2013年10月31日木曜日

メインブログからの転載

悲しみのドジのドジ子さん

 
こんばんは~、マリーで~す。

うちのおばはんときたらさ、今日もまたとんでもないドジなことをやらかしてくれたのよ。あの人ときたらもう、まったくちゃんとスケジュールを確認すればいいのに、うろ覚えの記憶でもって、今日は教会に行く日だったけど何があったんだっけな、あ、諸聖人だっけ、行かなくちゃなーんちゃって、教会に出かけたら諸聖人は明日じゃないよ。

慌ててスケジュールを見たら来週から木曜日の聖書の集いに復帰予定になってて今日は何にも書いてないの。昨日の夜あたりから、あの人、何か、日を勘違いしてたらしいのよ。まあ、そのくらいはしょうがないわね。

聖歌隊に行かなくなってから教会の行事や祝祭日の日にちの記憶が怪しくなっちゃってるみたい。こんなんじゃまずいわよ。昔みたいに毎日ミサに行ってれば間違うわけないのにさあ。なんか最近とみに心の張り合いとか気力がなくなっちゃってる感じよ。たぶん、気がついたら足腰も故障した64歳になってたってのが一番効いちゃってるんだわさ。

体力気力と一緒にやる気も自信も消え始めちゃってるのよね。そりゃあ、わからないでもないけどさあ、人間いくつになっても、どんな状況になっても、それでも自分に出来ることを考えないと無駄に萎れちゃうだけじゃないの。忘れっぽくなったって、手元にケータイのあたしや,タブレットや、ボールペンと手帳を持って歩けばいいんだし、間違ったら謝っちゃえばいいじゃない。なんてことないと思うわよ、そんなの。

今の自分で何が出来るのかなんて自分で決めようとすることだっていらないんじゃないの。動いてみればなんかあるはずだと思うのよねえ。ねえ、そう思わない?無駄に萎れてないで嫌いじゃないもので今できることをしてみるほうが楽しいと思うのよね。

ただあたしは嫌いなものを無理してやれなんて言わないわよ。いやなものを押し付けたって逆効果だもんね。そうじゃなくて当人のやる気を引き出せるようなものがあるはずだわ。64歳でもその人独自の可能性ってのは消えはしないのよ。

あの人の周りにそういうことがわかる人がいるといいんだけどね。そこんとこだけが心配よ。あたしなんかがそんなことを言っててもしょうがないから今日のところはこのへんでおしまいよ。

ほんじゃまたね。

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