2014年4月25日金曜日

plalaブログからの転載

昔話だ(その1)


 
もう皆様ほとんどは亡くなった方々ばかりになってしまったのだが、懐かしい方々だ。


もう半世紀以上も昔、こちらがまだ中学生のころのことだ。当時、小学校は家から2、3分の距離だったのが、中学校に入ると急に毎朝15分はあるく通学距離になり、早起きするようになって、毎日、当時の朝のラジオ番組だった心のともしびを聞くようになったわけだ。


毎日聞いていると、これは、と心に残るお話をなさる先生の存在に気がついた。シモヤマトクジさんというお名前の方でどういう方かも、どういう字を書くのかも知らず、勝手に下山得二さん?かと字を当てはめて考えていた。とにかく毎回中学生だったこちらの心にも深く残るよいお話をなさる方だったから中学高校、専門学校から就職して会社勤めするようになってからもずっとこの方のお話を聞くのを楽しみにしていた。


うちの父が案外と宗教的なところがあって(父って、当時は知らなかったけれど、実はお坊さんの子だったとかで、そのためか、かなり世間一般のお父さんとは違っていたのです)、子供の私に小さいころから聞かせてくれたような話と同じで、とても心に響くお話でした。シモヤマトクジさんのお話は、父の話と似ていて、子供の心を育てるようなものだったのだ。


それから何年もたち、こちらは成人して神保町にあった父の知人の会社で写真植字の仕事をするようになり、お昼休みというと古本屋街を歩き回っては面白い本を探して漁っていたころ、ある日、古本屋さんの棚で当時のカッパブックスの「明日が信じられない」という本を見つけて買い求め、読んでびっくり。どこかで聞き覚えのあるはなしがいっぱい。でもまだそのときは気がつかないまま本棚にしまいこんでおいたわけだ。


それからまたまた何年もたって、プロテスタントからカトリックに改宗し、あるときカンガス神父さまに話に行くと、フランクルの夜と霧を読んでみるように言われ、本を買ってふと、訳者の名前を見ると、「霜山徳爾」のお名前、はてな、どこかで見た名前?と本棚をひっくり返してさがしてみると、あの「明日が信じられない」の著者の名だったのには驚いた。


それどころか本を読んでいるうちにハタと、子供のころ下山得二さんと思い込んでいた、心のともしびの先生こそ霜山徳爾先生だったことに気がついたのだった。なんのことはない、子供のころからこちらをカトリック教会に導いてきたシモヤマトクジさんとは霜山徳爾先生だったわけだ。


そしてまだある。




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