2013年8月30日金曜日

メインブログからの転載

少年Hを見てきました

 
今日の都心の最高気温36度以上。四谷の昼ミサの帰り、聖堂の外に出てこれはとてもではないと思い、ついでだし今日は前から見に行くつもりでずっとのびのびになっていた映画、少年Hを見に行くことにしました。今回は新宿バルト9に行ってみました。

小説の文章を読んだときと違い、映画という形になって目の前に現れた少年Hの世界はなんというかリアルすぎてショックでした。それだけ現実に起こったことは恐ろしいことだったわけですが。

実際、当方も還暦をとっくに過ぎた人間ですから第二次世界大戦が終わってしばらくして生まれたので、子供のころはご近所周辺にはまだ戦争の傷跡がいくらも残っていたのです。こんなところに逃げ込んでもどうしようもないような横穴式の防空壕の跡も残っていましたし、まだちゃんとした家もなくて掘っ立て小屋のようなところに一家で住んでいた友達もいました。

神戸の大空襲の恐ろしい場面を見ながら思い出していたのはそんな昔の記憶でした。戦争中は南方に行っていた亡き父の若いときの思い出話を思い出し、中山法華経寺の墓地で父が、これはお父さんと仲良しだった幼馴染の墓だと教えてくれた戦死者の墓の記憶でした。

それは実はまだそんなに遠い昔のことではない、手の届くような距離の昔なのです。でも今の若い方たちはそれも知らない。安易にやたら右に寄りすぎではないのでしょうか。バランス感覚を忘れると、神戸大空襲の後、いや終戦になってだったか、Hが人々の態度の変化を見て、海の波に右に左に揺れ動く海草の若布だというところがあったように、相変わらずこの先も時代の流れに揺れ動くだけの若布になるのでしょう。

Hのお母さんのような信仰、お父さんのような誠実さ、それは時代が変わって、状況も変わっていくとしても忘れてはいけないものなのだと思いました。

次に作品としてのこの映画を見直すと、やっぱりさすが降旗監督作品だけあって一つ一つの場面がすばらしいです。少年Hが慕っていた男姉ちゃんと呼ばれる役者崩れの若者が、出征間際に逃げ出して自殺してしまったときの、本当だったら女形の役者になりたかったこの若者の哀切な思いを語るような絵の美しさ。大空襲の炎に呑みこまれてしまう町並み。残ったのはすっかり炭になった焼け焦げの人体、焼け落ちた日常。

出演している俳優さんたちについては説明する必要もないくらいよく知られた名優ぞろいです。あ、そういえば神保さんと山中さんも出ていました。音楽がまたすばらしいです。いつもの池先生でした。

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