いの大阪の飴屋さん(豊下製菓)のところの、難波の伝統飴野菜って言う、可愛くて美味しい飴が賞をとったのよね。(ひろしま菓子博2013で「なにわの伝統飴野菜」が農林水産大臣賞受賞)

http://www.toyosita.com/yasai/naniwa_no_dentouyasai.htm


せっかくだから、ちょっと宣伝しちゃっとこっと。

それはとにかく、あまちゃんも終わっちゃうし、もう10月なんだから、そろそろ出来るところから動き出さなくっちゃって、暑い間は行きたがらなかった歯医者さんの予約も取ったしあの人も本当にのろのろとだけど、少しずつ動く気になってきたみたいよ。具体的にどうするかなんてまださっぱりわからないけどさ、動き出さなきゃ何も始まらないもんね。

そんなことで今日はおしまい。 ほんじゃまたね。

2013年9月26日木曜日

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ニュースを見て

 
大きいパソコンは使い物にならないし、タブレットはお気に入りのブラウザの今後の動向が怪しい、ちびパソコンだけが頼りの情けない状況だが、読むだけなら十分にこなせるのでこの時間、寝る前に今日のニュースを読もうとサイトを開いた。

すると、雅子様が皇太子様とご一緒に「国際青年育成交流事業」の第20回記念式典に出席され、壇上に上られた記事が出ていた。いやはや、なんともほっとした気がした。よかったよかった。

諸事情あって個人的にずっと心配しているのだ。見ず知らずの人間がいうのはなんだが、どうか本来の健やかさを取り戻してお元気な姿を今後もさらに見せていただきたいものだ。

人の運命は貴きも賎しきも無く、自分の思い通りにならないことだらけなのだけれど、雅子様が立ち上がって再び前に進むことが出来るように祈り願わずにはいられないなどと言ったら失礼だろうか。

でも、多くの善意の日本人はそう思っているのだと思う。




   

今朝のニュースと相棒関係

 
NHKテレビで認知症になった方が御自分の思いをインターネットで語っているサイトを紹介している。アクセスしてみたら相当大勢の方が一度にアクセスしようとしているようで全然繋がらない。たぶん、しばらくは繋がらないだろう。

NPO 健康と病の語り どこかに名前を書いておかないとこちらも忘れっぽくなっているからうっかりすると忘れてしまいそうだ。みんな他人事と言っていられない時代だからアクセスが集中してるのね。

もう一度確認したらフェイスブックページがあった。
ディペックス・ジャパン(Npo法人 健康と病いの語りディペックス・ジャパン )

※ 
朝から、ちょっと気の重くなるような話題になってしまってごめんなさいね。少し話題を変えて相棒12です。

相棒12は2013年10月16日(水)よる8時から 初回は2時間スペシャルです。なにぶんこのブログは相棒が始まると水曜日か木曜日は相棒の紹介ブログになるのでまたよろしく。

ついでに、相棒関係のニュースを少し。

驚きました。ツイッターを眺めていたら杉下右京のアカウントが出てきたのでフォローして面白半分にこのアカウントのフォロー先を見たらなんと、相棒の登場人物たちのアカウントがずらっと並んでいた。

相棒の暇課長の山西さんのお父様が亡くなったそうです。ご冥福をお祈りいたします。
 

2013年9月25日水曜日

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暑い?寒い?

 
こんばんは~、マリーで~す。

うちのおばはん、夕べ寝るときは部屋の中も暑かったから油断してたら、朝は寒くて風邪引いたみたいなのよね。咳が出たり、のどが痛かったり、でも手持ちの風邪薬で何とか収まってるけど、この先は用心しないとまた寝込んだりしかねないわよ。毎年おんなじなんだもん。

さっきあの人がテレビをつけたから一緒に見てたら天気予報で明日は夕方は来た風が吹くらしいって言ってたわ。こういうので油断するとまた本式の風邪になっちゃうんだわ。

あの人あんまり調子よくないから、早くねかせなくちゃならないし、今日も短い話で終わりでごめんなさいね。風邪がなおったらまたゆっくり長話できるからちょっと待っててね。咳がではじめるといつもろくなことにならないのよねえ。 ほんじゃまたね。
   

2013.9.24

あ、またパソコンめ!

 
※ 今朝おきてパソコンの状態を確認すると、一応正常に戻っているように見えます。これはたぶんまたクッキー同士がけんかしていたためかもしれません。さてどうしたものか、思案中。

フリーズして動きません。なんだかストライキを起こした感じです。 やっぱりこの間のリカバリーで動画や写真と音楽ファイルをいれるところを多目にとっておくべきだったか。明日はまたリカバリーをしてウォークマンのセットをしないとダメなようです。リアルプレイヤーと喧嘩をするのでしばらくいれないでおきたかったのに、やっぱりだめか、残念。 そんなわけで本日はこれでおしまいです。
 

2013年9月21日土曜日

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「風立ちぬ」―宮崎駿監督の夢

 
今日は吉祥寺に出かけて、映画「風立ちぬ」を見てきた。宮崎駿監督がこれを最後に引退宣言をした作品だ。どんな内容だろうと楽しみにしていたのだが、見ていてなんだか眠くなってしまって仕方がないので、ガムをかんだり、目を覚ましているために絶えずあごを動かしていた気がする。今回の話は飛行機とか空を飛ぶことに興味や関心がある方だったらこの映画は面白いかもしれない。しかしこちらにはだめだった。

「となりのトトロ」や「千と千尋の神隠し」の世界とどう違うかといえば、すぐにわかるのはこれはアニメではあるけれど、きわめて現実の世界に近い、というか現実的な世界のはなしだということだ。トトロや千と千尋の世界、特に千と尋は、国も人種も変わってもほぼ世界中で受け入れられ、国際的な賞を受賞したのにこれはそうはならなかったのは何故か。

千と千尋の世界はすべての人間の無意識の世界に触れるような面を持っていたためといったら言い過ぎだろうか。少なくともあちらは日本の神話や伝説だけでなく欧米の古代の神話や伝説にも近いものがあったと思うのだ。それは人の心をわくわくさせ、物語のストーリーにも期待感をもたせるのではないか。

でも今回のこの、風立ちぬは話の出だしからしてまるで違う世界だ。無意識を揺さぶるような種類の内容ではない。出てくるのは計算尺に、空を飛ぶための数式だ。眠くなるのも致し方ないではないか。

では、話のもうひとつの面、少女菜穂子と主人公の堀越二郎の愛と別れのほうはといえば、どうもこちらもちょっと中途半端かなあという感じなのだ。二人のごく内輪な古代的な結婚式の場面の美しさ、あれをもう少し進めたらこの話にも日本の古代神話の味わいが出たかもしれないと思う。しかし、はなしは飛行機が中心だ。そうはいかないまま別れになる。

なんだか残念な進行と終わりだった。飛行機というか空を飛ぶことは、主人公の夢というより、これは宮崎駿監督の夢だったのかもしれないと思った。

忘れていた。ゼロ戦はどうなったのかって?物語を見始めたらゼロ戦より物語の全体の流れのほうに集中してしまってゼロ戦消えてしまった。どうもすみません。

2013年9月20日金曜日

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ついでにマクワウリのこと

 
今は亡い母の兄の伯父たち、弟の叔父たちがまだ若くて元気だったころ、こちらはまだ小学生のころだ。母の実家は農家だったから夏になると野菜と一緒にスイカやトウモロコシ、それにマクワウリが我が家にも届けられた。当時は今のような大きくて甘いメロンなどは無くて、プリンスメロンさえまだ登場していなかったから、あっさりした甘さで水気たっぷりのマクワウリは美味しい夏の果物だった。

