2013年9月13日金曜日

メインブログからの転載

あれ、こんな味だったかな

 
こんばんは~、マリーで~す。

うちのおばはん、今朝はちゃんと早起きして中野の警察病院に行ってきたわよ。このあいだのMR検査の結果のほうはやっぱり思ったとおりちゃんと脊柱管狭窄だったのよね。といってもまだ手術とかまではいかない軽い程度よ。やっぱり痛いのは痛いから痛み止めはどうしたって必要だし、結局とりあえず薬のほうはわかっている東京衛生病院に戻ることになったみたいよ。

今日はちゃんとMRの画像のCDと診断書をもらったから、衛生病院には知らん顔で提出してやるんだって。まったくねえ、病院はとにかく、今の状況の原因を作った人たちにははっきりさせずには置かないってあの人怒ってるけど、動くのは少し頭が冷えてからのほうがいいんじゃないかしら。今、やたらに頭にきてるもん。

そんでもとにかくちゃんとまともな検査結果は出たんだし、痛いのは他の人じゃなくてあの人自身だから、軽度のたいしたことのない脊柱管狭窄って言われたって、現実に3階から大きい重い粗大ごみが下ろせなくなってベランダに積んであるのを知らん顔されちゃかなわないわよ。

まあ、この話はまた今度にして、もうちょっと面白い話にするわね。今日、すごく珍しいものが駅中の売店に出てたの。最後の一袋しかなくて、なんか大分ちっぽけでみすぼらしかったけど、めずらしいからってあの人買ったのよ。昔々、あの人が子どものころに食べていたみたいな日本の古い瓜よ。今のなんとかメロンとはまるで比べ物にならないような貧弱なフルーツだけどね。

万葉集の時代に、山上憶良が「瓜食めば子ども思ほゆ・・・」と歌に詠んだ瓜は、当然日本の昔の瓜で、今日あの人が買ったのはそんな昔の瓜を連想させるような瓜だったのよ。

お家に帰って皮をむいて割って食べてみると、瓜には違いない味だし、ほんのり甘いんだけど、うちのおばはんでも今の時代のスイカやメロンの味に慣れすぎちゃって、子どものころに食べた瓜のあじってこんなだったかあなあって首を傾げてたわ。果物の甘さの基準が昔々と今ではものすごく違うみたいよ。

イチジクやぶどうだって遥か昔、あの人のおうちの庭にあったイチジクやぶどうの味とは相当違うもんね。おうちの庭はお父さん、お母さんが大事に手入れして土も栄養がよかったらしくて果物もすごく甘かったんだわ。今、お店で売ってるのとは全然違うのよ。

山上憶良の時代の瓜の味は想像するしかないけど、どんな味だったのかしらねえ。今日あの人が食べたのはぼんやりした甘さで歯ざわりだけはよかったんですって。今時のメロンみたいにねっとりやわらかいなんてのとは正反対の世界の味ってとこかな。

そんなところで今日はおしまいね。 ほんじゃまたね。

   

2013.9.12

花は咲く

 
このところ、どうも日本列島やその周辺の海の地下は人間の目に見えないところでなにやら剣呑な動きを繰り返しているのだが、だからというわけではなく、たまたま東日本大震災復興支援ソングを今頃やっとじっくりと聞き、ちょっとしたショックを感じている。今まで実はよく聞いたことがなかったのが、夕べテレビで視聴してびっくりしたのだった。この歌の内容って実はあの時突然に人生が終わりを迎えた亡くなった方たちの側の視点からの歌だということに初めて気がついたのだった。ただ感傷的な言葉を並べているわけではないのに今頃気がついた。毎日当たり前のように生きているけれど津波や事故に限らず、全てのなくなった方たちの人生はそこまでで終わってしまったのだと言うことがいきなり頭のなかに飛び込んできて、今頃物凄いショックを感じた。みんなやり残したことをおいたまま去っていってしまったのだ。なんと言う深い悲しみ、心の痛み、いや、しかし、地球の何十億年という年月のなかで人類の存在の歴史自体、ほんの一瞬なのか。なんと言う悲哀。永井博士ではないけれど、まさしく真に求める価値のあるものは滅びぬもの、永遠のものだなあ、とあらためて思う。
 
 
   

仕方がないからタブレットで

 
午前中にフェイスブックのほうにはちょこっと書いたのだが、パソコンがチビパソコンの方まで調子がおかしくて、直ったかと思うとすぐにまた変になったりで、仕方がないから寝かしておいた大きい方のパソコンを使えるように調整することにした。しかし時間がかかるから今日はタブレットからの簡単な話ししか書けそうにない。いずれにしても明日はまた中野の病院に朝一で先日の検査結果を聞きにいくので今日は木曜日ではあるけれど、聖書の集いはお休みすると伝えてある。出掛けないで作業を続けるし、今日中になんとかなるだろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