2013年5月31日金曜日

子供の貧困て何だろか (他のブログからの転載)

こんにちは~、マリーで~す。

昨日はうちのおばはんが、朝からどうしようもなくなっちゃったパソコンのリカバリーを始めて、一日がかりだったからブログも大幅に手抜きだし、ほんと、何にも出来なかったのよ。ここしばらく誤魔化し、誤魔化しでなるべくリカバリーしたくなかったらしいんだけど、とうとうIEとファイアフォックスがまたぶつかり合いを始めて手に負えなくなっちゃったのよね。

おかげで今度はファイアフォックスをはずして、グーグルクロムに入れ替えてみて、やっぱりファイアフォックスのほうがよかったってぶつくさ言ってるわよ。タブレットを使いこなすのにパソコンと同期させての使いやすさで、パソコン側にもIE以外のブラウザを入れてるんだけど、一番簡単なオペラだけじゃグーグルの関連のところで弾かれちゃうのよね。まったく余計な手間ばかりかかるんだわさ。

それはとにかく、おかげでリカバリーの後のセットのやり直しで今までと違うものを見たり、取り込んだりしたのよね。あの人、食わず嫌いで今までは名前を見ただけでこんなの駄目って決め付けて見たこともなかった、ドリアン助川さんという人が実物は大変な才人なのを発見して見直しちゃったり、今まで気にもとめなかった子供の貧困て言葉に引っかかって調べなおしたり、パソコンの環境変化もたまには必要かもよ。

子供の貧困て、結局親の貧困なのね。うちのおばはんは昭和24年生まれだから、小学校の時の同級生の子の中には、まだ第二次世界大戦後の日本の復興の手が届かずに掘っ立て小屋に住んでいた子もいたのよね。お父さんが急死してお母さんが小学校の給食の業者に雇われて働いていた子もいたっけ。あのころの学校給食は大手の業者じゃなくて、学校ごとに作ってたのよ。サラリーマン家庭ばかりじゃなくて、農家の子も多かったんだわ。

世の中全体が貧しかったから、子供の貧困にも何も、貧困ていう言葉自体聞いたこともなかった時代よ。それが半世紀たった今は、すごく変なことになっちゃってるのね。これからの時代は小さいときからの英語教育とか、昔とは比べ物にならない話になってきているけど、教育ってお金がかかる現実があるのに、家庭の経済状況で必要な教育の受けられない、出だしから競争に負けている子たちが出てきてるって、なんか情けないじゃない。どこがどうなってこんな世界になってきたのかしら。

本当に優秀な子だったら、昔も今もたぶん何かの形で外部からの援助も期待できるかもしれないけど、どうも今の時代は何かがどこかで間違っているような気がするんだわさ。誰でもみんな同じように大学に行って、同じように就職して、同じようにほどほどの人生を送ろうっていう考え方自体がどうも何かおかしいんじゃないのかなあ。

本当に優秀な子が貧しさのために進学できないのだったらそれは社会の損失になると思うけど、現実には他の才能はあるけど勉強には向かない子供とか、一人一人の個性の違いっていうのもあるんだし、簡単に決め付けられない気もするんだけど、まあ、それはそれとして、出発点のところで出来る子まで貧しさが原因で落ちこぼれちゃったりしないようにする必要は絶対にあると思うのよね。

子供の貧困て言う言葉は、言葉自体がまやかしなんだと思うな、根にあるのは社会の貧困、精神の貧困てことじゃないのかしら。わあ、うっかりやたらな事を言っちゃったみたい。これ以上言うのはやめとこうっと。

天気もいいから今日はあの人、この後はお洗濯して夕方は出かけるつもりみたいよ。そんなわけで今日はおしまい。ほんじゃまたね。

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