2013年5月20日月曜日

こちらは今日も過去ブログの再掲 2011年分から

2011.6.10

思い出ばなし

 
おっはようございま~す、マリーで~す。

さすがのうちのおばはんも少しは仕事が気になってきたみたいよ。あたしだってそうよ。あの人、あたしに話しの案内役をさせるって言ってからもうずいぶん経ってるんだもん。そりゃあ、大地震や大津波や原発の事故のことで、世の中全体が右往左往してるような時期だから仕方が無いけどさ、あの人の仕事が進まないのはやる気の問題よねえ。もっとまじめにやってほしいわ、まったく。

そんでもやっとこのところ気持ちがお仕事モードに切り替わってきたみたいだから、そのまま続けてもらわなくちゃ。今もねえ、パソコンを開いて知り合いやお友達のブログのチェックから始めてたの。

そしたらねえ、ある記事を見たらあの人、サントリーさんのことで色々な思い出が一度に浮かんできて、懐かしんだり、足を引っ張り続けたある人達にカッカと腹がたってきたり、死んだお父さんのために書いた入院から死までの記録でもある「遠くの星」っていう物語の原稿を預けたらあっさりどこかにやってしまったいい加減な人物に、思い出してまたむかつき始めたり、たった1時間ちょっとのあいだに頭の中で、いろいろな思い出がフル回転よ。

あの人のお父さんは昔、まだ創業期だった頃からホンダの宣伝広告印刷の仕事にかかわってたの。だから、引退した後も入院から死ぬまで、昔のホンダさんの関係者の方たちにはものすごくお世話になったのよね。だからあの人、未だにホンダさんに感謝してるのよ。

サントリーさんも、お酒はまるで飲めないあの人には、お父さんの仕事のご縁ということで覚えているのね。昔々、開高健さんがサントリーの重役だった頃にホンダの仕事の行きがかりで、ついでにご縁があったってわけ。それだけなら今頃まで覚えてはいないんだけど、その頃にあの人のお母さんが亡くなって、そのお葬式のときにサントリーさんからも来てくれていたのね。それだけのご縁で未だにあの人、ホンダとサントリーを応援してるの。お父さんの思い出につながってるから。

なんだかんだといっても、うちのおばはんて人の土台になっているのは、子供の頃にお父さんから教わってきたことなのよねえ。もう何度もほかのところでも書いてきたんだけど、またもう一度その辺から書こうかなって思ってるみたい。「遠くの星」は原稿も行方不明だし、新しくもう一度、お父さんの思い出を取り入れた物語を、ってね。

あの人も変てこな人だけど、あの人のお父さん自体が相当変てこだったのよ。変わっているって昔からよく言われてたけど、あの人が変わっているのは、親が変わっていたんだもん、しょうがないじゃない。親は自分の持っているものしか子供に伝えられないんだからさ、間違っても学校で教育するような問題じゃないのよね、これって。

あの人のお父さんの背後には、普通の世間一般の世界じゃなくて、お寺さんだったっていう実のお祖父さんから、鎌倉仏教、戦国仏教の歴史、日本人の古来からの宗教性にまで至るものが連綿と続いていたんだと思うわ。千葉県市川市という土地はとても古い歴史のある地域だけど、中でも下総中山は日本の中世からの歴史のある土地よ。どこを歩いてもはるか昔のご先祖さまたちも同じ場所を歩いていた懐かしい土地なのよ。それは今のあの人の背後にも繋がっているんだわ。

今、あの人はカトリックっていう世界宗教の信者だけど、ヨーロッパでも日本でも、中世という時代は面白いのよ。これからあの人、どんな話を書くのかまだあたしも知らないんだけど、なんか材料がつながり始めたみたいよ。これから先のお楽しみってことかな。

ということで今日の話はおしまい。ほんじゃまたね。

・・・・あれから、うちのおばはんは足腰の故障がひどくなったりして、結局新作が書けないままなんだけど、状況もかなり変わってきたのよ。でもその話はまたそのうちね。当分は記録のための再掲が続くけど許してやってね。・・・・

0 件のコメント:

コメントを投稿