2014年4月3日木曜日

gooブログからの転載

久しぶりに聖書の集い

2014-04-03 22:10:05 | Weblog
諸事情により休んでいた木曜日の聖書の集いに久しぶりに出かけ、ついさっき帰ってきた。場所は四ツ谷だから、夕方のミサに与かってそのあと行けばちょうど良い時間だ。指導者の司教様をはじめ、いつも会場を整えてくださっている方やメンバーの皆様の顔もひさしぶりだった。

今日の聖書の箇所はいつものように今度の主日の福音の箇所で、ヨハネによる福音の11章。ただし、ミサのときとは違い、聖書の集いだから1節から45節まで通してだ。全部通して読むと場面の把握も意味の読み取りも深まらざるをえない。

私にとってはこの箇所でいつも心に深く残るのは、イエス様のおことば「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」という箇所だ。

はるか昔々小学校1年生のとき、母方の祖父が急死して、あれこそは生まれて初めて人間はだれでもいつかは死んでしまうことを知ったときだったのだ。それ以 来子供心にも終わらないものがほしい、永遠に続くものがほしいと思い始めて、中学生のときこの聖書の言葉に出会い、それまでもキリスト教やイエス様は知っ ていたのが、これがきっかけでそれは切実な自分の欲求に変わり、高三で卒業間際のときに母を亡くしたのを機会に教会に行き始め、当時はプロテスタントだっ たが受洗し、信者の生活を始めたのだった。

自分にとっては本当に重要な福音のことばなのだ。今日行ってもうひとつ良かったのは、ある方の話をきいていて、妹の死のことも、あの子はあの時、一種の病 気だったのだなあと見えてきたこと。何故と問いかけつづけても答えがでないのは、病気がさせたことだったからかもしれないと思えるようになってきたこと だった。その先は神様にお任せするしかないことなのだろうと思う。

そんなわけで帰宅しこれを書いているが、明日は今度はまた吉祥寺のほうの十字架の道行きに行くつもりだ。だって四ツ谷は夕方のミサのあとだから連日帰りは遅くなるし、土曜日は夕方のミサの聖歌隊の予定だからちょっとここは昼間の吉祥寺にいったほうがよさそうではないか。



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