2014年5月22日木曜日

変わりやすい天気

こんにちは~、マリーで~す。 今日はいやに早いなって? 今日はねえ、木曜日じゃないの。うちのおばはん、このところずっとさぼっちゃってるから今日はちゃんとまじめに聖書の集いに行くつもりなのよ。だから昼のミサじゃなくて夕方四谷に行くつもりで家事もさっさと片付けて、夜帰ってきてからじゃ、書けないから、ブログも今のうちにってわけみたいなの。 そしたらさあ、今日はあの人が珍しく早起きして朝から洗濯物を外に干したもんだから、いきなり土砂降りの雨が降り出すは、雷は鳴り出すは、でせっかく干したのをお家の中に取り込んで、しょうがないから内干しにしといたら、なんとすぐに雨も雷も収まっちゃったのよ。まったくさあ、一日の出だしからしてめちゃくちゃ。結局もう一度全部お外に干しなおしよ。 ほんでもってあの人、twitterでそれを愚痴ったもんだから、とんでもないところからまでお返事が来ちゃってもう、まったく何やってるんだか。本当にどうしようもないったらないのよ。まったくもう、本当にちゃんとまじめに仕事してよね。 そんなわけで結局お昼すぎちゃったんだけど、今日はまじめにちゃんとさっき、聖書と福音のヒントも読んでたから少しはまとまった感想もでてきそうよ。今日のこの福音の箇所ってさ、どうも日ごろから気になってる場所だしね。 もう何十年も前、亡くなったライフ神父様があの人に、本当の指導者は聖霊ですって教えてくださったのよ。その頃のうちのおばはんはまだ右も左もわからないお馬鹿な若い女の子だったから、どういう意味かなんてまったくわからなかったけど、ずっと心に引っかかって、時々思い出してはその意味を考えてたわけよ。今は英神父様の講座で祈り方の方法とかきちんとした説明を聴けるようになったけど、そうしてみると、英師の説明で言語化されるよりずっとまえから、プロテスタントの信者だった頃から、別に特に教わったとかじゃなくて自然にいつの間にか、わかるようになっていたことがいくつかあったし、リバス神父様の昔の黙想学校で聞いたことが今も役に立ってることもわかってきたの。うちのおばはんにとっては、英神父様のお話はそういったものをもう一度思い出させてくださってる感じなのね。 で、今日の聖書の集いのテキストの福音は、「祈り」とも密接に関係してる所だって思ったみたい。何て言うかさ、この福音の箇所って観想の祈りに向かう重要な土台の部分なんじゃないのかしら。あたしがこんなこと言っちゃってていいのかなあ。あの人、あたしにこんなわかりにくい話を押し付けて、自分は相棒の再放送を見るつもりなんだもん、やんなっちゃうわ。 簡単に言っちゃうとさ、人間の心の奥深くにおいでになるイエス様、三位一体の神様だから聖霊(みたま様)ってお呼びしてもいいけど、そのお方を信じるところから、心の祈りが始まるみたいなのよ。祈りってさあ、ただ、ああしてほしい、こうしてほしい、願いをかなえてほしいって言うだけのものじゃないんですって。もっと深い、自分をこの世に生まれさせてくださった大きな大きなお方のほうに目を向けて生きていくことみたい、なーんちゃって、うちのおばはんのケータイのあたしにはそれ以上は説明しきれないからやめとくけどさ、この世の目に見える表面的なことだけしか見ていないと見えないものがあるのよね。そのことまで考えさせてくれるのが今日の聖書の福音の言葉みたいよ。 長くなりすぎるからこれでやめとくけど、今ふとtwitterを見たら、午前中の(甲)さんのお返事関係、さすがリツイートも多いのね。うちのおばはんあたりまで相手にしてくださってどうもありがとうございました。 とにかく今日はこれでおしまい。ほんじゃまたね。

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