2013年11月30日土曜日

メインブログからの転載

フェイスブックから

※ 昨日のメインブログの内容、模範的なカトリック信者の書く記事なら、もっと忍耐強い信仰とかになるのでしょうけど。こちらはそんなかっこよい信者ではありませんのでこれもありのままであります。
 
 
こんばんは~、マリーで~す。

今日はうちのおばはんも夜までずっと外出していたから、帰ってきたのも9時過ぎてたし、それからご飯を食べていろいろ後片付けをして今やっとパソコンを開いたところよ。ほんでもって明日は早起き出来たらカテドラルのミサと黙想会に行くつもりらしいの。でも起きられるかなあ、あの人、これからまだNHKの夜遅くの番組、妄想ニホン料理を見るつもりよ。あたしとしてはうちのおばはんが明日カテドラルに行けるかどうかは五分五分と思うんだわさ。所属教会じゃないからどうしてもって感じじゃないんだもん。

でも一応行けたら行くつもりだから、今夜は妄想ニホン料理が終わったらさっさと寝るつもりなのよね。そんなわけでこのブログも今朝の予定だとフェイスブックにメモのように書き込んでおいた文章をもうちょっと書き足してここに出すつもりだったのに、どういうわけか久しぶりに聖歌隊に顔をだして練習にも参加したから帰ってくるのも遅くなっちゃって、これから考えて書き足してたら、絶対また寝るのが夜中の1時、2時になるのは目に見えてるし、今日はもう朝書いたものをそのまま出して勘弁してもらうって言い出したのよ。まったくもうほんとにしょうのない人だけど、ごめんなさいね。

今朝書いたのはこれよ。ほんとはもっといろいろ付け加えるはずだったから、またそのうちにちゃんと書き直すんじゃないかしら。以前には「公園のお風呂ダヌキ」の2と3に、その辺を書いてあったんだけど、誰も理解してくれなかったもんで、あの人、そのころはカルメル会の司祭だった人に一部しか残ってなかったコピーも差し上げちゃったのよ。でもその人、カルメル会をやめちゃったくらいだからその話の意味も理解できなかったんでしょうね。あのコピーもどうなっちゃったんだか。とにかくあの人が、自分の記憶の残り物で簡単にまとめたのがこれね。

『うちの死んだ父は、お坊さんの子だったと聞いたのは父が死んでからだった。それまでも親類の言葉などでうっすらと感じていたけれど、継母の話ではっきりした。それで子供の頃から感じていた、父のことでずっと不思議に思っていたことがみんなつながっていった。

父の戸籍上の両親と言うのは実は母方の祖父母で、姉ということになっている人が実の母親、私にはお祖母さんだ。実のお祖父さんは親類の言葉から察して法華経寺の周辺の塔中寺院のどれかの坊さんだったらしい。相手がはっきりわかっていたのは、私がまだ小さい頃はその人物も生きていたことことをそれとなく親類がにおわせていたことでもわかる。

父があまり一般的な父親ではなかった原因もそれでわかる。あの人はおそらく一生坊さんの子という自分の出自と小さいときに母親に置いていかれたことに縛られていたのだろう。父は本当にヘンテコな人だった。普通のお父さんは自分のまだ小さい娘に向かって、三界の狂人は狂せるをしらずだとかやたら難しいことを教えるか、お正月といえば、毎年の始めは家族を前に、門松や冥土の旅の一里塚と説教で始まったりするか、小さい子供にたびたび、闇の夜に鳴かぬ烏の声聞けば生まれぬさきの父母ぞ恋しきなどと言い聞かせるか、それらがみんな私の心の土台になっていて、おかげでキリスト教信者になってからも、聖書の言葉の理解の助けになっている。

物事は原因があって結果があるというのに、どういうわけで昔、四ッ谷の司祭たちは理由を知ろうともしないで、人の言葉に難癖をつけて、はては精神科の患者扱いする人までいたのか、いまだに納得がいかない。小さい頃から父に教えられてきた仏教の言葉が聖書の言葉の意味をわからせてくれていただけで、別に自分を大きく見せようとしていたわけではないぞ、自分も無から創造られたものだといったのは、闇の夜に鳴かぬ烏の声聞けば、の言葉の意味が聖書のことばでわかったからそう言ったまでだ。それがなぜ精神科の患者なのかね?全く、指導者に正しい理解力がないと信者もえらいめにあうのだ。

そんな種類のことが積み重なって他の司祭たちや司教にも真相は伝わらないまま何十年も過ぎて今に到ってしまったのだ。といっても、これは今はもう愚痴ではなくてただの説明だ。』

今日のところはこんな省略版だけど、あの人にすれば中山の法華経寺は7百年まえのご先祖様が富木常忍に仕えていたころからのご縁のあるお寺さんよ。今の自分があるのも法華経寺のつながりあってでは、自分の中の宗教的な部分も親やその親、ご先祖様譲りというしかないと感じてるのよねえ。まあ、そのうちまた多分ちゃんと書くんじゃないかしら。

あ、時間だからあの人、テレビ見るつもりだわ。今日はもうこれ以上進みそうもないからこれで終わりだわさ。ほんじゃ、またね。

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