2013年8月11日日曜日

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HOME いとしの座敷わらし、そして少年Hへ

 
座敷わらしという言葉を初めて見たのは子供のころに親が買ってくれた宮沢賢治の童話でだった。それから何十年もたってある方から、東北のおしらさまの話を聞いた。いろいろな説があるらしいが、その方は子供の姿をしている存在だと語っていた。小さい子供の姿のおしらさまは古くからのその土地の昔からの家についている古い女神にお仕えする役目の存在らしい。といってもこちらは代々関東の人間だから、なるほど、なるほどと話を聞いているばかりで何も言えはしない。違う世界のはなしとして聞くばかりだった。

しかし、そんな東北の昔からの土地の言い伝えなどを聞いていたので、座敷わらしが小説のタイトルに出てきたと思っているうちに、なんと水谷豊さんの主演で映画化された時、子供の姿の座敷わらしに知人の話が重なって、これは面白そうだと思った。

そして、確かキリスト教以前の古代のヨーロッパの異教の伝説や神話は現代の欧米人の心の奥底にも形を変えながら生きていることを考察したのがユングという心理学者だったと思う。現代の日本人は古いものを切り捨て、何でも新しいものを取り入れることがよいように考えるようになっているわけだが、果たしてすべてがそれでよいのかどうかは非常に問題ではないかという気もするのだ。

日本は小さな狭い島国でありながら、各地の昔からの伝統、文化は実に多種多様でこれをなんでもかんでもグローバル化で失ってしまうのは本当にもったいないことではないか。昔からのものの中に未来に続くものが隠れているかもしれない。

精神文化といっては大げさかもしれないが、古いものの中から今も変わらないものを拾い上げて音楽や絵画や創作の世界にもう一度生かすことは出来ないのかと考えてしまう。古いゲルマンの神話がワーグナーの手で見事な音楽芸術になったように、いやそこまでいかなくてもいいから日本人の心の奥底にあるものを掘り起こして生かせないものだろうか。

そんな思いの中で、いとしの座敷わらしに出会ったわけだ。水谷さんもずいぶん素敵な作品を選んだものだと思う。この映画の映像の美しさは映画館で最初に見たときから大好きだった。パソコンやスマホが生活の中心の世界では見つからないものも確実に存在する。けれどもそれを一度も見たことも聴いたこともない人にはわからない、そんな世界があるのをもう一度思い出させられた。

今日はテレビ朝日でこの作品をはじめて上映している。テレビで見るときは映画館よりもストーリーや細部に目がいくようだ。それもなかなか面白い。何度見ても草笛光子さんさすがだ。

そしてこれを見終わったら、来週はぜひ上映の始まった「少年H」を見に行かなくてはと思っているところだ。


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