2014年4月8日火曜日

メモーフェイスブックに書いた

2014年4月8日、火曜日の朝。昨日、四ツ谷の新しい講座に行って昔の知り合いの司祭の話を聞いて、なぜか気持ちがかたまった。本気で動くぞ。

残念ながら主任司祭は何度連絡をとろうとしてもこたえてくださらないのだけど、
今は本気で動き出さないと私のこの先の生活がどうにもなりません。

あのチェルノブイリの事故のあった年以来、まさかこんなに長い年月放っておかれるとは思わず、イエズス会の当時の関係者を信じてずっと待っていたのですが、こちらも今年はすでに65になろうとしていますし、関係者がどんどん亡くなっています。

もはや真実をどうこういっているより、こちらの現実の生活が追い詰められています。これまで一生懸命書いた原稿も横取りされて消えてしまったり、お金も親類に横取りされてこちらには一銭も入っていません。

現実に食べていくお金がないのですけどいったいどこに相談したらよいのでしょうか?イエズス会も、今の大司教様も全然事の経緯をご存じでないし、まだ誰かさんが生きているうちは私も黙っていておきますが、本当に生活ができないのですけど、お金の相談てどこに行ったらよいのでしょうか。

長年、いろいろ書いてみて、やんごとない方のお目にのぼった原稿も何点もあったのに、ある亡くなった方がずっと足をひっぱっておいでだったので、こちらもくたびれて書くのをやめてしまったのです。自分にできることは書くことぐらいですけど、お金にならないは、悪いうわさばかりながされるはでは、当人は生活ができないのですけど、このままでは本当にどうにもならない状況なのです。

ちょっとは助けてください。相談できそうなところを教えてください!! 

話の続き)

つい今しがた、四ツ谷の教会に電話して問い合わせたところ、生活相談は以前にもちょっとお話に伺ったBr.吉羽さん担当のところしかないらしい。週一で決まっている日に電話予約してということだった。

イエズス会のはそれしかないらしいので、来週の定時の日に電話を入れてみることにする。こちらは足元の支えをいただければ、あとはまた原稿書きに戻って、それしか能のないお話つくりをする。これまでは人に利用されて自分にはぜんぜん戻ってこなかったけれど、利用するだけの価値はあったわけだから、自分の能力をもう一度試してみる。

この年でなければ見えてこないもの、書けないものがあるはずなので、それを書いてみるというのはどうだろう。とにかくやってみるしかない。動きがとれなすぎる生活ではそれさえできないのだけど。

体重の減量が必要なくらいだから、1ヶ月や2ヶ月は水だけ飲んでも大丈夫。ただそれをやると白髪が増え、骨密度が下がって骨折しやすくなるからやらないだけ。いざとなればそれで残ったお金で布団や冷蔵庫やテレビの買い替えをするのだろうな。このままいけばほかに手がないのだから。

余裕がないというのはそういうことなのだ。

こういう事情はよその教会や修道会、在世会は何も知らないから、ただ胡散臭がられ受け入れられなくなるばかりというのが情けない。

おまけ)
まあ、いいか。猪突猛進あとで考えるでもなんでも動いてみるしかないもの。


でもでも、何とかしないと日本国内だけではもっとどうにもならないじゃないか。こちらの本当の状況伝える努力はしないと。


フランシスコ教皇様のツイッターの返信に、いくら日本語でこちらの話をもぐりこませてもどうせ届くわけないなあ。やってみたけど、始めからあきらめ。



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