しかし、品種改良が進み、いつの間にか瓜は立派なメロンに化け、マクワウリはもちろん、プリンスメロンさえ消えてしまったと思っていたら、最近は揺り返しが起こっているらしく、なつかしいマクワウリが時々出回ってきているようだ。スーパーは無理だが、小さな小売店を中心に、気をつけていると買える機会がある。味は昔風のあっさり味だが、懐かしさで買わずにはいられない。

 
マクワウリはこんな瓜だ。

 写真の上下がひっくりかえってしまったのはごめんなさい。
   

NHK特報首都圏でゼロ戦のはなしが

 
実は昔勤めていた会社で、もう亡くなった方だが上司が少年飛行兵か、飛行学校生だったとかで、よく子供のころに兵隊さんに行ったはなしをしておいでだったものだ。

母方のこれもすでに亡くなった母の次兄の伯父がやはり、少年飛行兵だったと聞いている。二人とも無事に戦争の時代を生き抜き、それぞれの人生を終わったけれど、今も忘れはしない。

だからというわけではないが、映画『風立ちぬ』は見たいと思っている。本当は今日はこれを見てくるつもりだったのだ。でも出掛けに駅のマルシェでいつもなかなか手に入らないマクワウリを見かけてしまい、それを買ってしまったので足腰がよくないのに重い荷物を抱え込んでこれは帰りは映画どころではない、荻窪からバスでまっすぐ帰るしかないことになってしまったのだ。

ところが夜の特報首都圏を見たところが、なんと『風立ちぬ』にも出てくるゼロ戦の堀越二郎のはなしだった。ご近所の日産自動車の跡地はいまやすっかり変貌しているが、その青梅街道沿いの一角に中島飛行機跡地の碑が残っているのだ。

これはもうゼロ戦の思い出のためにも『風立ちぬ』はやっぱり見ておかなくてはなるまい。伯父や上司たちの思い出のためにもだ。それが良いとか悪いとかの問題ではない、ゼロ戦にかかわっていたすべての人たちの思い出のためだ。

 

2013年9月19日木曜日

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まだまだ気温は夏と秋のあいだ

 
こんばんは~、マリーで~す。

うちのおばはんは今、明日からの天気予報を見てたのよ。あの人、今日は久しぶりに上野の動物園に出かけてきたの。でも前と違ってなんか長距離が歩けないのよね。階段も苦手になっちゃってるし、これじゃまるで本当におばあさんじゃないかって言ったら怒ってたわ。なんたって高齢者週間に東京都のいろいろな施設が無料になる年齢なんだから少なくともシニアなのは事実なんだし、足腰はちゃんとMR検査で確認してもやっぱり脊柱管狭窄だし、しょうがないものはしょうがないんだからさあ、まあ、出来ることをするしかないのも本当だけど。だけどそれでもまだまだ出来ることだってたくさんあるのよね。

一日中園内を見て歩くのは無理でも今日みたいに、あの人の好きな動物たち、象さんとか、可愛いペンギンとか、釧路市動物園から来たエゾシカのQちゃんに会いに行くとか、目標を決めて足腰の調子に合わせて欲張らずに見ていけばいいんだわ。以前だったらついでにスカイツリーにも足を伸ばしてソラマチを見て回ったのにって言ったって、今は今だわ。欲張っちゃだめなのよね。前はあの人、年間パスポートを買っていたのに、足腰の具合が悪くなってから、そんなにたびたび行けないからパスポートも買わなくなっちゃったんだわさ。年をとってくると個人差はあっても、誰でもみんなだんだんと若いときに出来たことが出来なくなったりするみたいね。だからって、なんにも出来ないってわけじゃないのを忘れちゃ困るわ。

それなのに最近のあの人を見るとちょっとお尻をたたきたくなるんだわ。以前のようには出来ないことが多くなってきてがっかりしちゃってるのよ。今でも出来ることのほうを探さないでどうすんのよ、まったくさあ。

そんなわけで、少しは涼しくなってきたら気分転換にもどんどんお外に出かけてほしいって思ってるのよ。歩くのがだめでも、東京近郊のJR路線を車窓から一周とか、お金のかからない楽しみだってあるんだわ。もっとも、今のあの人は座ったままも腰に負担がかかってだめかな?少し研究が必要みたい。

昼間はまだまだ30度までいくらしいけど、朝晩は寒いくらいで体調には気をつけないとだめだけど、それでも動いてみたほうがいいと思うのよね。これからの自分を見つけていかなくちゃってことよ。

ほんじゃ、またね。

2013年9月18日水曜日

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杉並区は広い

 
生まれ育った千葉県市川市で過ごした年月よりも、東京都民、杉並区民になってからの年月のほうが長くなってしまった。まさかこんなに長く杉並区民でいるとは夢にも思わなかった。しかも中央線沿線だ。

子供の頃、若宮から外部に出るには歩くか京成バスで中山に出るしかなかったのが、私が会社に勤めるようになった頃は西船橋の駅ができて、今のメトロが停まるようになり、会社のあった神保町には竹橋から歩いたりしたのは覚えている。しかし、だいぶ忘れてしまって今では中央線沿線のほうがよくわかる。いつのまにかそれだけの年月が経ってしまった。

大体、市川市若宮からの中野というと地の果てのような気がしていたのが、いまや、中野の先の住人だ。この杉並区は中央線沿線はそれほどの距離でもないが、南北に広い地域だ。そしてこの土地にすぐになれることができたのはここはほんの数十年前までは市川市の昔の我が家の周辺と同じく畑や緑の多い土地だったからなのだ。

数年前からは青梅街道に近い地域の住人だが、高円寺でも阿佐ヶ谷でもここでも、若宮にいた頃と同じく、ご近所には小学校があって、まるで違う土地にいるような気がしない。これは杉並区の歴史が、江戸時代のこのあたりが農村地帯だったことと関係しているようだ。市川市若宮も、父方の本家の中山も鎌倉時代からの古い土地でほとんどが農村だったから、とてもよく似たところがあるのだ。

それでもこちらはさすがに東京だと感じるのは街の賑わい、若者の風俗、映画館や大きな公園、大学や病院を見るときだろうか。大体子供の頃は、競馬のある土日以外は自動車というものを見ることもない田舎だったから、青梅街道を見ると不思議な気がするくらいだ。はるか昔はこの青梅街道も若宮の木下街道同様、牛や馬がのどかに歩いていたのだ。関東大震災がこの杉並区の発展に大きく寄与したのだという。

関東大震災で家を失った人々が都心から落ち延びてきて住み着いて街が出来上がったのがこのあたりの始まりだそうだ。時は移り、時代が変わって、今再び次の地震が心配されているが、どんな出来事でもよい面と悪い面と両面あるわけで、地震や噴火、自然災害は恐ろしいが反面、新しいものの始まりにもなるのだろう。

備えながら、しかし、恐れているだけでは何も始まらないのだ。

   

人と人(コミュニケーションの問題)

 
今日はなかなか面白いことがあった。

憂鬱な気分で東京衛生病院に出かけると、今日は運よく以前からのおなじみの先生に当たって、スムーズに話が進み、やっぱり前から知っている先生の言うことだとこちらもすぐに納得して、言われたようにすることにして帰ってきた。

