2013年8月6日火曜日

メインブログからの転載

かき氷とアイスクリーム

こんばんは~、マリーで~す。

今日は8月の6日。うちのおばはんが生まれる4年前のこの日に広島に原子爆弾が落とされたのよね。あの人の世代だって正直に言うと原子爆弾のことなんて子供のころは何も知らなかったのよ。高校の修学旅行が九州方面一周だったから、たしか広島も通過したような気がするんだけどほとんどおぼえてないのよね。ただバスガイドさんの歌った歌のフレーズのきれっぱしがぼんやり記憶に残っていただけ。「ああ原爆許すまじ」っていう言葉だけおぼえてたの。

それからラジオの深夜放送で初めてフォークソングって言うものに触れて、高石友也さんの「チューインガムひとつ」って言う歌が最初のきっかけで関西のフォークソング運動を知ったの。それでそのころに高石さんの歌で「死んだ女の子」を聞いて、原子爆弾というものがどういうものだったのか、何が起こったのかやっとわかってきたの。

指が生まれつき正常じゃないからギター買ってもちゃんと弾きこなせないのにお父さんにねだって何万もするギターを買ってもらったり、あちこちのコンサートに行ったりしてたころよ。だけどあの人、フォークコンサートにもお父さんが一緒についてきたりしていたような、まるっきりの世間知らずだったから、あのころの若い人たちのいろいろな考え方には縁がなかったの。どうももっと全然違う何かを探してたのね。

だから結局フォークソングじゃなくて、キリスト教の信者になって、聖歌隊で聖歌を歌う方向にいっちゃったんだわ。それでも、関西のフォークソング運動にほんのちょっぴりでも目を向けてたおかげで、いいかわるいかはとにかく、何十年も昔から山谷や釜が崎のことも同和問題のこともフォークソングを通してちゃんと知ってたの。ただ、自分が求めているものはそういうものじゃないってわかっていたからそれほど特別なことと思えなかっただけみたいよ。

だけどある時、あの人の書いた童話や物語がさるお方にお読みいただいたりしたことで、カトリック教会とある特殊な世界のかたがたの間に立っていたことがあったの。そのときにあの人、同じように特殊な世界でも上に立つ方々の側だけじゃなくて、カトリック教会が本当に神様の教会なら、住井すゑさんの橋のない川のような世界の側も、両方とも考える教会でなくてはいけないんじゃないかってある方に言ったの。

はっきり言ってあの人、お父さんの方もお母さんの方も鎌倉室町あたりまでさかのぼれる、古い関東の地元の人間よ。別に橋のない川の世界に何か関係があるとかじゃなくて、キリスト教が本当に神様の教えなら、本来は人を上下隔てるような教えではないはずだと思ったからそういったのに、なぜかどこかの誰かはあの人を本当は橋のない川の世界の人ではないかって疑ったり、悪いうわさをたてたりしたのよねえ。だいぶ前のことだから今はどうなってるんだか。でも犯人も亡くなっちゃったしもうどうでもいいことなのかもね。

とにかく、関西のフォークソング運動のおかげで、あの人の人生かなりたくさんの影響を受けてきたのは確かだと思うわよ。今の状況も多少それも関係していた気がするものね。だけど、せっかくここまで来ちゃったんだから、最後までちゃんと追い求めてきたものを追い続けてもらいたいわ。終わりのないもの、永遠に続くもの以外のものに目をくれてちゃ駄目。

ということで今日はおしまい。ほんじゃまたね、

え、何? タイトルのかき氷とアイスクリームってのはどこにあるって? このところ毎日暑くてかなわないからタイトルだけ冷たいものを並べてみたの、そんだけよ。じゃあねえ。

0 件のコメント:

コメントを投稿