2013年9月21日土曜日

メインブログからの転載

「風立ちぬ」―宮崎駿監督の夢

 
今日は吉祥寺に出かけて、映画「風立ちぬ」を見てきた。宮崎駿監督がこれを最後に引退宣言をした作品だ。どんな内容だろうと楽しみにしていたのだが、見ていてなんだか眠くなってしまって仕方がないので、ガムをかんだり、目を覚ましているために絶えずあごを動かしていた気がする。今回の話は飛行機とか空を飛ぶことに興味や関心がある方だったらこの映画は面白いかもしれない。しかしこちらにはだめだった。

「となりのトトロ」や「千と千尋の神隠し」の世界とどう違うかといえば、すぐにわかるのはこれはアニメではあるけれど、きわめて現実の世界に近い、というか現実的な世界のはなしだということだ。トトロや千と千尋の世界、特に千と尋は、国も人種も変わってもほぼ世界中で受け入れられ、国際的な賞を受賞したのにこれはそうはならなかったのは何故か。

千と千尋の世界はすべての人間の無意識の世界に触れるような面を持っていたためといったら言い過ぎだろうか。少なくともあちらは日本の神話や伝説だけでなく欧米の古代の神話や伝説にも近いものがあったと思うのだ。それは人の心をわくわくさせ、物語のストーリーにも期待感をもたせるのではないか。

でも今回のこの、風立ちぬは話の出だしからしてまるで違う世界だ。無意識を揺さぶるような種類の内容ではない。出てくるのは計算尺に、空を飛ぶための数式だ。眠くなるのも致し方ないではないか。

では、話のもうひとつの面、少女菜穂子と主人公の堀越二郎の愛と別れのほうはといえば、どうもこちらもちょっと中途半端かなあという感じなのだ。二人のごく内輪な古代的な結婚式の場面の美しさ、あれをもう少し進めたらこの話にも日本の古代神話の味わいが出たかもしれないと思う。しかし、はなしは飛行機が中心だ。そうはいかないまま別れになる。

なんだか残念な進行と終わりだった。飛行機というか空を飛ぶことは、主人公の夢というより、これは宮崎駿監督の夢だったのかもしれないと思った。

忘れていた。ゼロ戦はどうなったのかって?物語を見始めたらゼロ戦より物語の全体の流れのほうに集中してしまってゼロ戦消えてしまった。どうもすみません。

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