2013年12月5日木曜日

メインブログからの転載

待降節の木曜日

 

今日は木曜日。夕方出かけるまでだいぶ時間もあるので、ほかの用事は全部サボって、この間から気になっていた、NHKテレビドラマ「真夜中のパン屋さん」を今の時間までオンデマンドで1から5まで通しで見てしまった。さすがにくたびれたが、物語の全体はわかった。通して見てもやっぱりこの番組は面白い。

登場する人々、お話の世界だからそれはまあ現実にはありえないかもしれないが、実を言って、そのままではないけれど、現実の某世界の知人たちの顔が思い浮かぶのだ。詳しく言うわけには行かないが、事実は小説より奇なりという言葉のとおりなのだ。人間の世界だから物語の世界も当然現実の人間の世界の一面を描くのだから当たり前か。

世の中、まさかまさかが真実だったりするから大変だ。とはいえこのはなしはここまでとして、今日はこのあと夕方はミサと聖書の集いで四谷に出かける。うかうかしているうちに、あっという間に今度の日曜日には待降節のろうそくも2本目が灯る。聖歌の一節ではないけれど、「時が今しも過ぎていくのに、人は誰も気づかない」といううちに日々が過ぎていくわけだ。

今日の聖書の集いでは、待降節のいつもの聖書の箇所で洗礼者ヨハネが登場する。毎年聞いているのに毎年聞き逃して過ぎているような気がする箇所だ。しかし、今年はなんとなくちょっぴり違う響きも感じている。どうもそれはフランシスコ教皇様が関係しているかもしれない。

今日、フェイスブックで知人がcnnのニュースを紹介していた。この間、別の方のブログで見てショックを受けた話の後日譚だ。
    http://www.cnn.co.jp/world/35040610.html

自分だったらこの方が傍にきたら近づいてきたらどうするか、たぶん逃げ出すに違いない。でも今のローマのお頭様は本当にすごいお方だったのだ。自分などは臆病で弱虫な信者だけどこのはなしを思い出すとこれではいけないと考えさせられてしまう。

この世では誰もが理想と現実の間に生きているとはいえ、一歩でもできるだけ理想を目指していきたいものだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