家に戻ってから福祉事務所に電話するといつもの担当者がいなくて別の方と話したわけだが、その方が肯定的な対応をしてくださり、足腰の不調で3階から粗大ごみが下ろせなくなっている件の解決方法もちゃんと提示してくださった。

今回はお医者さんもちゃんとこちらが納得する説明をしてくださり、福祉事務所の応対者もこちらの話もちゃんと聞いてどうするのがよいのか答えてくださったので、こちらも納得して受け入れることができたわけだ。

これって信頼感のあるなしが人間関係では大きな要素になるということなのかもしれない。

こちらの話もちゃんと聞いてそれに対するちゃんとした答えを返す、これはコミュニケーションの基本だが、案外とこの基本的なコミュニケーションというのが無視されているものなのだ。言いたくはないけれどカトリック教会もそうだろう。だからいつまでたってもどうにもならない。
 

2013年9月17日火曜日

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「少年H」再び

 
もう一度見たいと思っていた「少年H」を見に行ってきた。

今日の映画館はなんと言うか、昔々のレトロな映画館そのままなので、ちょうど少年Hの時代の雰囲気に釣り合いがとれてなかなか情緒があってよかったと思う。今日は細かいところをしっかりと観察しながらみたので俳優さんたちの演技もしっかり確認できた。池先生の音楽もやっぱり何度聴いてもさすがだ。

タイムスクープハンターは、NHKの人気ドラマだから、テレビののりで見て普通に楽しんだ、なんと宇津井健さんが出ていた。昔からのよく見慣れた俳優さんが出てくるとなんだか安定感が増すような気がする。テレビのシリーズのほうにも登場していただきたいものだ。

映画自体は両方とも面白かったのだが、残念ながら今や長時間同じ姿勢で座っているのはあまり楽ではなくなってしまっていたのだけは残念。今日はさっさと横にならないと腰が痛くてかなわないのでこれで終わりにしておきたい。

明日は問題の衛生病院の整形外科に行って来なくては。まあ、どうせ痛み止めのお薬だけだから近くて通いやすいところが無難ではあるのだが。

2013年9月16日月曜日

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フェイスブックノートのメモ3

 
※ 当人が迷っております。

まとまらないいくつもの断片。


なぜそうなったのかなんて、理由はわからない


何をどこからはなしたらよいのかも迷う。仕方がないから順序はばらばらでいく。メモ1でカトリック市川教会の聖堂に安置されていたファティマのマリア様のご像のことを書いたのを思い出してほしい。


四谷の教会で大変な誤解事件に巻き込まれたりしながらも、あの当時、ライフ神父様が四谷の助任司祭になって、ライフ神父様はさすがに多くの司教や司祭、修道者を育てただけの方で、私についてもちゃんと正しく判断し、受け入れて下さったおかげで普通の教会生活は安心して続けられたし、会社も順調、あの司祭との関係がギクシャクしていること以外はさほど問題のない日々だったと思う。


問題は、四谷に行き始めてからなんだか普通はありそうにもないことばかり起こっていたことか。重大誤解事件もそうだったし、聖歌隊のある問題で当時の主任司祭だった薄田神父様に手紙で相談したら、なんとその頃、イエズス会の管区長になったばかりだったピタウ師が一般信者の問題に自分から介入して解決してくださったり、それだって普通はありえないことだったのだ。


そして、ローマでは新しい教皇様が急に亡くなって、次に選ばれたヨハネパウロ二世が来日されたと思うと、ピタウ師をローマにお呼びになったりしていた頃のこと、ライフ師はすでにお亡くなりになっていた頃だ。ある時、急にニュースなどに、もし核戦争が起きれば核の冬現象で人類は滅亡するだろうという科学者たちの研究結果が大きく発表されたわけだ。教会でも早朝のミサで今は亡きオブオンク師が人類の危機だとおっしゃって、それを聞いたとき私が思い出したのは、市川教会以来、ずっと気になっていたファティマのマリアさまのはなし。
このままで行くと世界は本当にファティマのマリアさまの予言どおりになってしまうのかもしれないと思い、気になってたしか霜山先生か、遠藤先生かどちらかに手紙でその話をした。ソ連のことが気になると。そしたら翌日のニュースのトップはチェルノブイリ事故で、それが今の生活保護受給で暮らすはめになった始まりだったのだ。


-手紙を書くとまもなく、本当にまもなくだ、米ソ首脳対談の話が決まり、そのあとはどんどん話が進んで世界の状況はすっかり変わっていった。その後、アメリカの大統領がレーガンから父ブッシュに交代してしばらくすると、当時阿佐ヶ谷に住んでいたのだが、日本時間の夜中に阿佐ヶ谷のアパートに国際電話がかかってきた。てっきり人違いと思ってこちらはすぐに切ってしまったのだけど、後であれはブッシュフォーンだったのだとわかった。その頃はそのまま黙っていた。でも、何年か経って、四谷の教会で別の問題が起こり、私について失礼千万なうわさが流されたとき、国の人権相談に話しを持っていって、父ブッシュからの国際電話の記録が残っているはず、一国の元首の国際電話だから必ず記録が残っているはずだから確かめてほしいと申し上げたところ、やっぱり思ったとおり記録はあって、誰も何もいわなくなったのだった。
しかし、そんな証拠はあっても何せこちらはちっぽけな一個人、それも何の力もない女性とあってはどうにもならなかったのも本当だ。だからこそ、なんとかしなくてはと始めたのが、童話や物語りの形で、自分の中にあるものを書いてみることだったわけだ。それが公園のお風呂ダヌキそのほかの書き物だ。
でも話しが飛びすぎるのでまた後で別に話すことにしてここははじめの流れに戻ることにする。ー


こちらは知らん顔をしていても実はかなり敏感で神経質なほうなのだ。周囲の変化はすぐに気がつく。


あの時は、四谷の教会に立花隆さんも来ていましたっけね。マスコミ関係者が会社にも来たのを感じて、こちらはたださえあの時期、会社は仕事がなくて暇でいらいらする毎日だったところに神経のつかれる状況に、つい簡単に会社を辞めてしまったわけだ。本来ならこちらは技術職で、仕事がないということはありえないはずが、どこへいってもマスコミが付きまとって、シャーマンだ、巫女だと騒げばこちらはまともに就職できず、そのうち貯金も底をついて、パートやアルバイトでつないでいたとき、知り合いのシスターがなぜか、このままでは大変なことになるから、とにかく福祉事務所に行って、生活保護を申し込むようにと言った。本当ですぞ。


今思えば、霜山先生も上智の職員としてイエズス会の誰かさんの言うことを聞かないわけにいかないお立場だったし、遠藤先生もよくわからない女の子のことだし、誰かさんのほうを信用したのでしょうな。誰かさんはそのすべてを利用して政界財界に顔を売り、上智の宣伝に使ったわけだ。あのシスターに私への伝言を頼んだのは誰か知らないけれど、結果として、今、生活保護のままほったらかし。エト、上智自体はよい大学です。イエズス会自体もよい宗教団体です。ただ、人間の集まりだからどうしても問題は起こるのですよ。



