2014年1月1日水曜日

メインブログからの転載

明けましておめでとうございます

 
おめでとうございま~す、マリーで~す。

うちのおばはんときたらもう、いくら寝たのが明け方だったからって、お正月早々、お昼まで起きなかったのよ。エッ、何、昨日から寝正月だって言ってあるって? それにしたってずいぶんじゃないの、一年の計は元旦にありっていうじゃないの。途中起きてツイッターとフェイスブックだけ書き込んだ? まったくもうどうしようもないんだわさ。

ほんでもお腹がすくとちゃんと起き出して、お料理を作り出してるからまあいいかな。帰ってきたのが明け方だったから、煮物の支度ができなかったのよね。多分今夜の夕飯には間に合うんじゃないかしら。

あ、そういえば昨夜は吉祥寺の教会に行ってみたら、予想とまったくちがっていて、いつかの薄暗い中で司祭も一人、会衆もほんの数人のわびしい新年ミサとは大違いだったのよ。またあんなものじゃないかと思ってたうちのおばはんもちょっとびっくりしてたわ。ちゃんとした大きなミサで新年を迎えられて本当によかったわよ。その後、帰りに寄り道しなかったら今日ももうちょっと早くおきられたんじゃないのかしら。あの人ったらまったく、体調がちゃんとしてなくても好奇心に勝てないのよねえ。 武蔵野八幡の初詣のとんでもない行列を見てさすがにあきらめて帰ってきたけど電車の本数が少なくて家に着いたのは明け方よ。足腰が悪くなる前は吉祥寺から一駅くらい簡単に歩いたのにねえ。 

昔々は武士と農民は実は同じものだったから、家のおばはんの生まれ育った市川市にしても杉並区や吉祥寺にしても元々は農村地帯だった土地にはたいてい源氏の頭領の氏神だった八幡宮があるし、明治の廃仏毀釈までは仏教と神道も融合していた上に、日蓮宗の日蓮さんは八幡神をすごく大事にしてたから、鎌倉時代の農民兼武士だった人たちにとっても日蓮宗とも一緒になって八幡宮の存在は大きかったのじゃないかしら。秀吉の刀狩あたりから武士と農民がだんだん分かれてくるんだけど、土地の八幡宮は今度は地域と農耕の守り神になっていったのよね。あの人、武蔵野八幡のすごい行列を見ながら鎌倉武士の時代のことを考えてたのよ。あの人の好奇心ときたらまったく手に負えないわ。それでくたびれて帰ってきて今朝は起きられなくなっちゃってさ。

でももう夕方になってきたし、今日は水曜日でこの後9時からは相棒の元日スペシャルもあるから、あんまり文句を言うのは止めておくわよ。ほんじゃ、またね。

0 件のコメント:

コメントを投稿