2014年5月20日火曜日

贅沢な悩み?

こんにちは~、マリーで~す。 今度plalaブログから正式にこっちに引っ越してきて、少しはうちのおばはんも頑張るのかと思ったら、あの人、なんだか意気消沈て感じなのよ。どうしちゃったんだろうってあたしも心配なんだけど、どうもよくわかんないのよねえ。 お金はないけど、何とか食べていけて、最低自分のやりたいことはやってるし、文句言ってたら罰が当たるような話じゃないかと思うんだけど、あの人ったら自分が希望してたのはこんなんじゃないって内心ごねてるのよ。どうしちゃったんだか、まったくさあ。 よくわかんないんだけど、ぱらぱらと少しだけこぼれて見えてくるあの人の気持ちを拾ってつなげてみると、なんかさあ、自分がほしかったのは終わることのないもの、尽きることのないものだったのに、こんな場当たり的な生活や書き仕事だって愚痴ってるらしいの。あの人、小学校の1年か2年生だったかの時に母方のお祖父さんが急死してるんだけど、そのときが生まれて初めてに人間は誰でもいつかは必ず死ぬんだってわかったときだったのね。 それ以来子供のときからずっと終わりのないもののために生きる人生ってのが内心の希望だったのに、それでキリスト教に来たら、なんだか知らないけどずっとへんてこなことばっかり続いて、希望の路線からは外れっぱなしで、気がつけばあと半年でなんと65歳よ。そりゃあ、当人が意気消沈するのもなんかわかるような気もするわよ。おまけにさあ、当人の気持ちと裏腹のことばっかりだもん。やる気が出ないのもしょうがないっていえばしょうがないんだわさ。 別にあの人、特に目立とうとか、変わったことをしようとかなんて思ってないのよ。ただ、どうしてだかそうなっちゃっただけだし、もっと静かに落ち着いた生活がしたいだけなのよね、それも本当よ。 だけどさ、いいたくはないけど、うちのおばはん自身も、それから意地悪く陰で人の悪いうわさを流したりしている人たちもおなじように時が来ればみんな死んじゃうのよね。みんなそのことを忘れてるみたいだけどさ、誰でも平等にいつかは終わりになるのよ。この世の事にばっかり捕らわれてちゃだめじゃないのよ、まったく。意気消沈だなんて言ってないで、あの人自身ももうちょっとそこんとこ、よく考えて気持ちを入れ替えてもらいたいわよ。 今、やるべきことをやっていかないでどうすんのよ、本当にさあ。あたしとしてはあの人のお尻をたたいて、なんとしてでも書かせるわよ。なんたってあたし、あの人のすぐ傍でいつも足スタンド、じゃない、アシスタントを勤めてるんですからね。 なんか長くなってきちゃったからこのへんでやめとくけど、なまけちゃだめよ、うちのおばはんだけのことじゃないわよ、みんなもよ。 ほんじゃまたね。

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