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1月18日のメモ
思うに、記憶とか記録というのは別にすぐに表に出さなくてもよいのだと思う。何年か、何十年かたたないと表に出しても消されてしまうことだってある。強い立場の人たちに握りつぶされる事だっていくらでもある。でもそれが真実なら、長い時を経てなお消し去ることはできない。今、杉並区の福祉事務所はこの数十年のいきさつを知っている人がほとんどいないけれど、某大修道会でさえも父ブッシュからの国際電話の記録は消せなかった。こちらもその時点では沈黙して時を待っていたから。日本のカトリック教会のこれまでの長年のニュース記事を思い出しても、たぶんほとんど真実は上に伝わっていなかったのだろう。この先も危ないものだとは思うけれど仕方がない。第三者が知りえることなんてたかが知れている。本当に大切な事柄以外はどう思われてもいいと思っていないとやっていけないだろう。仕方がない。まあ、神様の栄光を表すという目的にあまり関係ないものは捨てるしかないだろう。こぼれる真実も何が何でも必要なものとはいえないのだし、成り行きに任せてもいいということかもしれない。人からどう思われようと、内なる導きの光を信じていくしかない。今は亡きカール・ライフ神父様がおっしゃっていた「本当の指導者は聖霊です」と。もっとも、こちらの現実をライフ神父様はまた困った人だとあきれているかもしれない。怒りに任せて子供っぽく逆切れするのもこちらの現実だから。何歳になってもまだまだ、道は遠いのさ、まだまだ途中なのさ。
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