本当にまとまりのない話だ。 続く

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とにかく一度全体を振り返ってみることにした

 
といっても、やたらに誰にでもお見せできるような話でもないので、フェイスブックのマイノートのほうにおいておくことにした。こことは別に少しずつ埋めていくつもりだ。
申し訳ないのだが、フェイスブックのほうは友人のみなのであしからず。ここは万人に開放なので、個人のプライバシーの問題も考える必要のあるものはさすがに向かない。たいていのことは包み隠さず出しているほうだと思うが、さすがにまずいものもあるというわけだ。
ただ、問題のあるもの以外はおいおいこちらにも、まとめてだすことにしたい。


   

2013.9.14

何事もバランスは大事

 
地球の歴史の時間単位で考えれば、何があってもたいしたことはないわけで、なんということもない。それより、このところ久しぶりに面白いテレビドラマがあって、毎週楽しみだった。NHKの夫婦善哉、最終回だ。

 
今日の一場面から。

   

頭痛のたね

 
こんばんは~、マリーで~す。タブレットからなのにあたしが出てくるなんてめずらしいでしょう、うちのおばはんもこの先はちょっと問題が複雑で大きすぎて、どこから手をつけたらいいのか迷ってるのよね。だけど昨日の警察病院の整形外科の原口先生の様子から判断してこの先は黙ってちゃ駄目だってわかったみたいよ。衛生病院も警察病院も、いや医師会あたりかもしれないけど、まあ、今の日本の社会保障費問題を考えればあんまりやたらに文句は言いたくないんだけど、今のうちのおばはんの生活保護受給って普通の生活保護受給とは違うのよ。あの人は被害者なのよ。本来だったら生活保護受給なんておかしいはなしで、お偉いさんの政治家や経済界やマスコミや、本当だったらそんなでいいはずのない宗教家や、あのとんでもないオウムまで関わった大事件のお陰で今の状況なのに、知らん顔ばかりされて、ただのそこいらの生活保護受給といっしょくたにされるのは絶対納得できないって、これまでの話をもう四谷だけにとどめてちゃだめみたいだってわけよ。だけどやたらなところに話が流れちゃ困るから、大司教と補佐司教に当然イエズス会の責任者に、多少関わりがあって、霊的な世界のことにも少しは理解力がありそうなカルメル会の中川師とか、フランシスコ会の司祭方とかに宛てた手紙の形で書きたいと思ってるらしいのよ。もう何度もその話は書いていたのに、全部、今は亡い某司祭のところで握り潰されてたんだわ。なにしろその方オウムにも繋がってたから。そして杉並区の区のお偉いさんだった人にも。うちのおばはんを利用して株価を操作したい人たちとか、いろいろいたのに上の方はなんにもわかってないどころか、宗教的なことさえちっともわかってないみたいなんですって。何をどこまで書けばいいのかもまだ迷ってるけど、あの人、今回はちゃんと伝えるしか道がないんじゃないの?滅茶苦茶だわ。
 
 

2013年9月13日金曜日

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あれ、こんな味だったかな

 
こんばんは~、マリーで~す。

うちのおばはん、今朝はちゃんと早起きして中野の警察病院に行ってきたわよ。このあいだのMR検査の結果のほうはやっぱり思ったとおりちゃんと脊柱管狭窄だったのよね。といってもまだ手術とかまではいかない軽い程度よ。やっぱり痛いのは痛いから痛み止めはどうしたって必要だし、結局とりあえず薬のほうはわかっている東京衛生病院に戻ることになったみたいよ。

今日はちゃんとMRの画像のCDと診断書をもらったから、衛生病院には知らん顔で提出してやるんだって。まったくねえ、病院はとにかく、今の状況の原因を作った人たちにははっきりさせずには置かないってあの人怒ってるけど、動くのは少し頭が冷えてからのほうがいいんじゃないかしら。今、やたらに頭にきてるもん。

そんでもとにかくちゃんとまともな検査結果は出たんだし、痛いのは他の人じゃなくてあの人自身だから、軽度のたいしたことのない脊柱管狭窄って言われたって、現実に3階から大きい重い粗大ごみが下ろせなくなってベランダに積んであるのを知らん顔されちゃかなわないわよ。

まあ、この話はまた今度にして、もうちょっと面白い話にするわね。今日、すごく珍しいものが駅中の売店に出てたの。最後の一袋しかなくて、なんか大分ちっぽけでみすぼらしかったけど、めずらしいからってあの人買ったのよ。昔々、あの人が子どものころに食べていたみたいな日本の古い瓜よ。今のなんとかメロンとはまるで比べ物にならないような貧弱なフルーツだけどね。

万葉集の時代に、山上憶良が「瓜食めば子ども思ほゆ・・・」と歌に詠んだ瓜は、当然日本の昔の瓜で、今日あの人が買ったのはそんな昔の瓜を連想させるような瓜だったのよ。

お家に帰って皮をむいて割って食べてみると、瓜には違いない味だし、ほんのり甘いんだけど、うちのおばはんでも今の時代のスイカやメロンの味に慣れすぎちゃって、子どものころに食べた瓜のあじってこんなだったかあなあって首を傾げてたわ。果物の甘さの基準が昔々と今ではものすごく違うみたいよ。

イチジクやぶどうだって遥か昔、あの人のおうちの庭にあったイチジクやぶどうの味とは相当違うもんね。おうちの庭はお父さん、お母さんが大事に手入れして土も栄養がよかったらしくて果物もすごく甘かったんだわ。今、お店で売ってるのとは全然違うのよ。

山上憶良の時代の瓜の味は想像するしかないけど、どんな味だったのかしらねえ。今日あの人が食べたのはぼんやりした甘さで歯ざわりだけはよかったんですって。今時のメロンみたいにねっとりやわらかいなんてのとは正反対の世界の味ってとこかな。

そんなところで今日はおしまいね。 ほんじゃまたね。

   

2013.9.12

花は咲く

 
このところ、どうも日本列島やその周辺の海の地下は人間の目に見えないところでなにやら剣呑な動きを繰り返しているのだが、だからというわけではなく、たまたま東日本大震災復興支援ソングを今頃やっとじっくりと聞き、ちょっとしたショックを感じている。今まで実はよく聞いたことがなかったのが、夕べテレビで視聴してびっくりしたのだった。この歌の内容って実はあの時突然に人生が終わりを迎えた亡くなった方たちの側の視点からの歌だということに初めて気がついたのだった。ただ感傷的な言葉を並べているわけではないのに今頃気がついた。毎日当たり前のように生きているけれど津波や事故に限らず、全てのなくなった方たちの人生はそこまでで終わってしまったのだと言うことがいきなり頭のなかに飛び込んできて、今頃物凄いショックを感じた。みんなやり残したことをおいたまま去っていってしまったのだ。なんと言う深い悲しみ、心の痛み、いや、しかし、地球の何十億年という年月のなかで人類の存在の歴史自体、ほんの一瞬なのか。なんと言う悲哀。永井博士ではないけれど、まさしく真に求める価値のあるものは滅びぬもの、永遠のものだなあ、とあらためて思う。
 
 
   

仕方がないからタブレットで

 
午前中にフェイスブックのほうにはちょこっと書いたのだが、パソコンがチビパソコンの方まで調子がおかしくて、直ったかと思うとすぐにまた変になったりで、仕方がないから寝かしておいた大きい方のパソコンを使えるように調整することにした。しかし時間がかかるから今日はタブレットからの簡単な話ししか書けそうにない。いずれにしても明日はまた中野の病院に朝一で先日の検査結果を聞きにいくので今日は木曜日ではあるけれど、聖書の集いはお休みすると伝えてある。出掛けないで作業を続けるし、今日中になんとかなるだろう。

