追加) 日蓮宗とキリスト教
船橋市の塚田、前貝塚あたり
死んだ父は故事来歴に詳しかったから、行傳寺が父方の地元の大本山中山法華経寺の末寺だったことや、もとは法華経寺の年をとられた僧侶の隠居寺の役割を担っていたことも語っていた。父方は先祖が法華経寺の富木常忍の家臣で代々法華経寺の門前に住まわってきた家だから、末寺の行傳寺のことも知っていたのだ。
行傳寺は母方の菩提寺で、母が死んだとき父がおじいちゃんのそばに一緒にいられるようにと、墓を寺の近くに建てたから、今では父母も妹もこの寺の墓地に眠っている。この墓の位置がわかりにくくて道に迷うものだから、Googleマップをみたりして、ついでに父を見習って、この地の歴史なども調べたわけだ。
大筋は生前の父から聞いた話で正解で、この寺は室町時代にできたそうだ。父方は鎌倉時代、母方も確実なところだけでもこの寺の創立した室町時代にはこの土地にすみついていたわけだ。考えただけでも遥かな遠い御先祖さまに懐かしく有難い気分がしてくるではないか。もっともこんなことを考えるのはこちらも年をとったためかもしれないが。
船橋市の近代史を簡単にまとめたものを読むと、子供の頃、不思議だった今はない無線搭が実は大変な代物だったことがわかる。田舎の畑と田んぼばかりの土地にたっていたあの無線搭が第二次世界大戦のときには重要な働きをしていたとは驚いた。
母が、そして伯父、叔父や叔母が子供の頃通っていた塚田小学校も今や、東京のベッドタウンの近代的な小学校だ。時は流れていく。
とにかく今度妹のために墓参りに行くときは迷子にならないようにしなくては。
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