2013年6月25日火曜日

新潟のアメカゴ.net からの記事+エックス

『こういうこともある』


某所で、亡くなった知人が死の間際にうわごとのように口にした数字の話しを読んで、やっぱりそういうことはあるのだなあと思った。

私の父の最期のときも実に奇妙なことがあった。あのときは、継母が泊り込みでつきそっていてその週の日曜日から私が交代で泊り込むことになっていたから私は東京に戻っていたのだ。

しかし、その朝、看護師さんが巡回に来て父の様子をみて、血圧が下がったまま上がらなくなっているし、もうこれは駄目だからご家族を呼んでくださいと言ったのだそうだ。でもあの人が私に電話をかけてきたのは、その日の夜更け、11時近くなってからだった。

普通だったらもう阿佐ヶ谷から千葉の内房の病院までたどるつけるわけのない時間だ。今でこそ80半ばの老人になってだいぶ穏やかになった継母だが当時は先妻の子の私とは折り合いがわるく、父を独り占めしたかったらしい。父の死の間際でも子供が来られるわけのない時間にやっと連絡してきたのだ。

しかし、こちらもこれは何が何でも行かなくてはと思うから、とりあえず、阿佐ヶ谷駅に行くと、普通もう終電が出てしまった時間なのに事故があったとかでまだ中野行きの電車が動いていたのだ。阿佐ヶ谷ではタクシーも少ないが、中野ならタクシーも多いから長距離タクシーが拾えるかもしれないと思い、とにかく中野まで行ってみた。

すると改札を出たとたん、千葉方向に乗り合いで行く人はいませんか、あと一人ですよ、と個人タクシーの運転手が叫んでいたので、即刻乗せてもらい、特別料金でかなりのお金はかかったとはいえ、親の死に目にはしっかりと間に合った。

普通だったらこんなにスムーズにことが運ぶはずもないのに、その日はどうしても私が千葉の父の死に目に間に合うようにすべての段取りがついていたような不思議な感じだったのを思い出す。

知人の最後の数字にしても、うちの親の死に目に間に合うはずのない時間なのに、ちゃんと間に合ったことにしても、不思議としかいいようがない。人が死ぬときというのはやはり普段とは違う、なんと言うか、この世とあの世の境がちょっぴり開かれて変わったことも起こるのではないかと思えてならない。
 
 
上記の記事をどうご覧になるかは、勿論、人それぞれだろう。しかしだ、私個人としては宗教を信じる者としても、人間の命はこの世だけで終わるものではないと信じている。
 
このところずっと、あれこれと考えるわけだが、カトリック教会には数年の見習い期間の後、誓願を立てて、一生のほとんどを外に出ないで塀の中で祈りの生活を送る人たちがいる。
 
女性ばかりの職場に長くいたから、現実の女性の集団の面倒さ、大変さは少しはわかるつもりだ。宝塚ではあるまいし、憧れだけではそこで一生過ごせるわけがない。女性はひとりひとり、だれでもみんな、本来は家庭という巣の真の中心となるべく、育ってきているのだ。だからどこの組織、どこのグループを見ても一人は主導権を握るような人物が出てくる。
 
たいていは、任せておいたほうが楽だし、便利だから言いなりになっているけれど、時にはその相手とぶつかりあうことだってある。女性が女性を敵に回してしまうと最悪だ。
 
職場でも学校でもグループ活動でも、教会や修道院でさえも実態はそんなに違いないはずだ。一般社会ならいやなら出て行ってしまえばすむが、宗教の世界でそれはどうなのだろう。
 
昔、ある方が、それは犠牲の生活だから痛いものであってほしいと言っておられた。そうだろうな、自分の憧れ、自分の志向程度では続かないような気がする。
 
でも、誰かが苦労すると、他の人たちが助かるというイメージがあるのだ。犠牲の生活、償いの生活の意味はそれだろう。
 
人生がこの世だけで終わりなら、そこまで考える必要もないが、どうもその先も現実にあるのではないかと思わせる出来事が実際にあると、やっぱり、この世を越えたあの世にまで続く生き方を考えなくてはいけないのではないかと思うのだ。
 
もし、面倒で大変でも、それを引き受けて逃げなかったら、他の人たちが助かるとしたら、考えてもいいのではないのかなあ。
 
もっともこちらの現実の状況、年齢、健康、家族のこと、などなどと折り合いがつく場があるとすればだが。



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