2013年9月11日水曜日

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南北線

 
こんばんは~、マリーで~す。

うちのおばはん、今日も昨日に続いて病院通いよ。今日は眼科のほうで、あの人、緑内障だから時々視野検査を受けるんだわさ。だけどいつもと違っちゃったのは出かけるちょっと前にテレビにテロップが出てきて、中央線快速が人身事故で動いてないのがわかったの。それもさあ、荻窪駅での人身事故だっていうのよ。

慌てるわよ、それはさあ。あまちゃんを見て1時に家を出てもバスで荻窪に出れば快速で四ツ谷に行って南北線に乗れば東大前から病院までそんなに時間がかからないって思ってたのに、やっぱり、あまちゃんは見ている時間がないわよ。あの人、今日は朝も寝過ごしちゃってるのよね。オンデマンドで見るしかないわ。いや、あまちゃんどころじゃないわよ、眼科は2、3ヶ月に1度しか行かないから、いつもと違うコースでどのくらい時間がかかるのかわからないし、早く出かけなくちゃ。

そんなわけで行きはもう気が気じゃなかったんだわ。でも何とか間に合って、ちゃんと視野検査は受けたから大丈夫。緑内障って気がつかないうちに少しずつ、見える範囲が狭くなっていくのよねえ。ほんで持って、ほっとくと失明して直しようがない恐い病気よ。うっかり屋のあの人もさすがに緑内障用の眼圧を下げる点眼薬はきちんきちんとつけてるもんね。おめめが駄目になってはなんにもできないじゃない。視野検査は現在どの程度の範囲で見えているのか調べるのよ。

まあ、きちんと眼圧を下げる薬を忘れさえしなければ症状も進行しないからそんなに心配もないけどね。うちのおばはんも初期に薬の大切さをしっかり教えてくれたちゃりんこさんていうお友達には今も感謝してるのよ。同じ緑内障の先輩の言葉だもの。意味は重いわよ。

昨日は警察病院と中野間を歩いてみたし、今日はいつものバスじゃなくて四ツ谷から南北線で東大前から病院まで歩いてみて、あの人、やっぱり自分の目と足で確認しながら歩くと、そのあたりの地域が身近になるのよね。いまでこそ杖は突いてるけど、元々は歩くのが大好きだったから、やっぱり出来るだけ歩いてみなくちゃって思うみたいよ。内科でこのあいだ血圧の薬が、利尿効果のある降圧剤にかわってから、足首や足の甲のむくみは出なくなってるし、長く歩いてもかなり大丈夫な感じよ。

まったく、おくすりってちゃんと適切に使えばよく効くのよね。秋になってくるとカリウムの多い果物がたくさん出回ってくるし、あの人の血圧のためにはこれはすごくいい季節だわさ。
そんなわけで今日の話はおしまいね。ほんじゃまたね。



あれれ、うちのおばはん、あたしにはこんなのを手伝わせておいて、自分はNHKのテレビで復興の歌の『花は咲く』に聞きほれてるって何よそれ。でもいい歌ね、これ。


2013年9月10日火曜日

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アミメキリンのスカイ

 
こんばんは~、マリーで~す。

うちのおばはん、今日は中野の東京警察病院に腰のMR検査に行ってきたのよ。ほんとのところ、あの人の痛いところは膝より腰のほうなのよ。でもさ、なんかよくわかんないのよねえ。日医大病院からの診断書には腰部脊柱管狭窄、脊椎症ってあったのをはっきりおぼえているんだけど、どうして衛生病院ではちゃんと再検査もしないで無視したのよ、謎だわよ。結果によっちゃあ、痛み止めのお薬だけだったらまた衛生病院に通うことになるみたいだけど、なんかこのままじゃ困るんだけどなあ。まあ、金曜日に今日の結果をきいてからだけどいったいどうなるのよねえ。

あの人もただの素人の患者だから、あんまり言えないんだけど、それでもおまたの痺れとかおしっこの出の状態とか、自覚症状を見るとどう考えてもやっぱり脊柱管の問題のような気がするし、このあと、また衛生病院に行けと言われても困るなあって今から心配してるみたいよ。

あんまりとやかく言ってもしょうがないからやめとくわね。もうちょっと別の話に変えようっと。

北海道に釧路市動物園ていう動物園があるんだけど、何年か前にそこで生まれつきの障害のあるアムールトラの子供が生まれたのよ。タイガとココアっていう兄妹で、タイガのほうは早く亡くなって、今は妹のココアだけになったけど、このアムールトラのことをそのころ書いていたヤフーブログに出したのがご縁で釧路動物園応援団のツヨシプロジェクトの方と知り合って、うちのおばはん、東京に住んでるんだけど、ツヨシをはじめホッキョクグマのおかげというか、ホッキョクグマつながりで円山動物園、おびひろ動物園、男鹿水族館のニュースも追いかけているのよ。

上野動物園にいたホッキョクグマのユキオが今、ツヨシのおむこさん候補で釧路市動物園にいるし、東京も無縁じゃないしね。

ほんでもってさっきテレビを見ていたら、このあいだネットで、おびひろ動物園のキリンの子が大きくなって今度釧路に移動する話が出てたんだけど、今日、そのキリンのスカイを移動させるように檻に移そうとしたら暴れだして騒ぎになって、とりあえずまた今度に延期になったのがニュースに出てきてびっくりよ。ついこの間まで小さい子供だったスカイが暴れまわるほど大きくなってたのね。今、ツヨシプロジェクトのヤフーブログをみたらもう記事になってたわよ。

動物の子も、人間の子もいつのまにか大きくなっているのを大人はちゃんときちんと見守っていないとだめなんだなあって、あの人、キリンの子の抵抗する姿を見て考えさせられてんのよ。あったりまえじゃないねえ。

アミメキリンのスカイ、釧路に移ったらどんな風に変わっていくかしらねえ。てなことで今日の話はおしまい。ほんじゃまたね。

2013年9月9日月曜日

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ちょっと内輪のはなし

 
こんにちは~、マリーで~す。

昼間からどうしたんだって? いつもとおなじよ。うちのおばはんがドジったおかげであたしがまた手伝う羽目になっちゃったのよ。あの人ったら四ツ谷の昼ミサに行くつもりで駅まで行ったんだけど、改札を入ろうとしたら定期もお財布もバッグに入って無くてまた家に帰ってきたのよ。ほんでもって玄関あけたら、入り口の棚の上になぜかお財布と定期が並べておいてあったの。

出掛けに何の気なしにひょこっと置いて、電気を切るのを忘れてたのを思い出してもう一度奥に入って、お財布と定期のほうは忘れて駅まで行っちゃったんだわ。あの人、60歳以上は老人週間中は都立の施設はほとんど無料とか割引だって言う記事を見て60代を老人だなんて失礼だって言ってる割にしっかり物忘ればっかりしててさ、まったくしょうがないのよね。

そんなわけでもう今日は出かけるのはやめて、帰りに聖三木によって書くつもりだったお手紙もお家で書くことにしたみたい。でもお家の机と椅子って書き物にはちょっと位置が高くて書きにくいのよ。こういう時は不便なんだわさ。パソコンを片付けて椅子の座布団を高くするしかないけど、書きにくそう。印刷機が壊れてから買ってないもんだから、お手紙は手書きなのよねえ。

