2013年10月18日金曜日

メインブログからの転載

話かわって・・・



こんばんは~、マリーで~す。

うちのおばはんはどうしたって? あの人ならほんというとまた風邪と寝不足で調子がよくないのよね。今日だって朝のうちはまだ聖書の集いに行こうかなって言ってたのに、午後になったら頭痛や咳で、これはだめだってやめる事にしちゃったの。

台風がどこかに行っちゃったと思ったらさ、今度は急に寒くなってきたじゃないの、あれがいけないのよね。あの人、明日はまた歯医者さんで、これは治療の途中で休むわけにいかないから、聖書の集いのほうを休んじゃったわけよ。また時間のかかる面倒な治療だから年末か、来年の初めまではずっと歯医者さんだしね。

歯の治療ったってあの人のは歯周病が原因なのよ。あの人、若いときから教会での関係で歯や歯肉の病気で口が臭いのは自分にも人にもうるさいのよ。うるさく言われてそういうもんだって思ってるんだわ。自分の口のにおいに気がつかないでいると人間関係のためにもよくないっていうの。カトリックは信者に、教会にはじめてきた人にこちらから声をかけて、キリスト教の案内をしろとかはほとんど、いわれないけれど、プロテスタントだと信者ならそれが当然みたいに言われてて、そのためにも、相手の人と話すときのエチケットで歯の治療や口臭対策はうるさくいわれてたの。

だから、今でも歯医者さんはきらいでも、口のにおいには敏感に治療を受けに行くのよ。で、今回は、まだ抜かないで保つだけ保たせようってことなの。うちのおばはん、神経質だから部分入れ歯になったら、絶対我慢できなくて、抜けたままになっちゃうのは目に見えてるから、抜くのはなるべく後回しにしといたほうがいいのはわかりきってるんだわ。

ほんでもってさあ、今のパパ様の話ってなんだかプロテスタントのころの説教で散々聞かされた話とおんなじで、あの人にはどうもいやなのよねえ。だから最近、なんとなく東のキリスト教のほうに心ひかれてるんじゃないのかしらって、あたしはにらんでるのよ。あの人、どっちかって言うと、今は亡き霜山徳爾先生じゃないけど、日本人の宗教性は、「美を通して真実へ」という感じなんだって思ってるんだわ。

心に愛がなければどんなに美しい言葉も、行いも空しいってのは、それも本当だけどさ、当人の心を動かす何かが無ければ愛も何も生まれてこないんじゃないかと思うんだわさ。ほかの人たちにキリストを伝えようっていう意欲だって湧いて来ないわよ。

あ、なんか、すごくえらそうなこと言っちゃったかしら。もうやめとこっと。とにかくあの人、今夜は暖かくして早く寝ないとどうしようもないわよ。そんなわけで今日はこれでおしまい。 ほんじゃまたね。

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