2013年6月23日日曜日

メインブログからの転載

世間話から祈りと孤独を考察

  
 昔、リバス神父様が指導していた「祈りの学校」という講座があった。顔見知りの奥様とおしゃべりしている最中になぜかそこで教わったはなしを思い出していた

 人間という存在の状況というのは実は、みんな一人一人、深い井戸のそこにいるようなものでなんとかして隣り合う別の井戸の底にいる他者に自分の存在を伝えるために高く旗を掲げて振り合っているというイメージをおっしゃっていた。

 なぜそれを思い出したのかというと、同じものを見ていても自分と、知り合いの奥様の関心の向かう方向の違いが面白かったのだ。彼女は写真が趣味で、ブログを見てもまず目に入るのは写真、こちらは写真はただのおまけ、なるほど、人と人とがわかりあうのって難しいよなあ。旗を振り合っていても見ている部分は両者とも自分が関心を持つ部分だけなのかもしれない。

 神と人とを愛すると簡単に言うが、本当に他者を愛し大切にするには、自分の好み、自分の関心だけ見ていてはいつまでたっても駄目なのだろうと、今頃改めて考えさせられた。自分と違うものを受け入れる広い心が必要なようだ。分かり合えなくても他者を排除しない、自己主張ばかりしない広い心、いやあ、むずかしい、むずかしい。

 すぐ隣に座っていても、お互いに相手の振っている旗が見えていないことだってありそうだ。見えていても読み違いもあるだろう。つまりそばにいても実は両者とも孤独だったりすることもありそうだ。あるいは相棒に登場する刑事部長と中園参事官のような関係かもしれない。

 これはどうも普段日ごろの生活から心の向かう方向を正している必要がありそうだ。いつでも何をしていても思いが神様に向かっていないとたぶんうまくいかないのだと思ったのだった。つまり自分の心という深い井戸の底で誰に向かって旗を振っているのかが問題なのだろう。



 以下は出かける前に書いたお知らせ

 このところ風邪をこじらせてなかなか治らず、木曜日夜の聖書の集いも全然出席できていない、ちょっと情けない状況だ。

大事な知り合いの告別式も失礼させていただいているくらいで、なんともどうしようもない。来週の木曜日は今月の最後だけれど、果たしてどうなるか自信がもてない。天気がよく気温も高くなれば体調もよくなるのだが、雨だったらまた欠席になるかもしれない。早く梅雨があけてほしい。

しかし、それはとにかく、朝、facebookを見たところ、幸田司教様の一日黙想会の案内が出ていた。司教様のブログに細かい案内が乗っているが、ここにも簡単に紹介しておく。

   ● レジオマリエ黙想会

     7月1日(月) 10時から15時半(ミサで閉会)

     場所は四ツ谷駅前 雙葉のニコラ・バレ修道院

     テーマは「ひとびとの中におられるキリスト」 指導 幸田司教様

     参加費 500円 ロザリオ・昼食・飲み物持参

  
     どなたでも参加可  問い合わせ等詳細はこちらをごらんください。
                   http://nativitas.blog130.fc2.com/


 今日はこの後、四ツ谷の夕方のミサに行くが、まだ喉が治っていないから聖歌隊は今週もお休みして、下の席に行くしかなさそう。
   

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