あの人の元々の仕事って和文タイプと写植のオペレーターだったから、職業病で肩は壊してるし、指も関節症だし、手書きのお手紙って後が大変なのよ。10枚くらい書いたら1週間くらい腕や手指を休ませないと、主根管症候群だから、手指が使い物にならなくなってくるし、書いてる字も汚い字しか書けなくなっちゃうのよね。それでも今回はとにかくまずは書くしかないっていってるわ。

もう何十年も経っちゃって、関係者だって殆どがもうこの世にいないってのに、かんじんの責任者たちは全然なにがどうなっていたのかわかってないってあの人、うんざりしてるみたい。わかって都合が悪いから知らん顔してるのかなあ。まったくひどいもんだわさ。とにかくこのままじゃどうしようもないし、ここはとにかくやるだけのことはやってみようって思ってるらしいわよ。ぜんぜん正しい話が伝わってないから小さい姉妹の会のことだってあの人の考えとまるですれ違ってたんだわ。あの人、小さい姉妹の会には入りたがってなんかなかったのにさ。似てるけど違うんだわ。

昔、リバス神父様が黙想学校で話された観想の道の二つの方向に関係してるんだわさ。貧しさを生きることはあの人には目的じゃなくて手段なのに違うものを押し付けられたってついていけるわけないじゃない。ああ、こんなとこで説明しててもしょうがないのよね。あの人が何とか自分で説明出来るといいけど、やってみるしかないんじゃないの。

長い、長い話をどうまとめられるか、相当に問題だと思うなあ。わからなければ何度も書いてみるしかないのかもね。わけのわかんないはなしでごめんなさいね。あたしだってどこからどう手をつけたらいいのか全然見当がつかないの。まさかって言われそうなはなしばっかりだもんね。とにかく、後はあの人の仕事だわさ。

ほんじゃまたね。


追加 結局今日は全然仕事が進まなくて、あの人、YouTubeで妹尾河童さんのこの間見てきた映画少年Hのことでの長時間対談を聞いてたの。そんで今週は連日病院に検査で行かなきゃならないから、焦ってもそんなにできないし、ゆっくりいくつもりになっちゃってるみたいよ。

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なんだかなあ

 
9月15日から21日まではなんと老人週間なのだそうだ。東京なら都立の動物園水族館、公園、博物館の常設展が無料だそうだ。足腰の調子が悪くなってからは、上野動物園にもご無沙汰続きで、せめて動物園のサイトを見て楽しむくらいになっているが、その動物園のサイトにお知らせで出ていた。しかし、まず、どうして60歳以上なのだ。60代だよまだ、せめてシニア週間と言い換えてほしいな。まあ、こちらはどっちにしても長く歩くのは簡単ではなくなってしまってせっかくの無料でもあまり意味がない感じだが。もろ老人週間だなんてなんだかなあ、もうちょっとセンスのある呼び方にしてほしいではないか。
   

パソコンまた動かない

 
仕方なくリカバリーしていたから、ブログどころではなく夜中になってしまった。どうもここのところ、メインのパソコンは絶対おかしい。これはしばらく機械を使用中止にして眠らせておくしかなさそう。そのうち外部からの手出しは消えると思うのだがまったくいまいましい。しばらくはタブレットとおまけのミニパソコンでいくしかない。ウイルスバスターめ、全然役にたたないのはどうなっているのだろう。
 

2013年9月8日日曜日

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平和のために祈るということ

 
今日の夕方はいつもの四谷のマンモス教会ではなく、東京カテドラルに出かけた。ローマの教皇様の呼びかけ応じて、日本の教会でもシリアや中東、そして世界の平和のために祈ることになり、東京教区は今日の夕方に祈りの集いがあったのだ。祈りの集いの後、引き続いて地下聖堂では土曜日の夕方なので主日のごミサもあったから、それにも与って帰ってきた。

帰りの新宿行きのバスの中で眠くなりながらもふと思い出していたのは、昔、まだロシアが共産主義を標榜するソ連という名を持っていた頃、当時は観想修道会の中で唯一外に出て行く会として知られていたイエスの小さい姉妹の友愛会という修道会のシスターたちが北海道の稚内の海辺の土地で食べていくための昆布漁の手伝いをしながら、そこの土地から一番近い海の向こうの国、ソ連の表に出てくることの出来ない沈黙のカトリック教会のために祈っていたことだった。

あれからずいぶん年月が経ち、世界情勢も大変な様変わりを遂げ、ソ連はロシアになり、中国さえ実質は資本主義っぽくなって、よくも悪くも両国は今も、昔とは変わってはいても相変わらず世界に大きな影響力を及ぼし続けているわけだ。その変化の中で、外に出て貧しい人たちと生活を共にする祈りの会は、観想会の区分から外れていまや労働修道会という区分なのだそうだ。でも当方は忘れはしない。あの会は稚内の地で、ソ連の沈黙の教会のために祈り続けていたのだ。

今、シリアや中東の複雑な情勢の中で、あの辺りには確か東方典礼のカトリック教会の一部とか、古い形のキリスト教もあったようなおぼろげな記憶があるのだが、それらの信者の人々はどうなっているのだろう。イスラームの人々の信仰の姿にうたれて回心して修道者にまでなったシャルル・ド・フコーの遺志をついで、イスラームの人々の住む砂漠の生活にも入っていたのは、イエスの小さい兄弟と姉妹の会だったと思うが、今はどうなっているのだろう。最近はあの会とまるで切れているから知らないが、カトリック教会の中には違う宗教の人々とも友情でつながっていこうとする人々がいたのを思い出す。

一触即発の大変な状況でも、たぶん本当はオバマさん流ではなくて、その昔シャルル・ド・フコーに始まった会が理想にしていたような、友情とか信頼とかのかすかな光を消すようなことはしてはいけないのではないのか。そんなことを今も思っている。

2013年9月6日金曜日

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あれやこれや

 
先ほど見たところではgooメールが来年の3月で無料版がなくなり、すべて有料版に変わるのだそうだ。gooはブログもそのままおいてあるのでメールが有料版になったらブログと一括で申し込んでも290円だそうだから全部で1ヶ月1000円くらいか、来年になったらそれに申し込もうと思う。gooブログ、今はぜんぜん手をつけていないが、公園のお風呂ダヌキに始まって残っていたものをみんな入れてあるので、当分お金を払ってでも残しておく必要があるからだ。まあ、来年になってからだ。

はてなさんのところにも義理を欠いているようで申し訳ないばかりだが、こちらもなんとかしなくてはならないだろう。まったくこんなに話が長引くなどと誰が考えるか。

始まりの頃から今日までずいぶんな年月が経ち、関係者の多くは亡くなり、世界の状況は大きく様変わりしているのだが、人の心は今もあまり変わっていないらしい。これでは戦争も核兵器もこの世界からなくなるときなど来ないのかもしれないという気さえしてくるではないか。

明日は教皇様の意向で、全世界で9月7日(土)が「シリアと中東と全世界の平和のための断食と祈り」ということで。カテドラルでも夕方5時から平和を祈る集いが岡田大司教様の司式で行われるそうだ。雨が降ってもこれは行かなくてはならないだろう。

シリアといっても日本人でシリアのことを知っている方自体かなり少ないのが現実なのだが、以前たまたま、清水紘子さんという方の「来て見てシリア」という本を読んでほんのちょっぴりくらいはシリアのことを知ることができたのだった。聖書にも登場する地域だ。ということは歴史的にも宗教的にもものすごく複雑な地域なのだ。島国日本のわれわれの感覚ではどうにも理解しにくいのがあの辺の国々だ。

