2014年4月25日金曜日

plalaブログからの転載

昔話だ(その2)


 
遠藤周作先生のお名前を初めて知ったのは中学生の頃。でも実際に本に触れたのは高校生の時。当時の先生の純文学作品は正直言って子供にはむずかしかった。

小学校高学年か中学1年くらいに北杜夫先生のどくとるマンボウシリーズに出会い、大ファンになったのが始まりで北先生のお友達の作家の先生方の作品にも手を出し読み始めたのが遠藤周作先生を知ったはじめだったのだ。そして高校3年の3学期に母が急死してしまい、予定が変わって進学せずに父が再婚するまで家事のようなことをしていた時期に、遠藤先生の狐狸庵先生シリーズが出て、母の死で落ち込んでいたこころを笑いで癒していただいたのだった。実は当時は先生ご自身もご病気の再発で大変だったことを後で知った。

それと、当時読んだ先生の「留学」という作品に登場した、幼きイエズスの聖テレジアにひかれてフランスに渡りカルメル会に入会する青年の話が心に残っていた。幼きイエズスの聖テレジアといえばやはり子供の頃に初めて聞いたカトリック教会の聖人で、ずっと好きだったからなおのことだったのだ。

しかし、それから何年もたって、プロテスタントからカトリックに改宗し、シスターになりたいと思い、家を出て一人で生活し始めてある日、図書館でたまたま「死海のほとり」を借りて読むまで忘れていたのだ。死海のほとりを読んだとき、その昔読んだ遠藤先生の聖書のなかの女性たちに登場してきた話、人々は遠藤先生の心の中でこんな風にその姿を変えていったのかとわかり、それがきっかけで読者のひとりとしてファンレターを出し、以来時々手紙を書いて出していたのだ。

文学の話だけでなく、今ならブログに書いているようなことをあれこれ書いていた。後には自分の書いたお話、物語のコピーも贈って読んでいただいていた。まあ、その後のいろいろはあまり文句はいいたくない。あちらもまさか今のようなことは予想もしていなかったはずだから。

とにかく遠藤周作先生、霜山徳爾先生のおふたりは一度も直接お会いしたこともなかった頃から、こちらをカトリック教会にみちびいてこられる影響力を発揮しておいでだった方だった。

そして次はユング心理学の河合隼雄先生もいた。うちの親類が精神科の仕事をしていたので、カトリック信者だった土居健郎先生も霜山先生もこちらが直接は知らなくても実は向こうもご存知だったのだ。で、そこからユング心理学につながる。

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