2013年5月19日日曜日

 見える世界と見えない世界 (他のブログからの転載)

こんばんは~、マリーで~す。

今日は日曜日だし、うちのおばはんもお休み気分なのよね。うだうだしてる家にこんな時間になっちゃって、今、あの人、久しぶりにテレビで八重の桜を見ていて、会津の殿様役の俳優さん、なんていう名前だったかとかって考えてるとこよ。確か他の局で航空自衛隊の話しか何かに出てるのこの俳優さんかなあ、なんか見たことがあるような感じだって。

あの人、今夜本当に見たいのはこの後の番組らしいのよ。新しいシリーズの「病の起源」ね。今日は癌のことだから、ぜひ見たいんじゃないのかしら。

そんなわけで今日のはなしは、とりあえずまた記録も兼ねて過去ブログの再掲になるみたい。facebookにはユング心理学の専門家で、河合隼雄先生のお弟子さんだった玉谷直実先生がいらっしゃるって言うのにさ、あの人、ただの素人のくせにそんなテーマで書いて恥ずかしくないのかしらねえ。ほんとに、あたしのほうが恥ずかしいわよ。玉谷先生、あの人が適当なことばかり言っててごめんなさいね。

でもとにかくそのまま出しとくわね。こんなのよ。


2012.1.18
やっと「異人たちとの夏」を見ることができた


これは以前から気になっていた作品だったのだが、なかなか見る機会がなかったもの。今回たまたまfc2動画で発見して視聴した。この作品を紹介していらっしゃったのは河合隼雄先生。中年クライシスの中で取り上げておいでだった。

先生の説明では中年期(今なら中高老年期のどの段階でもありそうな問題だろうけど)に入って、これまでと違う人生が見えてきて迎える精神的な危機の時期の話としか知らなかったのだが、映画化された作品を見るとかなりホラーっぽいのに驚いた。

主人公がまだ12歳の子供の時に死に別れた若い姿のままの父母はまだしも、マンションの3階に住むなぞの女性ケイが本当の姿を見せた時は怖かった。そしてそのすさまじい亡霊に取り付かれた主人公を助け出した仕事仲間で、主人公の別れた奥さんの再婚相手でもある、なかなか複雑な関係の友人の勇気に感心した。

物語としてはどうもなんともすさまじい場面に参ってしまったが、その意味するところはわかる。現実のこの世界(外界)と心の中の世界(内界)の状況を表わそうとすればこういう表現にもなるのだろう。それだけ人生の新しい場面への転換期がいかにむずかしいかということだ。

これは物語だが、現実の世界でもまじめに順調に生きてきた人が初老近くなってとてつもない失敗をし、巻き込まれた人間も大変な思いをするなどは、実際にいくらでもある話だ。当方の今の状況だって実はそれが原因だろう。人生と一口に言うが、なんと複雑で難しいことか。

しかし同時に、これがまた当人とそこで関わる人たちの成長の機会でもあるらしい。ここで再び思い出すのが「自己実現」(普通、よく言われるような自我実現のようなものではない、もっと大きな、自分を超えた自分と言う意味での自己だが)の問題だ。たぶん、この世で起こるすべての出来事は何の意味もないものではない筈だ。何か意味があってそうなるのだろう。小さな自分の自我ではわかりきれない意味が。

この辺は「祈り」と言うものにもつながってくるようだ。


これでおしまい。ほんじゃまたね。



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