2013年11月23日土曜日

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王であるキリスト

 
こんばんは~、マリーで~す。

今日はねえ、うちのおばはんがすっかりへたばっていて、もう、どうしてもお願いだからって拝み倒されちゃって、しょうがないから連続で登場よ。あの人、やっぱりあんまり具合よくないみたいよ。今日もちょっと寒かったからかも。

明日の日曜日はカトリック教会では「王であるキリスト」のお祝いで、教会の年間の暦じゃ一年の最後なのよね。王さまっていってもこの王様は普通の人間の世界の王さまとは一味も二味も違う、普通のこの世界のえらい人みたいなお金とか権力とかで世界を支配する王さまじゃないのよね。

普通の人の目にはちゃんと見えてなかったりするんだけど、この王さまの宮殿は日本にもいくつもあるのよ。今年は長崎の教会群の名前は世界遺産に上がらなかったけれど、あの長崎の明治時代の禁教令が廃止されて、それまでひっそりと隠れていたキリシタンの末裔たちが表に姿をあらわして、宣教師たちと一緒に、自分たちで石を積んだり、木を切り出したりして作っていったいくつもの小さな教会、あれこそは真の王の宮殿なんじゃないの。

今は時代も変わってこの世界の歴史も人の動きもみんな変わって、下手をすると本当に大切なものが忘れられそうな時代になっちゃってるけど、そんなもんじゃないと思うのよね。

世界が東西にわかれて、核戦争の恐怖におびえていたのが、今は世界を動かしているのは経済活動で、お金のある人とない人、いや国と国でさえ、経済力のあるとないとで、格差からこぼれ落ちた人たちの不満が新しいテロや戦争の火種になっている時代に変わってきたけど、結局のところこの時代もそのうち変わっていくと思うのよね。歴史を見ればいつの時代だってそうでしょう。

人は正義とか公平を求めるけど、人間自体の中にある自分さえよければの思いは、この世では決してなくならないんだと思うのよ。それは人間がどこまで言っても罪深い存在だからだし、それだからこそ、本当の王さまが人類を何とかして助けたいって地上に降りてきて人間の一人になって一緒に生きて、死んでくださったんじゃないの。この王さまの国は目には見えないけど世界中に広がっているし、時間も空間も超えて今もここにあるんだけど、みんな気がつかないんだわ。

いつまでこんな状態が続くのかよくわからないけど、聖書にはちゃんといつかは終わりが来るって書いてあるのもほんとよ。よくわかんないんだけど、とにかくどんな大変な時代や環境でもいつかは終わるんだし、それならいつもの毎日を、いつ終わってもいいようにちゃんと生きていたほうがいいと思わない?いつかは誰もが大きな大きなお方の前に出ることになるんだと思うのよ。

あたしはただのケータイだし、ただの生意気に聞こえてもしょうがないけど、なんかさあ、生きとし、生けるもの、命のあるもの、ないもの、そんなこと関係なしにこの世に存在しているものはすべて、大きな大きなお方に支えられて生まれてきて存在してるんだと思うの。本当の王さまはいつの時代のどんな世界ででも、すべての人間に自分のことだけじゃなくてほかの人にも目を向けてほしい、心を配ってほしいって思ってらっしゃるのを忘れちゃいけないんじゃないのかしら。

なんか真面目くさった話になっちゃったからこのへんでやめとくわね。明日はうちのおばはん、調子がよくなってるといいんだけどね。まあ、そんなところよ。ほんじゃ、またね。

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