2013年8月23日金曜日

メインブログからの転載

夏の終わりの手抜き

 
こんばんは~、マリーで~す。

今、うちのおばはんはNHKテレビで、津波のときの『亡き人たちとの再会』の話を見てるところよ。今日はもう8月も23日で子供の頃だったらお盆が終わって家族みんな、おばあちゃんのところからうちに帰ってきて、溜まっているやり残しの夏休みの宿題で頭を抱えている頃じゃない。

もうあれから何十年も経っちゃったのよね。

ってことで今日は昔の思い出で心がいっぱいでここに書くようなことも思い浮かばないみたいなのよ。しょうがないから今朝フェイスブックに書いた話でも載せとくことにしたのね。フェイスブックで一緒の方たちはもう読んでいるけど、参加していない方は読んでいないと思うから、ちょっと我慢してちょうだいね。

今朝の記事はこんなのだったの・・・・・・・・

今朝の瀬戸内寂聴先生出演のNHKの番組を見ていてふと思い出した。日々の出来事はそれぞれ断片的でばらばらに起こっているのだけど、長い目で全体を見ると、不思議とすべてがどこかでつながっている。

 言っても信じてもらえないような変な話がたくさん起こって、おかげで今の状況に至ってきたのだが、ここではその話はしない。それより、ここではそれではなくて時にはありえないような奇妙な偶然の一致の数々さえ起こすその人間の心の不思議のごくごく一部を書いてみたい。

ユング心理学で原型ということばがある。寂聴先生は宗教者であり、文学者でいらっしゃる方だからたくさんの作品の中にさまざまな人間の思いを書いておられる。寂聴先生ばかりではない、古今東西の優れた文学者の作品や、芸術家たちの作品がなぜ現代の我々の心にも響いてくるのか。
ユングの考えではそれはすべての人間の心に共通した何かが、生まれた時からすでに備わっているからだという。その何かを原型とよぶ。私達の思考は実はかなりその原型の影響を受けているらしい。

 文学をはじめ、古今の芸術作品がどうして今の時代の人のこころをも揺さぶるのかというと、この原型の問題がかかわっているらしいのだ。また、現実に人が他のある人を見て、はっとして恋に落ちたり、下手をすると不倫をしたりするのも実はこの原型が心のなかで動くためだというのだ。

 原型は男女の問題だけではなく、その時代の精神と結びついて人々を戦争に駆り立てたり、歴史に残るような勇者を生み出したり、さまざまな動きをするのだが、大抵の人は無自覚に原型のなすままにうごいてしまう。しかし。少なくとも、人はたくさんの書物を通して自分の経験以上の知識をえることはできるはずだ。

それこそが人間が原型に振り回され、ふたたび悪しき歴史を繰り返さないためのひとつの方法なのだろうと思う。

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