2013年5月29日水曜日

パンとぶどう酒のこと (他のブログからの転載)

こんばんは~、マリーで~す。

今日もあたしの出番よ。うちのおばはん、さっき夕方に四ツ谷のミサに出かけてきたんだけど、喉が痛くて全然声が出ないのよね。土曜日までによくなるかどうか、これはちょっと怪しいんだわさ。咳は止まってるのにやっぱり喉が痛いのよね。梅雨入りしたって話だし、季節の変わり目って油断するとすぐこういうことになっちゃうんだわ。

それでも明日は木曜日だから、少しは聖書を読んでおく気になったらしかったんだけど、あの人、気が多すぎよ。ちゃんと今度の日曜日の聖書の箇所を読んでたかと思ったら、いつの間にか正教会のご聖体ってどんなんかなあ、って気になっちゃったらしくて写真検索してみたり、ふらふら遊んでばっかりなのよ。

やっぱりさあ、ご聖体って元々が本当に飲んだり食べたりする食べ物、飲み物のパンとぶどう酒だから、現実に目の前にあるわけじゃない。パンていつごろの時代にどういう風に作られてきたのかとか、ぶどう酒だって、お酒つくりの原理を昔のひとはどうやって発見したんだろう、とか興味が尽きないのよね。

だけど日本人の場合、キリスト教の教えは悪くないけど、キリストが磔になっている形の十字架は気持ちが悪いという人がけっこういるのよねえ。ご聖体のパンとぶどう酒が本来、キリストの肉と血を意味していたなんて想像しただけで気分が悪いって言う人だっていそうな感じよ。

罪を許す生け贄の子羊キリストの肉と血、って簡単にまとめちゃっても果たして信者ではない普通の日本人に通用するかなあとかさあ、うちのおばはん、根が理屈っぽいからああでもない、こうでもないって考えて、それでほんとのところ何もわからないのよ。これはたぶん、もっと素直に簡単に考えなきゃだめなのかもしれないわよね。

だから昔、どなただったか、「聖体顕示式の荘厳さはムードです。でもそのムードも信仰の助けとして必要なのです」っておっしゃったんだわ。ある種、説明しようもないものは、「目には見えねどさやかなる何者か」を感じ取るしかないのかもね。

でもさあ、あの人自身は自分で昔、公園のお風呂ダヌキに書いたみたいに、ご聖体はどんな人でも怖がらないでご自分のそばに近づいてきてほしいとお考えになったイエスさまご自身なんだって思ってるのよねえ。これは理屈じゃない感じだわ。

今夜はもうこの辺でおしまいにしたほうがよさそうよ。あの人、本式に風邪がぶり返さなけりゃいいけど、ちょっと心配よ。ほんじゃまたね。

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