オバマさんは今回シリア攻撃を唱えているわけだけれど、これは本当に大変な話で、どうも裏の理由はイスラエルを守る必要からではないかというのだがどうなのだろう。とにかくこのままで行くと大変なことになるのは確かだ。

一日食事を抜くくらいは簡単だし、カテドラルに出かけるのもなんということもない。そんなことで何の役に立つのかといわれれば何も言えない。ただ、心の方向がシリアの人たちやあの周辺の中東の人たち、イスラエルの人たち、世界中の人たちに向かっていたら、もしかしたら、みんながそうしたら、何か、平和への役に立つかも知れないと思うだけだ。

2013年9月5日木曜日

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サバラン

 
実は現在、予定外のパソコンリカバリー中。一応このパソコンにはちゃんとウイルスバスターのセキュリティをいれているのだが、ちょっと油断をするとcookieにしてやられて、結局リカバリーするしかなくなるためだ。何しろ問題はIE対chrome、IE対firefoxではパソコンの所有権など勝手に無視してくれるからたまったものではない。だからこそこんなに度々リカバリーするはめになっている。先代の機械でもそうだった。さすがにアンドロイドのタブレットではそうはならないが、タブレットでは細かい仕様がパソコンと違うから思い通りに使えない欠陥がある。どうしてもパソコンでないと仕事にならないものもあるのだ。いまいましいったらない。待ち時間が長いからニュースを読んでいたところサバラン、ケーキのサバランの記事が出てきた。実はケーキの中では一番好き。お酒そのままでは全然呑めないのに、お菓子に使ってあるのは平気。ただし、顔は赤くなる。アルコールの量がやはり違うからだろう。しかし、本当に美味しいサバランを扱っているお店は案外少ない。まだサバランを食べると体温が上がって暑くなってしまいそうだけれど、涼しくなったら美味しいサバランのあるお店に行きたいものだ。ここまで書いてもまだ更新プログラムは半分も進んでいないのだからうんざりだ。
   

芋煮会と教会 本日は地味なお話し

 
最近ツイッターを見ると、たびたび芋煮会という言葉を目にしている。当方、若いころはプロテスタントの教会に通っていたので、そのころの教会の牧師先生が山形出身で芋煮会というのは山形や近辺の県の郷土の行事と聞いていた。

こちらは千葉、といっても房総より東京に近い市川市の生まれだから、芋煮という言葉さえまったく知らなかったが牧師先生と弟さんが山形だったからよく話題に出たわけだ。よっぽど楽しい行事だったらしいとは思っていた。近所となりの知り合い同士が秋の取り入れが終わったころに野外で集まってサトイモや肉や野菜をたくさん入れた汁なべを囲んで、お酒を酌み交わしたりの、一種の野外パーティーのような様子だったらしい。

芋煮会は話しに聞いただけだったが、思い出してみるとプロテスタントの教会のころは、カトリックの教会よりも信者としての生活が教会と密接に結びついていたような記憶がある。正直な話、その時代の経験があったからカトリック教会でさまざまなことに出会ってもキリスト教の信仰から離れずにここまでこれたのだと思う。教会用語で言えば信者同士の交わりのおかげだ。

カトリック教会、中でも四谷のマンモス教会でも昔は信者も今ほど多くなかったからか、もう少し信者同士の付き合いもあったし、信徒と司祭の間も壁が低かったと思う。もっとも今は昔以上におかしな人も増え、うかつに人を迎えられないのも事実のようなので仕方がないのだろう。

しかし、年に最低二回は一日黙想会に参加していたし、教会の講座にも週に二回は通っていた。いまや聖書の集いにしか行っていないのとは大違いだ。若いころは会社と教会とアパートの三角点の中ですごしていたのがいつの間にか、教会も行けるときだけ行くようになり、毎日ミサにあずかっていたころには考えられない状況だ。

芋煮会の話は当方にとっては若いころを思い出させ、教会生活の現状を振り返らせることになったわけだ。

2013年9月4日水曜日

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はてな、ちょっと待てよ

 
高齢化社会といわれていた時代から、ついに高齢社会に移行し、今やどこへ行っても高齢者の姿ばかり。昔々、西丸震哉さんが書いていらっしゃったように人口の大量自然減も始まっている昨今だ。どこの病院に行っても各科の待合で一番多いのはだいたい高齢者と親に連れられてきた小さい子どもの患者のように見受けられる。

整形外科などはスポーツや事故での患者以外は殆どが加齢で足腰や膝、股関節に故障が出てきた高齢者ではないだろうか。もはやよほどにひどくならない限り、対症療法で痛み止めで対応していくしか手がないものばかりだから、国もよほどの症例以外は通いやすい地元の病院やクリニックに患者を分散させることに決めたのだろう。それは正解だと思う。言ってはわるいけれど、たくさんのおじいさん、おばあさんが、それぞれ少しでも良い医者や治療を求めて大病院に押しかけても、医者も忙しすぎてあちらが過労になるばかりだ。どこの医者でも大体同じ程度の対応を取るような、加齢原因の痛みなどはクリニックで十分なのだと思う。当方も自分自身についてもそれで十分だと思っている。

ただ、困るのは当人は確かに足も腰も背中も痛いのに、忙しすぎる医者のほうは適当にレントゲンの結果だけでなんともないじゃないかなどということになるのは問題ではないかと思うのだ。杉並区の河北病院には現在はかなり文句もあるが、昔、整形外科でずっと見ていただいていた先生は、レントゲンの結果だけではなく諸事情あって原因をいろいろ調べてくださり、骨に異常がなくても生まれつき血管が細すぎて血のめぐりが悪いための神経痛を見つけてくださったのだった。

確かに坐骨神経痛の痛みなのに、骨には異常がないのだ。今は確かに腰も背中も痛くて朝も簡単に布団から起き上がれないのだが、たぶん今度の10日にMR検査をしても骨には異常がないはずだ。こういう当方のようなケースはどうしてくれるのだと言いたい気がしてならない。

膝のレントゲンの結果はきれいで、なんともないとおっしゃっていたが、実は当方、若いころから膝の靭帯が緩みやすくて今、三階の階段の上り下りが苦痛なのはこれ、骨じゃなくて靭帯の問題の可能性大なのだが、骨だけで判断されても困るのだけど。はて、患者の側からこういうことを伝える時間はあるのかないのか。警察病院の先生はまったく初対面だし、こちらも「はてな、ちょっと待ってよ」と思うに至ってきたのだが、どうすればよいのだ。

今後のことを考えるにしても、四谷の関係者もいったいどういうつもりでいるのやら。かなり不確定要素が多い現在、そちらから見てこうだろうと思う当方のイメージで判断していないで、現実のこちらをちゃんと見て判断してもらわないとどうにもならないと思うのだ。

さて、以上どうしたものか、関係者は読んで考えていただきたいところだ。

2013年9月3日火曜日

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竜巻

 
こんばんは~、マリーで~す。

うちのおばはん、今日は雑用で忙しくてこんな時間になっちゃったのよね。ほんでもってつい今しがた一階の大家さんのところに寄ったら、ご夫妻とももう八十すぎていて、世の中のことはずいぶんいろいろ見てきたはずの方が、竜巻の話から、世の中どうかなっちゃってるんじゃないかっていうのよ。こんなことは今までなかったようなことばかり起こってるんですって。

