2013年9月8日日曜日

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平和のために祈るということ

 
今日の夕方はいつもの四谷のマンモス教会ではなく、東京カテドラルに出かけた。ローマの教皇様の呼びかけ応じて、日本の教会でもシリアや中東、そして世界の平和のために祈ることになり、東京教区は今日の夕方に祈りの集いがあったのだ。祈りの集いの後、引き続いて地下聖堂では土曜日の夕方なので主日のごミサもあったから、それにも与って帰ってきた。

帰りの新宿行きのバスの中で眠くなりながらもふと思い出していたのは、昔、まだロシアが共産主義を標榜するソ連という名を持っていた頃、当時は観想修道会の中で唯一外に出て行く会として知られていたイエスの小さい姉妹の友愛会という修道会のシスターたちが北海道の稚内の海辺の土地で食べていくための昆布漁の手伝いをしながら、そこの土地から一番近い海の向こうの国、ソ連の表に出てくることの出来ない沈黙のカトリック教会のために祈っていたことだった。

あれからずいぶん年月が経ち、世界情勢も大変な様変わりを遂げ、ソ連はロシアになり、中国さえ実質は資本主義っぽくなって、よくも悪くも両国は今も、昔とは変わってはいても相変わらず世界に大きな影響力を及ぼし続けているわけだ。その変化の中で、外に出て貧しい人たちと生活を共にする祈りの会は、観想会の区分から外れていまや労働修道会という区分なのだそうだ。でも当方は忘れはしない。あの会は稚内の地で、ソ連の沈黙の教会のために祈り続けていたのだ。

今、シリアや中東の複雑な情勢の中で、あの辺りには確か東方典礼のカトリック教会の一部とか、古い形のキリスト教もあったようなおぼろげな記憶があるのだが、それらの信者の人々はどうなっているのだろう。イスラームの人々の信仰の姿にうたれて回心して修道者にまでなったシャルル・ド・フコーの遺志をついで、イスラームの人々の住む砂漠の生活にも入っていたのは、イエスの小さい兄弟と姉妹の会だったと思うが、今はどうなっているのだろう。最近はあの会とまるで切れているから知らないが、カトリック教会の中には違う宗教の人々とも友情でつながっていこうとする人々がいたのを思い出す。

一触即発の大変な状況でも、たぶん本当はオバマさん流ではなくて、その昔シャルル・ド・フコーに始まった会が理想にしていたような、友情とか信頼とかのかすかな光を消すようなことはしてはいけないのではないのか。そんなことを今も思っている。

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