2013年12月19日木曜日

メインブログからの転載

今日の旧約はサムソンが登場していた

 
昔々、子供向けの物語で聞いた旧約聖書に出てくるサムソンさんは、力の強い英雄なんだけど、女性に弱くて悪女のデリラに騙されて目をつぶされてしまう、ちょっとお馬鹿な英雄のイメージがあるのだが、今日、久しぶりにまじめに聖書朗読を聞いていたら、思わずはっとさせられてしまった。今日の聖書はサムソンのお母さんのはなしだったのだが、結婚していてもいつまでたっても子供が生まれなかった不妊の女性だったお母さんに子供が生まれ、その子は、生まれる前から神様のものだった。

サムソンは大きな失敗もするけれど、もともとはお母さんのお腹の中にいたときから、神様に捧げられた人、選ばれた人だったのだ。サムソンの人生の失敗も全部ふくめて神様はこの人をご自分の道具として使われたのだ。サムソンの人生も新約のさきがけだったのだ。

日本人のこちらは旧約のナジル人のような特別な存在ではないけれど、でも生まれてきて生きていること自体は、やっぱりひとりひとり、何かの思し召しがあってこの世に生まれてきたのだと思うし、だとしたら何か自分に与えられた役目のようなものもあるはず。それがどういうものなのかわからなくても、生まれてきて生きているのは何か意味があるからだろうと改めて思う。

英雄サムソンでもデリラにだまされてひどい目にあったり、最期は自分の命もすててペリシテ人の神殿を打ち壊す、そんな人生全部ふくめて神様のものなのだ。としたら、もしかして我々のごく平凡でなんということもない人生でさえも、実は全部全部神様からのものなんじゃなかろうか。つまらない出来事のように思えることも深い部分では大きなことなのかもしれない。

うまく表現できないが、たぶんつまらないこととか、どうでもいいことというのはどこにもないのかもしれない。



餃子の王将

 
今朝起きて、パソコンを開いたときは驚いた。猪瀬辞任のほうは天気予報と一緒にタブレットで先にニュースを見ていたからわかっていたのだが、餃子の王将の文字と銃撃の文字が頭の中で結びつかず、一瞬意味がわからなかった。

だって餃子の王将といったら、日経のSNS以来の知人たちから教わった安くて美味しい、しかもサービスも品質も良い、非常に良い店というイメージしかないのだ。たしか某調味料関連の会社の知人は営業だけれど、若き日を王将チェーンで、仕事全般の初期訓練を受けたのではなかったかしら。そんな話も覚えているので、かなり信頼感を持つ会社だから驚いた。

銃撃って、ここは日本だからやたらな人間は銃砲所持は簡単には出来ないことになっている。まあ福岡とか、銃砲どころか、手投げ弾が落ちていたりする地域もあるようだが、普通は警察や、自衛隊、そしてやくざ屋さん(広域暴力団ともいう)に、たまに狩猟関係くらいだろう。一体全体、何事だろう。

とにかく早く解決してくれないと気分が悪いはなしだ。


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