うちのおばはんは大家さんよりは若いからそこまではわからないけれど。竜巻なんて外国のはなしだとばっかり思ってたくちよ。ほら、オズの魔法使いで、アメリカ西部から家ごと竜巻に飛ばされてオズの国にたどり着くんだけど、西部のおばさんの家では、竜巻の避難用の地下室にみんなにげこんでたじゃない。ああいうのを映画で見てたら、まさか日本でも竜巻が起こるなんて思ってもいなかったわよ。

だけどもうかなり前に千葉の外房のほうで竜巻が起こって、それが初めて日本でも竜巻が起こるんだってわかった最初だったのよね。それでもこういうのはごくまれなことだろうと思ってたらちょっと前の筑波のほうの竜巻の被害でうちのおばはんもびっくりしたのよ。それでまた今回でしょう、昔とは気象状況がすごく変わったってことよね。

気象庁の中の象さんの文字に気がついて、なんでこんなところに象がいるんだって不思議がって詳しく調べた幸田司教様の話では、気象というのは大気現象を略した言葉で、この地球上の大気の動き、流れの現象の巨大さをあらわすのがあの象の文字らしいのよね。確かに竜巻だの、猛烈な雨だの、熱中症になるような気温だのって、一人の人間が簡単に把握しきれないようなすっごく大きくて広い地域におよぶようなできごとなんだわさ。

テレビを見ていると、水不足で雨乞いの祈りをする場面とか出てきて、よく考えると人間の力ではどうにもならない出来事の前には、人間より大きな存在の前に助けを求めて祈るのが本来の人間の姿みたい。うちのおばはんもなにか考えさせられちゃったらしいわ。昔、霜山徳爾先生が人間は科学の目とこころの目で複眼的に物事を見ていかなくてはいけないとかっておっしゃっていたのを思い出したんですって。

あれ、もうこんな時間だからこのへんでやめとくわね。ほんじゃまたね。

2013年9月2日月曜日

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中野

 
今朝起きたとき心の中で誰かが、ほら、9月になったぞ、これから先どうするにしてもまず、今の自分の状況を把握するのが先決じゃないか、可能、不可能を考えるのはそれからだろう、とつぶやいた・・・ジャジャジャジャーン!!

こんにちは~、マリーで~す。

そんなわけで今日はうちのおばはん、朝も早よからさっさか起きだして、中野の警察病院の整形外科に出かけたわよ。あの人、警察病院て言うとむかし十年近く飯田橋の会社に勤めていたころに毎日前を通りかかっていた建物のほうを思い出すんだけど、気がついたらいつの間にかすぐ近くの中野に病院が引っ越してたのね、全然知らなかったわよ。

今日は久しぶりにレントゲンもちゃんと撮っての診察だったのね。ほんでもって、骨のほうは今回もいつもと同じでたいした異常もなしだったわ。あの人の坐骨神経痛もヘルニアじゃなくて、生まれつき血管が細いために神経に傷がついての神経痛なのよね。来週はもうちょっと詳しくMRIで検査するんですって。でもたぶんこれは骨のほうの問題じゃないんじゃないかなあ。だって以前にももうちょっと軽い症状だったけど精密検査をして、骨には異常なしだったの。

あのさあ、あの人、本当に足や腰が痛いのよ。だけど骨からじゃないから整形外科で診ても診断がつかないのかもねえ。20年以上、痛み止めでごまかしてきてるんだけどこういうのってちゃんと治療できるところはないのかしらねえ。あんまりMRIにも期待しないでいくつもりみたいよ。

ただ、たしかなのはこうなると介護支援のほうは等外もだめだと思うのよねえ。ごみ部屋寸前のあの人の部屋、引っ越すとすると何万か余計にお金が必要になりそうなんだわさ。骨が大丈夫でもやっぱり痛いから粗大ごみとか自分で3階から下まで降ろせないもの。どうなるんだろう。

それでもさ、あの人、とりあえず状況がだいたいわかって、これなら何とか動いて動けないことはなさそうだって言うのよ。どういう方向に動きたいのかなあ、まずは来週MRIの結果を聞いてからかしら、なんにしても転がらない石になるのはいやみたいよ。たださ、四谷はどう考えるか、そこんとこも問題だけどね。

てなことで本日の報告おしまい。ほんじゃまたね。

あ、いけない。タイトルの中野って、うちのおばはんのワガマガ以来の知り合いのタクシー会社のテリトリーなのよね。それから生まれ育った千葉県市川市から見ていた中野って地の果てのような気がしていたのよね。それが中野よりもっと西に住むようになっちゃったんだから不思議よ。

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くだらなすぎるからふたをしておこう

 
ベビー服がもこもこで親より大きく見える。
   
 


つまらない考え事など

 
ツイッターに面白い画像が載っていた。

 
 
上の人物も下の人物も同じ俳優さんが演じている。上は八重の桜に登場する会津の勇ましい青年武士、下はあまちゃんの前髪クネ男くん。キザったらしく格好つけの腰をくねくね君だ。ぜんぜん別人をしっかり演じ分けているこの俳優さんの演技力もなかなか見事なものだと思う。

しかし、ここで言いたいのはこの俳優さんについてではない。おかげでちょっと考えさせられたことがあったのだ。

化粧というのは文字通り化けることだと最近しみじみと思っているところだ。最近知らない奥様方から顔や様子について思いがけないことをいわれて、どこがそう見えるのだろうかと不思議に思っていたわけだ。還暦過ぎたただのおばはんですぞ。まあ、良いほうに言われたのだから文句はないけれど、こちらはここ数年口紅も黛も使っていないかぶれ易い体質のために万年すっぴんなのだ。

テレビを買ったおかげで以前よりいろいろなドラマを見て、多くの男女の俳優さんたちの演技で、同じ人物が眉の形や髪型で別の役を演じるのを見るようになった。カツラや増毛という手もある。見ているとどうも問題はもともとの土台になる顔の形で化粧が生きたり、それほどでもなかったりしてくるような気がする。目鼻立ちの全体のバランスが悪くなければ顔面の加工でごまかしが利くということなのだ。ただし、演技力のほうはそれほど簡単ではないから誰でも彼でも真似ができるものではない。

俳優さんたちなら美男美女でなくても、演技力の有無で評価がまるで違ってくるわけだが、一般人としてはなるほど、こちらのようにかぶれ易かったりしない限り、少しでもよく見えるようにお化粧品やら、お化粧の方法に時間とお金をかけるわけか。当方ちびデブ、で手足のふと短い古いタイプの日本人体型の丸っこいタヌキ顔なのだが、ある知人はこちらと正反対の手足も長い、それこそ昔の映画女優の方々のように美しい日本人離れしたキツネ顔の美女であった。彼女は当方より年上だが今もお化粧を大切にしていて、それはそれでたいしたものだと思う。

こちらはとっくの昔にそんな努力は放棄している。だが、今はちょっとだけわかる。もしこちらもちゃんと顔面の加工や、被服に関心をむけると、たぶんそれなりに人の見る目が違うようなする。なぜならこちらはタヌキ顔ではあっても土台は悪くないらしいので、化粧はあんがい映えるかもしれぬ。でも面倒くさいな。それはとにかく、俳優さんたちがそれぞれの役に合わせた顔を演技と化粧で作り出すのをよく観察していくとそれなりに教えられることが多い気がするのだ。